講師紹介

米田  一彦氏

昭和23年青森県生まれ。日本ツキノワグマ研究所代表。
秋田大学教育学部卒業後、秋田県生活環境部自然保護課に勤務。
14年間勤務後退職し、クマの観察、調査活動に取り組む。
昭和60年から環境庁実施の秋田県でのツキノワグマ調査に携わり、平成2年より西中国地方を担当。平成9年からは、韓国環境省の要請により、同国のツキノワグマ生態調査なども行っている。


1. ツキノワグマを取り巻く現状

日本におけるツキノワグマ(以下「クマ」とする)の生息数は、約1万2千頭前後といわれている。
特別天然記念物に指定されているニホンカモシカは全国で約10万頭だから、ニホンカモシカと比較すれば、クマの生息数がいかに少ないものであるか分かるはずである。
特に、西日本では、いたるところでクマの生息分布が途切れており、少しずつ姿を消しつつある。
九州ではすでに絶滅し、四国でも絶滅寸前である。

これには、人間の開発行為が大きな原因となっている。
1960年頃から日本では大規模でブナやクリなどの広葉樹を伐採し、スギ、ヒノキなどに植え替える拡大造林施策が取られてきた。
そのために、クマは餌となる木の実を得ることができず、また冬眠として使用する場所も失っていく。
また、有害駆除や狩猟などによる捕も生息数に大きな影響をもたらしている。


2.狩猟、有害駆除制度における現状

(1)春グマ狩り
現在、有害駆除という名目で行われている「春グマ狩り」は、じつは狩猟と同義であり、諸外国からは「日本では通 年クマ猟が行われている」と理解されている。
「春グマ狩り」は集団のハンターで行うため、捕獲数制限などの自己規制が機能しやすいが、「マタギ文化」の美文に隠れた楽しみの狩猟ともいえる。
「春グマ狩り」は、将来繁殖に寄与するメスグマや幼体も無差別に射殺されるため、北海道や岩手県では「春グマ狩り」を禁止している。

両自治体の方針は、以下のようなものである。

  • 現に被害がないのに予防を目的とした駆除は認めない。
  • 駆除許可はハンターに捕獲の権利を与えるものではない。
  • 追い払う努力を徹底的に行い、やむを得ない場合だけに駆除する。
  • 駆除許可を出す区域も一つの沢など最小限度とする。

両自治体の試みは、「鳥獣はハンターの権利物ではなく国民全体のもの」、「被害防除に力点を置き換える」などの点において評価できる。

私は「春グマ狩り」を全国的に禁止し、有害駆除を本来の形に改めて、「マタギ猟」である伝統的な春グマ猟は、一部文化として保存するべきだと考えている。

(2)狩猟者が鳥獣保護員を兼ねる矛盾
各都道府県では、通常百人前後の非常勤職員である鳥獣保護員を設置しているが、その80%以上がハンターに委嘱されていると推定される。
ハンターが鳥獣保護員ということは、「取り締まる側が、取り締まられる側と兼ねていること」であり、ここには大きな矛盾がある。

(3)西・東日本では密猟・錯誤が横行
銃を使って「鳥狩法」に違反すると、「銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)」、「火薬類取締法(火取法)」にも抵触してくる。

1990年、西中国地方では密猟・錯誤が横行していた。
これは「鳥狩法」「銃刀法」についての取り締まりが、ゆる過ぎるためである。
取り締まりがゆるいせいで、これまで調査用のクマが10頭以上消息が分からなくなったことがある。
しかし、狩猟者でもない農民が密猟している現状は、獣害の根深さを物語っており、問題解決は容易ではない。

地域住民の願いによって、違反のワナや檻を設置する、いわば「地域の英雄的密猟者」が各町村に見られるが、時にはこれらの者が逸脱して、大量 に密猟行為を起こすことがある。
彼らの中にはワナで毎年100頭近いイノシシを獲り、この過程でクマも高い確立でワナにかかるという点や、また大量 捕獲で高額の収入があるはずにもかかわらず、税務当局が把握していないという点も問題である。

(4)確立されていない狩猟倫理
狩猟行為は違反を犯す可能性が高い。
次のような事例を見ると、狩猟者の倫理観欠如がはなはだしく、狩猟者に対する教育が必要だ。
「有害駆除目的で箱罠、くくりワナを使ってクマを捕まえた段階で駆除行為は終了する。
しかし、有害駆除行為が終了している以上、狩猟でもないので、銃を使うと銃刀法上の発射制限違反、目的外使用などになる」ために、各県の取り扱いがまちまちで、現場で混乱が起きている。

結果、クマを鉄棒で突いて殺す、毒殺、電気殺、餓死、動物園に押しつける、檻で飼い殺す、などの悲劇が起きている。

宮城県では、檻の中のクマを鉄棒で突き殺している町村(猟友会)があり、血が良く抜けるように鉄管をとがらした鉄棒や、柄がついた専用の[クマ刺し]鉄棒も使われている。

檻で捕まえたクマが住民の奥山放獣反対にあい、宙に浮いた形となり、狭い檻で飼い殺しているところも各所にある。
こうなった理由は、銃を使える方法を知らなかったか、知りたくなかった、級官庁の誰もその解決方法を知らなかった、かのいずれかだ。

また100頭以下と推定される孤立個体群の下北半島では1988年に2人のハンターがドラムカン檻を用いて30頭以上を捕獲している例もある。


※奥山放獣
人里に出てきたクマを市町村が有害捕獲し、殺さず再び山に帰す方法。
この時再び里に戻らないように、クマが嫌いな唐辛子スプレーをかけ、
学習させる。




3.今後のクマ保護と管理の基本構想

(1)個体群ユニット別管理
個体群ごとのクマの絶滅を防ぐためには、「人工林化の推進→皮はぎの増加→有害駆除の急増→生息数の急減→気がついたらクマがいなくなる」という、いわゆる四国地方で現実となった「四国化」の流れを、どこかで止めなければならない。

北日本では、これに「春グマ狩り」が要因として加わり、西・東日本ではイノシシワナでの錯誤捕獲、密猟が影響を与えるだろう。
絶滅の危険性が高い個体群の順序は、今のままで推移すれば、九州→四国→紀伊半島→西中国→(下北半島、東中国、丹沢山地)の順だろう。
絶滅の恐れのある個体群では早急に奥山放獣を導入し、まず一度補殺の流れを止めて、その後の取るべき手段を考えなければならない。

(2)奥山放獣の将来展望
西中国のように、クマの絶滅の恐れのある個体群では、被害もなくし補殺もなくす方法が必要であり、奥山放獣が再被害が極めて少ない点で、短期的な手法として最適である。
西日本の各個体群がいまだ捕獲圧が高い(密猟も含め)現状と、森の回復に長時間かかる以上、奥山放獣を導入すべきだが、

  • 長所として、殺さないことで短期的には繁殖率が上がる。
  • 一方、集落周辺での餌を奪うので長期的には繁殖率が下がる。

近い将来に一時的に繁殖が進み、有害駆除論が復活して、押えられていた不満の反動で駆除が進み、その時点で、集落周辺での餌を奪われることによる繁殖率の低下と合致して一気に絶滅するかもしれない。

(3)移動回廊としての国、公有林、私有林の役割
岐阜県以西の西日本では私・公有林が多いが、国土の脊稜部の良好な天然林を有し、中国地方の東と西の個体群をつなげ遺伝子交流が可能だ。

東中国の個体群自体が東の主要生息地から孤立している難点がある。
西中国での生息の東端と、東中国での生息の西端は約120キロ離れているが、その間に道後山、蒜山、後山などがあり、東中国と西中国のクマを交互に移動する[広域放獣]による交流が可能で、県有林を中心に、広葉樹林化、長伐期化、広葉樹の植栽に取り組む余地はある。

(4)教育プログラム
各種の協議会に出席すると、「クマは猛獣だ、だから駆除が必要だ」という言い方が慣用句となっているが、野生獣は生きるためにみな猛獣といえる。

除去論は、地球人が21世紀に目指している「野生生物と人類の共存」の理念に逆行するものであろう。
クマの保護・管理を進めると同時に、

  • 過剰反応を和らげる。
  • 共存の哲学を持つ、21世紀の環境哲学を身につけるための教育プログラムが必要になっている。

(5)研究者の組織化
クマをめぐる研究者の現状は、「クマが絶滅する前に研究者が絶滅」するほど厳しい。
そこで、海外との交流窓口、意見広報の窓口、活動資金の受け入れ窓口としての組織化が待たれていたが、1997年4月に「ジャパン・クマ・ネットワーク(略称JBN)」が発足した。

(6)保険・共済制度の導入
行政は補償しないのが原則なので、農林被害、人身被害への対応ができないが、暫定的に民間基金による人身被害補償も可能だ。
ちなみに広島県は、全国に先駆けて一昨年から「クマ傷害保険」を導入し、昨年、初の保険適用があった。




4.クマと共存するために

我々日本のクマ研究者は、ツキノワグマ保護・管理対策で新秩序を求める必要があると考えており、次のような認識の上で提言を行っている。

(1)クマ管理の基本構想
なぜツキノワグマの個体群を維持する必要があるのか。
  • 生態系の多様性を保つ意味でも、野生生物の一種であるツキノワグマとの共生を目指して、多様な価値を認める社会が理想であるはずである。
  • また、種子分散、捕食者としての役割をなど、ツキノワグマの生息は生態学的にみても生息地森林の長期的利益になるはずである。

(2) 保護管理の前提条件〜生息環境に即した森林管理
  • 沢沿いや林縁部、パッチ状(つぎはぎ状態)の草原帯に成育する。
    草本類、漿果類採食のため、非樹林帯も利用することがあるが、ツキノワグマは基本的に森林に依存して生活している。
  • 森林の中でも中間温帯林から冷温帯林下部を中心に生息している。
  • 高径(多肉多汁)草本や漿果類、堅果類を主な食餌植物とし、秋の堅果類の結実は行動 、栄養状態−繁殖に影響を与える。
  • 天然林は針葉樹人工林より食餌植物供給量が多い。
  • 四国、紀伊半島での人工林化の進行は、被害対処の捕獲とあいまって、この地域のツキノワグマ個体群の衰退をもたらしてきた。
  • 人身被害、農林作物被害があり、被害対処が事態を複雑化している。

(3)管理保護方法の具体的な提言
  • 現在のクマの分布面積、生息数は、最低限維持し、絶滅のおそれのある四国地方などでは回復を目指す。
  • 分布域の孤立化は、遺伝的多様性の減少など個体群の脆弱を招くため、通路帯林を確保し、遺伝子交流を盛んにする。
  • 森林を垂直的に利用できる環境を維持する。
    例えば、春の広葉樹の新芽、沢沿いの高径草本、夏の漿果類、亜高山帯草本、秋の堅果 類、越冬地と垂直方向の利用を可能にする。
  • 垂直的利用と堅果類供給を実現するため、針葉樹植林地の中に10%程度の帯状の広葉樹林を入れた混交林とする。
  • 各種被害防除法を開発し、予防対策を進める。
  • 孤立個体群では、奥山放獣による非補殺的防除法を推進する。
    ただし常習的加害個体、人畜加害個体については補殺も行う。
  • 駆除個体を含めた総捕獲数管理を行い、個体群維持に注意する。
  • 農林水産被害防除法・人身被害防止法、入山心得など、事故率を最小限化する努力を普及啓発する。


5.おわりに

おそらくほとんどの人は、クマの実像を知らないであろう。
私自身、調査のために山に入り1000回以上もクマと遭遇しているが、襲われたのは8回程度である。
この襲われたという意味は、「身の危険におよぶ」という深刻なレベルのものである。
本来、クマはむやみに人間を襲う動物ではない。
クマによる被害をなくし、クマと人間がこの狭い日本で共生していくためには、国民全体に責任があると思う。
しかし、被害者が一方的に山間地域住民である点が、問題解決を難しくしていると思う。

しかし次の様子を想像してもらいたい。
銃で撃たれたクマの体からは人間と同じ真っ赤な血が流れ出る。
今際の際で、クマは鳴きながら自分の血をなめ続けるのである。
死に逝くクマの姿は筆舌に尽くしがたい。
動物の死も人間の死も同じはずである。
人間が一方的にクマを殺していいわけはないはずだ。
生態系の多様性を保つという意味でも、野生生物との共生を目指す社会が理想であるならば、我々は人間の叡智として、クマと人間が共に生きて行く方法を見つけださなければならないであろう。


<参考図書>

ヒグマ 犬飼哲夫/門崎充昭
ツキノワグマ 宮尾嶽雄 信濃毎日新聞社
山でクマに会う方法 米田一彦 山と渓谷社
クマを追う 米田一彦 どうぶつ社
生かして防ぐ クマの害 米田一彦 農山漁村文化協会
 
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