パート1・自然科学系温暖化論
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第1回 ・

生物たちにとっての温暖化

2007年09月11日


日高 敏隆 氏 【京都大学 名誉教授・動物行動学者】


温暖化の影響には色々なものがありますが、南の方にしか生息していなかった蝶が東京でも見られるようになったという事もその1つです。例えばナガサキアゲハという蝶は、以前は九州をはじめとした西日本に生息する蝶でしたが、今では東京でも見られるようになりました。すると蝶の好きな人は、或いは単に寒がりの人も、温暖化もいいんじゃないか…と思うかもしれませんが、そうではないという話を今日はしたいと思います。

日本は今、温帯にありますが、温帯で生きている虫は冬が苦手です。体が小さくて体温調節ができない彼らは、気温が5度に下がれば体温も5度に下がり、うっかりすると体が凍ってしまいます。それに加えて冬は食糧も無くなる、乾燥する…と嫌な事ばかりの季節ですが、何とかして乗り切らなければなりません。そこで虫たちは冬眠します。

冬眠とは、寒いからどこか寒くない所に潜って寝ていると思われがちですが、実はもっと積極的な行動です。生きていくということは、呼吸、排泄、脱皮など様々な行為をする訳ですが、冬眠とはこれらを「ゆっくりゆっくり」とやる、つまり呼吸も殆どしない、物も食べない、凍らないように体の中の水を減らす…というモードに換えることで、例えるなら、普通のスピードだと快適に走れる自転車を可能な限りゆっくり走らせる、それ位大変な事に挑んでいるのです。

より的確に表現するなら「休眠」と言うべきこの行動は、殆ど呼吸しなくても生きていける特別な状態で、これをやるためには「もうすぐ寒くなる」ということを前もって察知し準備しておく必要があります。

彼らはどのようにしてそれを知るのでしょうか。それは昼間の長さ(日長)です。私達人間の感覚は疎くて、昼間が相当長くなったり短くなって初めてそれに気付きますが、虫たちは極めて敏感に日長の変化を見ています。虫の種類によっても違いますが、例えばアゲハチョウは日長が13時間半くらいになるとキチンと冬支度を始めます。冬支度は、暖かい季節に始めるからこそ、それができるのです。

寒くなりだしてから、冬支度のために食べようと思っても、もう草木の葉はありません。そこに温暖化のような事態が発生すると、例えば気温が5度高いと、虫たちは昼が1時間長くなったように錯覚し、「まだ秋にはなっていない」と思っている一方で実際には季節が進行しており、いざ突然気温が下がった時には、冬支度ができていない虫がたくさん出てくるようなことが懸念されるのです。

一方、一旦冬の休眠に入った虫たちは、気温5度程度以下の寒い日が1ヶ月位続かないと休眠から覚めて活動準備に入る事ができないというメカニズムを持っています。この事を昔からよく分かっていたのは養蚕業の方々かもしれません。

蚕の場合、春にできた卵はすぐ夏に孵りますが、夏の卵は休眠卵となって翌年の春に孵る性質を持っています。そしてこの休眠卵は温め続ければ早く孵るというものではなく、1〜2ヶ月の寒さを経験しないと孵ることができません。もし冬の間も暖かい環境に置き続けると、そのまま春になっても夏になっても孵る事はなく、結局卵はダメになってしまいます。そしてこれは他の虫でも同じような事が言えるのです。

このように、今起きている地球温暖化は虫たちの生態にも大きな影響を及ぼす事になり、彼らの生存に脅威を与えるのではないかと考えられているのです。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン)


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