加藤尚武氏
講師紹介
加藤 尚武氏
鳥取環境大学学長。
1937年東京生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。
山形大学講師、東北大学文学部助教授、千葉大学文学部教授、京都大学文学部教授を経て、現職。


1. 20世紀でものの見方がすっかり変わったという事例

<1>進歩から「成長の限界」への転換
人類の文化は無限に進歩しているという信念は、1970年代の「成長の限界」でまったく違った展望になってしまった。もはや地球生態系の外部はない。開いた宇宙から閉じた地球へ、われわれの空間は変わろうとしている。もはや無限の進歩はない。

<2>資本主義→社会主義ではなくて社会主義→資本主義
第二に、共産主義は資本主義の矛盾を克服する未来の社会体制だという見方が、1989年のゴルバチョフ政権による共産党解体ですっかり逆転することになった。失業率の増大、貧富差の拡大、経済の国際化、社会福祉の衰退という先進国の状況からすれば、マルクスの予言の的中を裏書きする出来事には事欠かないのに、もはや理想の未来像はない。

<3>ケネス・アローの「社会的厚生関数の一般可能性定理」(1954)
これこそが民主主義の最善の帰結だという投票方法は存在しない。一つの国家のなかで生活するひとが、二つのグループに分かれたとき、多数決制度のもとでは多数派が有利で少数派が不利になるので、地域紛争では、民主主義的な多数決原理が大量殺戮を引き起こす要因になっている。

<4>生命が聖域ではなくなった
1953年にワトソンとクリックがDNAの構造として「二重らせん」を発表したことで、生物のなかには、一般の元素とは違う特別な「生気」が存在するのではないかという「生気説」への期待は最終的に打ち砕かれてしまった。すべての生物は基本的に同じ元素の組み合わせでできているのである。生命技術の発展は当分のあいだ天井知らずである。

<5>自然そのものが歴史的なものとなった
年々歳々 花 相似たり、歳々年々 人 同じからず
自然は永遠に同じ状態を反復し、人事には同じ事が二度めぐってくることはない。自然は永遠であり、精神は歴史的である。自然は反復し、精神は発展する。――これが自然と歴史に関する最も基本的な観点だった。今は違う。宇宙が歴史的であり、地球が歴史的であり、地球のなかの生命が歴史的なのである。ジョージ・ガモフの「ビッグ・バン(Big Bang)理論」(1946頃)。

<6>人類は自然の同一性に侵入しはじめた
技術は原子の同一性を破壊し、遺伝子操作は遺伝子の同一性を破壊し、地球温暖化は地球の熱平衡システム(ガイア)の同一性を破壊し、臓器移植は個体の細胞レベルでの同一性を破壊する。自然に内蔵された自己同一性の回復システムを破壊することで現代技術は成り立っている。もはや永遠に反復・循環する自然はない。

<7>破壊された自然は必ず元通りになるという見通しがなりたたない
温暖化、森林減少、砂漠化、資源の枯渇、廃棄物の累積、生物種の人為的絶滅という環境問題は、地球の生態系の不可逆的な劣化の可能性を告げている。地球の生態系は本質的に歴史的だからである。



2. 東洋と西洋では自然観が違うという話は本当か
〜東洋思想の不二性(鈴木大拙1962年)より

<1>西洋人は物事を二分性で考える
西洋の人々は、物が二つ(ダイコトミイ)に分かれてからの世界に腰をすえて、それから物事を考える。東洋は大体これに反して一物のまだ二分しないところから、考えはじめる。

<2>二分法だと科学が発達する
科学が西洋に発達して異常な進歩をなしたにかかわらず、東洋は遅遅として、今でも大分まごまごした状態で停滞しがちである。その主なる原因は、自分にいわせると、西洋人の頭は二分性に根ざしているからなのだ。

<3>キリスト教は二分法なので喧嘩が絶えない
キリスト教には、二分性から来る短所が著しく見え、それが今後の人間生活の上に何らかの意味で欠点を生じ、世界文化の形成に、面白からぬ影響を及ぼすものと信ずる。キリスト教はこれを自覚して、包容性を涵養しなくてはならぬ。二分性から生ずる排他性・主我性などは、はなはだ好ましからざる性格である。二分性を超越して、しかもそれを包含することになれば話はわかるが、これがないと、喧嘩が絶えない。

<4>何もかも対立
西洋では・・・自分と汝、善と悪、罪人と聖者、黒と白、始めと終わり、生と死、地獄と極楽、運と不運、味方と敵、愛と憎しみ、その他、あらゆる方面に対立が可能になる。こんなあんばいにして、まず二つに分かれてくると、それから無限の分裂が可能になってくる。・・・二分性の論理はそういうことになるのが、常である。



3. 熊沢蕃山の思想

熊沢蕃山(1619〜1691)は次の問いを掲げている。
「山川は国の本なり。近年、山荒れ、川浅くなれり。これ国の大荒なり。昔よりかくのごとくなれば、乱世となり、百年も二百年も戦国にて人多く死し、その上、軍兵の扶持米難儀すれば、奢るべき力もなく、材木、薪をとること格別少なく、堂寺を作ることもならざる間に、山々もとのごとく茂り、川々深くなるといへり。乱世をまたず、政にて山茂り川深くなることあらんか。」(熊沢蕃山『大学或問』、日本思想体系、岩波書店、30巻、432頁)

「万物一体と言ひ、草木国土悉皆成仏と言うときは、同じ道理のように聞こえ候」という質問に、蕃山はこう答える。
「万物一体とは、天地万物みな大虚の一気より生じたるものなるゆえに、仁者は一木一草をも、その時なく、その理なくては切らず候。いわんや飛潜動走のもの[鳥獣虫魚]おや。草木にても強き日照りなどにぼむを見ては、我が心もしほるるごとし。雨露の恵みを得て青やかに栄えぬるのを見ては、我が心も喜ばし。これ万物一体のしるしなり。」
(熊沢蕃山『集義和書』、日本思想体系、岩波書店、30巻、13頁、日本の名著、中央公論社、11巻、180頁を参照)

「人は小体の天にして、天は大体の人」(同)。自然はマクロコスモス・大きな人間であり、人間はミクロコスモス・小さな自然である。
このようなマクロコスモスとミクロコスモスの対応・呼応という思想は、西洋ではパラケルスス(一四九三ー一五四一年)のものが有名であるが、ギリシャ末期からストア主義、ルネッサンスと系譜をたどってゲーテにまで至ることができる。



4. 心の内なる自然の生命  〜『若きヴェルテルの悩み』より

<1>自然の内部の、燃えたぎる聖なる生命
赤々とした夕映えのなかに無数の蚊の群が乱舞する頃、落日の最後のふるえるようなきらめきを受けて、甲虫が羽音高く草地から飛び立ってゆく頃、こうした周囲のざわめき、うごめきに誘われて、ぼくがふと地面に眼をやると、固い岩から養分を吸い取っている苔や、涸れた砂丘に生えている低い灌木が、自然の内部の、燃えたぎる聖なる生命を開示してくれたものだった。

<2>万物の生命がぼくの胸に
ぼくはそんなとき、こうしたものすべてをあたたかい胸に抱きしめ、溢れる充実感のうちに、自分が神になったように感じ、果てしのない世界の幾多の素晴らしい形姿が、万物に生命をあたえながら、ぼくの魂のなかでうごめいているのを覚えたものだった。

<3>人間、取るに足らない存在
さまざまな種類の生物が天と地のあいだにうごめき、ありとあらゆるものが多種多様な姿をとってこすみかの世を棲処とし、そして人間も小さな家のなかに寄り集って、巣をつくり、自分なりにこの広大な世界を支配したつもりでいる。愚かな人間よ、おまえがすべてのものを軽蔑するのは、自分自身が取るに足らない存在だからではないか。

<4>無限者の泡立つ盃
無限者の泡立つ盃からあの横溢する生命の歓喜を飲み、御みずからのなかで御みずからを通して万象を生み出すあの方の至福を、ほんの一滴でも、ほんの一瞬でも、ぼくの胸の限られた力を尽して味わいたいと、何度思ったことだろうか。

<5>暗黒の墓穴
しかし同時に、現在のぼくをつつんでいる不安にみちた状態が、いま一層強く感じられてくるのだ。果てしない生の舞台は、いまや永遠に閉じることのない暗黒の墓穴と化してしまった。

<6>すべてのものは移ろいゆき、すべてのものは稲妻のごとく流れ去り、存在するものの力がすべてそのままの姿で持続することは稀にしかなく、それは、ああ、流れにさらわれ、水中に没し、岩に当って砕けちってしまうではないか。

<7>生は殺し合い
きみが破壊者にならないですむような時も一瞬とてない。何気ない散策でさえ、無数の虫の生命をあわれにも奪ってしまう。たった一歩踏み出しただけで、蟻が孜々として築いてきた家は打ち砕かれ、ささやかな世界は踏みつぶされて、残酷な墓場と化してしまう。

<8>永遠に呑みつづけ、永遠に反芻する途轍もない怪物
森羅万象のなかに潜むこうした破砕力こそ、ぼくの心を深くえぐってやまぬ。そう思うと、ぼくは不安のあまりめまいがしてくる。天と地と、それらが織りなすもろもろの力がぼくをつつんでいることは知っている。でもぼくの眼に映じるのは、永遠に呑みつづけ、永遠に反芻する途轍もない怪物の姿だけなのだ。
〔『若きヴェルテルの悩み』第1部1771年8月18日〕



5.「遍在型」の情報化(ubiquitous computing)と完全循環経済

「遍在型」の情報化(ubiquitous computing)とは、 ゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)が提案した未来像。

家庭電化製品、自動車、事務機などの単一の機器のなかに内蔵されているコンピュータが自動制御を支えている。さらにそういう内蔵コンピュータ同士のコードレスの相互通信が行われる。湯沸かしとエアコンが連動する。

「遍在型」の情報化(ubiquitous computing)プラスアルファ
  タグ付け
  ITS(自動徴収システム)
  POS(バーコード:物流システム)
  GPS(全地球位置把握システム)

【補完的循環経済】
  生産・供給・流通という動脈の流れと、回収・再利用化・廃棄という静脈の流れとが、別々の企業体によって維持され、全体として補完的な構造になっている。

      3R(reduce,reuse,recycle)

      包装容器リサイクル法(平成12年4月)
      家電リサイクル法(平成13年4月)
      建設資材リサイクル法(平成14年春)
      食品リサイクル法(平成14年春)

      グリーン購入法(平成13年4月)

【完全循環経済】
  生産・供給者は、流通と消費の過程を経てきた、生産物を回収し、再利用化・廃棄する責任を負う。動脈の流れと静脈の流れとが、同一の企業体によって維持され、個別的な製品として循環的な構造になっている。

      拡大された製造者責任
      すべての物流の情報管理
      循環経済と情報社会の結合

【経過消滅的】
1、貨幣は受け取ったとたんに元の所有主はわからなくなる。占有が所有の証拠となる。ゆえに盗んだ貨幣でも使える。
2、廃棄物は、経過が消滅するために不法投棄が可能になる。産業廃棄物を引き取る、二次業者、三次業者が存在し、その最後の形態は国際的な不法投棄となる。
3、血液は、集められて、混合されて、血液製剤となる。混合された瞬間から、経過が消滅する。
4、食肉廃棄物は、集められて、混合されて、肉骨粉となる。混合された瞬間から、経過が消滅する。

【経過保存的】
1、電子マネーやクレジット・カードはすべての出納が記録されるように設計する。それを譲渡した場合にも経過が保存されるようにする。マネー・ロンダリングが不可能になる。不正な収入はすべて使えなくなる。
2、すべての自動車部品、家庭電化製品などに製品番号が付され、譲渡経路も記載されているとすると路上に捨てられたテレビでも、投棄した犯人が突き止められる。すべて廃棄物に第一次排出者の記録が残され、不法投棄の責任が問われる。(アナウンス方式)
3、細胞培養に用いられる人体組織には、すべての経過が記載されたカードがふされている。死亡原因、家族歴など記載された内容が豊かで正確であればあるほど科学的な価値が高い。
4、食肉廃棄物は、集められて、混合される前に、狂牛病の病歴についてチェックされる。肉骨粉となっても、素材となったもののが追跡可能であるから、危険な素材が発見されたら、それを含む製品だけを廃棄すればいい。



6. 21世紀に「自然」というコンセプトは消滅する

【生命領域の安全性】
生命領域の安全性概念は文化史的にいうととても若い。
パスツールやコッホが「細菌」という病原体概念を確立したのが19世紀の末である。同時にウイルスも発見されているが、その医学研究は20世紀後半。エイズ・ウイルスの発見が、1983年。最初の狂牛病の報告が1986年。シーア・コルホーンが『奪われし未来』を書いて、内分泌攪乱物質についての警告を放ったのが、1996年。細菌の発見から、100年ほどの内に、まったく新しい生命への危険の形が発見され続けている。

