レポート

パート 2 太陽・海・宇宙 〜自然の驚異〜:大地から海そして宇宙に至るまで、大きな視点で地球の魅力と、地球環境がかかえる課題について学びます。日程:9月6日(火)9月13日(火)9月27日(火) 9月13日(火)

「豊饒の海」であることの意味を考える

北里 洋 氏海洋研究開発機構(JAMSTEC)海洋・極限環境生物圏領域長

日本の周りの海は生物多様性の宝庫です。なぜ日本の海には多様な生物が生きているのでしょうか? 日本列島を巡る海にみられる複雑な地形と海流、そしてその歴史が、生物が育まれる場の多様性を作っています。一方、海洋生物たちはさまざまな環境にさまざまな方法で適応します。海洋表層の植物プランクトンから始まる光合成に基づいた生態系と海底から湧くメタンや硫化水素を利用する化学合成生態系がその代表です。それらがモザイクのように絡み合って、生物の多様さが生まれます。このようにして成立する豊かな生物たちは人類にさまざまな恩恵をもたらしていますが、一方では、人間活動によって海は汚れ、生物に人工物質が蓄積されているのです。

「日本を囲む海は生物多様性のホットスポット」

北里洋氏日本の周囲の海に、どれくらいの種類の生き物がいるかご存知でしょうか。名前をつけられている生物が33,629種類、まだ名前が無い生き物が121,913種類、合計155,542種類いることが分かっています。世界中の海には約25万種類の生物がいると言われていますので、そのうちの約13%が日本の周りにいるのです。因みに日本のEEZ(排他的経済水域)の広さは、世界の海の面積の0.9%です。その中に世界の海の生物の13%がいるのですから、ここには驚くべき多様性があると言えます。一体、それはなぜなのでしょうか。

1つには、その地形が多様であることが挙げられます。まず、北は北海道から南は与那国島まで3,000km、緯度にすると24度分という距離に亘る広さがあり、深さについては、EEZ内最深の9810mを数える小笠原海溝をはじめ、琉球海溝、南海トラフなど、その地形は複雑を極めています。そこを、太平洋側で言えば、南からは暖かい熱を運ぶ黒潮、北からは冷たいけれど栄養を運ぶ親潮がぶつかり合います。同様に、日本海側では対馬海流とリマン海流がぶつかい合い、複雑な海洋環境を作り出しているのです。

北里洋氏また地質についても、日本がプレート同士の沈み込みの場所にあるため、その周囲の海底は、とても複雑な地質で構成され、多様性に大きく影響を与えています。例えば、東京からすぐ近くの相模湾であっても、その地形は陸上以上ともいえる複雑さです。初島付近には初島沖冷湧水群集という冷たい温泉が湧き出る場所があり、東京湾に面した位置には沖の山という海底の山が、平塚沖には相模海丘が、また、岩盤が堅い近海部、泥がたまっている中央部など、それぞれの場所ごとに全く違った環境で、その場所でしか見られない生物が、それぞれに発見できるのです。ちょっとした環境の違いで生息する生物が異なる、その代表例が相模湾です。

「深海は地球の歴史を語る」

北里洋氏日本列島の成立という歴史的発達もまた、多様性を支えてきた要素です。今から1700万年以前、日本列島は沿海州に寄り添うような位置にありました。このため、1700万〜1500万年前頃は、南方から暖かい海が日本へ広がっており、アサリ、蛤、アカガイなどの原種が大陸に沿って移入してきたことが分かっています。やがて1500万〜1000万年前に、この位置関係に変化が訪れます。日本列島にあたる部分が大陸から離れ、湾として日本海が存在するようになると、今度は、北からの海水が流れ込み、冷たい海になりました。この頃には、バイ貝の一種であるエゾバイが北方から移入してきました。さらに時代が進んで、500万年前以降に現在のようになり、また南から海流が流れ込むようになりました。このように、時代の変遷とともに、南から来る生物と北から来る生物が混ざり合いながら、多様な生物が棲みつく場になっていったのです。

この他にも、温度・塩分・水圧・光などの海洋環境の違いが多様性を生み出しますし、エネルギー源の違いで、海洋は2つの大きな生態系に分類することができます。太陽光エネルギーが届く範囲では光合成生態系が成立し、そこには食物連鎖が存在します。これに対して深海では、化学合成生態系と言って、熱水噴出孔から発生する硫化水素やメタンをエネルギー源にする生物、死んだ鯨の骨に含まれる脂分を栄養にする生物などが存在します。

一般に深海生物群集は、地球の歴史を背負っているような存在です。一種の極限的環境で暮らしてきたことで、他の種に食べられずに生き残ってきた生物たちなのです。つまり、深海を調べることは、昔の地球を知ることとも言い換えられます。これまで私たちが知らない所で生きてきた、このような特異な生物たちの機能物質や機能遺伝子を利用することも見据えて、私たちは研究しているのです。

「震災と海洋環境」

最後に、地殻変動に伴う海底擾乱について考えてみましょう。

北里洋氏1000年に一回ぐらいの割合で襲ってくる巨大地震や津波による、海洋および海底環境の擾乱も、多様性を支える要因になり得ると考えられています。例えば、海で地震や津波が起こると、沿岸域から多量の瓦礫が海に流れ込み、海底では地すべりが起こっているのです。今回の地震でも、日本海溝に面した場所で、大規模な地形的変動が起こりました。垂直方向に7m、水平方向に50mという規模の移動で、5mほど海面を押し上げる動きが起こりました。その結果、大津波が起こりました。陸からは色々なものが流れ込み、海底でも色々なものが噴出しました。それらを調査してみたところ、例えば震災一ヶ月後、震源地では海底がとても濁っていることが確認され、斜面の大規模崩壊が起こったと推測されています。また、4月の段階で、海底からメタン、ヘリウム、硫化水素などが噴出していることも分かっています。さらに、震源域の海底にはたくさんの断裂があり、そこからは色々なものが出ていますので、その付近には硫化水素を食べるバクテリアがマット状に大きく広がっていたり、今までほとんど目につかなかった生き物が多量にいることが確認されるなど、生態系が擾乱されているようです。

このように日本列島は、地理的条件、地形、地質、様々な海底環境、歴史的背景などの結果から、多様な生物相が支えられているのですが、そんな海の生物多様性が、昨今では人為起源の擾乱を受けているという事実もあります。油田事故、鉱物資源採鉱時の環境擾乱、経済活動による人工有機物の堆積、地球温暖化に伴う気候変動の影響などですが、これらは、昔の地球の姿を知ることが出来る貴重な深海にも、着実に影響を及ぼしていることを覚えておいて下さい。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン