パート3・日本の知恵に学ぶ
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第3回 ・

地震列島・台風列島との共存をどう考えるか

2008年02月05日


山折 哲雄 氏 【宗教学者】


2005年の新潟県中越地震の時、毎日のようにテレビに映し出される人々を拝見していて不思議だと思った事がありました。どなたも穏やかな表情で被災の状況を淡々とお話しになっているのです。心の中は苦しみや悲しみや怒りが煮えたぎっているはずなのに、「日本人はなぜ災害時に平静な顔をするのだろう」と疑問に思ったのです。そしてこれは何百年と育まれてきた日本人の自然観・宗教心・死生観に深く関わる事ではないかと考えました。阪神淡路大震災の時を思い返してもやはりそうです。それは日本人の無常観とでも呼ぶべきものかも知れません。諸外国でハリケーン、大地震、津波などの災害の様子が伝えられると、殆どの人が怒り・悲しみ・苦しみを全身で表現して訴えていますが、こういう災害に対する態度とは対称的です。20〜30年前までは、こうした日本人の平静で無表情な態度は没個性的で恥ずべきものだという言説が幅を利かせていましたが、私はむしろ、それは間違いだと確信するようになりました。

阪神淡路大震災が起きた時、私はふと思い出して寺田寅彦の本を手に取りました。地震研究について近代日本で先駆的な仕事をなさった方です。彼が昭和10年に書いた「日本人の自然観」というエッセイがあります。その中で彼はヨーロッパの自然と日本の自然を比較しています。ヨーロッパ、特にこの場合はフランスやイギリスを指しますが、この地域では地震がなく自然が安定しており、それ故に自然を客観的に観察し、データを取り、それを活用し克服する方法、即ち自然科学が発達しました。一方日本は地震列島、つまり自然が不安定であり、そのような自然が一旦猛威を発揮するようなとき、人々は頭を垂れ、どう生活を防衛するかをそこから学ぶしかない、それが日本人の自然に対する姿勢であると述べています。

この不安定な自然と共存してきた日本人の心に生まれた自然観が「天然の無常」だと彼は考えました。それは、「慈母」の如く優しく美しい自然にたいして、ひとたび荒れ狂うと人間に鉄槌を下す「厳父」の如き恐るべき自然であるとして、それとの付合いの中から生まれて来たのが「無常」の感覚だと彼はいっています。

一方、日本人の自然に対する考え方を追求したことで最も有名な書物が、和辻哲郎の「風土」ではないでしょうか。これは環境論的な観点から世界を3つの地域〜西洋の「牧場」的風土、中東・イスラム世界の「砂漠」的風土、日本の「モンスーン」的風土〜に分けたものですが、そのモンスーン地帯最大の自然災害は台風である、というのが和辻風土論の最重要ポイントです。台風の現象的な特徴は、それが「季節的」に襲ってくるものであるのと同時に、発生が「突発的」であること…この一見矛盾するような性質が、彼が言う「しめやかな激情」「戦闘的な恬淡」という逆説的な国民性を育んだというわけです。彼はこの考え方を発展させ、日本人の人間関係の中には利己心と犠牲という相反する価値観が共存することを見出し、その中から「慈悲の道徳」が生まれたと考えました。仏教で説かれる「慈悲」という、本来宗教的性格をもつ救済原理が、日本社会では道徳感情に展開を遂げたというのです。これは、寺田が言う「天然の無常」と全く対称的な考え方ではないでしょうか。

台風は、突発的に発生しますが、毎年ある一定の方向から襲ってくるため、経験的に予知をして対応が出来るものです。人間同士がネットワークを築いて防衛策を構築できるもの、つまり人間に倫理的感覚を呼び起こさせる「倫理的災害」です。ところが地震は、いつやって来るか分からない、どちらに逃げたらいいか分からないという人間の存在を根底から脅かすもので、宗教的観念や宗教的心構えを呼び覚まさずにはおかない「宗教的災害」です。寺田寅彦が「無常」という宗教的な原理を持ち出さずにいられなかった意味も正にそこにあります。

日本人がこれから自然災害に対応する場合、寺田が言う「天然の無常」、和辻が言う「慈悲の道徳」…2人の先駆者が掲げた理念を組み合わせて対策を考え、環境論を構築し、それを世界へのメッセージとして発信していく必要があるのではないかと、私は考えています。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン)


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