東日本大震災復興支援シンポジウム 「復興からの新たな国づくり~持続可能な社会に向けて~」

東日本大震災からの復旧・復興を目指す中で、持続可能な社会を創ることが求められています。このシンポジウムでは、復興のための議論を重ねたり、実際に被災地で活動されてきた方から被災地の実態と課題をお話いただくとともに、首都圏に住む人々や企業がその課題を共有し、今後どのように関わっていくことが必要か、「持続可能な社会づくり」というビジョンの元で議論します。

開会挨拶

株式会社損害保険ジャパン会長、公益財団法人SOMPO環境財団 理事長 佐藤正敏

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々の早期の立ち直りを心から願っております。

私ども損保ジャパングルーブは、今回被災された方々が一刻も早く回復するためには、保険金の支払いを迅速に行うことが最大の使命であると考え、これを経営課題の最優先に据えて努めて参りました。その結果、震災発生から3ヶ月で、ご請求のほとんどの保険金をお払いすることができ、現段階では約1兆2000億円を業界全体として被災者の方々にお支払いしました。またこの他に、国内外の社員・代理店の皆さんから義援金を募ってお届けしたり、社員ボランティアを編成して被災現場で活動させて頂いたり、風評リスクで困っている被災地の野菜や産物を社内で販売したり、社員食堂で使ったりという活動をして参りました。

さて、本日は、「市民のための環境公開講座」の特別編として「震災復興支援シンポジウム」を開催します。「市民のための環境公開講座」は、環境問題についてより深く考え、具体的な活動を実践していくことを目的に1993年にNGOと企業のパートナーシップ事業の先駆けとして、公益社団法人日本環境教育フォーラムの皆さんと共催でスタートしました。今年で19年目を迎え、これまでに延べ16,000人の方々に受講して頂きました。本日のシンポジウムでは、東日本大震災復興構想会議検討部会の委員である植田和弘先生に基調講演をして頂き、また実際に被災地で活動されてきた方、マスコミや都市計画の視点から震災に関わってきた方々をパネラーに迎えてディスカッションをして頂きます。企業、NGO、市民一人ひとりがこの課題を共有して、今後どのように復興に関わり行動していくのかを考える機会にして頂ければと思っております。

基調講演

京都大学大学院経済学研究科・同地球環境学堂教授
東日本大震災復興構想会議検討部会委員 植田和弘氏

東日本大震災の被害は、それぞれの町や村によって状況が全く異なるものです。そのため、特定のどこかを例にとって話すことが非常に困難ですので、この場では、敢えて全体的な話として講演を行いたいと思います。

復旧・復興を図っていく時、その最優先課題は「生活再建」です。但し、これと同時に、被災された地域を将来的にどう復興させていくのかという発想、この2つを合わせて復旧・復興の課題として設定することが必要になります。とりわけ今回被害に遭った地域は、人口減少、過疎化など、この地域に仮に震災や原発事故が起こらなかった場合でも、日本社会や日本経済が抱えていた問題が比較的早く進行していた地域でもあり、こうしたことを踏まえて、今日のテーマでもある「新たな国づくり」を考える必要性があります。

そこで、東日本大震災復興構想会議では、復興の原則として、「被災地の広域性・多様性を踏まえつつ、地域・コミュニティ主体の復興を基本とする」、「住民等に最も近く地域性を理解し、きめ細やかな施策対応ができる市町村…自らが復興プランを策定すること」という方向性が示されています。そして、復旧・復興の目標設定は、持続可能な社会に向けて生活再建を図りつつ、将来の発展の基盤を回復するものでなければなりません。

震災復興が、単なる復旧だけでは駄目だと言われるひとつの分かりやすい例は、災害に強いまちづくりです。再び災害が起きた時に、今回のようなことを起こさない、または被害を最小に抑えるまちに変えていかなければなりません。世界的に見ると、スマトラ沖津波、そしてアメリカのハリケーン・カトリーナによる災害の後に多くの研究がなされており、例えばそこでは、マングローブの効果が強調されています。つまり、自然が持っている防災効果です。災害対策を考える時、私たちは防潮堤のような人工資本ばかりに目が行きがちですが、自然資本と人工資本、そして知識と人的資本を組合わせたソフトを上手く活用して災害に強いまちづくりをするべきなのです。

ところで、復興の基本方針には、以下の3つの柱が位置づけられています。

①災害に強い地域づくり

②地域における暮らしの再生

③地域経済活動の再生+大震災の教訓を踏まえた国づくり+原子力災害からの復興

また、この復興の基本方針には、復興を支援する仕組みとして、以下のことが書かれています。

①復興特区制度や使い勝手の良い交付金

②新しい公共

もちろん、これらを議論しようとすると個別の論点がとてもたくさんあり、一口にこの場で述べられるものではありません。分かりやすい所では、財源の問題がその1つです。増税するのか、それは何税にするのか、或いは、従来のどの財源でやるのかなど意見が大きく分かれます。因みに、この議論の中で私が提唱したのは、電気に課税するということです。電気はみんなが使うものですから、課税のベースを広く取ることができ、税収を大きく上げる可能性をもっています。その一方で、節約を促すこともできる点で意義があります。更に、消費税が導入される前は、電気ガス税があったという歴史的経緯もあります。例えば、この税金を東北だけかけず、他の地域で課税するなどすれば、所得税・法人税に加えて復興財源を確実に確保し、かつ今後の日本社会で節電をひとつの柱にするという考え方と接合し、持続可能な社会づくりに結びつけることができるのではないでしょうか。

今回の震災では被害が地域によって事情が違い,かつそれぞれが個性的な地域であるため、私は、今後「分権型復興」をどのように押し進め、その支援システムをどう確立するかが焦点ではないかと考えています。その際に重要なことは、各市町村行政の力なのですが、中には庁舎が流されてしまって、建て直すことが困難な市町村もあります。また、平成の大合併の後だったため、本来ならば、この合併を地域の自治組織の強化と合わせてやらなければならなかったのですが、どちらかというと効率化という名の下に市町村職員の削減ばかりが優先してしまい、そのマイナス面の影響が今回の震災では出てしまったようです。

具体的な問題別に考えると、どれも大変な問題ばかりで、簡単に結論を出すことが困難です。例えば、災害廃棄物の処理をしなければ、次のステップには全く進めません。しかし、政府の報告によると、その量は岩手・宮城・福島の三県合計で2,270万トン、これら三県の11年分にあたる量です。しかも福島の場合は、廃棄物の放射能汚染という問題もあり、同じ廃棄物として扱うことができません。また他にも、津波で水に浸かってしまった土地をいくらで買い上げるかなどをはじめとした土地の問題、人間の尊厳を発揮させる場としての雇用の問題なども、一朝一夕には解決出来ない問題です。さらに、原発立地地域の復興をどう図るかは、エネルギー政策全体に関わる極めて難しい問題です。

まずは、地域コミュニティから復興ニーズを取りまとめて、市町村が復興計画にして具体化することが基本です。そして、これをどのように支援するかというと、他の自治体による水平的支援と国や県による垂直的支援の2つがあります。さらに「新しい公共」の側面からいえば、企業のCSR、NPO、市民ファンドなどによる支援が一体となって取り組む必要があります。つまり、「分権型復興」は、重層的に、そして水平的に、かつ多様な主体が支えるというネットワークを作っていくという方向性で取り組むことが求められているのではないでしょうか。

パネルディスカッション

牡蠣・ホタテ養殖業、NPO法人森は海の恋人副理事長 畠山信氏
RQ市民災害救援センター総本部長、NPO法人日本エコツーリズムセンター代表理事 広瀬敏通氏
東京大学大学院工学系研究科教授、宮城県岩沼市震災復興会議議長 石川幹子氏
日本経済新聞編集委員、明治学院大学教授・ボランティアセンター長、NPO法人ジャパンプラットフォーム理事 原田勝広氏
コーディネーター:公益社団法人日本環境教育フォーラム理事長 岡島成行氏

畠山信氏

「海と生きる」は気仙沼の復興のキャッチフレーズです。海辺に生きる私たちにとって、津波を憎むとか恨む気持ちはありません。自然現象であり、恨むべき対象ではないのです。

私たちのNPOは、平成元年以来、森に植樹する活動を続けています。2011年の植樹祭には全国から1,200人の方にお集まり頂きました。この植樹祭では「自然の繋がり」をテーマにした海の体験学習も行ってきました。牡蠣は植物性プランクトンを食べ、そのプランクトンは森からやって来るという、自然の繋がりを感じ取れる人材づくりが目的です。

しかし津波の後、子供たちが置かれている状況はとても悲惨なものでした。学校の校庭は仮設住宅が建ち並び、体育館は避難所や物資の置き場所になり、両親は失業してストレスが貯まり、非常に危険な状態だと私は感じました。そこで夏休みに、子供たちをキャンプに連れて行きました。この状況から距離を置くことが必要だと思ったからです。

一方9月になると、私の家があった場所が地盤沈下によって湿地が形成されました。ところが集落の長老に話を聞くと、これは昔の地形に戻っただけだと言われ、それならば保全してはどうかと私は考えました。

今後、持続可能な地域づくりとして私がやりたいこと、もしくはすでに始めていることは、震災後の自然環境調査、環境教育施設の建設、そして雇用づくりとしてのオイスターバー出店です。この3つを回転させながら、気仙沼復興の活動をしていきたいと思っています。

広瀬敏通氏

日本の国土は、陸地面積では世界の1/400です。この面積に、巨大地震と言われるマグネチュード6以上の地震の約1/4が集中しています。そして108の活火山があり、毎年台風に襲われる国なのです。私たちの祖先は、なぜこのような土地から逃げ出さなかったのでしょうか。それは、災害をもたらす自然が、同時に美しい景観や肥沃な土地などの恵みを与えてくれたからです。

RQ市民災害救援センターは、日本エコツーリズムセンターのメンバーが中心となって、3月14日に設立されました。7ヶ所のボランティアセンターを拠点に、約5万人のボランティア運営に務めてきました。私たちのこの組織は、ピラミッド型の指示系統を持たないことから、極めてユニークだとよく言われます。指示は一切出さない、みんな自分で考えるアメーバ組織なのです。自分で考えてもらうために私たちがやったのは次のことです。まず、全ての情報を毎日全員で共有しました。また、最小限のルールしか持たないようにしました。さらに、「今日のポジティブは何だったか?」を毎回のミーティングで問いかけました。これは、私たちは災害から学ぶことができ、災害は人を強くするものだという考えからです。そして、創意工夫ある活動を応援するという、受容と多様性を保障しました。最後にもう一つ、不公平の実践。仮に隣の人に届かなくても、目の前にいる今必要としている人のためにすぐ動こうということです。

確かに災害は悲劇であり、惨澹たる絶望をもたらすことは事実です。しかし、先程も申し上げた通り、美しい自然を形成する源でもあり、絆・仲間・友・志、そして災害にどう備えるかという災害教育を与えてくれるものでもあります。人の心と体を動かす力は前向きな心だということで、私たちはこれまで活動して参りました。そして、これからも活動を続けていきます。

石川幹子氏

2008年5月12日、中国四川省で起きた汶川大地震では、85,000人が亡くなり、500kmに亘ってたくさんの町が被災しました。この時、中国政府は、国内各都市が責任を持って被災した各地域を支援しようという政策や、壊滅した地域のグランドデザインを世界から募る「ペアリング支援」というアイデアを実践し、私もそれに参加しました。

そして今回私は、自分が育った地域である宮城県岩沼市の復興計画に携わっています。海抜0メートルの平野が続くこの地域は一気に津波に飲まれましたが、私はその現場を何度も歩きながら、平たい町でどうすれば安全を構築出来るかを考え、森が被害を食い止めていること、僅か1m少々の小高い場所に建つ神社の社が残されていることに着目しました。その様は、先ほどの畠山さんの話ではありませんが、湿地は湿地、丘は丘という明治時代の地形図通りに戻っていたのです。そこで、縄文以来の自然立地を復興計画の基本に据えて、岩沼市の復興計画を作りました。

この計画は、「いのちを大事にする」ことが何よりも尊重されています。そのため、亡くなった方々のご住所とご遺体の発見場所のデータを傍らに、市民公募で色々な方が集まって計画を作成。被災地では一番早い8月7日にグランドデザインを決定しました。

今、多くの自治体でグランドデザインの作成が遅れていますが、被災地の復興を考える時、その地域の被災していない場所に目を向けることが足りていないように思われます。また廃棄物処理が進まないことで行き詰まっているという話も耳にしますが、瓦礫を単なる物として見るからそうなるのであって、資源として活用すればいいのです。私たちは、こういった瓦礫の活用をはじめ、新たに再生する森のネーミングライツによる資金確保、塩に強い野菜の販売、津波体験の伝承など様々な取り組みを実践し、夢を形にしていくという課題を地域が一丸となって押し進めています。

原田勝広氏

私は、ジャーナリストの立場、大学教員として学生とともに何回か現地へ行った立場、そしてNPO・NGOにも関わっている立場、この3つの視点から注目したことをお話ししたいと思います。

95年の阪神大震災では「ボランティア元年」と言われましたが、今回の東日本大震災では「寄附革命元年」、或いは「プラットフォーム元年」となったのではないかと考えています。プラットフォームとは、1つのポイントに色々なセクターが集まってくるという意味ですが、行政、企業、NPO・NGOという3つのセクターが協力して動いたということが、今回の震災における人々の意識革命だったのではないでしょうか。

企業に着目すると、モノ・カネだけでなく、社員ボランティアの派遣や現地産品を社員食堂で消費するなどの支援、そして各企業が本業を生かした緊急支援を行ったことは、今回の新しい動きでした。また、企業がNGOに依頼して物資を届けるなどのマッチングや、自社商品を購入すると何円かが寄付に回るというビジネスがらみの支援が見られたことも特徴の一つです。

一方、寄付でできることには限界があります。このため、例えば、被災地の産品を他の地域で販売する、或いは、塩害の田んぼに綿花を植えてTシャツを作り、その売上げの一部を復興費用に回すというようなソーシャルビジネスによる支援、また、新しい地域経済の担い手や伝統産業に積極投資するという支援などが今後重要ではないかと思われます。さらに、本当にやる気のある他地域の若者を現地に招き、そこで社会起業家を育成し、彼らがそこで起業することで復興に繋げるということまで、すでに行われているのです。

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岡島:まずは、本日のパネラーの皆さんに、それぞれ短くお話し頂いた訳ですが、言い足りなかった方はいらっしゃいますか?

広瀬:今日この場には企業にお勤めの方が多くいらっしゃると思いますので、ぜひ真剣に考えて頂きたいのは、災害支援における企業の力についてです。社員ボランティアを組織して被災地に来て頂けるのは緊急支援という点では有難いことですが、今後どれだけ息の長い支援ができるのかを考えた時には、企業が自分たちの本業の中で何ができるのかを考えて頂くのがとても重要なのです。

原田:今、企業が注目しているのは、利益の余った部分を何かに役立てるという従来型の「社会貢献」ではなく、経営の中に、例えば環境問題を織り込んでいくというようなスタイルで、これをBOP(Base Of Pyramid)ビジネスと読んでいます。つまり、東北で社会貢献ができないかと考えるのではなく、何かビジネスができないかと発想する方が、より支援の可能性が広がるのではないでしょうか。

石川:復興は今、全く違う段階に来ています。今一番大変なことは、復興計画をどうするのかということです。プランがなければ物事は何も動きません。政府側から各地域に様々なプロジェクトが投げられていますが、それらは貴重な税金を使うものですから、企業の方には、単なるビジネスをという意識を越えて、きちんと関与して頂きたいですね。

岡島:しかし、中には復興ビジネスで儲けてやろうという存在もいるようです。正しいビジネスをやろうと思っている人の邪魔をさせないためにはどうしたらいいんでしょうか?

原田:一つには、「ビジネス」と言うと語弊があるかもしれませんので、「マネージメント」と捉える方がいいかもしれませんね。それと、今回の震災で行政は機能したのかというと、確かに自衛隊は頑張ったかもしれませんが、その他の省庁については0点ではないものの、その対応には色々な欠陥がありました。それを補うのがNPO・NGOです。しかし、彼らの活動にも限界があります。そこで重要なのがビジネスセクターです。企業が持っているリソース、つまり技術・資金・ノウハウが大きな力になるのです。NPO・NGOが、そんな企業を監視する役割を果たすことで機能させていくものではないでしょうか。

岡島:復興のために、他にこんなことをしてはどうだろうというアイデアはありますか?

