レポート

パート 3 「環境」の20年 〜リオ+20の節目を前に〜:「環境サミット」と言われるリオサミットが開催されて来年で早20年。節目の年となる2012年には同地で「Rio+20」が開催されます。これまでとこれからの問題解決の糸口を探ります。日程:10月18日(火)10月25日(火)11月8日(火) 10月25日(火)

自然保護の20年

市川 博也 氏国際教養大学教授

横山 隆一 氏公益財団法人 日本自然保護協会理事

小林 光(ひかり) 氏財団法人自然環境研究センター 上級研究員

自然保護に関して、かつては対立する関係とされていた「企業」と「NPO・NGO」。しかしリオサミット以降その関係は徐々に変化し、今日においてはお互いが重要なパートナーとして協働することが日常となりました。行政の立場で自然保護に長く関わられた元環境省自然環境局長の小林光氏、NPOの立場で自然保護活動を実践されてきた日本自然保護協会の横山隆一氏、また企業を束ねる立場で企業の自然保護活動を支えてきた元経団連の市川博也氏3名で対談いただきます。

市川博也氏プレゼンテーション

私が理解して頂きたいのは、企業のトップが環境問題を理解する…この一点に尽きます。私はかつて経団連で、環境を含む安全問題を扱う委員会の担当部長の仕事をしました。この時の経団連会長は、東京電力会長でもあった平岩外四さんでした。今でこそ原発事故で大きな問題を抱える東電ですが、当時の印象は大きくかけ離れたものです。平岩時代の東電は、環境庁発足以前から自ら厳しい環境基準を設置し、自社で環境保全をやる姿勢を持った企業でした。当然、平岩さんが経団連会長に就任した際も、抱負の一つに環境問題を挙げていらっしゃいました。高度経済成長の中にいた日本は、同時に公害問題を抱えていましたが、電力界で初めて公害が出ないエネルギーを作ると宣言した人物でもありました。私たちは市場原理の中で動いているが、企業のトップは、経済的効率と同時に社会正義をも目指さなければならない。公器である企業は、金儲けだけの資本主義ではなく、人間の幸せを実現する社会的責任があるということを1950年代から訴えていました。このようなリーダーがいることが、世の中を変えるために非常に重要なことなのです。

横山隆一氏プレゼンテーション

1992年のリオ会議以来、それまで関係者しか話題にできなかった地球温暖化や生物多様性について、人々のアゥェアネスが高まりました。と同時に、この問題に関わるNPOや助成制度が増加し、社会環境としてはインターネットからSNSへと情報媒体にも大きな変化が起こりました。また、都市経済社会の中には強い環境志向が生まれ、「協働・連携」という言葉が重視され、それまで価値がないと見られていた、湿地・干潟・海辺などの環境への関心が高まった…これが、この20年間のNGO・NPO・市民団体に関わる変化のポイントです。一方、様々な問題も同時進行で生じています。例えば、NPOが簡単に作れるようになったため、簡単に解散してしまうNPOも多いこと、
色々な性格のNPOが増加したり、世代交代をせず新規NPOの立上げを志向することで情報の継承が困難になること、イメージ主導型・現場主導型など活動が分化していることなどが挙げられます。また、保護する対象が広すぎるために専門化・細分化の必要性が生じ、逆にトータルな自然保護が中々追いつかないこと、本来複雑な問題である自然保護に「わかやすさ」を求められる風潮や、情報媒体が多様化し過ぎたため、人によって知っていることが違い過ぎるなどの現象が起きています。

小林光氏プレゼンテーション

我が国の自然保護には、いつどんな転換点があったのでしょうか。環境庁が発足する1971年以前の時代は、原生林保護が大きなテーマの時代でした。そこで環境庁がスタートしてすぐ、72年に自然環境保護法が作られ、翌73年に緑の国勢調査を実施。全国の自然状況を把握し、保全に進むという動きが始まりました。これが第一の転換点です。その結果、手つかずの自然は国土の20%位しか残っていないことに気づき、手つかずの自然に価値があるという価値観が生まれました。次に、その約20年後の91年、絶滅の恐れがある動植物を示したレッドデータブックが作られ、翌92年には種の保存法を制定。絶滅危惧種には法の規制がかけられるようになり、種が絶滅するのは良くないことだという価値観ができました。これが第二の転換点です。さらに、それから10年後の2002年、生物多様性国家戦略が作られ、生物多様性が一つの価値観になりつつあります。これはまだ基本法、つまり概念が出来たに過ぎず、具体的にどう実現するかという実体法には至っていないので、この第三の転換点については、これからの課題となっています。

ディスカッション

(小林) 自然保護は、今どんな課題を抱えているのでしょう。

(横山) 一口に水辺といっても海辺もあれば川辺もあり、一つ一つ個別に守られるものではありません。そういったトータルの動きが追いついていないことが、まず挙げられます。また里地里山という、地域の暮らしや一次産業と結びついた自然が、今なくなっていることも大きな問題です。これは、人が家畜を飼うことなどで作り上げていた草地とも言える場所です。

(市川) 私がいる秋田には、白神山地をはじめとする素晴らしい自然があります。しかし、若者たちはその素晴らしさを感じることなく、東京を目指そうとします。これも大きな問題です。今の学生を見ていると、NGOやNPOに関心はあるけれども、まず就職しなければという発想です。アメリカでは、資金集めをはじめNGO・NPO活動をするためのノウハウをきちんと教えます。こういった教育は、とても遅れているのではないでしょうか。

(小林) この人材育成、つまり「担い手」という観点では、どんなお考えをお持ちですか。

(横山) 私たちも、どうやって自然保護に関心を持つ人に、生活の糧を持たせるかというのは大きな問題です。これからの世の中は、ある本職に就いている人でさえ、その本職だけで生計を成り立たせるという高度経済成長期のモデルは通用しなくなるのではないでしょうか。例えばオーストラリアの高校の教員たちは、夏休みは給料が出ないのでアルバイトをしています。また地方にいる私の仲間たちの中には、夏の間は農業をしている、会社に勤めているけれど冬はガイドをしているなど、職業が何だか分からない人はたくさんいます。このように、暮らし方の様々なロールモデルを若者に提示して、関心が高そうなものを加速させていくことが必要なのではないでしょうか。

(小林) 確かに東京に住んでいて、全てのことが解決できる時代ではなくなりましたよね。

(市川) ここに出席されている方も、週末にNGOなどの活動をされる方が多いのではないでしょうか。そういうことが企業のためになると考える経営者はまだ少ないと思いますが、会社の損にならないように、社会のためになることに取り組むのは、実はとても大切なことだと思います。アダム・スミスは経済学を作ったと言われますが、彼が唱えたのは市場メカニズムのことではなく、本当は道徳論だったのです。平岩外四さんは、好んで「クール・ヘッド、ウォーム・ハート」ということを言いました。「心の優しい経営者が、冷静に経営をしていく。社会正義を意識しながら。」という意味ですが、グローバルに金儲け金儲けとなっている昨今、この点を心しなければいけないと思います。

(小林) これからの企業経営者は、CSRだけでなく、ダブルで仕事を持つことに対しての関心も必要なのかもしれませんね。その他に、担い手育成のためのアイデアはありますか。

(横山) 本当に自然を守るために努力をしている人に、その感謝を伝える仕組みづくりがあるといいですね。

(小林) 活動に対する社会的認知は、その活動を継続して頂くためにも大切なことですよね。何よりも継続していくことが新しい価値観を生むのですから、ぜひ社会全体で考えていきたいものです。今日は、どうもありがとうございました。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン