レポート 2012年7月24日(火)

1992年-2012年2つのリオ会議と世界の変化

1992年のリオで開催された「環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)」、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ地球サミット)」、そして、今年の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」。それぞれの会議を比較し、世界がこの会議をどう捉え、それによって世界が持続可能な社会へ向けてどのような変化をしているか、各国政府、NGO、ビジネスセクターの関わりから考察します。

岡島 成行 氏
公益社団法人日本環境教育フォーラム理事長 / 大妻女子大学教授

 

岡島成行「リオ+20フォトリポート」

私からは、スライドを中心にリオ会議の全体像を紹介して、そのあと、河野さんから本筋の話をして頂きましょう。まずこちらが今回の会議の記念写真です。真ん中にいる赤い服を着た方がブラジルのルセフ大統領で、リオ+20は彼女が終始一人だけ目立っているような会議でした。

会場に入ると、中では各国のNGOが自分達の活動をアビールする場になっています。

会場内では、政府の会議以外に、女性、NGO、子供、労働組合などのカテゴリーで9つのメイジャーグループの会議も行われています。これは、その中のNGOの会議の様子です。会議場の後方に入口があって、誰でも自由に出入りして発言することができます。

これは、日本のNGOが行ったシンポジウムです。左から二番目に座っているのは、有名なインドの哲学者ヴァンダナ・シヴァさんです。「世の中、グリーン、グリーンと言っているのは黒い背広を着たおじさんばかりで、そんな人達には任せてはおけない。インドの山奥に住んでいる私達こそグリーンだ」と歯切れのいい発言をされていました。今回の会議は、特に女性の活躍が印象的でした。

これは日本のパビリオンにあった東北についての展示です。他は、企業の展示がほとんどで、日本館では「元気があるのは企業だけ」というような印象を受けました。

河野博子「2つのリオ会議と世界の変化」

1992年6月にリオデジャネイロで行われた地球サミットの参加人数は約17000人でしたが、今回のリオ+20には45763人もの人々が参加しました。国連の会議としては最大規模のものです。しかし、リオ+20は、「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」「砂漠化防止条約」などを生み、「アジェンダ21」や「リオ宣言」を発した地球サミットほどインパクトある会議になったのでしょうか。

1992年当時、時代は冷戦終結直後であり、新たな地球規模のアジェンダとして地球環境問題が浮上し、世界中から大きな注目を集めていました。これに対して現代は、金融経済危機や資源枯渇による懸念から、各国は地球益よりも自国益を優先する思考に陥り、また、先進国の失速・新興国の興隆という世界の構造的変化も起きています。その結果が、今回のリオ+20の出席者の顔ぶれにも表れているのではないでしょうか。先進国側から出席した首脳はフランスのオランド大統領ただ一人、一方、新興国や途上国からは首脳クラスが軒並み参加しました。
そんなリオ+20の成果文書のポイントをまとめると、こうなります。

  • 持続可能な開発の目標作りをこれからスタートする
  • グリーン経済は「重要な手段の一つ」とされるも、「すべての国が移行を目指す」とは明記できず
  • 国連組織改編は、現状+αにとどまる
  • 持続可能な消費と生産の10年枠組みがスタート、しかし具体性は見えず

結果的にリオ+20は、実りが少なかったと評価されています。特に、注目されていた「グリーン経済」という考え方が上手く成果を結ばなかったのは、それを課題にしたわりに、グリーン経済とは何なのかという定義が存在せず、また定義しようとしたけれども出来なかったことが原因の一つにあると思います。また、例えば日本政府が「環境都市」という考え方を打ち出しているのですが、それは技術中心の世界を描き過ぎていて、そこには一次産業の人々の姿が見えず、途上国側からすると、また技術をツールにして自分達をコントロールしようとしていると思われる部分があったように思われます。このようなことでは、今後も世界全体のコンセンサスを得ることは中々難しいのではないでしょうか。

但し、これは単に日本政府だけのことだけを言っているのではありません。昨今「原子力ムラ」という言葉がよく使われますが、これと同様に「地球温暖化ムラ」というものもあると、私は感じています。

それぞれが閉鎖的なタコツボ型思考に入ってしまっている状況が、世界規模で、国連にも、研究者にも、NGOの間にも広がっています。地球環境問題を解決するためには、それぞれがこのタコツボから抜け出し、もう一度地球環境問題の原点に立ち返って、豊かな世界を築く方向に持って行かなければいけないのかなということを強く感じて、リオデジャネイロから東京に戻ってきました。

対談:岡島成行×河野博子「リオ+20の本当の成果とは?」

岡島:河野さんは、今回のリオ+20の取材について、どんな感想を持っていますか。

河野:成果文書自体は、それがどうしたという内容でしたよね。因みに、この会議は6月20日から22日に開かれたのですが、成果文書の内容は6月19日に全部決まっていました。会期中は、各国首脳が演説をダラダラやっていただけだったのです。どうしてこんなことになったのかというと、ここ最近、地球環境問題の各国間交渉は具体的な成果が出ずに膠着状態が続いたままです。そこで今回、ブラジル政府がそういう結果になるのを避けるために、前日までに議論になっている部分を全て削ってしまうなどのことをして、成果文書を作ってしまいました。だから内容のない文書が出来上がったという裏があるのです。

岡島:よく環境問題は「慢性病」と言われます。つまり頭痛や胃痛と同じで、よほどの事態にならない限りは後回しにされがちです。しかし、腕が折れたとか、心臓が止まりそうだとなれば、何をおいてもまずそれに取り組みます。金融危機の中で世界中がお金の心配ばかりしている今、環境問題は暫くは置いといてもいいという風潮があるのでしょうか?

河野:ただ、実際被害は出ていますよね。先日の九州の集中豪雨やタイの洪水では、人も亡くなっていますし、企業も損害を被っています。それが地球環境問題と絡んでいるということへの想像力が足りていないのではないでしょうか。

岡島:次に、リオ+20ではプラスの要素もあったのかということを探してみましょう。例えば、NGOなどは、以前は対決姿勢でこういう場に臨んでいましたが、今回は各国の代表団に入っていたりして、彼らの活動の成熟度を感じることができました。また、女性や企業の頑張りが目についたような印象を受けましたが、河野さんはいかがですか?

河野:パビリオンでは、日本館が一番良かったと思います。また、企業・政府・NGOが一緒に取り組んでいる活動等もありました。私が思うに、年月の経過の中で企業にも環境問題を勉強した人が入り、企業自体が環境講座やイベントをやったりするようになり、やはり20年前とは隔世の感がありますよね。

岡島:リオ+20では、世界の企業が集まって「グローバルインパクト」というものをまとめました。これは、リオ+20の成果の一つだと思います。その立役者の一人である損保ジャパンの関さんがこの場にいらっしゃるので、一言ご発言頂いてもよろしいでしょうか。

:今おっしゃって頂いたように、20年前、そして10年前と比べても、一番変化したのは企業セクターなのではないかと思っています。企業CSRの世界最大イニシアチブであるグローバルコンパクトは、リオ+20の期間中、1000を越える様々なサイドイベントを行いました。また、4日間で120のセッションがあって、2700人がそこに参加しました。リオ+20は、確かに政治的な交渉という面では成果が物足りないと言われていますが、これらのセッションの参加者からは「企業は先を行っている」という声が多数ありました。世界自然保護基金が、「政府間の交渉は成果が乏しかったが、市民や企業の集会では、自由な会話の中で色々な成果が出ている。政府間交渉だけがリオの成果ではなく、もっと言えば、世の中を変えていくのは企業や市民なのだから、サイドイベントで生まれている成果をもっと大きなものにしていかなければならない」という評価をしていますが、正にその通りだと思います。

岡島:みんな頑張っているのに、政治だけがうまく行っていないんですかね(笑)。河野さんは、今後どうしたらいいと思っていますか?

河野:一つは、関さんが今おっしゃったように、国際交渉が停滞していても、企業や市民の力でどんどん進めてしまうということですね。一方、それと矛盾するようですが、日本が2007年頃から国家戦略として「環境立国」とか言っているのに、全然それが練れていないんですよね。それを、一次産業従事者や都市の市民とか色々な人が関わって、地に足がついた魅力的なものにして、世界に打ち出していくことが必要だと思います。

岡島:あと、途上国と先進国に分けて72年頃から議論していますけど、もはや現実は全然そうなっていないですよね。ですから、その枠組を例えば6つ位に分けるとか、もう一度変えていかないと、二者択一のケンカばかりでは、どうしようもないですよね。

河野:COP16の時にメキシコのカンクンに行ってみたら、メキシコは途上国の中ではいい線行ってる国と思われていますけど、実際はカンクンのきれいなリゾート地を一歩離れると、そこは全く貧しい街なんですよね。他の新興国と言われる国に行ってみても、現実は日本の生活とは全然違うものです。ですから、格差は歴然とあるわけで、世界の開発問題に日本をはじめ先進国が貢献していかなければいけない部分はあると思います。

岡島:人間がこの地球上で程よく生きていくための方法論を、みんなで整理しないといけない時期に来ているのかも知れませんね。今、私達は、ヨーロッパで生まれた近代文明によってここまで来て、現実にはいいこともたくさんありました。しかし、そこに内包していたのが環境問題でもあるわけです。ということで、ヨーロッパの人々と議論していると「東洋の知恵が欲しい」ということを盛んに言われます。日本は先進国でありながら東洋に位置し、色々な形で新しい哲学を作ることができるのです。今、正しいと思っていることの中に間違いがあるのではないか、古い、遅れていると思って捨ててきたものの中に正しいものがあるのではないか、そんな所から知恵を頂いて、ヨーロッパの人々と議論しながら少しずつ進んでいかないといけない。日本という国は、そんなことをリードするのにとてもいい国ではないかと思いますので、これからも皆さんと色々な議論をしていきたいと思っています。今日はどうもありがとうございました。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン