講座レポート



パート1・第4回



食生活から考える



2006年09月05日


島村 菜津氏 【ノンフィクション作家】


私が「スローフードな人生!」という本を出版した2000年頃、日本では「スローフード」という言葉は、まだあまり普及していなかったのですが、その後1年位たった頃から「これは日本に必要なものではないのか」という声が主に地方から聞かれるようになりました。そもそも約10年前に私は「スローフード」という言葉を作った人達がイタリアにいると教えられました。それが「スローフード宣言」として世界に知られているものです。「私達は、家庭の中でまでもファーストフードを強いられるファーストライフという狂気に感染している。そのスピードという世界的狂気から我々を救う唯一の処方箋はスローフードな食卓。我々の革命はスローフードな食卓から始まる。」…これがその宣言文ですが、これを書いたご本人に会いたいと思い、私はイタリアへ行きました。

そこでお会いしたスローフード協会のカルロ・ペトリーニ会長は、「今世界中を味の均質化という大洪水が包み込もうとしいている」と説明をしてくれました。それはファーストフードの反対運動なのかと私が尋ねた所、「そういう運動は世界中にあるが、自分達のものはそれとは違う。世界中にある多様な味や食のスタイルの中に、ファーストフードが仮に残ることがあってもいい。」と言うのです。つまり味の多様性を求めることがその基本姿勢なのです。

そしてこのスローフード協会は、(1)質のよいものを作ってくれる小さな生産者を守る (2)子供たちを含めた消費者の味の教育を行なう (3)ほおっておけば消えそうな農水産物や味の伝統を守る …この三本を柱に活動をしています。

イタリアでは、30〜50km離れれば地域ごとの料理の味が違っていて、例えばパスタの名前も打ち方も変わります。それだけ多様な味が残っていることが、まず「観光大国」の由縁でもあるのです。観光で経済が大きく動くようなお国柄ですから、隣町と同じような味の料理では客が集まりません。最近は日本でも地域の郷土料理を見直す空気が出てきましたが、この動きがイタリアでは80年代半ばから始まりました。この土地でしか育たない品種や環境保全型の漁による食材に人々の目が向くようになり、昔の手打ちパスタを再現しようというような気運が高まったのです。

日本ではこうした地方主義が中々熟してこないのですが、今日お集まり頂いたような皆さんが物作りを頑張っている各地の人々と関係性をどう築いて行くかが、この「スローフード」という言葉が単なる流行語で終わるのかどうかの分かれ道だと思います。

これは食の専門家だけが関わればいいという事ではなく、三度三度食事をする私達全員が当事者です。先程のイタリアの考え方と比べると、日本では駅前ひとつとっても食のチェーン店やパチンコ店、サラ金などが軒を連ね、景観が隣町とどんどん同じようになっています。果たして私達は、子供達の感性を育てるような街作りをしていると言えるのでしょうか。どんなに食育を叫んでも、どれだけ味が分かる子供を育てても、それを作ってくれる人が絶滅してしまえば何の意味もありません。そうならない為には、ここ10〜20年が勝負だと私は思っています。私達の健康を守ってくれるような食の生産者達と一人一人が関係性を持ち、その価値を分かって買い支えていくような繋がりが必要とされているのではないでしょうか。

構成・文:宮崎伸勝/写真:黒須一彦(エコロジーオンライン)