全体テーマわたしと地球のウェルビーイング

市民のための環境公開講座は、市民の皆さまと共にSDGsをはじめとする地球上の諸問題を理解し、それぞれの立場でサステナブルな未来に向けて具体的に行動することを目指します。複雑化・深刻化する地球環境の変化の中で、自然の美しさにふれ、こころのゆたかさを保ちながら環境問題に対し、未来志向で取り組んでいくヒントを探ります。

無料のオンライン講座として通常講座全9回および特別講座を開催します。

気候変動は食料の生産量だけでなく品質や栄養価にも影響を及ぼし、流通や加工・保存方法によってもその影響は変化します。一方、私たちの食の選び方や消費行動も、気候変動の進行に関わっています。本講演では、生産・流通・消費といった多様な視点から「食」と「気候変動」の関係を捉え直し、気候と食料の課題を自分ごととして考えるきっかけを提供します。

講座ダイジェスト


気候変動の今

私はIPCCが発表した第6次報告書の作成に携わりました。気候変化が起こった時の影響や適応、脆弱性がどうなるかを調べる第2作業部会の中で、私は農業や漁業、林業などの1次産業と食料に関わる章の執筆に携わりました。



まず、気候変動についてお話しします。最新の報告書では「この気候変動は疑う余地がない。人間の影響があるということは疑う余地がない」というところまで来てしまっています。二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素などの温室効果ガスの濃度は、1850年頃まではほぼ一定の値で経過していましたが、産業革命を越えたあたりから急激に増加しはじめました。気温も1850年頃から急激に増加しています。




将来予測として温室効果ガスの排出を非常に少なくした場合から、非常に多い場合の5段階のシナリオが推定されていますが、残念ながら2040年までにはどのシナリオをとっても産業革命前に比べて平均気温の変化が1.5℃を超えてしまうとされます。しかしながら今すぐに行動を起こすことによって、今世紀半ばから後半の影響が変わってくる可能性があります。




食料と農業で発生している気候変動の影響

第6次報告書では、食料と農業で発生している影響が多く報告されています。また、過去50年間の気候変動によって食料生産量自体は増加しているものの、その増加速度が気候変動によって鈍化しているという科学的証拠が挙げられています。一方で「急性食料不安」といった言葉が新たに登場し、異常気象などによる食料不安が、各地で毎年起きていることが明らかにされています。



将来予測シナリオに応じたリスク評価を行った結果として、特に食料、水、健康などの人々のウェルビーイングに関わるリスクが広がりつつあり、地域によって不公平が発生していることが分かっています。平均気温2℃上昇を境目に、リスクが大きく広がることも明らかになっています。



第6次報告書では、リスクが複合的かつ連鎖的ということも示されています。例えば熱波や干ばつなどの増加は作物収穫量の減少のみならず、労働者の健康や生産性の低下、コストや人件費の増加、価格の上昇につながるとされています。このように最初は局所的でも、連鎖しながら地球規模で影響を及ぼす可能性があるのです。


また、温室効果ガスがどのようなところからどれだけ排出されているか、どれだけ削減できるかといったことも細かく検討されています。残念ながら1990年~2019年の段階で、温室効果ガスの排出が増加しているのが現状です。最も大きな割合を占めるのはエネルギー供給ですが、農業・森林・土地利用なども22%と、無視できない割合を占めています。

日本の農業への影響と進む品種改良

日本では、過去100年間で平均気温が約1.4℃上昇しています。令和6年は、平年値に対して+1.48℃も高い過去最高の高温を記録しました。また、記憶に新しい令和5年は、「60年に1回の猛暑」と言われる程の暑さでした。IPCCが予測するように、温暖化の進行に伴い、猛暑の頻度・程度は増加します。近年頻発する猛暑についても、温暖化の影響があると言われています。



国内の農業では、多くの品目で負の影響が報告され、影響も拡大しています。果樹ではブドウの着色不良などの影響が、畜産では乳牛、肉牛、養豚、採卵鶏、肉用鶏などで死に至るような影響が広がっています。また、花卉では出荷時期の狂い(生育前進あるいは遅延)などが報告されています。




水稲も高温不稔(受精障害)が心配されています。人工気象室での実験などから、開花期の気温が34~35℃を超えると、1℃について不稔率が15%程度増えることが分かっています。近年は40℃近い気温が頻発するようになりましたが、高温不稔による地域レベルでの減収は報告されていません。これは、実際の屋外圃場条件の不稔には、気温以外の要因も大きく影響するためです。ただし、我々が気温ではなく、穂の温度に着目した全国規模の解析では、近年の温暖化に伴い、高温による不稔が起きてもおかしくないレベルに差し掛かりつつあります。



穂が出た後の実が詰まる段階で起こる高温登熟障害(白未熟粒)も増加しています。白未熟粒は、本来きれいに透き通って見えるはずの米粒が白く濁ることで、等級が落ちたり、精米する時などのロスが大きくなったり、ひどい場合には食感が変わったりすることにつながります。この障害は、出穂後約20日の日平均気温が約26℃を超えると増加し始めるため、「MET26(26℃)」という指標が用いられます。これは、出穂後20日間の26℃以上の積算値を1日当たりの値で示したものです。今世紀に入ってから、MET26値はほぼ全国的に上昇を続けており、今後も増加することが懸念されます。実際、これまでのデータから、MET26が1℃上がると1等米比率が15ポイント低下するなど、大きな被害を与えています。



ただし、これらに対する対応策として、高温でも白未熟粒が出にくい高温耐性の品種を導入することで、被害をかなり軽減できるということも分かってきているので、そのような技術展開を急いでいるところです。




食料システムと気候変動を考える

食料システム、つまり食べ物が「つくられ、運ばれ、売られ、食べられ、捨てられる」までを含むシステムと、気候変動の関係もお話しします。私たちの食卓に上るもののうち、国産は38%程度で、多くの国々からの輸入に依存しています。この食料システム自体も、実は気候システムに大きな影響を及ぼしています。たとえば、森林を農地に変えたり、農場から食料が運ばれてきたり、加工されたり、消費されたり、捨てられたりする過程で温室効果ガスが排出されているのです。人為起源の温室効果ガス59Gtのうち、食料システムが関連する部門が約1/3程度の排出源になっていると推定されています。



炭素を蓄えるという観点から、農業生産に不可欠な土壌中の炭素量が注目されています。土壌中に蓄えられた炭素は2500Gtと、地球全体の炭素の中でも非常に大きな割合を占めます。しかし、森林を農地に変えると、土壌に含まれる有機物が分解されて炭素の量が減ってしまいます。ただし、農地の管理方法によっては、土壌炭素の減り方を抑えたり、逆に増やすことも可能です。そのため、土地の使い方や土壌の管理方法が、気候変動対策としても重要なテーマとなっており、世界的にも注目されています。

第6次報告書では、私たちが何を食べるかによっても、温室効果ガスの排出量が大きく異なることが報告されています。例えば、同じタンパク質100gを摂取する場合でも、肉を食べると植物中心の食事に比べて多くの温室効果が排出されることが分かっています。ただしヨーロッパの研究では、肉食の割合を週1回減らすだけでも、温暖化削減には大きな効果があるとされています。つまり、完全に菜食主義に変えるといった極端な食生活の変化をしなくても、一定の効果が期待できるということです。また、肉の生産方法や魚の養殖方法、その場所によっても、温室効果ガスの排出量は大きな差があります。そういった意味では、食べるものがどこから来たか、どのようにつくられたか、どのような影響があるのかということを、考えることが非常に重要です。



必要なのは、生態系と人間社会の調和を目指した解決策

現在、気候変動のみならず、私たちの社会行動がさまざまな分野に影響を及ぼし始めています。例えば、農業活動そのものが生態系の多様性を損なうことで、農業が依存する生態系サービスの質が低下したり、気候変動へのレジリエンス(回復力)が弱まったりすることが懸念されています。たとえば、昆虫の活動・多様性・分布の変化は、花粉媒介昆虫による生態系サービスの低下を通じて農業にも影響します。したがって、温暖化対策では、単純に温暖化を抑え、対応するといったこと視点だけではなく、生態系と人間社会の調和を目指すことが、最終的には人間社会や自然生態系の双方のウェルビーイングにつながっていくのです。本日お話しした内容が、食と気候変動について皆さんが考える材料になれば幸いです。



ここからは講義中に集まった質問と回答の一部を掲載します

質問1野菜や花、果樹などの農作物全般も、高温に強い品種に改良することが可能なのでしょうか?可能な場合、価格などは既存品種と比べてどう変わるのでしょうか?

回答気候変動に対応するための品種改良は、いろいろな作物で行われています。水稲だけでなく、果樹や野菜でも高温に強い、あるいは干ばつにも耐えられるような品種の開発が進められているところです。一般的には、新しい資材投入やインフラ整備が必要となる適応技術ではコストがかり、価格を押し上げる要因にはなってしまいます。これに対して、品種改良による対応は、特に水稲のように主に公的機関が開発するものについては、生産者のコスト面の負担は大きくないため、価格転嫁もされにくいと思います。このため、品種改良は比較的コストのかからない適応と考えれています。ただし、果樹のような永年性作物では、品種の更新を行った場合に、収穫までに年数がかかってしまうため、その間の収入減を考慮すると、簡単な選択肢とは言えません。

質問2農業分野で2050年のカーボンニュートラルに向けたロードマップのようなものはありますか?

回答農林水産分野でも、2050年のカーボンニュートラルに向けて「みどりの食料システム戦略」が農林水産省によって策定されており、それに基づくロードマップなども作成されています。土壌の活用、炭素の貯留といったことも含めて、農業・食料分野での温室効果ガス排出削減を着実に進めることを目指しています。 ただし、気候変動や温暖化の影響はライブで進行しており、その影響や対策の効果には予測が困難な点も多くあります。そのため、私たちもいろいろな地域の方々とのネットワークをベースに、新たな対策や科学的根拠の提示に取り組んでいきます。