講師紹介

原    剛 氏

昭和13年東京生まれ。
早稲田大学法学部卒業後、毎日新聞社入社。社会副部長、科学部長、論説委員、編集委員を歴任。
平成5年、国連グローバル500賞の環境報道賞を受賞。
現在、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。
農政審議会委員、中央環境審議会委員。



1.はじめに

私は、以下の観点を踏まえて、アジアと食料問題について考えてみたい。




2.日本の穀物自給率と破綻した窒素循環

北海道根釧原野は冷温で霧が濃く、一大酪農地帯として有名である。
ここでは約20万頭の乳牛が飼育されている。
私は、雌牛がお産するときに息切れを起こしてしまい、うまくお産できない、という話を聞いた。
その理由はこうだ。
牛の排泄物は窒素が主な成分で、排泄されると酸化し、亜酸化窒素(NO)になる。
牧場に排泄された20万頭の牛の排泄物は、おびただしい量である。
だから大量の亜酸化窒素が、地面の漂流水や地下水に入る。
人間の飲料水基準にはNOの基準があるが、牛の飲み水には規定がない。
牛がこれを飲み、血液に入ると、亜酸化窒素は血中ヘモグロビンの酸素運搬能力をいためてしまう。
したがって、酸素が身体にまわらなくなるのである。
通常の生活でどの程度の症状がでるのかは分からないが、お産のような特別体力を使う場合には、酸欠ー息切れの症状となって現れるということであろう。

そして、日本は現在、家畜用飼料として4000万トンの穀物を諸外国から輸入している。
そのうち80%はアメリカからの輸入である。
4000万トンの穀物を生産するためには、1200万haの農地が必要だが、日本の農地面積は約508万haしかない。
つまり、日本の2.5倍の農地で栽培した飼料を輸入し、家畜に食べさせて、初めて我々が現在行っている食生活の供給が可能となるわけである。
このように、私たちは異常な形で食糧を外国に依存している。 前述の「牛の息切れ」が象徴するように、穀物と牛と人間の過程において、日本の窒素循環は破綻して いるといわざるをえない。

輸入する農産物から輸出に回す分を除いた分を純輸入額という。
この純輸入額について、1984年以来、日本はドイツ、旧ソ連を圧倒的に押さえて世界第1位である。 一日に食べる供給熱量からみた自給率では、日本は、42%(1996年)で、世界163ヶ国の中で111番目、先進国では最下位である。
穀物全体でみると、30%(物量ベース)を割りかけている。
日本の自給率は、極めて異常な事態であることは明白である。




3.人口の重圧とその背景にある貧困

東南アジアで昔から行われている焼畑農業が、最近、熱帯雨林破壊の原因といわれている。
現象として責任の一端はあるのだろうが、焼畑農業自体は理想的な有機農業である。
問題は、焼畑農業を行う昔と現在の背景の違いである。
現在、インドネシアではスハルト政権下にあった一官僚が、熱帯雨林開発の利権汚職について当局の取り調べを受けている。
利権構造の中で、熱帯雨林の商業的伐採が行われてきたというのである。
そして、それが農地に転換されてきた。
農地に転換されるということ自体は、規則正しい農作業が行われるのであれば問題はない。
しかし、そこに人口と貧困の重圧がかかると、でたらめな焼畑が行われてしまう。
でたらめとは、焼畑の期間が短くなったり、何回も火入れを行うことにより土地をだめにしてしまうということである。
さらにもう一つ。
現在のWTO体制のような自由化が、一次産業である農業の現場にどのような影響をもたらすか。
胡椒や油ヤシ、コーヒー等を大面積で収穫する方が収益があがる。
しかし、このような単一栽培である単一農業、モノカルチャーを続けることは、結局、地力を低下させ、砂漠化を引き起こし、ひいては熱帯雨林を破壊する要因となっていくのである。




4.食糧の需要と供給に与える要因

(1)人口
2000年の世界人口は約63億人と予想されており、2050年にいたっては100億人という予想数値がある。
このうち増加人口の95%は発展途上国が占める。
発展途上国の中でもアジア、とりわけインドと中国が占める割合が大きいと予想されている。
世界人口の平均増加率は1.4%である。
我々は随分苦労して、女性の社会参加などにより、人口の抑止成果を上げつつあるが、発展途上国を中心とした爆発的な人口増加は、なお今後の食料需給に大きな影響をもたらすはずである。

(2)所得
一人あたりの実質GNPは、近年、中国、東アジアを中心とするアジア地域で、その伸びが顕著であり、今後ともこれらの地域での高成長が見込まれる。
所得が増えると人々の食生活は、今までより豊かな食品を求めて消費が変化する。
どう変わるのかというと、かつての日本がそうであったように、穀物食から肉食へと質と量を変貌させていくのである。

1965年から1997年までの22年間で日本人の食生活はどのように変化したか。
1965年消費量1997年消費量
111.7kg/年67.8kg/年
9.2kg/年31.3kg/年
牛乳・乳製品37.5kg/年91.3kg/年

(3)一人あたりの食料消費量
食生活が変貌して、畜産物消費が増加するということは、飼料用の穀物需要が、大幅に増加するということである。
ちなみに、畜産物1kgを生産するために必要な穀物量は(とうもろこし換算による試算)次のような数値である。
→卵:3kg、鶏肉:4kg、豚肉:7kg

開発途上国の一人あたりの食料消費量は、経済成長を反映して、増加傾向にある。
開発途上国の畜産物消費量は、先進国に比べてなお大きな格差があり、今後、所得の向上に伴い増加すると見込まれている。

【レスター・ブラウンの仮説】
レスター・ブラウンは著書「誰が中国を養うのか」の中で次のように仮説をたてた。
「今後、中国は穀物食から肉食に向かう。
また、工業化が順調に進み成長するとする。
2030年、中国の人口は約16億人と予想され、穀物消費量が1994年当時の台湾並みであるとすると、実に3億5千万トンの穀物を輸入しなければならない状況になるだろう。
しかし、果たしてそのような供給源は地球上に存在するのであろうか。」
当然中国政府は、この主張を否定した。
確かにレスター・ブラウンの主張にはいくつかの問題点はある。
中国が人民公社を廃止して、資本主義経済へ移行し始めたのが1978年である。
当時の総穀物生産量のうち飼料に回された比率は7%、それが、1990年には20%を超えている。
この数字からみても明らかに、中国は穀物多消費型の民族に急激に変わりつつあるのである。

(4)引き起こされる新たな飢えの構造
このような人口、所得、一人あたりの食料消費量の増加は、今までにはなかった新たな飢えの構造を生み出す恐れがある。
従来、飽食の北と飢える南に象徴された南北問題であったが、今後は、南と北の構図はそのまま残るとして、新たに、南と南の間に飢えの構造が現れるということである。

これからの、発展途上国の発展の在り方によっては、南と南の間に格差、非常に大きな穀物需給の不均衡が起こりうる。
需要の増加、必要度が増していき、全体は飢えないとしても、国と国、地域と地域の間で大きなアンバランスを招き、飢餓を招くという危険である。
経済は、数字、定量化されたものを基礎として考えるが、食料問題を考えるとき、数字で捉えられないような社会の動きをしっかり捉えておかなくてはならないと思う。

また、今後発展途上国で食料需要が増加していくと、どこにそれを依存するか。
貧しい途上国は豊かな先進国に依存してくるはずである。
食料依存に応えられる先進国とは、アメリカであろう。
しかし、それは決して、アジアの安定にはつながらない。




5.生産する側の問題点

農業生産に影響を及ぼす諸要因

◆収穫面積と単収
この30年間の世界の穀物生産量をみると、耕地面積の増減はほとんどないが、単収は飛躍的に増加した。
生産量を上げた最大の理由は、耕地面積は変わらない(あるいは逆に減っている)が、肥料や灌漑設備などの技術や資本を投入して、一定の面積からあがる単収を飛躍的に上げたことである。
したがって、我々は飢えを表面化せずにここまでやってこれた。
先進国ではむしろ過剰生産によって穀物価格が下がると、輸出補助金をつけてそれを外国に輸出している。
それが日本の農産物市場の自由化への大きな圧力になるという構図を引き起こしている。

この30年間の耕地面積、穀物生産量、単収の増減は以下の通りである。
1961年1993年
耕地面積(億ha)12.513.5
穀物収穫面積 (億ha)6.56.9
穀物生産量(億トン)8.818.9
穀物単収(トン/ha)1.352.74

耕地面積、穀物収穫面積がほとんど変わらないのに対して、穀物生産量、穀物単収が倍以上に増えている。

単収が増加するということは手放しでは喜べない。
実際、この10年来は伸びが鈍くなっている。
理由は、作物の品種改良の限界、灌漑設備に対する投資の減少、水資源の限界、また化学肥料の多投入による地力の劣化などが挙げられる。
実際アメリカでは、生産調整と土壌保全計画のために、1400万ha(1993年)という、実に日本の田畑を合わせた3倍分の農地を休耕地としている。

◆環境問題
世界の各地域で不適切な灌漑管理、肥料の多投入、過放牧等の農業活動に起因する土壌劣化や砂漠化の進行が問題となっている。
特にアメリカでは土壌流出(エロージョン)が深刻な問題となっている。

【アイオワ州での実態】
この地域は、全体が傾斜地であるために、畝を自然の地形に沿って切り、年ごとに、トウモロコシや大豆作付けと、土地を休ませるための牧草の採草地とを交互に行ってきた。
ところが、1970年代以降、ソ連の共産主義農業が壊滅状態となり、ソ連は大量の穀物輸入をアメリカに依存した。
当時、日本を含み高度経済成長がはじまり、各国も穀物飼料をアメリカから集中的に買いだした。
このような背景のもとで、農民は、今までの手間のかかる農業から、大規模機械を導入し化学肥料を投入するという大規模農業に変え始めた。
その結果、土地が劣化し、またたく間に土壌流出が問題化したのである。
土壌流出の問題は、アメリカだけでなく、インド、旧ソ連、中国など世界中で起きている。
現在世界で約24億トン/年の土が流されているといわれている。




6.おわりに

1798年、今から約200年も前に、当時の経済学者であったロバート・マルサスは著書「人口論」の中で、「食糧の限度によって人口増殖は停止せざるを得ない。その過程で貧困と罪悪が拡大する。」と書いた。
その後、マルサスの主張は否定されたが、200年後の現在、マルサスの問題提起が現実のものになりつつある。
これをいかにして回避できるのか。

インドに、スワミナサンという世界的に著名な植物遺伝学者がいる。
彼は、現在マドラスで、バイオビレッジという独自の村作りを実験的に行っている。
彼の村づくりのコンセプトは次のようなものである。

<1>プロネイチャー(有機栽培や農法など自然に親しい村づくり)
<2>プロプア(貧乏人に配慮した、貧しい人々が就業できるような村づくり)
<3>プロウーマン(女性が自立できる、女性のための村づくり)

食料不足を回避するためには、持続的な農業生産を確保しながら、人口問題への総合的な取り組みが必要である。
それには社会全体の変革が必要不可欠なはずである。

 
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