市民のための環境公開講座2016

市民のための環境公開講座2016

認識から行動へ。学生から社会人まで1万8千人が参加した学びの場。

お知らせ今年の講座は全て終了いたしました。たくさんの方のご参加いただき誠にありがとうございました。

パート2 自然の魅力と脅威

新宿会場 18:30〜20:15
レポート

9/13

森は海の恋人 人の心に木を植える

講座概要

平成元年からスタートした森は海の恋人運動は今年で28年目を迎えます。漁師が山に木を植える活動からはじまり、同時に環境教育に重きを置いています。自然の繋がりと人と人との繋がり、この二つを両輪に据えなければ何事も長続きはしません。東日本大震災からの道のりにおいても同じことが言えます。人の心の持ちよう一つで何事も良くも悪くも転がる。時代が変わってもそのことだけは何も変わりはしません。そのことを、皆さんと一緒に考えたいと思います。

畠山 重篤 氏
畠山 重篤

NPO法人森は海の恋人 理事長

震災後、気仙沼の海で起きたこと

img-kouza2016_2-2_051 東日本大震災では20mを超える津波に襲われ、陸のあらゆるものが海に流れてしまいました。その中には油もあり、これに火がついて、今度はそれが岸に押し寄せ、町が燃えました。気仙沼湾だけで1200人が亡くなりました。あの時は養殖が再開できるようになるなんて、とても考えられませんでした。学者の中には、「あの海は毒の海。もう死んだ。」と言う人もいました。森と川と海が繋がっていることを普及する活動を平成元年から続け、1万人以上の子供たちに体験学習を行ってきた私にとって、あの活動に一体何の意味があったのだろうと心苦しく思う日々を送っていました。そんな震災から2ヶ月後、孫たちが私に教えてくれたのです。「海に魚がいる!」と。

しかし、私にとって海が戻ってきたかどうかの指標は、食物連鎖の出発点となる植物プランクトンの状態です。プランクトンを採取するプランクトンネットをはじめ、全ての資材が流されてしまい、海の状況が掴めずイライラしていた私のところへ、その年の5月、ある知らせが舞い込みました。1000年に一度の災害を受けた海が、どう変遷していくのかを研究する調査チームを京都大学が作ったので協力して欲しいというのです。そして、やって来た京都大学の田中克先生に海のプランクトンを見て貰った所、「安心して下さい。カキが食べきれないほど植物プランクトンがいます」という“天の声”が返ってきました。

では、なぜ海の復活はこんなに早かったのでしょう。田中先生によると、それは背景の川をちゃんと整えていたからであり、「“森は海の恋人”は真理だ」と言うのです。私たちの活動が正しかったということが、なんと震災を通して証明されたのです。

皇后様から賜ったお言葉

img-kouza2016_2-2_015 この視点から全国を見回すと、海と森の関係がしっかりしているかどうかで命運が分かれた漁場が各地にあります。例えば、かつては砂利のようにアサリが採れていた有明湾。ここに注ぐ筑後川は、今では福岡に水を送るために河口堰が作られ、流域はダム銀座、上流の日田は杉一辺倒の山。森・川・海の関係がズタズタになっています。

また、諫早の海には、かつてウナギがたくさんいましたが、ミカンブームによって、背景の山々が全部ミカン畑になってしまいました。また、ニュースでも大きく取り上げられた堤防建設で海を分断。建設後、諫早へ行ってみたら、海一面に貝の死骸が広がっていました。

川下りで有名な柳川も、かつてウナギがたくさんいたそうです。そこで地元の高校生が町おこしのために、あの川へウナギを呼び戻そうという提案をしたそうです。干拓の歴史から、この川の入り口には潮の流入を防ぐ堰があるのです。実際、海にはかなりのシラスウナギが生息しているらしく、呼び戻すことができれば、水産資源にも観光資源にもなり、街のブランド化に役立ちそうですが、役所はウナギが出入りできるような水門の工夫には動いてくれなかったそうです。

img-kouza2016_2-2_077 このように、大人たちが作り上げた縦割り社会が、海・川・森の関係を断ち切っています。そんなこともあって、私は子供たちの体験学習に力を入れているわけですが、そのおかげで私たちの活動は教科書にも取り上げられるようになりました。小学5年生の社会科の教科書、中学3年生の国語の教科書、さらに一昨年からは、高校1年生の英語の教科書にも載るようになりました。

そこでちょっとした問題が起こります。「森は海の恋人」は、どう英訳すればいいのでしょう。それまで私たちの活動が新聞記事になった際などは、英訳版を見ると「The forest is darling of the sea」と直訳されていましたが、教科書にはどうも馴染みません。色々な先生が頭をひねったものの良い英訳が出ません。そんな折、とある賞を受賞したことから皇居へのお招きがあり、皇后様にご相談する機会を得てしまったのです。そして頂いたアイデアが、「お慕い申し上げる」という意味の「long for」です。こうして「海は森の恋人」は、晴れて「The sea is longing for the forest. The forest is longing for the sea」と英訳されるようになりました。

「森は海の恋人」で、日本を元気に

img-kouza2016_2-2_063 「森は海の恋人」の科学的な根拠はどうなっているのでしょう。これを教えて貰ったのは、北海道大学で海水の分析を行っている松永勝彦先生です。松永先生は、川の水に含まれる鉄分量の増減で、海の生物の増減が決まることを指摘した方です。鉄分が人間にとって重要なことは知られていますが、植物にとっても同様で、例えば、松の盆栽に元気がなかったら釘を刺せとか、田んぼや畑に赤土(赤は鉄の色)を蒔くなど、植物においても鉄は重要な成分です。そこで松永先生は、日本沿岸域の海水の分析を行いました。

東京湾は、かつて江戸前の寿司ネタが豊富な漁場でした。では、植物プランクトンのもとになる鉄分はどこから来たのでしょう。それは、東京湾に流れ込む16本の川からです。これらの川からは、巨大な東京湾内の水が2年で真水に入れ替わるほどの水量が注がれています。その代表格は武蔵野の森から流れてくる川です。

カキの名所・広島の海には、島根県境の大きなブナ林を流れてくる一級河川・太田川が注いでいます。また、中国山地の地質は花崗岩が多く含まれていて、この花崗岩には鉄を多く抱える黒雲母があります。このように有名な漁場には、海・川・森の繋がりが必ず存在しています。

img-kouza2016_2-2_080 この東京も、土木技術者と生物技術者がコラボレーションして、東京湾に流れ込む川を良くする公共事業を興せば、江戸前の魚介類が黙っていても獲れるようになるはずです。その証拠が、我が気仙沼湾です。ここに流れ込む大川をきちんと整備していたことが、震災後の復興の力になりました。植物プランクトンにとって重要な窒素・リンは、すでに海底にたくさんあります。津波で海が撹拌され、それらが上がってきました。同時に上がってくる泥は、半年もすれば沈みます。

結局、カキは種付けから獲れる大きさになるまで2年くらいかかるのですが、震災の年の8月に種付けをしたカキは、なんと正月過ぎにはピンポン球のように育ち、イカダが沈みそうなほどに成長しました。ホタテ貝は11月に種を入れましたが、3月頃には、やはりイカダが沈みそうなほどの成長を見せました。現在では、震災前を凌ぐほどの漁獲高です。

日本は、太平洋・日本海に35000の川が注ぐ国です。ですから、森と川と海の関係がちゃんとしてさえいれば、魚介類・海藻類が黙っていても獲れるようになるのです。これらが豊富に獲れて食卓に並べば、お米だってたくさん消費されます。農家も喜ぶことになる、つまり川の流域で経済が回り始めるのです。森と川と海の関係を良くすれば、この国はきっと明るくなるはずです。

構成・文:宮崎伸勝/写真:廣瀬真也(spread)