パート2・社会科学系温暖化論
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第3回 ・

実践・自治体環境政策

2007年11月20日


末吉 興一 氏 
【早稲田大学 名誉博士・早稲田大学 環境総合研究センター顧問教授・外務省参与・前北九州市長】


今年、北九州市は、全国11団体の環境NGOが主催する「第6回日本の環境首都コンテスト」で第1位となりました。北九州市の環境政策は、1985年のOECD(経済協力開発機構)の「環境報告書」で公害克服が紹介されるなど、世界から高い評価を得ています。これらの評価は、北九州市が高い環境政策を維持するための努力することを引き出すことにもなりました。環境政策は、公約として打ち出し、きちんとした計画をつくって実施をしてきました。政策は、最初は“思いつき”かも知れませんが、これをどう政策にするのかが、政策立案者の能力だと思っています。

北九州市では、環境問題への取組みは公害から始まりました。1950〜60年代に公害が深刻化した時、最初に立ち上がったのは、このまちの女性たちでした。「青空が欲しい」との想いから、婦人会では、勉強し、提案し、企業を説得し、市に訴えたのです。この時、北九州市では、産学官民の協力により公害問題に取組み、解決へと導きました。そして、この時にできたネットワークが、次にやって来る「環境の時代」に活きているのです。産学官民が上手く行くまでの間には、もちろん大激論があちこちで起こり、ある時期は敵対しながらも、それを解決することができました。これが、何より大きな市の財産になったのだと思っています。

北九州市の公害克服は、同じ問題に取り組む途上国の人々に役立てるため、環境国際協力を通じて、経験の移転が進められていますが、北九州市の環境国際協力は、いわば、地方の外交政策・地域振興政策として進められています。全世界からの研修員の受け入れの他、港や産業のある都市とのネットワークを構築し、環境協力から経済交流へと戦略的な取組みを進めています。その中で、友好都市である中国・大連市との協力では、都市間協力がODA事業にも発展しました。大連市はこの結果、環境改善が進み、国連環境計画からグローバル500を受賞しました。

また、環境産業は、北九州市の環境行政の大きな柱の1つです。途上国の人々は、環境投資は経済発展を阻害すると言いますが、世界銀行の研究結果にもあるように、経済発展と同時に環境改善を進めることが可能です。現在は環境技術が産業になる時代です。その典型が「北九州エコタウン事業」と名付けられた政策です。私の市長就任時は経済の落ち込みが激しい時代でした。そして「重厚長大さようなら」と言われたこの時期に、北九州市は、それでも「ものづくり」にこだわるのか、つくるとすればどんな物なのかを考え、その時に「環境産業」という結論になりました。広い土地、高い技術力の企業と豊富な人材、産学官の連携などの恵まれた条件を活かしたものです。

エコタウン企業は、徹底した情報公開を求めることで市民の理解と信頼を得ることを目指しました。そのため全ての企業の見学が市民優先で可能となっており、様々なリサイクル工場の見学は人気となっています。外国からの来訪者も多く、中には施設見学と絡めて温泉を楽しむような人も少なくありません。そこで、エコタウンへの訪問と宿泊ホテルの割引を結びつけるなどの政策も展開しています。こうすれば環境産業だけではなく市全体に影響が広がる訳ですから、そう考えると「環境対策」というのは、実は自治体の戦略政策になるのです。そう考えて、私は環境政策に取組んで参りました。

私は、国連の2つの環境サミットに参加しましたが、そこでは、貧困や男女の性差別も議論されており、環境問題は非常に広くなっています。いわゆる「持続可能な社会」づくりです。北九州市では、「世界の環境首都」創造を通じて、持続可能な社会に取り組んでいます。そして、何よりも重要なことは、地域の様々な人々が協働していくことであり、そのための基本理念や具体的行動を示した「グランド・デザイン」を市民協働で策定しました。現在、グランド・デザインに基づく取組みを積極的に進めています。北九州市を「真の豊かさ」にあふれるまちにし、未来の世代に引き継いでいくこと、これが北九州市の政策目標です。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン)


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