受講料:各パート1,000円(学生500円)・定員:250名・時間:18時半から20時15分(18時受付開始)

パート1・危機をのりきる逆転の発想

7月28日(火)

山川は国の本なり ―近世の治山論から学ぶ―

佐久間 正氏
長崎大学環境科学部教授

 深刻な環境問題の克服が21世紀の課題となっていますが、そのために必要なものは何でしょうか。第一に科学技術的対応、第二に政策的対応です。しかし、この2つだけでは環境問題は解決しません。そして第三に求められるのが、ライフスタイルの変革と価値観の転換です。近代社会では欲望の解放は善とされてきましたが、物質的欲望を抑制し非物質的欲求の実現こそが生の目的だとする価値観が広く社会に浸透していくことが不可欠なのです。但し、これは法律で強制していけるものではなく、教育の力に頼るしかありません。環境思想史研究とは、この環境問題克服のための第三の課題に対応する環境学の一領域で、過去の思想を環境学の視点から考察するものです。つまり、近代的視点によって価値が評価されなかったり無視されてきたものを、新しい視点で評価するものです。

 今日の講演テーマとした「山川は国の本なり」という言葉は、徳川前期を代表する経世家で儒者の熊沢蕃山の書『大学或問』からの引用で、近世の治山治水論の核心を象徴する言葉です。徳川時代の日本は環境思想を考える上で、ひとつの重要な時代でした。我が国で最初に出された環境に関する法律は「山川掟」だと言われています。これは1666年に幕府が天領に対して水源や川筋の保全を求めたもので、やがて各藩でも同様の法令が出されました。このことから、この法律を作らざるを得ない現実があったことを推察することができます。徳川時代の日本には以下のような6点の環境思想史上の意義があったと言えます。(1) 新田開発等による生産力拡大に対する反省的認識が登場する。(2) 儒教の所説を踏まえ、「天地」(自然)と人間の関連・関係の認識が深化する。(3) 列島の実態に見合った集約的農業生産及び農家経営を主張する代表的「農書」が登場する。(4) 有限の資源を適正に消費すべきという考えが登場する。(5) 為政者による消費統制としての「倹約」ではなく、生き方としての「倹約」が主張される。(6) 「シロモノウリカイ」(商品経済)があらゆるものを商品化していくことが指摘され、商品生産が富国の近道であり、重商主義こそ日本の採るべき途とされる。それ故に、自然は商品生産のための開発の対象とされる。

 4番目の危機が、100年に一度といわれる現在の大不況です。かつてはレースに参戦することで企業の基盤確立に成功して来ました。しかし、平成21年、今回はF-1撤退という苦汁の決断がなされ、経営資源を脱化石資源化研究に集中し、市販車の次世代、次々世代の技術の確立を目指す旨宣言がなされました。大いに期待しております。必ずやってくれると信じています。

 この(6)は現代人にとって馴染み深い考え方ではないでしょうか。本来「経済」という言葉は儒教用語の「経世済民」、つまり「世を治め民を救う」という言葉の略語でした。つまり元々の「経済」とは、教育、政治、現代語における経済、宗教、文化など広範囲に亘るものでしたが、18世紀に大阪の商人たちが商品や貨幣に関わる概念として「経済」という言葉を使い出し、後に「economy」という言葉が入ってきた時、その翻訳語として使われ、これが明治時代へと続いていくのです。

 ここで、日本の環境思想史において重要な3人の人物を紹介したいと思います。まず1人目は先ほども触れた熊沢蕃山です。彼の治山論は南方熊楠にも注目され、著書『大学或問』において「永久の道は、山林茂り、川深くなるにあり」と論じています。私は蕃山のこのような所説を環境保全論の嚆矢と評価しています。2人目は、対馬藩で群奉行を務めた陶山訥庵です。彼は対馬において猪の駆除、焼き畑農業の禁止などに取組み、それまで粗放だった対馬農業を集約化させることに努め、農政等に関する多くの著作を著した思想家でもありました。3人目は、琉球王国を代表する政治家・思想家の蔡温です。多方面に亘る彼の功績の中で造林に注目すると、彼の造林学原論とも言える『山林真秘』の中で、「材木は人世万事の大要である。人世の万事は皆材木によって調えることができる。もし材木がなければ、田を耕すことはできないし、住居を構えることもできないし、織物もできないし、陶器を作ることもできないし、鍛冶もできないし、海を渡ることもできない。その他の事も皆同様である。人々は材木を利用することは知っているが、万事皆材木に係っていることを忘れている。」と提言しています。

 いま私達は、このような先人達の思想を曇りのない目で見る必要があるのではないでしょうか。 特に日本人にとっては、これらの考え方は比較的馴染みやすいものであるはずです。これをどのように具体的な運動に結びつけていくかについては、今後の課題としてまだまだ研究が必要ですが、この視点無くしては地球環境の保全と人間社会の永続化は図れないのではないでしょうか。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦エコロジーオンライン