レポート

パート2:日本の文化と生物多様性の調和(今年のキーワード「生物多様性」を考える )

日本人の自然観〜佛教と先祖教〜

9月14日(火)

梶田 真章 氏法然院 貫主

日本人の宗教観と自然観

梶田 真章 氏 日本人は初詣、お彼岸、お盆、各神社のお祭り、墓参りなど様々な宗教儀式に参加しており、宗教心が全くない人は日本にはほとんどいないのに、「あなたの宗教は?」と聞かれると「私は無宗教です」と答える人が多いのは、宗教とは特定の神さま佛さまを一途に信仰することだと思われているからです。実は、日本人の伝統的宗教にはキリスト教でも佛教でもない別の宗教があり、それを柳田國男は「先祖教」と名付けられました。これは、誰が開祖でもない、自然発生的に各地域で信じられてきたものです。

 室町時代前半までの日本人は佛教徒でした。神佛の存在を、六道輪廻(あらゆる生き物は、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六世界を巡り続けること)を信じ、人々は死後、地獄、餓鬼、畜生という世界へ落ちないよう、死後の世界の救済を求めていたのです。佛に対しては死後の成佛や極楽往生というあの世のことを祈り、神に対しては天下泰平や五穀豊穣というこの世のことを祈ってきました。これが、食べ物が足りなかった室町時代前半までの日本人の宗教観でした。これに対して室町時代中頃から江戸時代の日本人は、農業生産が飛躍的に拡大し生活が安定してきたため、もっと現世での自分の望みを叶えたいという欲望を持つようになり、神様と同様に佛様にもこの世のことを祈るように変化していきました。さらに、人々の生活の安定は村の安定を生み、この世を幸せに暮らすことが人々の目標となっていく中で先祖教が信じられるようになっていくのです。梶田 真章 氏柳田國男がまとめた先祖教の特色として、①死者の霊がふるさと近くに留まっている(身近な所から見守って欲しいという宗教観) ②この世とあの世の交流が自由である(代表的な機会が正月、お盆) ③臨終の際の願いが死後には必ず達成されると考えられた(どんな先祖になるかを願って死んでいく) ④死んでも二度三度と生まれかわり、同じ事業を続けられると信じられた(死んだら他の動物ではなく先祖となり、その後また人になるという循環) という4点を挙げています。特に④は、日本人の自然観を考える上で大切なポイントです。

サルの自覚を持つこと

梶田 真章 氏 元々日本には、現在の「自然」という言葉はありませんでした。明治時代にヨーロッパから「NATURE」という言葉が輸入され、これに「自然」という訳語が与えられたのが始まりです。辞書で「自然」を引くと、1)人間も含めて、宇宙と地球上のすべてのものが存在する世界 2)人間界と対立し、それをとりまく生物・無生物の世界 3)人間・生物を除いた無機的な世界 (集英社「国語辞典」より)という3つの意味が記されています。私たちが「自然と人間の共生」という場合は 3)の自然を指しますが、これは人間は自然とは別個にあるもので、人間にとって自然は保護したり開発したりする対象だという価値観で成り立っています。しかし今問われるべきは、自然に対する人間ではなく、ヒトはいかなるサルなのかということです。例えば、私は、庭に咲く椿に対して「きみは今、椿をやっているの。僕は今、僧侶をやっているよ。」と話しかけたくなるような、他の生き物への畏敬の念を持っています。一方で、先祖教ではこのような他の生き物に対する意識が薄れてきてしまっています。

「善悪」よりも「損得」で

梶田 真章 氏 800年前に法然と親鸞は、人間とはそもそも自己中心的な存在であるという凡夫人間観を説きました。これは、私たちはお釈迦様のようには生きることはできず、物事の善悪によってではなく損得によって生きるものだという考えからなっています。私は25年前に境内の自然を活かして人々が環境を学習する「法然院 森の教室」を始めました。このような活動は非常に重要だと思う一方で、大人の行動を変えるためには、道徳や良心にだけ訴えていても全く変わらないとも考えています。例えば環境税の導入など、人々の損得に訴えないと実質的な行動は変えられないと20年間主張してきました。よく「坊主なのだから道徳を説け」と言われるのですが、法然や親鸞はそもそも「人間は損得で生きていることを自覚せよ」ということを説いたのです。だから人間は、お釈迦様やキリストによって素晴らしい教えが説かれても結局戦争を繰り返してきましたし、隣人に必ずしも優しくすることができなかったのです。これが人間の基本的なあり方なのです。

 存在とは全ての関係性の中にあり、「もの」が「こと」を起こすのではなく、起こっている「こと」が次の「もの」をつくります。つまり関係性が次の存在をつくるというのがこの世界の有り様なのです。生き物同士の関係性、つまり出会いや傷つけ合いがあって、今のような形に生き物は存在してきました。支え合うだけでなく、命を頂かないと生き物は生きられません。豊かないのちの営みのためには、佛教が説く「縁起」という真理(生き物は、生かし合い、殺し合いながら生きているという事実)を聞き続けて、「生物多様性」を維持するように努めることが大切なのではないでしょうか。