レポート 2012年7月31日(火)

環境の世界史の可能性

私は現代日本における世界史理解は全体として20世紀的であり、いまや21世紀にふさわしい新しい世界史を構想することが必要だと考えています。それは世界を一体として捉え、その過去を描く「地球市民の世界史」です。この世界史では、「環境」が必然的に大きな役割を果たすことになります。この講義では、環境の世界史が持つ豊かな可能性について触れ、それがいかに現代の世界史としてふさわしいかを説明します。

羽田 正 氏
東京大学副学長/東洋文化研究所教授
 

“私達の地球”という考え方ができない理由

羽田 正 氏環境問題や経済問題をはじめとして、世界の様々な国際問題の対処法を見ていると、まず初めに国があり、国単位でそれぞれの主張をして何らかの妥協点を見出すという具合に物事が進みます。しかし、国内のことを考えてみると、例えば消費税の問題を、鹿児島県の人はこう考え、青森県の人はこう主張し…とはなりません。日本全体としてどう考えるのか、という具合になります。これと同じように、国際問題についても世界全体としてどう考えるかという視点から取り組まないと、根本的な解決に行きつくことはできません。

一体どうしたら「私達の地球」という考え方を持つことができるのでしょうか。それは、私達が「私達の日本」という考え方をするのと矛盾することではありません。例えば、私達は、自分が住んでいる○○町の人間であるのと同時に、日本人でもあるという意識を持っている訳で、これと同じアイデンティティーの一つとして、「地球市民」という意識を持つことができればよいはずです。にもかかわらず、人類に「地球人」という意識が希薄な理由の一つは、人類自身に共通の歴史がないからなのではないでしょうか。つまり、日本には日本史があり、自分が住んでいる街にも、所属している会社にもそれぞれの歴史があり、そういう所から帰属意識が芽生えます。ところが今の世界の歴史は、「自分達は地球市民(「地球人」でも構いません)である」というアイデンティティーになるようなものになっていないのです。そこで、「地球市民の世界史」が必要になるのです。

地球市民の世界史の構築法

羽田 正 氏現在の世界史には、どこかに中心があるという見方が必ず付いて回ります。例えば、「19世紀になると欧米を中心に世界の歴史が動いた」というものです。それは、経済の中心をとても気にしたものであり、かつてはオランダに中心があり、やがてそれがイギリスに移り、その後はアメリカへ、そして現在は中国…という見方です。恐らく経済を説明する上で、中心地を据えて説明すると説得力を持つのかもしれませんが、歴史は経済だけで動いている訳ではありません。

私達が過去を見る時にむしろ重要なのは、関係性と相関性です。「中心と周辺」という見方ではなく、世界が繋がり合っていることを見つけ出すという視点です。今までは、これがヨーロッパの特徴であるとか、ここが日本独自の文化だということばかりに目が向けられ、その結果、それぞれが切り離されてしまっています。しかし、繋がっているからこそ、例えば農業が世界中に広がったのですし、経済については最も強くそれが言えます。むしろ、共通点を強く意識するべきなのです。

羽田 正 氏また私達は、ビッグバン以来、時間が一直線に無限に進んでいると考えがちです。しかし、インドでは時間は回っていると考えられていましたし、中国では皇帝が変わり改元されるごとに時間がゼロに戻る、つまり時間は行ったり来たりするものと考えられてきました。またキリスト教では、アダムとイブから始まった時間は、やがて最後の審判とともに終焉を迎えるとされています。これはイスラム教でも同様です。このように、時間の捉え方は様々であり、歴史を見る場合、必ずしも時系列史にこだわる必要はないのです。

また、ヨーロッパならヨーロッパの歴史だけ、中国なら中国の歴史だけを縦に辿る、それが今までの歴史の見方でした。しかし、例えば西暦1500年なら1500年の世界全体を俯瞰し、その時に何が起こり、どういう問題があったのかということを見る。その上で、世界全体の見取り図を描くような歴史の見方をしていくと、新しい世界史を構築することができるはずです。

環境史研究から始まる“新しい世界史”

羽田 正 氏このような世界史を考える時、環境に注目してみることは、とても有意義な選択の一つです。自然と人間の関係性に注目した場合は、必ずしも国が主語とはなりません。国ごとに、自然との付合い方が違うということは考えにくいからです。別の言い方をするならば、気候や環境の条件が似ていれば、地域が違っていても人間は同じような対応をするということもあり得ます。そこに描かれるのは、これまでの政治を中心にした世界史とは異なったストーリーになる可能性を秘めており、この「環境世界史」は新しい世界史への道の一つとなるのではないでしょうか。

しかしこれは、今までの伝統的な歴史研究をやってきた人間の発想や手法を大幅に変えないと出来ないものです。なぜならば、それは理系研究者との共同作業になるからです。歴史研究は、まず過去に何があったのかという具体的な材料を集めることから始まるのですが、環境の分野で過去に起こったデータを集めるには、文系の人間の作業だけでは足りないのです。また、世界各地で均一な環境関連データの収集ができるかという問題もあります。しかし、こういう問題を乗り越えて、環境要因と人間を主語にした、時系列にこだわらない環境をキーワードにした世界全体の見取り図を作り、人間の行動や生態系の変化の共通性を取り出していくような環境世界史を描くことを、今こそ私は提案したいと思います。とても一人の研究者では出来ない壮大な挑戦ですが、幸いにも本日の出席者の皆さんの中には、若い方がたくさんいらっしゃるので、この講演をきっかけに、そういったことにも目を向けて頂けるよう期待しています。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン