市民のための環境公開講座2016

市民のための環境公開講座2016

認識から行動へ。学生から社会人まで1万8千人が参加した学びの場。

お知らせ今年の講座は全て終了いたしました。たくさんの方のご参加いただき誠にありがとうございました。

パート3 環境問題を見つめなおす

新宿会場 18:30〜20:15
レポート

11/15

人間が生きものであることを基本に

講座概要

20世紀後半の高度経済成長の中で「環境問題」が浮き彫りになってから半世紀、今や「地球環境問題」という大問題が立ちはだかっています。その解決へ向けての努力はなされながら先行きはよく見えません。そこで、「環境問題」という捉え方でなく、現代社会のもつ「世界観」を見直し、暮らし方を考えることで、未来を見ていきます。専門とする「生命誌」の成果をもとに「私たち人間が生きものであり、自然の一部である」ことを基本に置く社会を考えます。

中村 桂子 氏
中村 桂子

JT生命誌研究館 館長

機械論的世界観からの脱却を

アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利しました。驚いてニュースを見たら、その一報の次に来たのは、「株価はどう動きました」という報道でした。これが今の社会の象徴と実感しました。日本人は戦後の貧しさの中から豊かさを目指して努力してきました。それを否定するつもりは全くありません。しかし、それ一本槍でこのまま進むことの問題点は見えています。生きものという視点を取り入れる時であると思います。
現代社会は、金融資本主義の下で科学技術を駆使して豊かさを築くことを求めていますが、人間は生きものであり、自然の一部であるという事実を忘れていることが問題です。

17世紀以来、近代文明を作ってきた世界観は「機械論的世界観」です。ガリレイは「自然は数学で書かれている」と言い、ベーコンは「自然は支配できる」、デカルトは「人間も心を外して、機械としてものを見ることができる」と言い、ニュートンは「粒子まで調べていくと自然が分かる」と言いました。皆、素晴らしい偉人であり、彼らがいなければ今の科学はありませんし、人類は一歩先に進めなかったでしょう。しかし、自然も人間も「機械」として見る機械論には問題があります。彼らを評価しながらも、ここから一歩抜け出すことが重要です。

人類が地球に登場した20万年前、自然の中での暮らしを営みました。アミニズム的な価値観の中、神話などを信じていたこの時代は、「生命」をベースに物事が考えられていました。ところが、人間はやがて「理性」で物事を考えるようになり、ギリシア時代には「神様」を創り出します。この頃の神様は、多少人間的な側面を持つ存在でしたが、中世になると、キリスト教のような「絶対的神様」が作り出され、この神様が「人間は特別な存在だ」と仰って、人間は自然を支配するようになります。その後、人間社会には科学が生み出され、人間は神様を追い出し、自然と人間の間に「人工」を次々と作り出し、それを先進社会としています。しかし、そこに環境破壊や人間のもつ内なる自然の破壊が起きています。

人類に必要な第二のルネサンス

生きものとしての人間が生きるには、生物多様性を意識する必要があります。多様性の70〜80%は昆虫と植物であり、それらに依存して私たち人間は生きています。それなのに、「生きものとしての人間」という感覚を私たちは失っています。これを取り戻したいというのが私の望みで、これを私は「第二の人間復興」と呼んでいます。

「第一のルネサンス(復興)」は、中世に「教会の権威」から人間を解放したものです。もちろん宗教そのものが、悪い訳ではありません。ただ、この時代の教会は権威を持ち過ぎた存在でした。塩野七生さんの説によると、そんな社会を変えた2人の人物がいます。その一人、アッシジのフランチェスコは、それまで全てラテン語で行われていたが為に、万人には意味が分からなかった教会のお説教をイタリア語に変え、人々が「情報共有」できるようにしました。もう一人のフリードリッヒ二世は、全てが宗教との関わりで作られていた社会の価値観を、宗教でないものをベースに考える場合があってもいいという「宗教の相対化」を行いました。これによって、人々は神様から解放されたのです。

現代社会には、「第二のルネサンス」が必要です。今は科学技術万能の時代で、何でも科学技術優先、人間まで機械のように捉えるという風潮は、中世の宗教に通じるものがあります。ここから人間性を取り戻すためには、科学技術を相対化する必要があり、みんなでその情報共有をすることも必要です。このようにして、生きものとしての人間を復興したいというのが私の考えです。

「人間復興」方法論

「人間復興」のための具体的な方法を考えます。物理学者・哲学者の大森荘蔵先生は、「知の構築とその呪縛」(ちくま文芸文庫)という本の中で、「科学は自然を死物化する」と書いています。私たちはよく、科学は物事を「数値化」するところが問題だと思っていますが、問題は死物化なのです。例えば、花は、色がきれいで、匂いがよくて、そこに生き生きと生きています。科学は、その花について、DNAがどうだとか、物質がどうはたらいているかというところだけを見て、花としての全体の魅力を消してしまっている、これを「死物化」と呼ぶのです。

しかし、大森先生は、活きた自然との一体感を持つことは現代科学でも可能であり、科学をする者が、常に日常と思想とを自らの中に取り入れておけばいいと仰っています。例えば、私は生物学者であり、「思想」という側面では、生物のことはもちろん、宇宙や地球のことを考えながら生きています。しかしその一方、育児や料理、園芸などの「日常」の中でも自然との関わりを持っています。子供が泣いている時に、DNAはどうなっているんだとは考えません。親として向き合うだけですが、これも自然との接点の一つです。こういった両側からの視点を「重ね描き」と大森先生はおっしゃっています。これを多くの人がするようになることが、人間復興の第一歩です。AかBかの二元論ではなく、自分はAの存在だが、同時にBの存在でもあるという視野を持てるようになれば、「人間」と「自然」の間に「人工」があるのではなく、「人間」が「自然」と「人工」を繋ぐ存在になる社会が実現できるのです。経済も、技術もとても大事です。しかし権力という力が大きく働いて経済や技術を動かすと、命はしんどくなるというのが今の私の実感です。

生きものたちは、地球上で38億年を生きてきたわけですが、その間には氷河期などの厳しい時代もありました。それでも生きものたちは色々な形で上手に生きてきました。私は、生きものたちが持っているこの「生きる力」を信じています。「生きる力」を生かす社会を作るために、まず命を見つめ、自分が生きものであることを自覚することです。

構成・文:宮崎伸勝/写真:廣瀬真也(spread)