市民のための環境公開講座2018 認識から行動へ。学生から社会人までが参加する学びの場。

2018年度市民のための環境公開講座は全て終了いたしました。来年度のご参加を心よりお待ちしております。

PART1 生きものの変化と気候変動を知る

レポート

7/31

小さいヤマネの不思議探検から森と人との在り方を視る

  • ヤマネの生物的不思議や魅力
  • ヤマネに関わる日本やスロベニア・イタリアなどの文化
  • ヤマネと関わる多様な人々とヤマネの環境保全性
  • 生物多様性保全の一翼を担うアニマルパスウェイの普及
  • これからのヤマネの活動
    などについてお話しします。
湊 秋作 氏

ヤマネの暮らしを人に伝える研究者

湊 秋作 ニホンヤマネ保護研究グループ会長、関西学院大学教育学部教授
一般社団法人アニマルパスウェイと野生生物の会会長


講座ダイジェスト

ヤマネを追いかけ続ける人生

ヤマネは、学名を「Glirulus japonicus(グリルルス・ヤポニクス)」といいます。「japonicus」という言葉があるように日本にしかいない動物で、国の天然記念物にも指定されています。一般的な体重は18g。鶏卵一個が約50gなので、その小ささがお分かりではないでしょうか。

そんなヤマネと私の出会いは、20歳・大学2年生の時でした。通っていた都留文科大学の学長が、ヤマネ研究の権威であり、日本の環境教育の草分けでもあった下泉重吉先生だったのです。そして、先生と出会う前に興味のあったデカルトを研究するか、ヤマネにするかを悩んだ末、「水平線の向こうに向かう帆船が冒険に行くように、先の見えない世界の方が、おもしろいのでは」と、ヤマネに決めたのです。そして下泉先生に直談判。学長職は通常ゼミ生を取りませんが、例外的に弟子にしてくれたのです(下泉先生にとり最後の弟子となりました)。

卒業後は教職の道に就きましたが、多くの教師が便利な街の学校を志望したのに対し、私はヤマネ研究ができる環境を求めて、熊野の山中にある全校生徒36名の小学校に赴任。そこで子供たちと一緒に巣箱調査などの野外研究や繁殖を研究しました。その後、より多くのヤマネがいる環境を求めて、和歌山から約550km離れた山梨県清里へ、毎月1回12年間通い続けたのです。その清里では、1998年に開館した「やまねミュージアム」の館長を任されるようになりました。

また、富士山麓、新潟、栃木、長崎、隠岐の島などをはじめ、日本各地を回ってヤマネの分布状況や生態の多様性を調べました。環境省は数年前、ヤマネをレッドデータブックから外しましたが、そのできあがった分布図からは生息状況に危機が見られる地域もあり、私はレッドデータブックに入れることを再考して欲しいと思っています。

ヤマネが5000万年以上絶滅しなかった理由

ヤマネに関する最も古い化石はイギリスで発見されました。但し、それは、実をかじった痕がヤマネのものだったというものです。ヤマネの全身骨格がきれいに出た化石は、約5000万年前のものがドイツで見つかっています。また、スペインでは、中新世から中期の初期頃には170種以上確認されています。つまり、この時代には、これだけたくさんのヤマネがヨーロッパを中心に生息していたのですが、その後減少を続けて僅かに残ったのが今のヤマネ科です。逆に言うと、その頃から続いている貴重な生き物とも言えます。

それらのうちのグリルルス属のニホンヤマネの祖先の種が、ヨーロッパからアジアまで森が広がっていた時代に、ユーラシア大陸の森を東へ移動していきました。そして、遺伝的な解析では
約510万年前にはニホンヤマネは日本列島に生息するようになりました。

肩までの高さが4mもあるミエゾウも大陸から日本ややってきましたが、その後滅んでしまいました。その後、日本へやってきたナウマンゾウなど多くの生きものが滅んでいきました。では、なぜ僅か18gのヤマネは生き残ることができたのでしょうか。

ヤマネの特徴の一つに、「ねぼすけ」であるという点が挙げられます。ロシア語の「ソーニャ」、英語の「ドーマウス」をはじめ世界各国でヤマネのことを指す単語の多くは、「眠りねずみ」、或いは「ねぼすけ」という意味になっています。

ヤマネは冬眠を、地表から4cm下の地面や、森にある朽木の隙間などで行います。およそ6ヶ月間、排泄なども全く行わずに眠り続けるのですが、その間、体温はほぼ0℃を維持し、定期的に体温を上昇させますが、起きて活動することはありません。冬眠中の動かないこと、熱を発生させないことは、単に省エネで生きることができるというだけでなく、天敵から自らの存在をわかりにくくさせることにも繋がります。こうしたヤマネの生態・生理が、絶滅せずに生き抜いた要因の一つではないかと私は考えています。他にも、栄養価の高い森の食べ物を選択したり、森の小さな隙間を休息場所としたり、巧みに森を利用する能力も生き抜いてこれら要因でしょう。

ヤマネを通じた環境保護活動

1996年、そんなヤマネが多く暮らす清里で道路工事が始まり、冬場に森を分断し、ブルドーザーで切り開く作業を始めました。地下4cmに冬眠する天然記念物にとり脅威です。ヤマネを守るために、私は抗議をしました。その結果、山梨県と一緒に作ることになったのが「ヤマネブリッジ」です。これは、ヤマネなど森の小動物が道路で分断された森と森の間を自由に移動できるよう、道路上に架ける動物たち専用の橋で、およそ2000万円かけて完成しました。しかし、森を分断する道路は日本中・世界中にたくさんあります。各地の森の動物たちを守るには、もっと安くてメンテナンスフリーのものを作る必要があります。そこで、2004年にアニマルバスウェイ研究会を立ち上げ、協力を申し出てくれた大手ゼネコン各社などと材質・構造などの研究を重ね、6mmのワイヤー製で三角柱構造のアニマルパスウェイを、2007年7月、北杜市に世界で初めて設置しました。その後、国内や海外でもこの取り組みを広げていますが、設置後僅か数時間で動物たちが通過する様子がモニターカメラで確認されるなど、各地でその効果が実証されています。

さらに、こうした映像をWEBで公開し、パスウェイを何時何分に何が通ったかを報告してもらう市民調査員を募ったり、子供たちを対象にした「ヤマネ学校」を開校し、誰もができるヤマネブリッジの製作や、森でヤマネになりきることなどを体験してもらって、ヤマネを通した持続可能性を担う人材育成にも力を入れています。

森に依存し、ヤマネは暮らしてきました。人も昔も今も森に依存し、暮らしてきました。そんな森は ヤマネにも人にもお互いなくてはならない「仲間」なのです。同じ仲間の視点で森と自然を視つけめたら世界がより広がると思います。

ヤマネを守ることは、森を守ること、みんなを守ることにも繋がる。そして、それが未来をも守ることにも繋がるという想いを持って、これからもヤマネの研究を続けていきたいと考えています。

構成・文:宮崎伸勝/写真:廣瀬真也(spread)