講座レポート



パート3・第4回



水俣病50年から学ぶもの 〜水俣学への模索〜



2007年03月06日


原田 正純氏 【熊本学園大学 教授】


1956年5月1日、「水俣の漁村地区に原因不明の中枢神経疾患が多発している」という届けが水俣保健所に出されました。後に「水俣病発見の日」とされたのが、この日です。

有機水銀に汚染された魚貝類が原因となった水俣病、これが「公害の原点」と言われるのは何故でしょう。人類は水俣病発生以前から「○○中毒」というものを体験していますが、それらは大抵毒物を直接体内に摂ったことによるものであるのに対して、水俣病は環境汚染によって、しかもそれが食物連鎖を通して発生し、お腹の中の赤ちゃんにまで被害が及んだという点で人類史上初めてのケースでした。それが「公害の原点」たる所以です。だから水俣病が起こったのは不幸なことでしたが、起こってしまった以上は、私達は水俣病の教訓を大切にしていかなければならないのです。言葉は悪いかもしれませんが人類の貴重な世界遺産とも言えるものなのです。

教訓の1つとして指摘したいのが水俣病発生後の対応です。本来ならば、水俣病の原因が「魚貝類」だということが分かった時点で行政も企業も何らかのアクションを起こすべきでしたが、「魚貝類の中の何が原因が分からない」という事を理由に何もしようとせず、これが被害を拡大させてしまいました。これは本当におかしな話です。例えば仕出し弁当を食べて誰かが食中毒になった時、弁当の中のどのおかずが原因か分からないから取り敢えずその弁当は売り続ける…なんて事はあり得ません。結局そのために熊本大学が原因を探り出すための調査を続け、有機水銀が原因物質であることを突き止めるのに4年の歳月がかかってしまいました。その間に被害は最大限に拡大してしまったのです。

ところで私が学生の頃、衛生学では「毒は薄めれば毒でなくなる」と教わりました。だから海へ流す…という訳ですが、これはある面では事実です。しかしこの理屈は人間から見て都合のいい部分だけを捉えているとも言え、希釈すると同時に濃縮するという働きも自然界にはあったことが、水俣病の調査・研究をしていく過程で分かりました。プランクトンを底生動物ベントスが、それを小魚が食べ、それを大きな魚が食べ、それを人間が食べる…という連鎖の過程で、それぞれの体内に貯まった毒物を段々と濃くしていくのです。この地球上で人間が食物連鎖の頂点にいるのだとすれば、環境を汚すということは結果的には人間に辿り着くことを教えてくれたのも水俣病でした。

また更に調査を続けていったある日、生まれてから魚を全く食べていないのに水俣病に罹った子供と出会った事から、私は「胎児性水俣病」の可能性に気づきました。それまでの通説では、お母さんの胎盤は、お腹にいる赤ちゃんを守るために毒物を通さないとされてきました。しかし、有機水銀は胎盤を通り抜けて赤ちゃんの体に侵入してしまうのです。母親の子宮は、自分がやられても中の子供を守る事で子孫を維持してきたのですが、環境が汚れれば子宮も汚れてしまう…これは人類が持っている進化のプログラムを逆撫でするような大事件であり大発見でした。 そしてこの水俣病以降、国内ではサリドマイドやカネミ油症など同様の問題が続発し、世界各国でも類似の例がたくさん発生しています。だからこそ世界がこの水俣病に注目したのです。

私達に多くの事を教えてくれたそんなこの水俣病を、人類の宝としてもっともっと大切に注目していかなければいけません。しかし私達人間は、この50年間それを宝として大切に扱ってきたと言えるでしょうか。私はそれを訴えたいのです。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン)