講師紹介
伊東 俊太郎氏
昭和5年生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻、ウィスコンシン大学博士課程卒業。
東京大学教養学部教授の他、コペンハーゲン大学、チュービンゲン大学、国立フランス社会科学高等研究院等の客員教授を歴任。
現在、麗澤大学教授、東京大学名誉教授、
国際日本文化研究センター名誉教授。
専門は科学史、比較文明学
2.農業革命(agricultural revolution) 「農業革命」とは、人類史における農耕の始まりを意味する。
従来、人類の農耕は、メソポタミアにおいて開始され、その最古の遺跡はザグロス山麓のジャルモで今から8500年ぐらい前であるとされていた。
それでは、こうした農耕の始まりは、どのようにして起こったのであろうか。
まだ、調査研究されるべきことが多く残されているにせよ、「農業革命」もまた気候・環境の変動を大きく関わっていたことは明らかであろう。
3.都市革命(urbanese revolution) 第3の「都市革命」とは都市文明の成立を意味するが、ここでチャイルドのようにurban
revolutionとはいわず、あえて「urbanese」なる言葉を造語しているのは、これまで通念化している「都市」そのものの成立よりも"都市的" 文明の誕生を意味するからに他ならない。
このような「都市革命」は、まず最初にユーラシア大陸の4つの地域とアフリカ大陸の1つ、アメリカ大陸の2つの地域に起こったといってよい。
ところでこの「都市革命」が始まる紀元前3000年前後には、安田喜憲氏が1988年に明らかにした気候上の大転換があった。
4.精神革命(spiritual revolution) 「精神革命」とは、それ以前の都市生活を支配していた呪術的神話的思惟方式を超え出て、普遍的原理に基づいて、この世界を合理的統一的に思索し、そのなかにおける人間の位置を自覚しようとするものである。
ところでこうした思想上の大きな変革というものが、はたして気候や環境の変化と関係があるのであろうか。
5.科学革命(scientific revolution) 第5の「科学革命」というのは、近代科学の成立を意味し、これは17世紀の西欧においてのみ生起した。
この「科学革命」の起こった時代はすばらしい黄金時代といわれてきたが、環境的にいえば決してよい時代ではなく、気候的にみれば小氷河で、農業生産力は下降し、疫病が発生した。
このように見てくると、私が人類文明史の大転換期と考えたものは、すべて何らかの仕方で気候・環境の変動と関連しているということが分かる。
しかしここで私は、決して「環境決定論」を述べているのではないことを強調しておきたい。
6.環境革命(environmental revolution)
現代は、また科学革命に次ぐ第6の変革期にさしかかっている。
今や環境問題は、現代人の抱えている諸問題の一つというよりも、今日の文明の様相を根本的に変えさせる根源というべきである。
まず第1に、これまでの気候や環境の変動は、自然現象そのものであるか、あるいは人為によるとしても、それはきわめて長い時間をかけて徐々に起こってくるものであった。
第2には、現代の環境危機は、出口なしの危機であるという点である。
我々は今やこのような地球的全体的視野の下で、環境問題を大きな文明変革の問題として立ち向かっていかなければならない。
参考文献
講座「文明と環境」
すなわち、それまでその歴史の99%以上をもっぱら狩猟、採集、漁労に頼って生きてきた人類の一部
が、あるところで農耕を発見し、野生植物を栽培化すると同時に、野生動物をも飼育化して、食糧の能動的な生産と確保に初めてのりだす変革期である。
しかし、現在ではもっと古く、パレスチナのエリコやアスワドに1万1千年前にコムギ類とマメ類の栽培とともに始まったことが分かってきた。
また1952年にカール・サウワーが生態地理学の見地から東南アジア(大陸部の沿岸地域)にイモ類を中心とした農耕が、ブタの飼育とともに始まったという説を提出した。
そしてその年代は、西アジアよりも古いとされた。
さらに、1959年には、ジョージ・マードックが西アフリカのニジェール川流域でシコクビエやモロコシなどの雑穀を中心とした農耕が独自に起こったと主張し、さらに1966年以降マクニーシュはメソアフリカのテワカンでもトウモロコシ農耕が7000年前に開始されたことを示した。
最近では、また中国の長江流域において稲作農耕が8000年前に発生したことが明らかになってきている。
現在では世界の農耕の起源はこの5つの地域に求められるといってよいが、それがいつ頃起こったかといえば今から1万2000年から7000年ぐらい前にかけてであるといえる。
1万8000年前の最終氷期最寒時から、気候は全体として温暖化に向かうが、特に1万3000年前から1万1000年にかけてのベークリグおよびアレレイド期温暖期に水位が上昇し、東南アジア大陸部沿岸の陸地が著しく減少することにより、その地方の人口の密集稠密化をもたらし、まずここに根培農耕が始められたと考えられる。
しかし、この温暖化は1万1000年前から1万年前まで続くヤンガー・ドリアス寒冷期の襲来により急激に中断された。
それまで温暖化のなかで豊かな森林資源に頼って、人口を増大させてきたパレスチナ地方の人々は、この突然の寒冷化に直面して木の実などの食糧不足に出遭い、かつその一つの食糧源であった大型哺乳動物も同じ頃絶滅していった。
こうした危機に際して彼ら一部は、森から草原に出て、野生植物の栽培化を始め、食糧の人為的獲得を始めたと思われる。
このことが1万1000年前頃にパレスチナの"森と草原との間に" 農耕が開始された所以であろう。
(「都市」ということを文字通りにとると、エジプトやマヤは「都市革命」を経験したかどうかが問題となる)
都市的文明とは、農業生産の高まりにより、直接農耕に携わらない、かなりの人口の社会集団が一定の限られた場所に集住し、そこに高度な統治体制が出現して階層が分化し(王ー僧侶ー書記ー戦士ー職人ー商人)、宗教が組織化され祭儀センターがつくられ、手工業が発達し、富の蓄積と交換が行われるようになることをいう。
すなわち、「都市革命」の一番手はシュメールで紀元前3500年頃、次はエジプトで紀元前3000年頃、さらに西インドのインダスでは紀元前2500年頃、中国の殷では紀元前1600年頃、そしてアメリカ大陸ではメソアメリカのオルメカとアンデスのチャビンに紀元前800年頃起こった。
さらに最近では、良渚を中心とする長江流域においても紀元前3000年頃、都市文明が成立したらしいことがわかってきている。
この新たに見出されつつある南の長江文明とこれまで知られていた殷を中心とする北の黄河文明とが、いかなる関係にあるのかを明らかにすることは今後の課題である。
それはいわゆる「北緯35度の逆転」と称されるものである。
紀元前4500年から紀元前3500年頃までは北緯35度以北は乾燥しており、35度以南は湿潤化していた。
それが紀元前3000年以降逆転し、35度以北が湿潤化し、それ以南が乾燥化する。
そしてまさにその乾燥化したところに、メソポタミア、エジプト、インダスの都市文明が成立する。
このことは都市文明の成立と気候変動との関係を強く示唆するが、この乾燥化により牧畜民が砂漠を追われ、水を求めて大河の中下流域に移動し、そこで定住農耕民と接触して都市文明が成立したという仮説が提起されている。
これは「都市革命」という社会変動が、牧畜民と農耕民という異質なものの結合によってもたらされた
とする点で魅力的である。
この仮説にはまだ細部においていろいろと検討されるべきものがあるとしても、大すじにおいて「都市革命」が気候や環境の変化と結びついていたことは間違いないところであろう。
これは心の内部の変革、つまり精神の変革であり、いわゆる高度宗教や哲学の誕生を意味する。
こうした「精神革命」は、紀元前8世紀から紀元前4世紀にかけて、イスラエル、ギリシア、インド、
中国にほぼ並行して起こっている。
イスラエルでは旧約の予言者たちの出現する時代であり、ギリシアではタレスに始まり、ピタゴラス、ソクラテスを経てプラトンやアリストテレスに至る哲学の誕生がこれであり、インドではウパニシャドから六師外道の哲学を経て、釈迦の出現に至るインド哲学や仏教の始まりであり、中国では孔子らを中心とする諸子百家の出現である。
私はこれも紀元前1200年位に始まる民族移動と関わりがあり、この民族移動は、当時の気候変動に誘発されたのではないかと思う。
「都市革命」によって出現した都市文明は、遊牧民の影響をもつとしても。
この根底をなしているのは定住農耕共同体のイデオロギーといってよい。
定住農耕民の生活は、農作物の成長に依存するゆえ、死してはまた蘇る神秘的な生命力をたたえる。
そしてその生命力を少しでも強めようとして大地母神を信仰し、呪術的・神秘的な宗教儀礼を発達させる。
その文化は類型的にいえば、蓄積的で伝統的、そして保守的、呪術的、秘儀的で、かつ情念的でウエットであるといえよう。
これに対し遊牧民の生活は広々とした草原のなかで、家畜のために牧草を求めて居住地を変える。
