開会挨拶

佐藤 正敏公益財団法人SOMPO環境財団 理事長
 

佐藤 正敏「市民のための環境公開講座」は、一般市民の方々が幅広い環境問題について正しい知識を持ち、具体的な行動に繋げていくことを目的として、1993年に日本環境教育フォーラムとの共催でスタートしました。これまで20年間で350回開催し、参加者は17,000名以上、ご登壇頂いた講師の人数は延べ410名にも上ります。たくさんの方に支えられ今日まで講座を継続できましたことに、改めて感謝申し上げます。

市民講座を通じて、こうしたNPO/NGOとの協働が、私ども企業の環境活動をより深めていくことを実感して参りました。当社が市民講座で培ったパートナーシップは、2000年に開始した、環境NPOなどに学生をインターンシップとして派遣する「CSOラーニング制度」や、2011年に開始した、47都道府県でNPOの皆様とともに希少生物の保全に貢献する「SAVE JAPANプロジェクト」などのプログラムへと生かされております。

佐藤 正敏一方、市民講座開講と同じ1993年に、損保ジャパングループの環境問題研究会も発足いたしました。研究者・有識者をお招きし、これまでに、土壌汚染問題、廃棄物問題、予防原則といった、それぞれの時代ごとに顕在化する環境問題の研究を続け、その成果を書籍として世の中に公表して参りました。科学的知見や研究成果が一般の方に伝わる機会は限られております。私どもは企業の立場から関わり、そうした価値ある情報を社会に広めていくことで、理論と実務の架け橋になりたい、一人一人の行動に繋げていきたい、という想いを持ってこの研究会に取り組んでおります。2011年からは、新たに気候変動への『適応』をテーマに掲げ、研究を続けて参りました。気候変動への対応は、温室効果ガスの排出量を削減する「緩和」策と、気候変動による影響や被害を軽減する「適応」策の大きく二つに分かれますが、緩和への取り組みが進む一方で、適応については益々の取り組み強化が望まれており、私どもの本業である損保事業にも期待が寄せられている分野です。来月、横浜でIPCC(気候変動に関する政府間パネル)総会が開催されますが、当研究会もこのタイミングに合わせてこれまで3年にわたる研究成果として書籍を出版する運びとなりました。

佐藤 正敏市民講座や環境問題研究会を通じて、私どもが一貫してこだわってきたことは「多様なセクターとの協働」です。グローバルで複雑な環境問題の解決には、企業、行政、研究者、NPO/NGO、一人一人の市民などがそれぞれ活動するだけではなく、連携・協働して変化への大きな力を生み出していくことが不可欠です。中でも、ミッション実現のために積極的に活動してきたNPO/NGOと、環境問題など社会的課題解決への役割発揮が益々期待されている企業とが一層連携を強め、ともにリーダーシップをとっていくことが、様々な問題解決に繋がると確信しております。

祝辞

世界的に始まった気候変化への適応策

清水 康弘 氏環境省 総合環境政策局長

清水 康弘 氏市民のための環境公開講座20周年記念、そして環境問題研究会出版記念のシンポジウム開催にあたり、心からお祝い申し上げたいと思います。

2012年10月から完全施行された、いわゆる「環境教育法」、この法律には様々なステークホルダー間の協働取り組みを推進するための規定が新たに導入されたところであります。この「市民のための環境公開講座」と「環境問題研究会」という2つの取り組みは、正にこの法律で規定している取り組みの典型的な事例であり、先駆的モデルとして注目すべきものであります。

そして今回、企業と環境問題の関わりという大きな問題を考えていくことは、大変興味深い試みだと思います。企業にとって環境問題というのは、CSRという側面もありますが、今やCSRの範疇を超え、本業におけるリスクをどう管理しているかという課題であるとともに、大変大きなビジネスチャンスにもなり得るものと認識しています。清水 康弘 氏環境問題を企業活動の推進材料に変えていくそういった思考力・実践力を持った人材の育成が、今求められているのではないでしょうか。また環境のみならず、経済・社会などバランスの取れた持続可能な社会を目指すといった観点から企業活動を行っていくことも、大変重要な視点となっています。折しも今年は、ESDといいまして国連における「持続可能な開発のための教育の10年」事業の最終年にあたる年でもあります。この節目の年に、こういったシンポジウムを行うというのも大変意義が深いことではないかと思われます。

 本日の講演やシンポジウムを通じまして、企業がNGOをはじめとする様々なステークホルダーと協働して課題を解決していくようなポイントが、最後に明らかにされていくことを期待しております。

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基調講演

気候変動の20年 〜何が変わったか、なぜ変わらないか?〜

西岡 秀三 氏公益財団法人地球環境戦略研究機関 研究顧問

西岡 秀三 氏本講座が始まった20年前に何があったかを振り返ると、1992年に地球サミットで気候変動枠組条約が署名されて、いよいよ発効するかという時代でした。あれから20年間、IPCCなどが様々な議論を重ねてきた結果、その第5次評価報告書の中で、温暖化は人為的原因の可能性が非常に高いという結論になりました。今日のテーマにある「何が変わったか」と言えば、気候が変わった。例えば、温暖化の影響として、北極海の氷の融解や、農作物へのダメージ、ゲリラ豪雨など様々な所に見られています。一方、「何が変わらないのか」ということでは、我が国の温室効果ガスの排出量が変わらない。京都議定書で定められた目標を達成したとされてはいますが、国内排出量自体は増えているのです。森林による温室効果ガスの吸収と、お金を払って買ってきた分が加味されて、やっと京都議定書をクリアしました。私たち日本人は、本当にまじめに温室効果ガス削減をやってきたのだろうか?ということを考えざるを得ません。

今、地球の気温上昇を産業革命以前から2℃以内に抑えるという政策目標を世界で共有していますが、IPCCの第5次評価報告書のデータから計算をすると、温室効果ガスの排出量の上限は、今と同じように排出していった場合、あと30年分しかありません。仮に3℃に設定したとしても、あと60年もつかどうか。途上国の発展に伴う排出量の増大を考えたら、そこまでもたないかも知れません。結局、「2℃以内」という目標を達成するためには、2050年までに世界全体の排出量を、現状の半分にまでするべきだということが多くの人の計算で分かってきました。

西岡 秀三 氏現在の世界全体のCO2排出量が、年間495億tと言われています。これを2050年に半減するということは、247億tにするということです。その時の世界の推定人口が96億人と言われていますので、この人口で割ると、世界全体で2050年に一人当たりが排出できるCO2の量は2.6tです。今度は、この2.6tに、2050年時点の日本の推定人口9700万人を掛けると、日本全体で出せる排出量の総量は2.5億tとなります。日本は今12.6億t出していますから、2050年までに世界全体が半分に減らすということは、日本の場合には80%減らさないといけないという単純計算になるのです。これは大変なことです。覚悟を決めないと達成できない数字です。なぜこんなことになってしまったのか?この20年間、私たちはさぼってきたからです。

では、どうやってこれを減らせばいいのでしょう。まず、日本で使うエネルギーの総量自体を減らす「節エネルギー」が必要です。そして、減った分に対して自然エネルギーをはじめとする炭素排出の少ないエネルギーを徹底的に利用する。それでも足りない部分については、CCS(Carbon Capture Storage)、つまり出てきたCO2を地中に埋める技術などを導入していくという手を打たねばなりません。半分は節エネ、半分は低炭素エネルギーというのは、今、世界中の国が考えている方向ですから、これからは、「エネルギーなくして成長なし」とはもう言っていられません。

西岡 秀三 氏私が特に皆さんにお願いしたいのは、供給部門は一体何のためにあるのかについて考えていただきたい、ということです。明らかに消費があるから供給があるのであって、その逆ではない。どれだけ本当にエネルギーがいるのだろうか、どういう生活をしたらエネルギーを使わずに済むのかを考えるのがまず一番なのです。低炭素のためのエネルギー議論は、とかく供給側のエネルギーを何にするかということから始まりがちで、すぐに原子力論議に飛んでしまうのですが、そもそも需要が無ければ供給はいらないのです。まずは本当に必要な消費エネルギーに抑えるのが先ですが、その主役は、そして責任は消費側にあるのです。

これまで経済全体が経済をけん引する供給主体に考えられてきましたが、これは変えていかないといけない。つまり消費側での技術社会の在り方いうものを考え直さないといけません。その時に大切なのは、システム全体で考えるということです。例えば、日本の住宅は、あまりシステム的に考えられてきませんでした。我が家の場合も、一応省エネエアコンをつけたりしたのですが、はたと考えてみたら断熱ができていなかったので、家は隙間だらけ。エアコンは送風機の役割しかしていないようなものだったのです。システム的に考えたらまず断熱をして、システム全体としてエネルギーが逃げないようにしておいて、エアコンが上手く動くようにしなければいけません。また、これからの高齢化社会を考えたら、公共交通を中心とした都市交通、更には都市作りを考え直さなければなりません。若くて元気がよかった時代は、郊外のニュータウンと呼ばれる場所に住み、いい暮らしをしてきたつもりでいても、そのような生活には車が不可欠です。歳をとって車が運転できなくなってくると何が起こるでしょうか。一方、街同士が分散しているために公共交通は採算が取れず、事業として成立しない。車でしか行けない郊外のショッピングセンターが発達してしまったために、街の中の商店街はシャッター街になり、そこに住んでいる人は買い物難民になってしまうなど弊害がたくさん発生しています。そういった都市作りではなく、歩いて暮らせるコンパクトな街を作り、公共交通がその中で発達し、賑わいのある街を作るようなことを考えてやっていったら、省エネ・節エネの街になるのです。そういうことを政策としてやっていくことが必要になるのです。今後世界でも国でも個人でも、排出できる温室効果ガスの総量を財布の中の「予算」と捉え、それをどのような計画で長期にゆっくり使っていくかを考えるようにする。、それを計算する専門家の炭素会計士のようなソフトビジネスが生まれます。イギリスもアメリカも今、そんな分野の雇用が発生してきています。

西岡 秀三 氏今、時代が一つの転機に来ているということを感じている人は少なくないのではないでしょうか。それは一つの投資タイミングとも言えるわけですが、ここで今の世の中の短期志向を長期的視点で低炭素型の設備、インフラ、産業に投資するトレンドに変えていくことが必要です。例えば、イギリスのGreen Deal政策は、家庭に診断士がやってきて、その家に合った省エネルギー消費機器や断熱を推薦し、その一式を政府保証のお金で備え付け、家庭は省エネで儲かった分などから長期に返済していく仕組みです。また日本でも、ソーラーパネルを設置しても自分が生きている間には元が取れないと思わないで済むように、これを子供や孫に残した場合は相続税や贈与税をかけないという「緑の贈与」制度なども考えられています。

自然は待ってくれません。そして、対応に向けた科学的根拠はほぼ整いました。温暖化を疑うようなことばかり論じて、行動を遅らすことはもうやめ。2020年から国際社会の全ての国が参加するという新たな削減の枠組みも動き出しています。この時に、日本も削減しなければならないことを前向きにとらえて、世界と次世代に貢献できるような動きを積極的にやっていかなければなりません。そのための技術が知恵がそして責任がこの国にはあります。それが新しい社会を作ってゆく面白いビジネスチャンスになるんだという認識をみんなが持って行動に移していただきたいのです。

「市民のための環境公開講座」20周年に寄せて

〜講座の運営を支えて下さった方々からのメッセージ〜

福井 光彦 氏独立行政法人環境再生保全機構 理事長

福井 光彦 氏私は、この「市民のための環境公開講座」が、なぜ構想段階からすぐにできたのか、そしてなぜこれだけ長く続いたのかについて考えました。当時の安田火災に地球環境室ができた経緯は、後藤康男社長(当時)の、「21世紀は環境とNGOの世紀になるので、全社を挙げてすぐに体制を作りなさい」という言葉からでした。完全にトップダウンでできた組織でしたが、トップダウンだけではだめだということで4つのワーキンググループを作りまして、それぞれが議論を重ねました。その一つに、環境教育で何かできないかという発想が生まれました。このようなトップダウンとボトムアップの両方が同時にあったことが、すぐに実現できた理由ではないでしょうか。

そして、なぜ長く続いているのかということに関しては、企業とNGO双方でメンバーを出し合い、コンセプトから、講師の人選・連絡、レジュメ作り、会場設営までを、一緒にそれぞれの強みを生かしながら汗をかいてきたためです。企業にとって大切なことは、資金を出すだけでなく、一緒に対等の関係で汗をかいていくことがあって初めて、企業とNGOの協働ができるものなのです。お互いの信頼関係を築き、リスペクトし合えることが長続きする理由だと思います。

長澤 恵美子 氏一般社団法人経団連事業サービス 総合企画室長兼研修グループ長

長澤 恵美子 氏私が聞いているところによりますと、20年前に後藤会長が損保ジャパンの方針を決められる際に、「木を植えるよりも、木を植える人を育てる」とおっしゃったと伺っています。その想いが20年経った今も受け継がれているということが、この活動を継続的なものにしているのだと思います。企業の社会貢献活動を継続させていくためには、仕組み作りやそれを制度化することが必要になりますが、実際は人事異動などで人が替わり、そのコンセプトが引き継がれないことがあります。それがきちんと継続されてきているのは、やはりNGOとの協働ということだと思います。

企業の皆さんにNGOとの協働で何を得たかという質問をすると、「社会的課題の理解に繋がった」とか、「新たな視点を得ることができた」、「企業では持っていないネットワークを構築することができた」などのことが指摘されます。これは「協働」ということが、課題解決のスピードアップや効果の最大化に繋がっているということではないでしょうか。この講座で、知識・視点を得た市民の一人一人が、次は具体的な行動に移していくことが大事なのではないかなと思っています。

槌屋 治紀 氏株式会社システム技術研究所 所長

槌屋 治紀 氏企業が環境問題に取り組むチャンスは、実はたくさんあります。大きな所で大きな方針が示されさえすれば、企業の中の技術者は色々な問題解決に取り組めるのです。政府が大きな柱を立てないと、こういう問題を解決したいと言ってみても企業の中では通りません。それを政府がこう言っているから・・・となれば、非常にやりやすくなるものです。ですから、損保ジャパンのように企業自体がこういうことをしてくれるのは、とてもいいことです。日本の中にも、こういう懐が深い企業があるということは、非常に重要なことだと思います。

3.11以後、エネルギー問題に関わるたくさんの変化が起きています。80〜90年代に起きた情報の世界の革新、情報産業の自由化がそうだったように、規制を取り払い、企業に自由に活動をさせると、企業は色々なことを生み出します。ですから、エネルギー、特に電力などは、これからシステムが変わって自由化が行われると、社会を大きく変えていけると思います。

アメリカのロッキーマウンテン研究所のエイモリー・ロビンスは、2年ほど前に「新しい火の創造」という本の中で、省エネルギーと再生可能エネルギーを中心にして、アメリカの将来のエネルギー事情は大きく変わると書いています。昨年12月には、小泉元首相が日本記者クラブでこの本を紹介しました。そんな未来が見えてきている今、損保ジャパンのこのような活動が、さらに続いていくことを期待しています。

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パネルディスカッション

企業とNGOによる協働の重要性

岡島岡島まず、「企業とNGO」というテーマについて皆さんそれぞれの所感をお願いします。

原私は1961年から毎日新聞社会部の記者をやっていまして、その中で目撃したことですが、日本の企業がどういう形でNGOに接近していったのかを、初めにお話ししておきたいと思います。ご承知のように、そのスタートは水俣病です。かなり熾烈な戦いでしたから、お互いは天敵同士というような関係でした。それが、国内では4大公害裁判を経て、企業の社会的責任というものが確立したのが非常に大きかったですね。その過程で様々な市民運動が被害者支援に回っていき、企業が社会的責任を自覚し始めたのです。国際社会の場では、1972年のストックホルム、1992年のリオデジャネイロ、2回の地球サミットの場で企業の社会的責任が問われ、強調されていきました。一方、これに先立つ1991年、経団連に地球環境憲章ができ、当時の平岩外四会長の「企業はモンスターではない。地域社会にとって友人でなくてはならない」というコーポレート・シチズンシップがはっきりと打ち出され、国民的合意が成立しました。この講座は、そんな時代の流れの中で誕生して、今回20周年に至ったというわけです。

市川市川水俣病の時代、経団連がNGOと付き合うことは考えられませんでした。それを思うと、企業とNGOがどのように協働しようかという講座が開かれていることは、私にとって感慨深いものです。そんなこのシンポジウムに来て改めて痛感するのは、環境問題というのはリーダーの力が大変重要だということです。その意味で思い出されるのは、原さんの今のお話にも登場した東京電力出身の平岩会長です。政府の環境基準より厳しい社内基準を作って、本当によく会社に目を向けていらっしゃいました。地球温暖化に直面している今の時代は、誰が加害者で誰が被害者か分からない、ワン・トゥ・ワンの犯人探しができる時代ではありません。1991年だったと思うのですが、イギリスのディッチリーで世界的問題に対する非公式なコンセンサスを作る会合があり、環境問題は政府間交渉だけに任せておいても解決できない、NGOや産業界の協力が必要だという結論に至りました。これが後に経団連の地球環境憲章に繋がるのですが、経団連は、企業とNGOの協働や社会貢献を推し進める調整をする総合団体にならなくてはいけないという方向になっていったのです。

藤井藤井図らずも、原さん、市川さんから水俣病の話が出ましたが、私は琵琶湖沿岸の守山で暮らしています。チッソの工場がある場所です。琵琶湖は1977年に大規模な赤潮が発生し、富栄養化が非常に大きな問題になりました。それまで、公害が起きると企業が悪いと言われてきましたが、この琵琶湖の問題は、飲み水が汚れるという意味では私たち住民は被害者ですが、私たち自身も汚しているという加害性を感じ、企業だけを追及しても問題は解決しないということを痛感しました。そこで草の根の運動を始めた私たちに興味を持って下さった経済人のお一人が、この損保ジャパン、当時は安田火災の後藤社長でした。トップが集まる朝食会でスピーチをさせて下さったり、私の講演に何度も何度も足を運んで下さいました。

関私ども損害保険会社の立場から見ると、「地球温暖化」という言葉はあまりしっくりこないというか、むしろ「気候変動リスク」という捉え方をしていまして、それも単なるリスクではなく、文字通り「危機」だと思います。私は、昨年ワルシャワで行われたCOP19に参加してきたのですが、長いCOPの歴史の中で初めて、企業が公式会議上での政策対話を主催して行いました。これは象徴的なことです。企業が議論の枠の中に入ったのです。今日は「20年」が一つのキーワードですが、環境問題の議論の中でNGOは20年前から大きなプレゼンスを示し、その役割を発揮してきました。20年前と今とを比べて非常に変わったのは、企業の役割ということだと思います。つまり、これから社会の大きな仕組みを変えていくためには、企業とNGOの協働が必要な状況になったということだと思います。

岡島岡島皆さん、ありがとうございます。先ほどのお話にもありましたが、環境問題を解決していく上で企業の中で強いリーダーシップが重要なんですが、実際には、企業の中で一生懸命やっていた担当者が人事異動で替わってしまうと、それまでのNGOとの関係が切れてしまったり、NGOの側では、スタッフの年齢が30歳40歳になるに従って、それぞれの生活のためにNGOを去っていったりするなどの問題が起こったりします。こうした中で、企業とNGOが、それぞれの論理を共有し、両者の協働が定着するためには、どうしたらいいと思いますか?

市川市川企業と大学とNGOを結ぶような社会システムが必要なんだと思います。先ほど関さんからCOP19のお話がありましたけど、最近は色々な国際会合が行われるんですが、最近は専門家が集まるだけで、一般の人がついていけなくなっています。国際的にも活躍できる若い人を作り、いい循環を起こすような、教育の役割があるんじゃないでしょうか。

原先ほどの基調講演で西岡先生が、「技術はある。社会システムを転換する覚悟と政策が必要だ」と仰っていましたが、この50年間、この国には覚悟と政策がずっとありませんでした。それはなぜでしょうか。そこに関わる人間が、自らは何であるのか、自分と企業を含め、社会を含め、その人個人の姿勢を含め、アイデンティティーを失っているからです。ですから今必要なことは、日本人とは何か、日本文化とは何か、企業の永続性とは何かという文化性というものを徹底的に学び、自覚することです。そこが無い限り、どんな政策を作ろうと、技術を作ろうと、あぶくのようなものになってしまうのではないでしょうか。

藤井藤井琵琶湖では、今年降雪があまりありませんでした。そのためこの春先はまた大変なことになるだろうと予想されているのですが、私たちが「琵琶機の深呼吸」と呼んでいる大きな水の循環が起きにくくなっているのです。今までもこういうことが何度も起きているんですが、琵琶湖の底で実際に何が起きているかを私たちは知ることができません。ただ漁師さん達が網を引き上げてみたら、エビがこんなに死んでいたというのを単発的に聞く程度で、湖底を調査するような技術が必要だとずっと考えています。そんな事態なのに、琵琶湖で何が起きているかということを、滋賀県の環境課の職員は、現場に出ることもなく、結果としてあまり分かっていません。市町村でも同様です。私たちは、毎日歩き回っていてよく分かっているので、行政に対して、とにかくNGOにインターンに来て欲しいということを言っています。市民参加という言葉がありますが、私たちが足りないと感じているのは、むしろ行政参加です。今の嘉田知事の前の時代には、20時間ずつ県の職員をNGO/NPOに派遣するという制度がありました。こういったNGOとともに現場を歩くということに、企業側からもぜひ参加が欲しいと私は思っています。私たちNGOは課題に対する専門性を持たない部分がたくさんありますので、ぜひ専門家をインターンに頂きたいということがあります。一方で危惧しているのは、先ほどから「技術はある」と言われていますが、町工場や中小企業がどんどん姿を消していっている社会状況の中で、本当にこの国に技術はあるのかということです。この点についても急がないと、目の前で技術を持っている人々の現場が壊れていっているので、何か仕組みが欲しいです。さらにもう一つ、琵琶湖の問題をきっかけに「世界湖沼会議」といものを産官学民の連携でやってきていますが、どんどん専門家集団になって、結局「学会」になってしまって、産官学民ではなくなってしまっている。本当の意味での産官学民で問題解決に当たれるためのプラットフオームを、何か作らなければならないと切実に願っています。

関経団連が、「企業とNPOのパートナーシップの進捗度合い」という定点観測のアンケートを実施しています。直近の数字だと50%を超え、着実に増えているということと、具体的な事例を見ても非常に多様化しているということを感じています。特に、社会貢献とは別に、例えば商品開発など企業の本業の中でNGOの力を借りて課題解決をしている事例も生まれていて、これは一つのポイントではないでしょうか。それから、企業とNGOというのは、生い立ちからしてそれぞれ違うものですから、お互いを理解するためには大変時間がかかります。最近少し面白い傾向だと思っているのは、いわゆる「プロボノ」です。企業人が NGOを支援する場合、実際に自分が持っているスキルを生かそうということですが、例えば、監査法人やコンサルティング会社が企画立案に携わったりだとか、私どもも震災復興の現場に行き、比較的得意な事務処理のスキルを提供して後方支援するというようなことを行いました。今後は、これを加速させるための何らかの仕組み作りが必要だと考えています。

岡島先ほど控え室では、NGOと企業が両方から講師を出して、講座のようなものを日常的に開くのはどうだろう?なんていう話も出ましたよね。

原例えば、どこかの大学で、大学とNGOと企業のプラットフオームを作るというようなことをやると、学生はどっと集まります。例えば、早稲田大学には平山郁夫さんが作った平山郁夫ボランティアセンターがあるのですが、ここに今3000人が登録しています。震災があった時も、この3000人がどっと東北に行くんですね。それ位みんなやる気があるんです。場面が与えられていないんです。その辺を、我々がもっと考えるべきなのではないでしょうか。

藤井藤井プラットフォームの中に、原さんや岡島さんのようなメディア出身者がいないことも問題だと思うんです。今メディアの質が下がっていて、地域課題を、深く、愛情を持って見る、継続して付き合う、離れていてもどうなっているかを聞く、そういう対応がとても薄くなっていることを感じています。このプラッフォーム作りの中で、メディアのありようをきっちりやっておかないといけないと思います。日々新聞を開いてみても、何と浅い論調か。これからどういう社会を作っていくかという中で、様々なセクターが動いている中でどう分析し、どういう方向に持っていくかを担う欠かせないセクターなので、メディアを育てるという意味でも、産官学民にメディアを加えて、「産官学民メディア」でなくてはいけないのではないかというのが、私の実感です。

岡島メディアっていうのは攻めるのは強いんですが、攻められると弱いんですよね(笑)。その辺、藤井さんのご指摘の通り頑張らないといけないですよね。

関メディアもそうですし、いわゆるマルチステークホルダーですよね。結局、これから社会の仕組みを大きく変えていかなければならないという時に、行政だけでも企業だけでもできないわけですから、そのプラットフオームはマルチセクターで考えていくことで、大きな効果を生むんだと思います。

岡島岡島アメリカのNGOは寄付だけもらって、後は自分たちでやるから結構だというスタイルなんです。ですから、企業とNGOが対等にやるということをアメリカのNGOに話すと、みんな驚くんです。そして、「それはいいことだ。一緒にやるなんてことは考えたこともない」と言うんです。ですから、こういうやり方っていうのは、日本的でいいことなんだと思います。それと、企業とNGOの担当者同士が友達になることもまた重要です。そうすると、企業とNGOが離れようがなくなって、部長が替わった時でも下とちゃんと繋がることができて、実は、トップのリーダーシップと同じくらいそれは重要なことなんです。今日は、全国どこにでもいくつでもプラットフォームづくりが重要だということを提言の一つにしたいのと同時に、NGOに関して言えば、NGOに営業ができる人がいれば、仕事はいくらでもあるんですね。NGOは残念ながらなかなか営業が得意でない。営業とは、相手の立場を分かるということですが、NGO側にも色々と勉強しなければいけないことがあるんですね。両方から講師を出して、今回のシンポジウムのようなことを色々とやってみたらどうか、という二点を今回のシンポジウムの提言にしたいと思います。皆さん、ありがとうございました。

閉会挨拶

岡田 康彦 氏公益社団法人日本環境教育フォーラム 会長
 

岡田 康彦 氏損保ジャパンと、私ども日本環境教育フォーラムで、市民のための環境公開講座を続けて参りまして、いつの間にか20年経ちました。「いつの間にか」と言いましたが、長く続けるのは大変なことでもありました。

20年続けてこられた原因を私なりに整理してみますと、一つは、やはり損保ジャパンと日本環境教育フォーラムの間の信頼関係のようなものが、これを支えてきました。二つ目は、何と言っても公開講座ですから、良い講師の先生がたに恵まれ、先生がたが快く引き受けてくれたことがあります。でも、本当に大切なのは何かというと、聞きにきてくれたお客様がいてくれたおかげです。そういう意味では、今日お集まり頂いた方々にこれからも支えて頂いて、また新年度も、「市民のための環境公開講座」に、引き続きご支援のほどをよろしくお願いいたします。

(終わり)

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン

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