【バイオインフォマティクス】
1.ショットガン法
ゲノムを超音波などを用いて無数の小さな断片に切断し、それらの塩基配列を片っ端から決定した後、コンピュータの中で数多くの配列から同様の配列を持つ断片を選び出してつなげていく。
2.クローニング法
DNAの特定の4〜8塩基からなる配列パターンを認識し、その部分を選択して切断、酵母に導入、培養させる。それを大腸菌に導入して数千から一万塩基程度のDNA断片とて、塩基配列を決定。
3.ホモロジー検索
二種類の塩基配列のホモロジー探索の結果を、各々縦軸と横軸に分けて二次元で表示し、一致した所をプロットすることによって可視的に相同性が認識できる。
4.アノテーション
このホモロジー探索で遺伝子配列を既知の遺伝子配列と比較することによって類似性があれば未知の遺伝子に既に明らかな意味付けをする。
5.データベースから始まる新しい遺伝子の発見
遺伝子配列データベースとしてGenBank(米国)、EMBL(英国)、DDBJ(日本)があり、さらにタンパク配列データベースとしてSwissProtやPIR、タンパク質立体構造データベースにはPDB 等がある。
6.遺伝子の機能予測
7.タンパク質の立体構造予測

【バイオインフォマティクス  in vivo in vitro in silico】
バイオインフォマティックスとナノテクノロジーが、原子レベルからのシュミレーションによって、ブラックボックスのない理論(分子モデル)とブラックボックスを含む実験との結合を果たす。

【生命はもはや自然ではない】
有機体:1、部分では独立できない全体的なもの、2、技術的には操作できない自然的なもの、3、再生・再現ができない一回的なもの私と同じ遺伝子をもつ細胞が培養されて、特定の臓器だけが、再生される。



7. 第7話 自然、生命、野生

【お釈迦様でもご存じない】
臓器移植、遺伝子治療、遺伝子操作、細胞工学、バイオインフォマティクス、体外受精、クローンのような新しい技術には、倫理や哲学の古典をいくら読んでも前例がない。定説がまだない。過去の言説や伝統にいくら問いかけても、答があるはずがない。歌舞伎の台詞を使えば「お釈迦様でもご存じない」。価値観については長い時代のふるいに掛けられて生き残ったものがすぐれているという「伝統主義」がなりたたない。

環境教育の第一の原則は、「自分たちのの環境の変化を的確に知るために、身の回りの生活圏にいる生物の分類名を知り、観測しなければならない」。子どもたちが、「草」とか、「雑草」とかの言葉を使わないで、ヘラオオバコとか、ノウルシとか言うようになれば、日本人の植物にかかわる文化が目に見えて向上すると思う。

環境教育の第二の原則は、「どのような生物種も絶滅の危険にさらしてはならない」。個体としての生物を「殺すな」というのではない。「種」という集団を絶滅させてはいけないという基本のルールを学ばせなくてはならない。「一木一草、一虫一鳥も殺すべからず」という方針を掲げることは、生物の保護には役立たない。

環境教育の第三の原則は「絶滅のおそれがない限りは、生物を採集したり、標本化したり、利用すべきだ」。さまざまの生物は相互の依存関係の中で生きている。この依存関係を知るということが、生態系を知るということである。依存関係というのは、違った種類の生物が相互に協力し合って生存条件を作っている場合もあるが、食物連鎖のことを考えればすぐ分かるように、ありていに言えば、「生かし合いは殺し合い」ということである。殺すことの訓練も環境教育には含まれる。標本を作るということは、生物を殺して、観察するということである。どんな生物にも驚くほどたくさんの情報が含まれている。

<環境教育の3つの禁則>
1.(ラディカリズム)特殊な自然主義的な生き方を押しつけてはならない偏見、間違った判断と呼ばれるものの根拠や理由を理解する。菜食主義、毛皮反対、動物実験反対、開発反対、ディープエコロジー、相対主義
2.(日常主義)日常的な経験に還元してはならない。すべてが日常的な経験だけで判断がつくと教えてはならない。
3.(ロマン主義)自然物を「おともだち」として扱うという擬人法的な自然保護であってはならない。「おとぎ話」ではなくて、現実的な意味をもつことを教える。
しかし、ロマンティックな擬人法についての文学的理解を拒否すべきではない。

【センス・オブ・ワンダー】
妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮に保ち続けるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、少なくともひとり、そばにいる必要があります。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。
たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。



8. まとめ

1.自然そのものが歴史的なものとなった。
2.破壊された自然は必ず元通りになるとはかぎらない。
3.東洋と西洋では自然観が違うという話はマユツバもの。
4.ユビキタス情報化(ubiquitous computing)で完全循環経済。
5.経過消滅型文化から経過保存型文化へ。
6.生命はもはや自然ではない。
7.お釈迦様でもご存じない。
8.センス・オブ・ワンダー。

 
「インターネット市民講座」の著作権は、各講師、(社)日本環境教育フォーラム、(財)損保ジャパン環境財団および(株)損保ジャパンに帰属しています。講義内容を転載される場合には事前にご連絡ください。
All rights reserved.