市民のための環境公開講座2016

市民のための環境公開講座2016

認識から行動へ。学生から社会人まで1万8千人が参加した学びの場。

お知らせ今年の講座は全て終了いたしました。たくさんの方のご参加いただき誠にありがとうございました。

パート3 環境問題を見つめなおす

新宿会場 18:30〜20:15
レポート

11/8

自然に寄り添う日本の英知に学ぶ

講座概要

昨年末テロ事件直後でありながらパリで開催されたCOP21は見事に成果を得、世界を安心させた。まさに地球環境の基本的条件。気候変動が安定をしてこそ、生態系の安定が得られ、生態家サービス、つまり自然の恵みを得られる条件もまた安定する。しかし生態系の安定とは、国際的課題であると同時に、一方で実にローカルな課題でもある。つまり人々が暮らす土地柄との縁が深い。その点江戸時代までの日本は、自然と共生し再生循環型の社会を創り上げていた。そこには自然を観察し、自然に寄り添う姿があった。その英知を皆様とともに探ってみたい。

涌井 史郎 氏
涌井 史郎

東京都市大学環境学部 特別(終身)教授

自然に逆らわずに向き合った日本人

日本の国土は美しくもありますが、一方で、手強い相手でもあります。南北約3000kmの緯度差がありながらも、海流の影響で、北だから寒い、南だから暖かいという単純な気候の図式にはなりません。中央を山脈が貫き平野が少ないため、降雨量が多くても天水は駆け下るように海へと流出します。そのため、人間が使用可能な国土に残される淡水量は極めて少なく、例えば、東京都民一人当たりの淡水量は、ドバイを下回ります。また、急峻な河川は洪水も引き起こします。これに対して、我々の祖先はどうしたかというと、地球10周分もの農業用水を1500年かけて列島中に張り巡らしました。水田という緑のダムも作ったのです。さらに日本は、国土の2/3が豪雪地帯という、世界で例を見ない国です。しかも一晩で1mもの積雪を記録する降り方も、世界的に珍しいものです。

このような日本の自然条件は、美しい景観を形成する一方で、災害を引き起こす原因でもあります。例えば地震に目を向けてみると、日本は世界の国土の僅か0.25%を占めるに過ぎないのに、世界で起きるM6以上の地震の20%以上を引き受けています。こういった自然に向き合ってきた我々の祖先は、「自然に逆らわない」という姿勢を取ってきました。即ち、「美人ではあるが、取り扱いが難しい家内」とでも申しましょうか。この奥さんと安全で安心に暮らすためには、「決して逆らわない」、「凌ぐ知恵、いなす知恵で共生」し、時には「棲み分け」も必要。そして「常に観察する」ことが重要です。日本人は、自然の恵みを受けるためには、押さえ込んではいけないということを原則に暮らしてきました。

日本と西洋〜戦争から見えてくる自然観

私は、「造園家でない戦国武将は生き残れなかった」という考えを持っています。矢合わせをする時、何時から何時はどの方角から風が吹くかが頭に入っていないようでは、遠矢は放てません。また、その場所は朝靄(もや)が出るのか夕靄が出るのか、河川はどのくらい深いのか・・・こういう知識なしに戦はできません。ですから、活躍した武将ほど見事な庭園を残しています。それは、この「命がけの自然観」に根ざしたものだったのではないでしょうか。

有名なのは、武田信玄の信玄堤です。「勢いを制した者が戦を制する」という考え方を持つ信玄は、これを治水にも応用しました。川に流れる水量を制御することはできなくても、その勢いを制御することは可能と考え、丸太を組んだ上に石を重ねたものを川底に沈めたり、岩山に水をぶつけ、敢えて切っておいた堤防方向に水を逃すなど、実に見事な「いなし」の手法を実践しました。

加藤清正は、「鼻ぐり井手」を開発しました。これは、河床が高く洪水を頻発していた川に対し、その原因となっていた阿蘇の火山灰の堆積を解消するために作られた井手(分水)です。これもまた、自然に対する見事な「いなし」です。このように、日本人は常に自然と対峙しながら、自然の原形を損ねない形で、その恵みを最大化するという英知を磨いてきました。

ところが、世界が全てそうだった訳ではありません。西洋では、なぜ「市民」という言葉が大切にされたのでしょうか。ヨーロッパの戦争は、日本のように城を落とすことが決着ではありません。徹底的にその都市を破壊し、住民を虐殺することが戦勝の証でした。ですから戦争に備えて城塞都市を築きました。そして、その城壁の内側に逃げ込めるか、外側に放り出されてしまうかが大変重要なことでした。この都市の内側が「文明」、外側が「自然」という概念で、都市の中にある構造術や建築術こそが、神から与えられた技であると考えられていたのです。

一方、江戸の町というのは、里山、田畑、そして神社群に囲まれたものでした。自然は共生する相手だったからです。しかし、それが問題でもありました。町の中に緑が当たり前にあり過ぎたため、日本では緑を大切にするという公の考えが育ちませんでした。これに対してヨーロッパでは、産業革命が起きると、それ以後、城壁内であっという間にペストやコレラ、公害問題が発生。そこで城壁を壊し、環状緑地帯を作りました。その内側が旧市街地で、外側には公園などが美しく整備された新市街地ができたという訳です。

地球の46億年を、私たちは取り戻せるのか

先日、京都議定書以来18年ぶりとなるパリ協定が結ばれました。今、世界が気温上昇抑制に取り組まなければいけない理由は、すでに、産業革命前と比べて世界の平均気温は0.85℃上昇しているからです。これは危機的状況です。なぜならば、その影響で生物の絶滅種数が増えているからです。他の生物が絶滅することが、我々人類にどの程度影響があることなのかピンとこない人も多いようですが、我々は生物多様性の恵みの中で生きているのです。例えば、今朝何を食べてきましたか?他の生物の死骸を食べてきたのです。履いている靴はどこから来たものですか?他の生物の死骸からできた靴が多いはずです。つまり私たちの日常の暮らしは、他の生物が供給する生態系サービス無くしては成り立ちません。地球上には3300万種の生物がいます。3300万点の部品で出来た宇宙船地球号に、乗客は現在70億、15年後には90億になると言われています。一日に4万点の部品が脱落していったら、この宇宙船はいつまで飛び続けられるのか・・・という話なのです。京都議定書以来18年間、世界で足並み揃えての温暖化ガス排出削減に反対してきた途上国側が、今回のパリ協定で賛成に回ったのは、環境ストレスの被害が、現実問題として弱者側から押し寄せているからなのです。地球は、もうお尻に火がついてしまっているのです。

地球は半径6400kmの大きな星です。しかし、その中で生命ができる「生命圏」は、たった30km。鳥が飛んだり、花が咲いたり、蝶が舞う・・・そんな豊かな風景は、その中の僅か5kmという極めて薄い空間です。その中のエネルギーと物質の自律的な循環を生命が司っているのです。

地球の46億年の歴史の中で、およそ30億年前に有機物が生まれ、28億年前に、この有機物が酸素を起こします。これによって海が酸素で満たされ、その蒸発から大気圏が作られ、生物が進化していきました。その46億年の歴史を1年の暦に置き換えてみましょう。生命誕生は7月初め、酸素放出が8月です。では、人類が誕生したのがいつ頃かというと12月28日です。文明誕生は12月31日午後11時59分、そして産業革命は、1年が終わるたった2秒前です。この2秒間で、それまでの46億年をめちゃくちゃにしようとしているのが我々なのです。

全ての生物は、自らの個体数を制限して存続しています。一方的に個体数が増加し続けると、種全体が食べていけなくなるからです。しかし、人類は増加の一途で、これ以上増えたら絶滅するという絶滅曲線を驀進中です。レッドデータブックの筆頭にいるのは、実は人類かも知れません。そんな我々が今考えなければならないのは、環境革命とは何かです。それは、「限界を知る」ということではないでしょうか。環境と資源は無限だという発想を基に産業革命は始まりました。このような成長曲線をトレースしていくような、フォアキャストの考え方を続けていてはだめです。いずれ地球には限界が来るということに立脚し、そこから今の生活を振り返ってバックキャストする逆進的アプローチで、今後をどうするのかという絵を描かない限り、人間の持続的な未来はありません。

構成・文:宮崎伸勝/写真:廣瀬真也(spread)