2. 技術の3要素と化学物質
技術は3つの要素から成り立っています。それらは化学物質(材料)、エネルギーそして情報です。以下、化学物質の効用そして化学物質と環境問題とのかかわりを考えていきます。
<1>化学物質とは
化学物質とは何でしょうか。広辞苑によると『物質のうち特に化学の研究対象となるような物質を区別していう語。純物質にほぼ同じ』と書いてあります。例えば、医薬品・農薬・食品添加物などであり、用途によっていろいろな名前が付いていると理解してください。一般的に化学物質というと合成した物質というイメージがありますが、天然の物も同じように化学物質と考えます。
<2>化学物質の効用
まず、化学物質の中で農薬について考えてみましょう。「農薬」と聞くと悪いイメージを持つ人が多いと思います。環境汚染の最たる物であるとか、やはり食品は無農薬がいいとか、農薬に嫌悪感を持つ人が非常に多いようです。農薬とは農薬取締法によると『農作物を害する菌、線虫、ダニ、昆虫、ネズミその他の動植物またはウィルスの防除に用いられる殺菌剤、殺虫剤、その他の薬剤および農作物等の生理機能の増進または抑制に用いられる成長促進剤、発芽抑制剤その他の薬剤をいう』となっています。
農薬によってどのくらいの効果があったのでしょうか。主要作物の10アール当りの収量の推移をみてみると(表1)、まずお米ですが、昭和30年の収量を100とすると、60年には127と、収量が27%増えていることがわかります。キュウリ(露地物)やキャベツの収量も約2倍近くになっています。
農薬は環境破壊につながるからいけないとの意見もありますが、世界的な人口増加問題やいろいろな面を勘案すると、逆の見方もできます。例えば、キャベツの収量が2倍になっていますが、もし農薬を使わずに2倍の収穫を得るためには、耕地面積が2倍必要になるわけです。すなわち、農薬を使うことによって耕地面積が半分ですむというメリットにも着目していただきたいと思います。 | 表1 主要作物の10アール当たり収量の推移 |
単位:kg、(%) |
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30年度 |
40年度 |
50年度 |
60年度 |
米 |
394 (100.0) |
390 (99.0) |
481 (122.1) |
501 (127.2) |
キュウリ(施設) |
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6,020 (370.7) |
6,695 (412.3) |
キュウリ(露地) |
1,624 (100.0) |
2,240 (137.9) |
2,906 (178.9) |
3,043 (187.4) |
キャベツ |
1,875 (100.0) |
2,690 (143.5) |
3,462 (184.6) |
3,748 (199.0) |
ダイコン |
2,475 (100.0) |
3,315 (126.7) |
3,477 (140.5) |
3,803 (153.7) |
ミカン |
1,160 (100.0) |
1,155 (99.6) |
2,164 (186.6) |
2,214 (190.9) |
リンゴ |
821 (100.0) |
1,726 (210.2) |
1,688 (205.6) |
1,673 (203.8) |
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資料:農林水産省統計情報部「農林水産省統計表」 |
次に、水稲作における除草剤の効用をみてみましょう。
表2に示しましたが、除草に必要な労力は除草剤導入前の昭和24年を100とすると、昭和62年には7にまで低下しており、除草剤の使用によって労力が大きく軽減されています。一方、病害虫や雑草による農作物の損失はどの程度になるかというと、平均で約34%の損失率になっています。イナゴに食べられたり、病害にあったりするのが3割強ということです。農薬を用いなとこういう問題も起きてくるのです。農薬を使用することによって、収穫増量、労力軽減、損失防止など多方面からメリットを受けていることをお分かりいただきたいと思います。
表2 水稲作における除草剤利用による労力の軽減 |
(10アール当たり) |
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除草労働時間 (時間) |
除草労力 (人) |
昭和24年を100とした除草労力の推移(%) |
備考 |
1949(昭和24) |
50.56 |
6.32 |
100.0 |
除草剤導入前 |
1965(昭和40) |
17.44 |
2.18 |
34.5 |
1970(昭和45) |
13.0 |
1.63 |
25.8 |
1975(昭和50) |
8.4 |
1.05 |
16.6 |
1980(昭和55) |
5.9 |
0.74 |
11.7 |
1985(昭和60) |
4.3 |
0.54 |
8.5 |
1987(昭和62) |
3.5 |
0.44 |
7.0 |
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注) | 除草労働時間は作業別労働時間による(米生産費調査成績) | | 除草労力は8時間を1人として示した |
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資料:農林水産省統計情報部「農林水産省統計表」 |
もう一つ消費者に嫌がられる化学物質が食品添加物です。食品添加物の使用目的には保存料や酸化防止剤としての役割があります。食品添加物の保存料としての役割を示す指標として、東京都における食中毒発生事件の推移(1986〜95年)を取り上げてみます。1995年は食中毒が80件起きて、約2,400人の患者が出ています。過去10年間の食中毒発生件数はほぼ横ばいで、1年間に大体80件ぐらい毎年起きています。もし、食品添加物の保存料がなかったら、こんな件数ではすまないわけです。
現在は国内でも生産地と消費地が離れており、さらに食品は国内ばかりか外国からも入って来るのです。生産地と消費地が離れていれば、当然、何らかの保存料がないと食品はもちません。結局、食品添加物を用いることにより食物を有効に使っていることになります。
<3>化学物質の利用と環境問題の発生
ここではとくに合成化学物質の利用と悪影響について考えてみます。DDTの発明はマラリアを撲滅し、病害虫の駆除にも大きな力を発揮しました。事実、DDTの殺虫能力を発見したスイスのミューラー博士はその功績により1948年ノーベル賞を与えられました。
一方、1962年に米国の女性科学者レイチェル・カーソンが『沈黙の春』という本を著わし、DDT等の有機塩素系農薬の対象とした生物(病害虫)以外への悪影響、例えば川の魚が死亡、ホタルがいなくなるなど、を指摘し、春になって鳥が孵化せず、まさに静かな春になってしまうという警鐘を鳴らしました。その後、DDTはわが国でも使用禁止になっております。
この他、人により合成された物質で問題を起こしたものにPCBがあります。さきに述べたDDTはあらかじめ殺虫剤として開発されており、完全な選択毒性を持たせることは困難であり、昆虫以外の生物にも何らかの毒性が出るのはやむを得ないところです。ちなみにDDTのコイへの半数致死濃度(LC−50)は0.11mg/1でかなり強いものです。しかしながらPCBはコンデンサーやトランスの絶縁油として、またノーカーボン紙や熱媒体として開発された物質であり、生理的活性を持たせることは一切考えていない物質なのです。また農薬のように環境に意図的に散布することを目的とした物質でもありません。しかし、このPCBが環境中の生物から検出されました。これは実にPCBの商業生産の開始から37年後のことです。一方、カネミ油症事件でも明らかになりましたように、油中に混入したPCBを食した消費者に皮膚、内臓、脂質代謝異常、神経などの疾患を伴う全身性疾患ともいうべき被害が発生しました。このPCB問題は何らかの意図的な生理活性を付与または期待していない化学薬品にあっても、微量を長期的に摂取すれば人の健康への被害が生じること、また正しく使用、廃棄されても化学物質によっては長期に環境に残留することを示すことでした。
このPCB問題の反省と教訓は、従来の化学物質の安全対策が青酸カリやベンジジンなど強い急性毒性を持つ物質や発ガン性物質に限定されていたことにあります。また、工業薬品ということで、事故時を想定した急性毒性や皮膚や目への刺激性の調査程度の毒性テストしか行っていなかったことです。工業薬品といえども微量を長期に摂取すれば人に影響がでること、またDDTと同じように環境残留性があり、かつ高濃縮性物質は意図的に環境に散布しなくとも、逆に言えば工業薬品として正しい使い方をしていても、長期の使用によりこのような性質をを持つ物質は環境中に見い出されるようになり、食物連鎖を通して生態系や人の健康に悪い影響を及ぼすということがわかったわけです。
このような失敗からわが国では1973年に"化学物質の審査および製造等の規制に関する法律"を制定し、工業化学品の安全性事前審査制度を発足させました。
これまで述べたDDTやPCBは物質それ自体が持つ毒性などによる人の健康や環境生物への影響でした。しかし、ここでまた1つ合成化学物質による新しい問題が生じてきました。それはクロロフルオロカーボン(フロン、CFC)による問題です。これまでの化学物質は意図的にせよ非意図的にせよ、その物質自身が強い毒性を有していました。一方、フロン類はその物質自体としてはまったく毒性を持ちません。フロンは引火や爆発、腐食の危険性もないのです。実際のところ、その開発者は1941年に化学研究に与えられる最も権威あるプルーストリー賞に輝いています。フロンはまさに「夢の物質」でした。ところがフロンが誕生して40数年後、2人の科学者(ローランドとモリナー)がフロンが成層圏に上昇してオゾン層を破壊する詳細なプロセスを発表しました。すなわち、フロン自体にはまったく毒性がなく、その大気中での安定性ゆえにオゾン層を破壊し、有害な紫外線を増やしたわけです。ここでの反省としてその物質自体の持つ毒性を調べるだけでなく、オゾン層のような物理環境への影響も調べる必要性を、フロンは図らずも示したといえます。
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3. 化学物質の安全性評価
<1>化学物質とは
ある物質が有害かどうかというのは、暴露と影響の関数で判断されます。影響というのはその物質が持っている固有の、狭い意味での毒性のことです。そして、その物質にどの程度暴露されるか、人間の場合は摂取されるかによって有害性が決まってくるのです。
すなわち、有害性=f(暴露×影響) と表されます
なお、摂取量というのは、体重1kg当たり1日当たりの量のことをいいます。一方、化学物質が人および環境へ暴露するルートは、大きく分けて3つあります。
◆ | DHE(Direct Human Exposure) |
| 直接人間に入るルートで、例えば食品添加物などです。食品添加物の入っている食品を摂取したり、エアゾールの殺虫剤を噴霧して吸入したりするという直接人間暴露のことです。これには、口から入るか、鼻から入るか、皮膚から入るかによって、経口、吸入、経皮に分かれます。 |
◆ | DEE(Direct Environment Exposure) |
| 直接環境暴露ことで、これには農薬の散布などがあります。直接意図的に環境に撒くわけです。 |
◆ | GEE(General Environment Exposure) |
| 一般環境暴露といい、一度環境に出た物質が環境を経由して人間に入ってくるルートです。例えば、農薬の残留した野菜を食べたり、化学物質の蓄積した魚介類を食べたりするルートです。この暴露ルートでの被害発生例としては水俣病の原因となったメチル水銀があります。 |
<2>化学物質の環境影響評価
化学物質の生態系へ影響評価する時、常に存在する問題として生態系の多様さ・複雑さがあげられます。生態系の中では、生物によるエネルギー生産から消費に至るサイクルが自然循環の主要部分を形成しており、これは生態系を取り扱ううえでも最も重要な側面と考えられています。このような観点から、いわゆる食物連鎖上異なる位置にある生物を用い、それぞれへの有害性評価を行うことが第一次の影響評価の基本的な考え方となっています。
また、生態系は大気、陸上、水系のすべてを含めた環境圏に存在するものですが、汚染化学物質に対する意味あいは各環境圏で異なっており、汚染物質の分布、生息する生物の数などから対象とすべき環境圏が決定されます。
また、生態毒性が従来の哺乳動物への毒性と最も大きく異なる点は、哺乳動物への毒性試験が各個体に対する有害性を見るものであるのに対し、生態毒性は個々の生物よりも生物群への有害性を見ようとするものである点にあります。
理想的には各種の生物に対し長期の毒性試験を行うべきですが、これは技術的にも経済的にも不可能なことで、従って、すべての化学物質についてまず簡単な試験でスタートをし、この結果、生態系に対して危険性があると思われる化学物質に対して、より多くの生物種、より長期の試験を行うという考え方が必要となってきます。
OECD(経済協力開発機構)では以上の考え方をまとめ、1980年に報告書を発表しました。ここでは、このOECDでの考え方およびOECD内での作業を中心として、以下に述べることにします。
【化学物質の環境生物への影響における基本的因子】
化学物質は生物個体に対し種々の影響を与えますが、その影響は可逆的か非可逆的かがまず検討されなければなりません。非可逆的とは、当該化学物質濃度がゼロになっても元の正常な状態に戻らないことをいい、これは重大な影響として評価する必要があります。
次に影響の種類です。最も大きな影響は個体の死であり、水生生物の場合には半数致死濃度LC50として示されます。LCの前に48または96といった数字がつきますが、これは暴露の時間を意味します。次に影響は生長への影響、さらに繁殖性への影響があります。これは通常、NOEL(no observable effect level;無影響濃度)として表わされます。すなわち、統計的に対象区(化学物質を投与しない区)と生物への影響に差がない化学物質濃度を意味します。
最も軽微な影響としては挙動への影響があります。生態系への影響として挙動が問題になるのは、例えば、ある魚類が常に水面付近しか遊泳しない場合、長期的にみてこの魚類の摂餌行動が制限されることになり、また鳥による捕食の可能性が大きくなり、ひいてはこの魚種の生物数に影響を与えることが考えられるからです。
【基礎レベルの生態毒性試験】
OECDでは生態毒性試験を単一種の生物を用いステップワイズに行うことにしていますが、まず基礎レベルの試験を選定するにあたり、化学物質の環境への影響を評価するうえでの水圏の重要性および生態系の機能を反映し、かつ生物への影響における基本的因子である生死、生長、繁殖および挙動を明らかにしうること、さらに年間を通じて入手が容易であり、かつ実験室での飼育が簡単なことなどを考慮して、基礎レベルの試験として、(1)魚類急性毒性試験、(2)ミジンコ遊泳阻害および繁殖試験、(3)藻類生長阻害試験を選定しました。
なお、この三種の生物は、藻類、ミジンコ、魚類と食物連鎖上異なる位置にあり、魚類の試験で生死と挙動を、ミジンコの試験で繁殖を、藻類の試験で生長への影響を見ることができるように工夫されています。
<3>得られたデータの評価
化学物質の環境影響評価においては、環境中における化学物質の濃度と環境生物に対する無作用濃度の2つのデータが必要となります。化学物質の環境濃度の予測は、単純な希釈モデルから、種々のパラメータを組み込みコンピュータにより計算するmulti-media modelまであります。
一方、実際の環境中における無作用濃度の推定は、不確定係数を用いる方法によります。これは表3に示したように1〜10000と幅が非常に大きく、一般的には長期毒性データがない場合はLC50値を1,000で除して無作用濃度としてます。
表3 不確定係数とその適用 | | 表4 データの評価方法 |
不確定係数 |
適 用 |
1 |
フィールド試験データ |
10 |
優良長期データ |
100 |
限定長期データ |
1000 |
非長期データ |
10000 |
専門家が特別の考慮が必要と判断 |
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quotient法 専門家による判断 LC50値からの判断 特別な化学的性質 上市量 |
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本来、化学物質の生態系への影響は生態系全体の構造と機能に及ぼす影響として捉えるべきですが、現在のところは個々の生物に対する影響を暴露との関わりでみていく方法をとっています。予測環境濃度と無作用濃度の値から安全性の評価を行いますが、表4に示すquotient法は無作用濃度を予測環境濃度で除した値(この値をsafety marginとよびます)の大きさから安全性を評価する方法です。
このほか、LC50値のみから評価する方法(農薬取締法による分類)、上市量から評価する方法などがあり、一般には、種々の生物に対してsafety marginが100以上であれば、その化学物質への影響は小さいと考えています。
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4. おわりに
現代社会は化学物質の存在なしには成り立ちません。
2.<3>に述べた化学物質による環境の汚染と被害の発生は化学物質自体の問題というよりも化学物質の性状をきちんと理解して用いなかった人間の側に責任があるといえましょう。多種多様な化学物質を上手く利用していく知恵、技術が今私たちに問われています。
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5. 参考図書
(1)「人間・環境・地球・化学物質と安全性」
北野、及川 共立出版(2000年5月)
(2)「環境と化学物質」
西原 大阪大学出版会(2001年8月)
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