講師紹介

嘉田 良平 氏

京都大学農学部農林経済学科教授。昭和24年大阪府生まれ。
京都大学農学部農林経済学科、京都大学大学院農学研究科農林経済学修士課程修了。ウィスコンシン大学大学院農林経済学博士課程修了。京都大学農学部助教授を経て平成7年より現職。

1.食糧危機の構図

今世紀初頭の世界人口は約15億人であった。
1960年には2倍の30億人になり、1999年にはとうとう60億人になった。
今後もこのスピードで2倍になり続けるということは考えられないが、しかしこれからの30〜40年はほぼ直線的に人口数は増え続けるといわれている。
1年で約9500万人ずつ増えていく計算である。この推計によれば、2025年には世界人口は80億人強になると予想される。

20世紀には我々の食生活も激変した。
人は豊かになれば、まず食生活にお金をかける。
人口増加は食糧生産に影響をあたえ、食糧需要は人口増加以上に増える。
食卓の豊かさは肉食の多用に現れる。肉を生産するためには、コメ、麦、その他の穀物をそのまま食べることより、より多くの飼料が必要になる。
今後20〜30年の間に、人口増加プラス豊かな食卓の実現のためには、現在の生産量よりも最低でも3〜5倍の穀物増産を行わなければならないと予測されている。

同時に20世紀の人類は「飢餓問題」をかかえたまま推移した。
世界には約8億3千万人の飢餓人口、栄養失調の人々がいる。
世界人口の比率でみると7人に1人の割合になる。
飢餓人口分の食糧の必要量を考えれば、今後この食糧需要はますます増加しなければならないのだ。



2.世界の農業はこの需要を供給できるのか

水産資源は近年、水質や沿岸の環境悪化により、横ばいをたどっている。
となると、依存先は農業しかない。
食糧増産のためには、農地面積を増やすことと、単位面積あたりの収量(単収)を上げることが考えられる。

<農地面積の変化>
1950年以降農地面積は増加し、それに比例し農業生産も増加してきた。
それが1980年代半ば以降、農地面積の増加に急ブレーキがかかった。
その原因は、土壌流亡や劣化、塩害、砂漠化、地下水の枯渇などの水資源問題に代表される環境悪化が考えられている。
農地面積を拡大してもこのような環境悪化により農地で食糧が生産できなくなっているのである。
今や一人当たりの農地面積は着実に減ってきている。
にもかかわらず、我々は少ない面積でより豊かな食糧を求めようとしている。
しかも環境をこれ以上悪化させることなく、である。
我々は非常に困難な条件のもとで、避けられない大きな課題に直面している。

<収量の限界>
面積を増やせないのであれば、単収を上げればいいという意見がある。
しかし、単収を上げるためには「環境」という大きな壁が立ちはだかっている。

緑の革命によって順調に延びてきた食糧生産が、近年鈍化しているのだ。
これ以上化学肥料を入れても単収は延びないということは、環境悪化の影響うけているということである。
この現象は先進国でも発展途上国でも同様に起きていることである。
それは植物体の限界ともいわれ、コメやとうもろこしなどの種としての生命体の限界があるということである。
21世紀を目前に控えた現在、穀物増産の限界にも目を向けなければならない。



3.持続可能な食糧自給のために

面積も単収も大きくは延びない。
だとすれば、食糧生産や食糧分配、食糧消費の在り方、資源の管理方法に、我々の知恵を傾注して、努力しなければならないということになる。
現在の8億人の飢餓人口とこれから増えるであろう人口に向かって、最低限の食糧を供給できるような分配できるしくみを考えなければならない。
資源に限界はあるということを念頭において、これからの30年というもっとも舵取りの難しい時期をのりこえなければならない。

現在、世界の穀物生産量は年間約20億トン。
世界人口60億人で割れば、一人当たり300キロ以上の供給が可能である計算になる。
日本人が摂取している穀物量もだいたいこの数字である。
だから決して、万編なく分配できれば〜実際には困難だが〜、食糧危機は回避できるはずである。
にもかかわらず、例えば日本では、食べられる食糧の3割近くを無駄に捨てている。
日本は、世界最大の食糧資源廃棄国である。
日本人の贅沢の最たる例は、定期的に一定の時間が超過すると共に捨てられるコンビニの弁当類、レストランでの食べ残し、冷蔵庫でおこる賞味期限ぎれによる廃棄等などに現れている。
食糧は一人一人が工夫すれば、人類全体が飢えるという状態にはならない。
ただ、市場メカニズムに任せきりにし、先進国のエゴに任せておくことは賢いことではない。
全体の量の問題は一つの大きな課題ではあるが、分配をどうするか、流通過程や、廃棄過程に対してどう対処できるかが一つの大きなポイントになる。


4.日本にとっての食糧安全保障(食糧安保)

食糧安保とは、緊急事態発生時に、すべての人々に一日三度の最低限必要な食糧を安定的に供給できるようにすることである。
日本の現在の食糧自給率は41%(カロリーベース)。
つまり6割分を海外からの食糧に依存しているのだ。
日本のこのような状況での食糧安保は大変意味が重い。
日本の食糧安保上で「想定される不測の事態」とは、次の4つがある。

@ 輸出国の港湾荷役スト・局地戦争・国際紛争などによる、輸送上の途絶が発生する場合
A 主要輸出国の同時不作による供給削減あるいは輸入減少
B 主要輸出国との外交関係の悪化、政策的・外交的輸入制限を受ける場合
C 世界人口と食糧生産との長期的不均衡の顕在化によって、食糧供給の制約を受ける場合
これら4つの危険に加えて、最近では新たに次の2つのリスクを想定しなければならないだろう。



5.新しい二つのリスク

<1>原発事故
チェルノブイリ原発事故は、実は食糧問題でもあった。
風向きによって、周辺諸国は一次農業生産をストップさせた。
原発事故は、これほど広範囲にかつ長期間にわたり農業生産に影響を与える。
実は、東アジアは世界でもトップクラスの原発銀座である。
日本、朝鮮半島、中国沿岸部にある原子力発電所。
仮に何らかの事故が発生した場合には、日本の食糧は壊滅的な状況に陥るだろう。
食糧を、少なくとも地下や直接大気に触れない場所に備蓄しておく必要がある。
しかし、現在の日本の農業生産の形態、流通の状況ではまず対応は無理である。
備蓄もなく平時の食糧生産も極端に低い現在の状況。
危機管理態勢ができていないことが一番の問題である。

<2>難民の発生
内乱や政変、宗教や民族間の対立によって、地域紛争は多発し、食糧をもたない難民の数は年々増加している。
今後、さらに食糧難民や環境難民が発生するという危険性がある。
世界でもっとも政治的に危ない地域の一つとして、東アジア地域が上げられている。
朝鮮半島や中国で何らかの事情で難民が発生した場合、彼らは真っ先に日本にやってくる。
防衛庁も最低でも約200万人の難民が日本にくると予測している。そうなれば、日本の食糧供給システムは一気に壊滅する。
このことも危機管理問題として当然考えておかなくてはならない新しい課題なのである。
そのためにどうしなければならないか。どうしても必要不可欠な「2つの備蓄」を指摘したい。

@現物の備蓄
米穀や現物を低コストかつ効率的に備蓄するシステムを開発し、備蓄体制を確立しておくことである。
日本では備蓄に対する取り組みがまだまだ遅れている。廃坑した炭鉱などの遊休施設や豪雪地域では雪の下など、利用可能な場所を用いて本格的な「大規模長期備蓄」のシステムを作り上げるべきと思う。

A農地・生産力の確保
昭和30年代には日本の農地は、620万haあった。
現在は、500万haをきるまで減少している。
この30年の間に2〜3割も減少したことになる。なぜ減ったのか。
農家が離農し、農業をおこなう力がなくなったからである。
離農すれば、土地は荒れる。
条件不利な中山間地域を中心として、耕作放棄地は全国に広がっている。
環境資源としても、農地や里山を維持することを真剣に考えなければならない。




6.新たな不安としての食品安全性

豊かな食生活が営まれているのにもかかわらず、将来の食糧事情に不安を感じている日本人は7〜8割もいるといわれている。
遺伝子組換食品の是非を含めて、あらたなリスクが見え隠れするからではないか。

数年間に起きたO−157の問題はいまだ解決はしておらず、その後も新しい病原性大腸菌が現れている。
食生活の近代化は大いなるブラックボックスを作った。
さまざまな加工過程や流通経路が複雑になったために、どこに犯人がいるのかわからない状態を引き起こしている。
奇妙なことに、O−157も狂牛病も衛生管理が発達した先進国でしか起っていないのである。
この問題の構図として重要なのは、農業生産に問題はないにもかかわらず、農業界が被害者になっていることで、外からの汚染で多大な被害を被っていることである。
我々にとって豊かな食生活、安全な食生活は何か、もう一度考えてほしい。
ブラックボックスの総点検をやらなくてはならないのである。



7.環境保全型農業に向けて

一見何不自由ない贅沢な私たちの食卓に、実は見えない脅威がしのびよっている。
本来健康は食生活から確保されなければならないはずだが、現在摂取している食べ物は本当に自分自身の健康につながっているか。
人によっては、カロリー過多や栄養バランスの問題を引き起こしている。
食の安全性が不確かなのである。
この問題を引き起こしているのは、大量に使用される合成添加物やさまざまな薬剤使用の問題である。
言ってみれば、食生活面でのわがまま、贅沢を要求することが農業の持続可能性を崩してきた。
このままでは、土が死ぬ、水が汚染される、農産物の栄養値は崩れる。化学肥料づけによって土が劣化し、野菜が泣いているのである。
しかも我々はこのような実態の多くを知らされていない。
消費者も賢くなければならない。
市場での価値評価は、価格や外観の良さばかりで、その食品の安全性や栄養価を求めてはいないのではないか。
これは我々消費者の責任でもある。消費者側から、本来あるべき市場価値とは何かについて見直すことは十分にできるはずである。

環境と調和する農業。我々日本人をはじめ、世界全体で取り組まなけれならない一つの結論として「環境保全型農業」がある。
現在行われているゆがんだ食糧システムを是正するために21世紀に向かって、環境と調和できる農業のあり方が求められている。



8.スローフード

日本は高度経済成長から40余年。
この間日本の食卓は外食産業の成長が物語るようにファストフードに走ってきた。
あまり家庭内で料理しなくなり、外食や中食(外部で調理された食品を食べること)の割合が大きく高まったのだ。
その結果、いろいろな社会の歪みが表出してきた。
頭ごなしでファストフードが悪いとは言わない。
ファストフードに象徴される食卓・食生活、食材とリサイクルの実態など、フードシステムのあり方全体、あるいは食卓で形成される人間関係、ここに問題があるのである。

私は数年前カナダの学者から「スローフード」という言葉を教えてもらった。
イタリアでは、いわゆる外食産業が国内に押し寄せてくるなかで、「ノー」と言って拒否したという。
「我々はファストフードはいらない。スローフードでいく。食生活こそ、文化の象徴である。」
スローフードとは、食生活の望ましいあり方そのものを言う。
ゆっくり時間をかけ、地場の野菜や新鮮さを大事にして、ゆっくり食事を楽しみ、会話を楽しむ。
そういう食事の仕方である。

平均的なイタリア人がかける時間は1時間以上、何と豊かな食生活スタイルか。
それに比べて東京のサラリーマンの平均的な昼食時間は10分ちょっとだという。
身体に良いわけがない。
まずは、スローフードという観点から我々の生活見直してもいいのではないか。

多くの小中学校で問題となっている学級崩壊や登校拒否。
そこで、キレル子供たちの食卓の実態を調べると、以下のような共通の習慣が見えてきた。

◆朝食抜き
◆孤食(一人で食べる)
◆冷たいものをそのまま食べる

逆に言えば、家族団欒というテーブルを囲んで、暖かい、できれば手作りのものを毎日食べれば、これらの子供たちの心の問題はおきにくいということになる。
現代の現実の食卓はますますキレル方向へと向かっているのではないか。
食卓の見直しとは、食べ方や家族の在り方について考え直さなければならないということ。
日本の農業の在り方も考えなければならない。
世界の資源、環境問題も考えなければならない。
そうしないと、本当の意味での我々の食生活での安全や安心、食糧安保は得られないのではないだろうか。




【参考文献】
嘉田良平 「農政の転換」 有斐閣(1996年)
嘉田良平 「世界各国の環境保全型農業」 農山漁村文化協会(1998年)
 
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