畠山:東北の人間は、最初は耐えているんですが、段々自分たちでやりたくなる人種です。そして、基本的に来るものは拒まないという性質を持っています。私は今やっぱりオイスターバーがやりたいんですが、そういうオシャレで大人が楽しめるエリアがあって、海には産業があって、ちょっと離れた所には自然が広がり子供たちが遊べるスペースがある、そんな地域を作っていきたいですね。仲間になりたい人がいたらウェルカムです。

広瀬:私は、この12月からある試みを始めています。それは、地元と被災者とボランティアの三者によるコラボレーションです。ここで自然学校のような活動ができないかと、震災から1年になる3月を目標に拠点づくりを進めています。また、すでに被災者による起業が始まっているので、それを支える全国的な体制も作りたいと思っています。

石川:復興計画という点では、緊急支援の後、何をすればいかが各地域で見えなくなっています。復興会議でも出るのは言葉ばかりで、具体的に空間に落とした計画がなければ世界の誰も認めてはくれません。一方、それぞれの自治体で考えていることはバラバラで、互いの調整機能もゼロ。このような状態で2年3年と過ぎ、その間に税金の無駄遣いのようなものが各地に出来てしまわないようにもしないといけないですね。

原田:東北は、一つには、地元にある様々なリソースが強い地域ですので、被災地の皆さんは、自分たちに誇りを持って頂きたいですね。それと、今後銀行が融資をする時、お年寄りに対してより、将来性のある若者の方が良いわけですから、若い世代が引っ張っていくことが大切だと思います。また、東京側にも高い目的意識を持った学生たちがいるので、そういう若者とマッチングさせることも可能性を広げるのではないでしょうか。

岡島:皆さんのお話の根底には、先ほどの広瀬さんのお話にあった「災害は人を強くする」という想いがあるようですね。私も、女子大の家政学部の学生を被災地に連れて行ったら、栄養の話や被服の話をお婆ちゃんたちにしてあげたりして、ひ弱に思えた彼女達がそれぞれ役に立っているのです。そして学生自身も、自分達が学んできたことは良いことだと自信を持つことができたようです。東北の復興は、上手くやれば日本の復興に繋がるのかも知れませんね。

石川:1,000年に一度と言われるこの震災で、昔からの人の知恵が、多くの命を救ってくれた側面があります。これと同様に、私たちは今、色々な知恵を東北に集めて、100年後、200年後の人々が、「あの時、こんな故郷を作ってくれたんだ」と言われるようなものを作る、そんな時代に生まれたのではないでしょうか。

広瀬:ちょっと別の話になるんですが、3月13日に私たちは福島に入りました。しかし、原発事故が起こり、やむを得ず宮城へ移動したため、どうしても福島への想いがあります。今、福島については、農作物からセシウムが検出されたとか悪い情報はたくさん流れるんですが、検出されなかった農作物の話は全く流れません。一生懸命作物を作り、一生懸命産業を興そうと思っている人の話題は全くメディアから出ないのです。ぜひ私たちの力で、福島を応援しようと思っている人々の気持ちを見えるようにしたいと考えていますので、皆さんご協力下さい。

畠山:被災者の一人として申し上げたいのは、ぜひ被災地を見て頂きたいということです。メディアに映らないものがたくさんあります。そして、地元の人間に、どんなものが必要なのかを今こそ聴いて頂けたらと思います。

岡島:何度か被災地を訪問した中で、ちょうど新緑の頃だったでしょうか。「自分たちの故郷がこんなに美しいとは思わなかった」と仰る地元の方にたくさん出会いました。その時、寒くてつらい冬から春になった時の、東北の弾ける力というものがあるんだと感じました。つらい所から立上がり、もっといいものを作っていこうという東北の方々の想いに対して、今日お話を伺ったように、企業や大学はじめ色々な所が応援をし、ペアリングやマッチングをし、世界からも知恵を借りて復興を進めれば、それが逆流する形で日本全体に戻ってくるのかもしれません。復興税だって何だって、それがやがて自分の所へ戻ってくるのなら、それでいいのではないでしょうか。東北から新しい力が出てきて、それが日本中にみなぎれば安いもんですよね。そんな気持ちで、みんなで東北とともに歩んでいきましょう。今日はどうもありがとうございました。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン