日本から始まったESD
2002年のヨハネスブルグサミットで、「国連持続可能な開発のための教育の10年」を日本政府と日本のNGOが共同提案しました。これを受けて、この年の国連総会の時に全会一致で決議され、2005年から2014年までを、その10年間としてやって参りました。今年が最終年ではありますが、これで終わりということではなく、この流れは今後も続いていくことでしょう。
現代社会における諸課題とは、例えば国際的なもので言うと、環境・開発、資源・エネルギー、人口・食料、貧困、人権・ジェンダー、平和、民主主義など様々なものが挙げられます。かつて、これらの問題は、それぞれがバラバラに存在していると考えられていましたが、1980年代に環境問題が顕在化すると、これらは実は繋がっている問題だということが見えてきました。そこで、それらを解決するために行われてきた教育活動も、分野ごとではなく、全てを串刺しにしてトータルに見ていくべきだという視点が広がっていきました。これが、今日のテーマ「ESD」が生まれた背景です。
こういった様々な問題を解決して、私たちも、そして次の世代もしっかりと暮らしていける社会を作っていくために、持続可能な社会が必要です。そこで注目されるようになったのが、皆さんもよくご存知の「持続可能な開発(SD)」です。持続可能な開発とは、将来の世代のニーズを満たしつつ、現在の世代のニーズをも満足させる開発のことです。1992年の地球サミット以来、この言葉が広く世界に流布するようになりました。
ESDとは何か
ESDを分かりやすく一言で言って欲しいとよく言われるのですが、その時、私はこう答えます。「誰もが参加・関与できる社会、そしてその関与する力を持っていること」だと。正にそれは、市民の社会参加であり、市民性の教育なのです。それは誰かが作ってくれるものではありません。政府がやってくれることでもありません。企業を含めた市民社会こそが、この持続可能な社会を作っていく原動力なのです。その意識を高めていくのが教育・学習なのです。
この持続可能な社会を作っていく一つの視点として、途上国を対象にした開発目標「国連ミレニアム開発目標(MDGs)」が2000年に出されました。更にこれを発展させる形で、先進国と途上国が共通して世界を持続可能にしていこうという「国連SDGs」という目標が今年作られましたが、そこに挙げられた17の目標の中にESDが盛り込まれました。これまで日本が働きかけてきたESDを、今後は世界の動きとしてやりなさいということになったわけです。
このような流れの中で、私たちは持続可能な社会の視点というものを、今後更に身につけていかなければなりません。それは、“WANTS(欲しいもの)”から“NEEDS(必要なもの)”への意識の転換です。種間(自然との関係)、世代内(他の人々との関係)、世代間(未来の人々との関係)の全てにおいて、それぞれの相手に対する気づきや想像力が必要であり、これこそが環境教育・ESDの原点なのです。環境教育とは、その黎明期には公害教育や自然保護教育のことを指していました。しかし、環境保全だけでは持続可能な社会は構築できません。人と自然、人と人、人と社会の繋がり・関係性の再構築が必要であると、狭義の環境教育から広義の環境教育=ESD(持続可能な開発のための教育)へと、時代とともに変化してきたのです。
ESDが導いていく日本の未来・地球の未来
今、こうしたESDの考え方が、全国の自治体、学校教育、企業活動の中に組み込まれる事例が増えています。この10年間の持続可能な開発を巡る変化に注目してみると、以前は国際会議などで他人事であるかのような態度だった各国代表が、最近では自分事として発言するようになりました。自分たちが、或いは次の世代が生きていくためには、持続可能な開発を達成するしかないという意識が主流になりつつあるのです。
これからの10年は、ESDを具体化するための重要な時代に入ります。日本は、SDの生みの親であり、ESDの提案国でもあります。今、そんな日本のイニシアティブに期待が集まっています。また、少子高齢化、震災復興など課題先進国でもある日本は、視点を変えれば、それらを克服することによって、進むべき持続可能な社会を構築するためのグランドデザインを世界に提示することが可能です。地域の再生・復興に繋がるESDは、日本発のモデルとして、世界を救うソフト産業に成長し、日本の国際的プレゼンスを高めることにもなります。持続可能な社会を志向する人が増えれば、自ずと未来は決まってくるのです。ぜひ、これからのESDをよろしくお願いします。
構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン)