パート2・社会科学系温暖化論
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第2回 ・

暖冬少雪に向かう中でのスキー産業活性化について

2007年11月13日


上村 清隆 氏 【新潟県湯沢町長】


今日は、私が子供の頃から過ごした雪国の状況を、現象を見ながらお話しさせて頂きたいと思います。私が子供の頃の冬の暖房事情を思い出すと、当時は石油ではなく、山の木を薪にして、囲炉裏は1つの家に1つ、そこで炊いた炭をコタツやアンカに入れてそれぞれが暖をとる…というような生活スタイルでした。それが現在では、家の各部屋に石油ヒーターを置いて暮らすようになり、これがCO2の排出を増加させ温暖化に拍車をかけている一因ではないかと感じています。

昭和35年から平成19年までの長岡国道管内の積雪状況を見ると、新潟県の豪雪は、まず昭和38年、昭和49年、昭和56年に発生しますが、いずれの時も豪雪の前には雪が少ない年が続いたことから、少雪の後は豪雪が来るという予報をしている方もいます。

更に豪雪は、昭和59〜61年に3年連続で発生した後、昭和62年から平成16年までは全く途絶え、平成17年・新潟県中越地震の年に再び豪雪が訪れ、更に翌18年と2年連続の豪雪を記録しました。

少子高齢化の問題を抱える地域として、豪雪はその対応・処理において深刻な問題となります。特に、一軒の家を一回雪下ろしすると、下の雪片付けを入れて40万円以上かかるのですが、自衛隊、消防団、一般ボランティアなどの援助のおかげで、近年の豪雪では順調に処理をすることができました。

こうして昭和35年から平成19年までの降雪状況を見ながら、どんな自然現象の変化がこの雪国で起きたのかを考えてみると、1つには、この間に8回の豪雪があったわけですが、子供の頃からの印象では、それでも雪の量が減ってきているという実感です。またもう1つは、山の中に住んでいる人までが石油ヒーターを使ってCO2を排出しているような生活に変わったことで、山の木々が太り過ぎて薪に出来ない程になっているという問題も発生しています。その一方で、木が大きくなったお陰で雪崩が減ったという側面もあります。

こういった中で、湯沢町の観光産業についてお話ししますと、ピークとなった平成4年度には、スキー客は800万人、その他を合わせた合計では1000万人を越える観光客数を記録しました。しかし、その後段々と目減りして、平成18年度のスキー客は300万人、合計でも500万人を割る所まで落ち込んでしまいました。

しかし、いま湯沢町は観光立町宣言をした町として、方向転換の時期を迎えています。バブル期には「アーバンリゾートシティ30計画」という都会化を意識した取組みが前町長の下で16年間続きましたが、これからは「東京から一番近い田舎の町」ということで、“二流の都会作り”をやめて、“一流の田舎町”を目指したいということで取組みを行っています。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン)


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