【受講料】
各パート(全3回)1,500円(学生 1,000円)
【定   員】
250名
【時   間】
18:30〜20:15(受付開始 17:45)
【場   所】
損保ジャパン本社ビル2F大会議室講座開催場所地図

パート3五感で感じる 自然・文化10月7・21・28日(火)

10月7日

「音の風景」を訪ねて

鳥越 けい子 氏  青山学院大学 総合文化政策学部 教授

「音の風景=サウンドスケープ」とは、「この時」「この場所に」いないと聞けない…そんな地域の文化の一環としての環境を構成している音のことです。江戸時代の安藤広重の浮世絵に「道灌山虫聴きの図」という作品があります。現在の田端・日暮里付近で、当時の人々が虫を聴きながら夕涼みをしている様子を描いたものですが、江戸時代にはこのような「音を聴くための名所」がありました。そのような場所で虫の音を楽しむことが、風流の一つとして位置づけられていたのです。こうした風習は、サウンドスケープを「文化としての音環境」として理解する上で役立ちます。

一方、「サウンドスケープ」は専門的には、「個人あるいは社会によって、どのように知覚され理解されるかに強調点の置かれた音の環境。従って個人あるいは特定の共同体や民族、その他の文化を共有する人達に、グループとその環境との関係性によって規定される」と定義されています。「関係性」を問題にするという点が、他の環境学の定義と同じだと言えるかもしれません。

次に、私も検討委員会のメンバーとして参加した「残したい日本の音風景100選」というプロジェクトを例に考えてみましょう。選ばれた100の音風景の一つに「オホーツク海の流氷の鳴き声」があります。流氷は、今ではこの地域で人々が「残したい」と願うものとなっています。が、私が現地へ行き地元の方から聞いて分かったのは、かつて流氷は「白い悪魔」と呼ばれ、オホーツク海沿岸の人々には忌み嫌われていたものだったということです。流氷がやってくると海が閉ざされ漁に出ることができなくなる。そのため、流氷を貧しさの一因と人々が考えたためです。しかし、昭和40年代からこの地でホタテの養殖が始まると、実は流氷が養殖のための好影響を与えていることが理解されるようになり、流氷に対する人々の意識が大きく変化したのです。流氷が「白い悪魔」のままだったなら、この音が「残したい日本の音風景」として応募されてくることはなかったはずです。この音風景から、人々と流氷の関係の結ばれ方が時代の変遷の中で変化したことが浮かび上がって来たのです。また、「遠州灘の海鳴き」や「西表島のマングローブの森の音」の現地調査では、それぞれの土地にそれらの音にまつわる民話があることが判りました。いずれも、音風景が地域の文化の一部であることの好例と言えます。

しかし、昭和40年代からこの地でホタテの養殖が始まると、実は流氷が養殖のための好影響を与えていることが理解されるようになり、流氷に対する人々の意識が大きく変化したのです。流氷が「白い悪魔」のままだったなら、この音が「残したい日本の音風景」として応募されてくることはなかったはずです。この音風景から、人々と流氷の関係の結ばれ方が時代の変遷の中で変化したことが浮かび上がって来たのです。また、「遠州灘の海鳴き」や「西表島のマングローブの森の音」の現地調査では、それぞれの土地にそれらの音にまつわる民話があることが判りました。いずれも、音風景が地域の文化の一部であることの好例と言えます。

このように「音の風景」とは、単にそこに存在する音だけの世界ではありません。みなさまも音の風景を訪ねてどこかへ出掛ける機会には、その土地の人の話にも耳を傾けてみることをお薦めします。それぞれの土地の環境のさらに深い部分を知るきっかけになるかもしれません。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン