レポート 2012年10月16日(火)

緑の東京史

〜江戸東京のみどり文化〜

江戸の朱引地内土地利用は、武家地6割、寺社地2割、残りが町人地や畑地。庭園、境内、農地など二次自然、みどり生活を保障する田園都市、景観都市でした。1,000坪以上の社寺375、面積合計183万坪で朱引地の7.6%。人口128万人として1.5坪/人(約5m2/人)、現在の都民以上。みどりの質、文化的景観の様相は浮世絵でわかるように四季の名所、行楽地で延気(レクレーション)。下町、水辺、山の手、郊外の地域性、季節性あり。向島百花園には「東西南北客争来」「春夏秋冬花不断」、近くに「七福神巡り」。墨堤が震災復興公園に、大名庭園が寄付公園に継承。これからは、地形・植生・水系・歴史のエコシステム、都民のエコライフを統合したトータルランドスケープと生活文化都市東京を再生。

進士 五十八 氏
東京農業大学名誉教授・前学長 / 農学博士

 

江戸の庭園に学ぶ『環境』の深い意味

私は造園家として、江戸の庭園を再評価するための研究もしてきましたが、つくづく江戸の庭園は見事だと感じています。京都の庭園は、良い材料を使い、良い立地に造られているので、なるべくして名園となっています。京都は、湧き水が豊かで、眺望は素晴らしく、名石と評される石がたくさん採れるのです。一方、江戸には何もありません。江戸にあるのは多摩川の沢庵石ぐらい。そこで、仕方がないので伊豆から熔岩を持ってくる、そんなどうしようもない物で庭を造らないといけないので、江戸の造園は相当のデザイン力と構想力が必要でした。素材は悪くても、そこに富士山を模した山を築いたり、池を広げて雄大に見せたりと色々な付加価値を付けて、京都の庭園よりも立派な空間を作っていったのです。そんな江戸の庭園は、当時約千ヶ所はあったことが判っており、江戸がいかに緑豊かな都市だったかが想像できます。しかし残念ながら現在、貴重なこの遺産のほとんどが消え、後楽園、浜離宮など五庭園だけが国指定の名勝として残っています。

ところで、ヨーロッパの庭園には「愛の園」というものがあります。庭園は元々そのような、男女が仲良くなるための空間でもありました。「ガーデン」という言葉は、「ガードされたエデン」という意味で皆さんは「緑」とか「環境」というと、ただ植物や樹木など生物的自然が大切だということばかりを考えますが、それらは、我々自身が人間らしい生き方をするため、つまり人を愛するとか、仲間が出来るとか、美味しいものを食べるとか、色々な感動を味わうためにもあるのです。そのための大切な土俵が「環境」なのです。「環境」そのものが目的ではありません。緑の空間を人間はどう生活の中でエンジョイするのかが、とても大事なのです。一旦エコロジーがブームになると、エコロジーのことしか言わない人々がいますが、「環境」とか「風景、緑」と「エコロジー」の意味合いの違いをよく考えて頂きたいと思います。

自然と人間の共生環境が『場所性』と『風景』に表出

「多摩川八景」をご存知でしょうか。「吉沢落雁」「二子帰帆」「岡本紅葉」「富士晴雪」「瀬田黄稲」「大蔵夜雨」「登戸晩鐘」「川辺夕照」…これらは、今の世田谷方面の地名を使って、それぞれの風景を唱った言葉です。これらを読んでみて、どのような風景が浮かぶでしょうか。日本中の城下町には、これと同様の「○○八景」というものがありますが、その重要なポイントは、場所の違いを大事にするという点です。スペースとプレースは違います。環境では、場所の違いを見ることです。日本橋と、赤坂と、新宿と、池袋は、それぞれ全く違う街です。場所性の違いを街作りに生かさなければいけません。ところが最近の都市開発は、どこでも同じようなビルを建て、そこに同じような店が入り、同じような街のデザインをしています。渋谷に行く気分と、新宿に行く気分が大して変わらないような街作りでは駄目なのです。多摩川八景の下の二文字に注目すると、そこには春夏秋冬朝昼晩の季節や時間が入っています。さらに、目で見える風景もあれば、耳で感じるサウンドスケープも込められています。人間の五感で感じられるものが集約されており、それこそが日本人の風景観です。現代人はこういった風景観を忘れてしまっているのではないでしょうか。

多様な緑地生活が江戸東京の魅力

江戸の朱引地内の土地利用は、6割が武家地、2割が寺社、残り2割が町人地や畑でした。このわずか2割の中に人口100万と言われる江戸の人々が暮らしていたのです。ですから、江戸はとても人口密度の高い街でした。それでも江戸は、緑豊かな田園都市だったと言われています。それは広大な武家地は庭園でつつまれていましたし、寺社境内は庶民が自由に利用できるオープンスペースだったからです。庶民が出入りできる1000坪以上の社寺境内地は375ヶ所、合計面積は183万坪でした。人口128万人で計算すると、1人当たりの緑の面積は1.5坪、つまり約5㎡。現在、都民の持つ広さです。緑に恵まれた暮らしぶりは、下町、川の手、山の手などの名所として数々の浮世絵で現代に伝えられています。

その外に、武蔵野の雑木林がありました。農業用の里山で、クヌギやコナラ、アカマツなどが植えられていました。農業には肥料が不可欠で、ヨーロッパでは家畜を飼い、その糞を堆肥にする有畜農業ですが、武蔵野では落ち葉を集めた植物性有機質で肥料を作っていました。防風林としてクヌギやコナラを植えると同時に、その落ち葉を堆肥にして畑で利用するという循環型農業でした。屋敷林では、南にケヤキ、北にシラカシを植え、冬の北風をシラカシが防ぎ、南のケヤキが夏は日差しを遮り、冬は葉を落として日差しを入れる住み易い環境をつくりました。竹やぶでタケノコを採り、竹材は畑の作物のための棚などに利用する。ケヤキは50年も経てば立派な柱になるので、それで家の再建もできる。一軒一軒の農地には墓を建て先祖をお祀りし、毎日先祖と対話をする…このように、農地農村はフィジカルに防風するだけでなく、作物を栽培しエコロジカルに肥料や水も循環し、鎮守や寺などもあって、メンタル、スピリチュアルな全てをカバーするというものでした。これが農民の知恵です。樹林は、農業農用林であり、屋敷林であり、防風林であり、生物多様性保全林でした。これが、今、世界に発信中の里山の典型です。

このように江戸は、場所性、利用目的、機能などにおいて、人々の多様な要求に応える多様なタイプの緑地と、人々の多様な緑地生活文化を培ってきたのです。近代東京は、その遺産を継承し、日比谷公園や多磨墓園など多様な緑地を増設し、現在は民有オープンスペースを更に加えて豊かな緑の東京になっているのです。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン