レポート 2012年10月23日(火)

銀座ミツバチ物語

〜ミツバチを通して、都市から環境との共生を発信〜

06年から銀座のビル屋上でミツバチを飼い、都市と環境との共生を目指すプロジェクト。採れたハチミツは銀座の技で様々な商品が誕生します。更に「銀座ビーガーデン」と称する屋上庭園を展開し、野菜など育て地産地消が進んでいます。また定期的に地域を応援するファームエイド銀座(マルシェ)を開催し都市と農村をつなげる交流の場が広がり、現在札幌から北九州までミツバチプロジェクトが広がり連携を深めています。また、昨年の震災以降は、被災地応援に注力中。ミツバチを通して環境だけでなく農業、福祉、教育と世界が広がっています。

田中 淳夫 氏
NPO 銀座ミツバチプロジェクト 副理事長

紙パルプ会館 専務取締役・NPO 銀座ミツバチプロジェクト 副理事長・農業生産法人・株式会社銀座ミツバチ 代表取締役

都会で自然の恵みを集めるミツバチたち

2006年3月28日から、銀座・紙パルブ会館の屋上でミツバチを飼い始めて7年目を迎えています。ミツバチは環境指標と言われているほど、自然環境の影響を受けやすい生き物で、例えば、農村地帯などで、畑の作物のために農薬を使わざるを得ないけれど、使用するとミツバチがいなくなってしまうという問題を世界各地で抱えています。しかし、この東京の真ん中の銀座という場所では、農薬などを使用する必要が少ないのでミツバチにとっても悪くはない場所だったようです。ミツバチが行動する範囲は3km四方ですが、銀座のミツバチにとって、その活動範囲の中には、自然豊かな蜜源がたくさんあるのです。例えば、浜離宮。距離にすると1.2km、ミツバチは5分くらいで飛んでいきます。皇居へは1.5km、ミツバチにとって7分くらいの距離です。他にも日比谷公園や通りの街路樹など、花を咲かせる木々は周囲にたくさんあります。春は至る所でソメイヨシノが開花し、浜離宮には菜の花が30万本咲きます。霞ヶ関はトチノキ、マロニエ通りはマロニエ、そして内堀通りはユリノキが街路樹として植えられており、一週間で100kg以上ものハチミツが採れる環境が有ったのです。さらに、都会の真ん中ということで熊も出ませんので、もしかしたら、銀座はミツバチにとって恵まれた場所だったかもしれません。ちなみに、今年2012年は約870kgのハチミツが採れました。国内生産量が約2800tなので、私たちは何と0.03%の生産地になりました。しかし、それ以前から花は咲いていました。朝に花蜜が出ても、夕べには蒸発していましたから、ミツバチが飛んだことでハチミツが採れるようになったのです。銀座のミツバチは無から有を生み出したのです。

ミツバチが広げてくれる人の輪

銀座は元々職人の街です。せっかく銀座で天然のものが採れたのですから、私はそのハチミツを銀座の技で商品にして欲しいと考えました。そこで、バーに行ってカクテルを考えてもらい、百貨店やレストランでスイーツに使ってもらい、化粧品メーカーで石鹸やボディソープを作ってもらい、ビール会社でミツバチの酵母で作るビールの開発までしてもらいました。他にも、ワックスが採れるのでロウソクを作り、銀座教会で礼拝に使って頂いたり、百貨店などでは被災地へのチャリティとして販売もして頂きました。こうして「銀座のミツバチ」という認知が広がるにつれ、様々な業種の方がハチミツの採取に協力してくれるようになりました。子供たちの見学も受け入れていますし、中央区の幼稚園や小中学校へ出前授業にも行きます。銀座中学校では、来年度から養蜂を技術家庭科の授業にしようという計画も持ち上がっているそうです。
さらに、「ファームエイド」など食のイベントも年4回開催することで、全国各地の生産者や食に関わる団体とも繋がっていくことが出来ました。江古田、恵比寿、渋谷、札幌、仙台、名古屋、小倉、そしてソウルなど、都市養蜂にチャレンジする人々も広がっています。

銀座の街の方々も、この様子を知ってベランダで花をプランター栽培してくれたり、企業がビルの屋上緑化の際に、どうせならばミツバチの蜜源に役に立つもので緑化をという動きも出てくるようになりました。今、銀座のビル屋上では、子供から銀座のクラブのママさんまで様々な人々が苗植えや収穫活動に参加して、緑化の動きが広がっています。

銀座には、飲食業や花柳界から、ものづくりをする企業まで様々な技術やタレントが集まっていますが、それらを銀座のミツバチが繋げ、また日本各地の人々とも繋がっていく橋渡しをしてくれているのです。今、都会は環境と共生できるのかという大切な課題に直面しています。その時、「しなければいけない」「してはいけない」となってしまうと、皆さんとてもネガティブになりがちです。私達の場合は、こういった形で様々な人々と繋がることで、社会にある問題を解決できたらと思っています。

福島への想い

こうして、色々な地域との出会いが広がっていきましたが、その中には福島の皆さんとの繋がりもあります。そもそも福島の皆さんからは、もし東京で大地震があったら大変なことになるのだから、その時は、美味しいものも温泉もある福島に逃げて来いと言われていました。ところが、全く逆のことが起きてしまったのです。実は、福島とは原発事故の直前まで色々な商品作りも進んでいて、2011年3月にはその商品発表会もするという予定がありました。

今、一番の大きな問題は、安全と安心が切れてしまっていることです。政府や自治体が「安全だ」と言っても、それが消費者に届かなくなってしまったのです。そしてまた、震災があって電力が制限された時には、銀座の街も電気を使ってはいけないということになり、夜6時には百貨店も飲食店も全ておしまいという事態が起こりました。私達は、安全でなければ商売もできないのです。都市は、食べる物も、水も、エネルギーも地方に依存していたということが身にしみた出来事でした。しかし、その後、何度も被災地に足を向け、復興が一向に進んでいない現状を見ると胸が痛みます。そんな福島をどのようにして応援するのか?都会に貯まっている膨大な情報や人々の知識、或いは資金を、いかに地域に還流して、地域が元気になれる仕組みを作れないかということに思いを強くしております。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン