講師紹介

矢口 芳生 氏

東京農工大学大学院助教授。昭和27年生まれ。
東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。昭和56年より国立国会図書館調査及び立法考査局勤務。平成10年より現職。

1. 世界は養えるか

<1>「地球号」は破局へ向かうか
世界は養えるのかどうか、各種研究機関による世界の穀物需要に関する将来予測から見てみよう。
1988/90年における世界の穀物需要は、17億2100万トンであった。
ワールドウォッチ研究所によれば、2030年に必要な穀物は、26億7500万トンとされている。

資料: 食料・農業・農村基本問題調査会、食料部会資料 1977年2月による

図1には示していないが、国際稲作研究所の予測では、コメの需要は2025年には、1990年の1.7倍の量が必要と予測されている。
90年のコメの需要は約4億540万トンであるから、6億8610万トンが必要になるということである。

各種研究機関で行った穀物需要の将来予測によると、現在と比較して相当量増加しなくては需要に対応できない。
人口や環境問題も加味すると、これらの予測報告から以下の4点が見えてくる。
@ 人口は2030年頃には現在の1.5倍、約85億人に達する。
A 食糧生産が人口増加に追いつけない可能性がある。とりわけ発展途上国の状況がより深刻になりうる。
B したがってこのような問題を解決するためには、発展途上国では特に女性の地位向上、人権教育を徹底し、人口増加の抑制を図る必要がある。
また貧困の克服も重要な課題である。
C 世界各国に共通して言えることは、一定程度の食糧自給力を維持し、また、現在の環境破壊的な農業から、環境保全的な持続可能な農業に転換を図ることが必要である。
また先進国は、途上国に対して食糧増産のための研究や投資、援助を行うことが必要である。

<2>最低安全水準ぎりぎりの穀物在庫
では、食糧増産しなければならないという需要の将来予測の背景となっている現在の穀物の在庫はどのような状況であるか。

1998/99年度の穀物在庫率(消費量に対する在庫の比率)は、前年度に比べると若干ではあるが在庫率は上昇している。
じつは、FAO(国連食糧農業機関)は食糧危機が起きないように、穀物在庫の最低安全水準を示した数字がある。

【最低安全水準】
全穀物 17〜18%
小麦 25〜26%
飼料穀物 15%
コメ 14〜15%
大豆 15〜20%
(この数値は、日本の貿易関係者の目安)

なぜFAOは最低安全水準を示したのか。
1973〜74年に、穀物在庫が安全水準を大幅に下回る状況が起きた。
もともと在庫が少なかったことに加え、気象変動によりソ連では穀物生産が不作になった。
ソ連では肉の消費が増大しさらに穀物在庫に影響を及ぼした。
そこでアメリカからソ連へ一気に穀物が輸出され、世界の穀物価格が高騰したのである。
結局、当時の世界の穀物事情は、奈落のどん底に陥れられた状況を呈した。
わずか3カ月ではあったが、アメリカが大豆の輸出禁止を行ったために、我が国はヨーロッパと共に大豆の高騰(3倍の価格)を被った。
いわゆる「食糧危機」である。
そこで、FAOは二度とこのようなパニックが起きないために、穀物在庫に関する「最低安全水準」という目安をつくったのである。
現在もこの水準を目安にして、国際的に穀物在庫について論議が行われている。
世界の食糧問題は、およそ10年毎のサイクルで繰り返される農業危機と食糧危機によってもたらされている。
現在、食糧問題は、価格が低迷してだぶついているように見えるが、実際には在庫量はぎりぎりの状態である。
在庫量に対して、たえず注意深く監視していなくてはならないのである。
では、このように食糧需給を不安定にしている要因とはいったい何か。





