講師紹介
竹田津 実氏
昭和12年大分県生まれ。昭和38年岐阜大学農学部獣医学科卒業。北海道小清水町農協家畜診療所に勤務。昭和45年から同所長。現在はフリーの写真家、エッセイスト。
1. 自然界からの警告
私は、北海道東部の小清水町で35年にわたり馬や乳牛を中心に臨床獣医をしていた。獣医といっても野生動物も相手にしなくてはならない。野生動物は法律的には無主物なので、誰のものでもなければ捕獲して食べても良いと解釈されると困るので、国は何種類かの法律を組み合わせて、野生動物は捕獲したり食べてはいけないという法律をつくった。これが、我々の診療現場ではいろいろな問題を生み出す。獣医が野生動物を治療したりリハビリのために飼育しても法律違反になるのだ。また野生動物は、誰のものでもないために、誰もお金を払わない。だから、誰かが「助けてあげてください」と怪我をした野生動物をうちの玄関前に持ってこられると、私は半分逃げ出したくなる。しかたなく「なんとかしましょう」と引き取ると、持ってきた人は、自分はなんていいことをしたんだろうと、嬉しそうな顔をする。しかし、その瞬間から我が家では地獄が始まるのだ。
またこれはいわば獣医の宿命でもあるのだが、動物を治療しても誰からも感謝をされない。獣医は動物のために治療するのだが、当の動物たちにとっては、いじめられること以外にない。だから、彼らはチャンスがあれば僕を蹴飛ばそうとしたり、噛み付こうとする。せっかく治してあげた動物に噛まれたり、蹴られたり、まるで割りに合わない。しかし、このように彼らと接していて、彼らが「何かを告げようとしている」ということがだんだんわかってきた。彼らが僕たちに伝えたい一番大きなことは、いわゆる環境というものについての警告だと思う。怪我をしたスズメを預かる。治ったら野外に返すのでスズメに与える餌は自然界にいる昆虫だ。昆虫を探さなくてはならない。カワセミがくると、川に行って魚をとってこなくてはならない。そうしているとき、ふと気がついた。彼らに食べさせる虫がいないのだ。北海道は自然が豊かだと思われるかもしれないが、虫がいないというのも事実だ。なぜいないのか。虫がいない理由を探してみる。魚がいない理由を考えてみる。川のなかにコケがない。なぜ、コケがないのか、考える。そういうことを考えさせるということを彼らは警告するために僕たちの前に現われるのではないか。今の自然の状況を私たちに伝えようとしているのではないか。
2. 自然の生産者から破壊者へ
その警告の顕著な例が農薬中毒になった野生動物だ。農薬中毒は、体重が少ない野生動物にとってはかなり大きなダメージとなる。私は農民たちとも野生動物のことや農薬のことを話題にする。しかし農村で農薬問題を論じることは難しい。都会では、気軽に農薬は何とかしなくてはならないと話すだろうが、農村でそんな話をしたらたちまち攻撃を受ける。今の農業では、あらゆる面で農薬がなければ成り立たないシステムができあがっている。そんな中で農薬を減らすことは空論にすぎないのだ。
そうした農民とのやりとりのなかで、私は「日本の環境問題は、とても不思議な世界に入り込んでいる」ということに気がついた。自然に対する見方は人それぞれ違うだろうが、日本人はすぐに心情的に自然を見てしまう。じつは農業は、きちんと行えば環境保全になる。農業に従事している人は、環境創生者とも環境生産者ともいえるだろう。農業は「自然の生産者」なのだ。農業だけでなく漁業や林業など第一次産業全てにいえる。では、農村側から見た「自然の消費者」とは、自然保護団体や山の好きな人、自然大好きの人たちだ。山に行く人は、自然に対して何も生産しないだろう。山にいってゴミや糞尿を残していくだけだ。そしてトータル的にいうと日本では自然の生産者が非常に少なく、消費者が圧倒的に多いということだ。私は自然の消費者を否定するつもりはない。そういう人がたくさんいて、自然に対するイメージをたくさん持ってもらえればそれでいい。ただし、多くの人が「自然の消費者」になって生産者がどんどん減っていくという今の状況は、バランス的に見てまずいのではないかということだ。
しかもそのような「自然の生産者」である第一次産業は、約30年位前から急速に妙な方向に向かっている。つまり、農業が必ずしも自然の生産者ではなく、逆に自然の消費者、あるいは自然破壊者という部分も生み出しているということだ。
3. 減農薬農業への道のり
小清水町の農地面積は、約1万ha。農家は約450戸。北海道の大地はいかにも豊かなように見えるが、じつは土壌中の生物層が貧弱になってきたことがわかった。理由の一つは単位面積あたりにまく農薬の量だ。日本における農薬施肥は、単位面積あたり世界一である。第2位はEU、アメリカは第3位。しかもEUと日本の差は、じつに6倍。当然のことながらこのことは深刻な問題を引き起こす。その典型的な現象が土が貧乏になっていくことだ。また、全国各地にある汽水湖の汚染の第1位が北海道の風連湖、第3位が網走湖だ。元凶を詳細に調べると農薬が理由に挙げられた。
小清水農協に青年部があり、今から15年ほど前に農薬1%減運動を始めた。毎年1%ずつ減らそうというものだったが、大失敗した。農民は不安なので病気が表れてもそうでなくて農薬をまくことで安心するのだ。行政がそう指導しているシステムがしっかり構築されている。したがって農薬は絶対に減らない。しかもどこかで何かの病気がはやったりすると被害が出てないにもかかわらず不安解消のためにさらに多くの量を施肥する。
汽水湖や川を汚しているもう一つの元凶は、廃棄物だ。農村ではあらゆるものが産業廃棄物になりつつある。大量に生産した農産物の不要部分は廃棄物となって捨てられる。農業からでる副産物は土に返すことになっているから廃棄物とみなされず、生産材だと位置づけされている。だから、家畜の糞尿もでんぷんを取り出した後のじゃがいもも規制なしで捨てられる。面積が広いだけにその量も莫大だ。
このような状況をみて、私たちは考えた。農薬を減らしてでも成り立つ農業があるはずではないか。産業廃棄物になりつつあるものを再度利用することはできないか。糞尿を早く利用しやすい形態にするシステムがないか。土が豊かになり丈夫になれば農薬は必要ないだろう。これを最終目的に、取り組んでみようと考えた。
さまざまな手法を勉強し試行錯誤したが、良いものはお金がかかったり、管理が難しいかったりして、なかなかこの地に合うものがなかった。そのような中で、13年前に内水護先生が提唱されていた自然浄化理論にであった。ヘンリー・D・ソローが唱えた「池のなかにシカが落ちて死んだとしても池の水は腐らない。長いあいだ住みついている菌がゆっくり時間をかけて分解していくからだ。自然のなかにはもともとそういう力がある」そういう理論だ。自然界にある菌は悪い方向には機能していない。あらゆるバクテリアは自然にとってプラスに働いている。ところが、人口環境下におくと同じ菌でもマイナスに働くようになる。いわゆる腐敗型のタイプだ。では、人口的環境下にいる菌を自然界にいる菌のような仕事ができるよう誘導してはどうか、と考えた内水博士はシステムを作り上げた。彼はいち早くきれいにする廃水技術として研究されていたので、わたしたちはこの「捨てる技術」をいかに「使う技術」にできるか、「内水理論の変法」とした。僕たちはそれを応用し、有機農業に生かそうとした。
小清水町では農家一戸あたりの耕地面積が平均22haと規模が大きいので、大型の機械でできるシステムにしなくてはならない。外部から「牛の尿」の形で菌をもってきた。廃棄物を生かして生産に循環させるシステムをつくるためにも、最初は外部から多くの土壌菌群を持ち込む必要があった。それほど土地の土は疲弊していた。必要なシステムは農家や形態によって異なるので、各農家に培養してもらうことにした。また小清水町には牛は5000頭しかいないので、牛からの糞尿だけでは培養しきれないために、じゃがいものでんぷんの廃液を流用した。牛の尿とあわせて4000〜4200haの処理が可能となり、これを農地に返していく。現在、この運動に参加している農家は300戸。耕地面積、参加農家ともに4割を越えるところまで広がってきた。僕は、最終的には、人糞まで組みいれて、町からは一滴の廃水も出さず、出てくるものすべてを土地に返すようなシステムにしたいと考えている。
4. さいごに
山が好き、鳥が好きという人たちは、是非おいしいものを食べてほしい。なぜおいしいものを食べてほしいのかというと、土が豊かでないとおいしいものはできないからだ。我々農村では、去年より今年はさらに進歩しようと思って農業を行っている。しかし、最終的に農作物の評価を下すのはその作物を買う都市の消費者である。農村がいかに元気をだして一生懸命おいしい作物をつくれるかどうかは、都市の消費者の評価にかかっている。何の反応もないと、農民はすぐ手を抜いてしまう。都市の人たちは農村に対して常にメッセージを送ってほしい。「この野菜はおいしかった」、「おいしくなった」、そういう声はじつは農民にとって最大の応援歌になるのだ。
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