市民のための環境公開講座2024

市民のための環境公開講座は、市民の皆さまと共にSDGsをはじめとする地球上の諸問題を理解し、それぞれの立場でサステナブルな未来に向けて具体的に行動することを目指します。持続可能な社会を実現するためにダイナミックな変化が求められている中、さまざまな切り口から “ゆたかな” 暮らしを考えていきます。

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10/16 18:00 - 19:30

森のめぐみを活かした地域づくり 北海道下川町から

麻生 翼 氏 NPO法人 森の生活 代表理事

北海道北部に位置する人口三千人弱の町、下川町では、森をいかしたまちづくりに古くから取り組んできました。林業の6次産業化をはじめ、エネルギー自給、そして地元の幼・小・中・高校生に向けた15年一貫の森林環境教育まで、森のめぐみを持続的に活かすさまざまな取り組みを展開しています。これらの活動の歴史と今についてみなさんと振り返り、日本の森林をいかす未来についてともに考えたいと思います。

講座ダイジェスト


日本は世界に名だたる森の国

森には生物多様性の保全、紙や木などの物質生産、地球環境保全、土砂災害防止、レクリエーションや文化の場、水源涵養など、多面的にいろいろな役割を担っています。現在、日本の国土に占める森林の割合は約7割で、先進国の中で第2位を誇ります。



その日本の森林蓄積量は、1966年から現在にかけて天然林も人工林も増えてきています。その大きな要因が戦後に行われた拡大造林です。現在はそのころから約60年たって切りごろを迎えていますが、人工林の多くが、十分な手入れがなされていない状態が続いています。




現代は過疎化が進んでいる地方に、たくさんの森林があります。その過疎地域が生き残りを考える上で大切なのが、豊富な森林をはじめとした自然環境と調和する、新しい社会経済システムを再構築する視点だと思います。また、森などの魅力や、地域での暮らしに誇りが持てる価値観を、創造していくことも大事だと思います。そういった意味で下川町の取り組みを参考していただければ幸いです。



下川町の森づくりと活用の歴史

下川町の面積は東京23区や琵琶湖と同規模で、約9割が森林です。総人口約2800人の約9割が半径1.5km圏内で暮らしています。歴史的には岐阜県の高鷲村から集団入植してきた人々によって開拓が始まりました。その後に林業と、金・銅の鉱山で栄え、ピーク時の人口は1万5000人ほどになりました。ところが1950年代ごろ、徐々に国のエネルギー政策の転換や環境政策の推進により鉱山が閉山する兆しが見えてきたため、町の基本財産の造成が必要と考え、当時貴重な広葉樹が存在している国有林を、1953年に1221ha購入しました。



しかし、1954年に直撃した洞爺丸台風で森の多くが倒れ、その翌年には、下川町は財政再建団体に転落します。しかしながら、その後も愚直に倒れた跡を利用し、50ha単位で木を植えていくことにしました。50ha切った後に50ha植えることを毎年60カ所で繰り返していけば、60年後には最初に植えたところに戻れるという循環型の森林経営ができると考えたのです。



1980年代に下川町は再び壁にぶつかります。落葉前のカラマツ林に大量の湿った雪が降り、倒れてしまったのです。成長途中の木ばかりで建築用材料に使えないため、炭焼きを始めました。また、副産物の木酢液を消臭スプレーや防腐剤として利用するようになりました。2000年代に入ってからは無価値で捨てられていたトドマツの葉を蒸留して、エッセンシャルオイルを商品化する取り組みが始まっています。



1990年代後半に立ち上がった「下川産業クラスター研究会」で、住民の有志と役場職員が町の未来を議論しました。2001年の中間報告では、統合的に経済と社会、自然環境の3要素に取り組んでいくことが、良質な生活や地域社会・経済の持続可能性につながるということをうたっています。また、森の活用アイデアなどをまとめた「森林ミュージアム構想」が立ち上がりました。このような経緯を経て、1本の木を使い尽くすゼロエミッションな木材加工に加え、木材だけでなく教育やツーリズムに森を活かす取り組みを町ぐるみで行うようになったのです。現在は7社8工場がさまざまなものを作り、生産額は約25億円に上ります。



2000年代に入ると環境的な取り組みが増えました。北海道で初めてFSCの森林認証を取得したのは下川町です。現在は町有林の全域がFSC認証と、国内認証のSGEC認証を取得しています。また、地元の子どもたちに幼児~高校生までの15年間、一貫した森林環境教育を学校の授業の中で取り組むようになりました。

木質バイオマスボイラーの導入も進め、現在は公共施設を中心に10カ所で導入しています。町の熱エネルギー全需要の約50%を木でまかなえるようになったため、灯油の使用量が減ってランニングコストが年間で2000万~3000万円ほど浮きました。その半分を将来のボイラーの更新・修理費用に当てて、もう半分を子どもたちの給食費負担軽減や、高校生までの医療費無償化などにつなげています。また、灯油使用量の削減は気候変動対策にもつながっています。



最近の下川町は人口減の傾向ですが、子連れの若い世代が流入超過しているといううれしい兆しがあります。また、この10年、若い人たちがカフェ、ハーブ栽培・コスメ製造、川専門のガイドなど、いろいろと起業しています。



NPO法人 森の生活の取り組み

下川町への移住者が中心になって2005年に立ち上げたNPO法人 森の生活では、ソフト面の活動を中心に活動しています。「森を活かし、心豊かな暮らしと持続可能な地域づくりに貢献する」を大目標に掲げながら、2009年から森林環境教育を実施しています。




また、2011年に町が取得した美桑が丘での森づくりも行っています。完成日を定めずに、地域の人たちが主体になって手づくりで整備していくもので、ワークショップや話し合い、道産子馬を利用した森の整備などを行っています。目指すイメージは「森の公民館」です。




さらに森林整備体験などの企業研修受け入れのほか、2015年からは大半が紙の原料になっている広葉樹のうち、利用可能なものを低温の乾燥機で乾燥させて地元で販売したり、地元で家具を作ったりする取り組みを始めました。





目指すのはこれまでになかった森づくり

時代が大きく変わる節目にいる今、私たちは2050年から逆算して「森づくりで今、何をしなければいけないのか」ということも話し合っています。例えばこれまでは木を効率的に生産するために針葉樹を植えてきましたが、生物から見ると樹種も樹齢も多様な木が生えた森の方が住みやすいものです。しかし、そのような森林管理はほとんど存在していませんでした。そこで生物多様性面などで課題を抱える企業や金融機関などとパートナーを組みながら、環境面でも経済性が成り立つような森林管理を考えていきたいと思っています。現在は4500haほどになった町有林で展開しているさまざまな取り組みも、これまで以上に増やしていきたいと議論と実践を続けています。




森は地球に降り注ぐ太陽のエネルギーによって自律的に駆動するシステムです。その森には生も死も矛盾なくつながっている世界があります。そのようにいろいろな気づきが得られる森を知ることは、あるべき世界を学ぶことだと思います。皆さんもぜひ、森を知ってほしいと思います。



ここからは講義中に集まった質問と回答の一部を掲載します

質問1下川町の森を活用するプロセスは、試行錯誤と紆余曲折を重ねて築かれたものなのでしょうか?それとも大方針のもとで、みんなが足並みをそろえてきたのでしょうか?

回答その両方だと思います。下川町は旭川から北に100㎞ほどと海から遠い上に、目立った観光資源がありませんので、森にリソースを投入して活用しようと、腹をくくれたのだと思います。また、その中で住民、特に森林に携わる人たちが旗を振りながら、まちづくりに取り組んできた歴史が、今につながっていると思います。

質問2下川町ではどのような方法で、町と町民が意見交換をしているのでしょうか?

回答会議などで意見を聞くのはもちろん、それ以上に大切なのが常日頃から顔を合わせる仲ということです。立ち話のほか、会議後などにそのまま居酒屋に流れて、町の話で盛り上がるといったことがよくあります。町長も「いつでも来てよ」といった感じなので、取り組みのアイデアなどを気軽に話し合えます。このように誰もが垣根なく話ができる関係性が築かれているのです。

質問3下川町はSDGsのウェディングケーキモデルの土台に当たる部分がしっかりしているので、その上に社会、経済などが乗っかっている印象がありますが、それは意識をしているのでしょうか?また、下川町の強みは何だと思いますか?

回答下川町の取り組みは、国連がSDGsを決めるはるか前の1950年代から連綿と続いてきたものです。役場も森林組合も「森を次世代に引き継いでいこう」という強い意識を持ってきたと感じます。その中ですごいと思うのが、森は大事にするべきもので、それに対して必要なら予算を投じ、人も付けていることです。例えば他地域と比べて林道を作る予算が多く、路網密度も全国平均の2倍以上です。人材も森は長いスパンで見る必要があるので、役場には異動のない森づくり専門員を置いているほどです。そして、子ども大人も、町にとって森は大切な財産なんだということが当たり前になっているのが下川町の強みだと思います。