2.食糧需給を不安定にする要因は何か

<1>需要側からみた不安定要因
最大の要因は人口である。

世界主要地域別将来人口推計によると、世界人口は、

1950年 :25億人
1999年10月末 :60億人
人口はこの50年間に2.4倍に増えた。
この趨勢を前提に予測すると、2025年には約85億人になるといわれている。
計算予測によると2050年には、100億人を超えるという。
最近は修正されて80億人とも82億人とも予測されているが、いずれにしても想像しがたい数である。
問題なのは、人口増加する国の経済成長である。
経済成長により人々は肉をたくさん食べるようになる。
したがって、肉を生産するための飼料穀物も必要になる。
人口爆発は、穀物生産にとっては非常に深刻な問題を引き起こす要因である。
70〜72年を100としたときの、92〜94年水準の一人当たりの肉消費量を計算すると、世界全体で(70〜72年よりも)約1.25倍に増加している。
注意すべきは、先進国では1.14倍であるのが、発展途上国での肉消費量がこの20年間に飛躍的に延び、1.9倍の増加である。
アジア全体でみると2.5倍の増加、中国では、3.5倍消費している。
さらに、畜産物1キロ生産するのに必要な穀類は、
牛肉 :10〜11キロ
ブタ :7キロ
:4キロ
:3キロ
家畜生産のために必要な飼料穀物は膨大なのである。

さらに、開発途上国では「栄養不足人口」も重要な問題である。
開発途上国が今後ますます経済成長著しいと予測されても、現実には依然として「飢餓人口」が存在する。
1990〜92年状況では、世界全体で8億4000万人の人々が飢餓に陥っている。
徐々に減少の傾向ではあるが、2010年でも6億8000万人の人々が飢餓であろうという推計データがある。
特に人口増加が著しいサハラ以南のアフリカは将来にわたっても飢餓人口が増大するであろうということ。
人口増加に食糧増産が追いつかないため、結果として人口増加の危機に加え食糧危機が予測されるのである。
栄養不足の人々は、食糧増産の術を持たないし、世界に食糧があっても貧困のために食糧にアクセスできない。
これは忘れてならない現実である。

表2 【主要穀物生産国における将来穀物予測】

将来(2030年)、穀物生産と消費の収支により不足が予測されている国々。

中国 :2億1600万トン
インド :4500万トン
旧ソ連 :2500万トン
インドネシア :1200万トン

中国は1992年2月に人口が12億人に達している。
1995年の世界人口は約57億人であるから、中国は一国で世界人口の21%を占めていることになる。
しかも中国は経済成長が著しい。
まだ未開拓地があるといっても、農業基盤等のインフラ整備をしなければ食糧増産は可能ではない。
増産態勢が整わないまま人口増加が続けば、当然食糧不足は自明である。
これは極めて深刻な問題である。
中国はWTO(世界貿易機関)に加盟したい意向を示しており、加盟により市場開放が進む。
おそらく、アメリカから相当量の穀物を輸入しないと、家畜生産ができないであろう。
国内食糧生産の状況は、1970年代のソ連が自国で肉の供給が立ち行かなくなったときの状況に非常によく似ている。
中国政府は、「中国の食糧は中国が養う」と言ってはいるが、現実的には水不足、耕地不足などの環境を見れば政府が言っているようにうまくいくのかどうか、判断のつきにくい状況であろう。

この将来穀物予測でプラス収支になるアメリカにしても、プラス収支で供給できる穀物は8200万トンである。
中国で予測される不足量は、2億1600万トン。
現在、世界の貿易市場に出ている穀物総量は約2億トンしかない。
世界全体で2億トンしかないうち、中国1国だけで2億1600万トンも不足するということである。
世界の貿易量を1国だけではるかに超えてしまうという「不足量」なのである。
現在と2030年という時間のずれはあるが、どのくらい大変な量であるかは理解いただけるであろう。

【世界の穀物貿易量に占めるアジア地域の輸入量の割合】(単位:千t %)

(単位:千t %)
1992/93年度 1995/96年度
世界合計 アジア地域 世界合計 アジア地域
219,300 73,400(33%) 200,300 85,360(43%)

95/96年度では、アジア地域が占める輸入割合が40%超えるということで、いかにアジア地域が世界の貿易市場に重要な影響を与え始めているかということが分かる。
世界の穀物生産量17億トンのうち、市場に出ている量は2億トンである。
わずか12%しか世界市場にでていない。
しかも、例えばこの中で市場に出るコメは5%足らずであるから、どこかの国で不作などが生じようものなら、世界の食糧はパニックに陥るということが予測されるのである。
世界の穀物生産量のうちわずか12%しか市場に出ていないなかで、アジアがこれだけ貿易に依存しているという現実は、アジアは非常に不安定な状況におかれているということを示している。

<2>供給側からみた不安定要因
大きな要因は、地球環境問題である。
農林水産業は、地球の大部分の面的部分を利用する産業である。
したがって環境にも影響を与える。
農業は、その生産手段が水や土地などを利用するため、生産過程のなかで常に環境負荷を処理しなくては生産の持続性が保てない産業である。
つまり、環境負荷許容量を超えるような生産が続くと、その後の生産の持続性が保証できないという産業である。

【例/ 砂漠化】
砂漠化は、農地がどんどん減少していく現象である。
UNEP(国連環境計画)の1991年の報告では、乾燥地域で行われている灌漑農業のうち、毎年100〜130万haが砂漠化しているという。
また、天水を利用している降雨依存地域でも毎年350〜400万haが砂漠化している。
(広さの目安:岐阜県面積100万ha、九州地方面積350万ha)
農地面積を拡大する以上に、砂漠化によって失う農地面積のほうが多いのである。
このまま砂漠化が進むということは、農業生産の基盤そのものを失うことになりかねない。
砂漠化の原因はさまざまにあるが、いずれにしても国境をこえる環境問題であるので発展途上国、先進国共に考えなくてはならない深刻な問題なのある。

【例/ 地球温暖化】
国立環境研究所と名古屋大学との共同研究によると、2100年には、気温は2.5℃上昇すると予測されている。
これによって、

冬小麦 :インドでは55%が減産
:中国15%減産
トウモロコシ :中国40%減産
温暖化によって今までの農業生産適地が不適地になり、逆に不適地が適地にかわる。
相殺関係で計算しなおすと結果的には農業生産量としてはおそらく減産に向かうであろうという予測が出されている。

WTO(世界貿易機関)の基本理念は、経済合理性である。
したがって、現在の農業生産は、環境負荷許容量を超える形での合理性が一般的。
輸出国では生産基盤を酷使し、生産過剰になっている。
途上国では、過放牧により、根こそぎ草を食べさせている。
環境許容量を超えることを前提にした農業生産を行なっており、それをまた前提にしているのが、WTOの基本理念なのである。

しかし本来の食糧の価値とは、もちろん安さという観点も重要ではあるが、同時に、安全性や環境保全という価値も重要であるはずである。
それらを総合的に価値判断して、食糧貿易が行われることが本筋ではないのだろうか。
地球規模での農業生産の持続性を真剣に考えれば、各地域で行われている農業が、そこの「環境許容量を超えない形で生産された生産物のみを貿易の対象にする」というくらいの貿易原則にするのが本当であって、安ければすべて国境を越えて流通するのだと考えるWTOの枠組みというのは、やはり食糧の場合には、経済合理性のみに偏った公正ではない枠組みではないかと私は考える。

それは単に環境許容量を超えている生産が食糧ないし環境に良くないということだけではない。
供給側にとって都合のよい規律が大手を振って存在しているということなのである。
WTOの協定第12条には、

「輸出国は、輸入国に対して、輸出義務をもたない。
ところが輸入国は、輸入義務がある。」 という内容が盛り込まれている。

国際条項として、本来双務的であるべきにもかかわらず、この第12条は、実に片務的な内容となっている。

【アメリカの農業の地位(1994年FAO資料)】

農業生産は多くの国で行われているが、世界の穀物市場の観点でみるとアメリカは非常に大きな割合で世界の穀物市場を握っていることが分かる。
典型的な穀物は、とうもろこしと大豆である。

◆とうもろこし
アメリカは、世界の生産国の中で45%を占め、輸出市場では、56.2%をアメリカ1国が占めている。
もし、輸出最大手国であるアメリカが何らかの原因で生産量が不足すれば、アメリカはWTO第12条によって輸出義務を持たないわけであるので、自国保護のため輸出禁止の措置をとっても構わない。
とうもろこしは、世界市場に出ている量が世界生産合計のわずか11.2%なので、アメリカが輸出しなければ、世界市場はパニックになるであろう。
◆大豆
とうもろこしと同様に、生産量、輸出量ともにアメリカが主要を占めている。
世界の穀物市場はアメリカ一国に依存しているのが現状なのである。

食糧は人間の生存に深く関わっている。
食糧資源を持つ国(輸出国)と持たない国(輸入国)という分業体制が恒常化すればするほど、食糧調達をめぐって輸入国は輸出国に依存せざるを得なくなる。
つまり、ここに食糧戦略物資としての背景がみえてくる。
持っている者はたえず持っていて、無い者はたえず無い、という図式が恒常化する。
これが一番危険なのである。
日本だけでなく、世界全体がアメリカやカナダ等の大農業国に依存している。
その大農業国が必ずしも環境に配慮した農業を行っているわけではない。
そのことが、はたして農業生産の持続性という点から考えたときに、供給上の問題として安心していられる状況なのかどうか。
しかもそれを制度として認めているのがWTOの第12条なのである。

バイオテクノロジーについても、かつての「緑の革命」にかわる新しい農業技術として脚光を浴びている。
しかし、これらの最新技術が、本当に人々の利益に合致するものであるかどうは、考え直さなければならないだろう。
短期的には、確かに病害虫などへの抵抗力、栄養価の向上、増収など利点も多い。
しかし、長期的にはこれらについて、また安全性について何ら保証はないのである。





3.起りうる食糧危機と環境悪化を防ぐために

<1>食糧危機の5つのケース
以上見てきたように、世界全体としては穀物が不足しているわけではないが、将来的には不安定な要因を抱えている。
すなわち、需要側の要因としては、人口の増大、経済成長に伴う食の高度化=穀物需要の増大などがどの程度になるか不透明である。
また、供給側の要因としては、地球環境問題、農地減少、食糧が政治的に利用される不安、技術の未開発・不安などが存在する。
このような不安定要因が顕在化すると、食糧危機が起こりうる。食糧危機は5つのケースが考えられる。

@マルサス的危機… 世界の食糧生産が人口増加に追いつかないために生じる
A政治的危機… 輸出国の政治戦略の一環として食糧の輸出が禁止ないし制限される
B循環的危機… 天候の循環的変動で世界的な不作を生じ、食糧不足で価格が高騰する
C偶発的危機… 戦争や自然災害、長期の港湾ストライキなどによって食糧の輸入ルートが途絶する
D放射能汚染危機… 原子力発電所や放射性廃棄物の事故、また核戦争などで生態系が破壊されて生産不能になる

このような食糧危機を起こさないことが何より大切である。
そのためには、国際的な枠組みについても考えてみる必要がある。

<2>必要なもう一つの国際的枠組み
世界の食糧需給の不安定要因を除去するためには、食糧の過不足に対応できるための新たな国際機関の設置、各国の自給力の一定の確保が必要である。
例えば、各国は自国の諸条件からみて、責任の持てる国内生産量(自給率)、備蓄量等の目標(持続可能な農業の政策目標)を決め、それに必要かつ適合的な農業政策を採用し、さらにこれらを国際的に合意し、各国の目標実現に対応した新たな国連機関「国際穀物需給調整機構」(仮称)を新設すること、あるいはFAOの機能や権限を強化することである。

今までのGATT(関税貿易一般協定)とWTOが決定的に異なるのは、WTOが各国の国内農業政策にまで踏み込み、物の貿易だけを律するという枠組みでなくなってきたことだ。
しかし、そこまで介入するのであれば、WTOは持続可能な農業の在り方についてもどう律するかという枠組みも示すべきであると私は考える。
WTOが安さや経済性を唯一の尺度にする限り、長期的には持続性のある農業はできないであろう。
だとすれば新しい枠組みには、環境許容量を超えない持続性のある農業生産の合理性についての枠組みをつくり、同時にそこで安全性や環境保全を確保しなければならないのではないかと考える。




【参考文献】
矢口 芳生 「地球は世界を養えるのか」 集英社、1998年
矢口 芳生 「食料と環境の政策構想」 農林統計協会、1995年
 
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