そこでは大地に密着した農耕民が重視する神秘的・呪術的なものより、家畜を守り統制する合理的判断が重要となってくる。
また頭上には広漠たる唯一の天が広がり、人々を支配するかに見える。
ここに一神教的な考え方も現われてくる。
天候や風雨に影響を受ける非合理的な要素に依存する農耕作業と異なり、いったん事あるときには共通の目的に向かって、合理的かつ現実的に行動する。
これが遊牧民であり、それは統一的、合理的かつドライな性格をもつといってよいだろう。
「精神革命」における思想の合理化は、このような遊牧民の文化が、それまで定住農耕民のイデオロギーを基盤とする都市文明のなかに徐々に浸透していくことによって起こったといえよう。
それはデカルトの「機械論的自然観」の形成とフランシス・ベイコンによる「自然支配の理念」の推進を中核として推し進められた。
この17世紀に起こった近代科学は、18世紀後半に起こった「産業革命」と結びついて、そのまま今日の科学技術文明、すなわちこの核時代、宇宙時代へとまっすぐに連なっている。
この気候悪化はすでに14世紀に始まり、17世紀後半に頂点に達した。
デカルトの「機械論的自然観」もベイコンの「自然支配の理念」も、こうしたヨーロッパの窮乏を、自然に従属するものではなく、それを人為的に改変し再組織することにより克服しようとしたものといえよう。
ベイコンがヨーロッパの貧困を脱出するために「力としての知」を獲得し、これにより自然を改造し、利用し、支配することによって、この自然の上に「人間の王国」をつくろうとしたのも、これゆえである。
この「人間の王国」は相当程度立派に構築された。
しかし今やその下で利用され、搾取された自然がうめき声をあげ、ガラガラと崩れ落ちようとしているのが、現代の新たな環境危機であろう。
ともあれ、「科学革命」は、小氷河期という気候のよくない時代に、ヨーロッパの新たなブレイクスルーを求めて成立したという面をもっている。
この傾向は、すでに先立つ大航海時代に始まっているといえよう。
人類文明史の大きな変革期は環境がよいときではなく、むしろ環境が悪化しているときに起こってい
る。
産業革命も決していよい時代の所産ではなく、気候的・環境的悪化のなかで、何らかの新しい変革を試みねばならないというムードが、人々の意識の底にヒタヒタと押しよせてつくり出されたのだろう。
すなわち環境の変化の挑戦に対し、創造的に応戦したところにのみ、以上のような文明の変革はなし遂げられた。
環境の変化はあくまでも人間に対する挑戦であって、それにどう応じてゆくかは、あらかじめ定められているのではなく、その環境において創造的に生きていく人間の側にゆだねられている。
そしてこの変革を導くものが、またもや環境問題に関わっている。
しかしこの第6の変革には、これまでのように環境が関連しているというには止まらず、まさに地球環境問題こそが、この文明の変換を主導するものなのである。
今日の環境問題に直面して、人々は科学技術も、哲学も、倫理も、経済も、政治もすべてその在り方を大きく変えてゆかねばならない。
その意味で、現代の変革期を「環境革命」と名付けることができよう。
この「環境革命」における現代文明と環境の関係は、これまでのものとは、次の2点において大きく性格を異にしている。
しかし現在では、科学技術の高度な発達により、人間の自然に対する働きかけの力が以前とは比較にならないほど強大となり、かつ資本主義の大量消費社会の出現によって、人為による環境の破壊がきわめて急速かつ大規模に作り出されている。
今日の環境変動の多くは自然現象ではなく、また長い時間をかけてゆっくり進行していくものでもなく、人間の自然征服の力の著しい拡大と大量消費の欲望の増大によって、人為的につくられ、しかも極めて急速かつ大規模に進行していき、やがては人間自身をも滅ぼさねば止まないほどの危険性をもつに至っている。
それゆえにこそ、我々はこの環境問題を正面からとりあげ、これを自覚的に乗り越えていく方途を早急に見出していかねばならない。
これまで地球上のどこか一部で環境が破壊されても、他のところに移動して生きのびるということができた。
それが文明の地域的な交替ともなったのである。
しかし今日我々の抱えている環境問題は全地球的なもので、もはや出口がない。
つまり、どこかの文明の危機というのではなく、まさに地球文明そのものの危機であり、ここではすべ
てが関連しあっているのである。
梅原猛・伊東俊太郎・安田喜憲総編集 朝倉書店 1996年
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