講師紹介

植田  和弘氏

昭和27年生まれ。
京都大学工学部卒業後、大阪大学大学院工学研究科博士課程修了。
京都大学経済学部助教授、ロンドン大学留学の後、現在、京都大学大学院経済学研究科教授。



1.はじめに

私たちが毎日何気なく出しているごみがどう処理されているか、考えてみたことはあるだろうか。
当然のように行われているごみの回収が、もし行われなくなったとしたら、どうしたらよいのだろう。
ごみの回収処理サービスは、都市的生活が成立するための最も基本的な要件といえるだろう。
諸外国では、ごみ処理の仕方についてそれぞれルールを決めている。
我が国では、1970年に施行された「廃棄物処理法」によって基本的な枠組みが決められている。
この法律の中で廃棄物は、「産業廃棄物」と「一般廃棄物」の二つに分類される。
「産業廃棄物」とは、事業活動から出されたごみで、「一般廃棄物」は、通常「ごみ」と呼んでいる家庭からでるごみである。
このように同じ廃棄物であるのに、わざわざ分けられていることには理由がある。
それは、それぞれ処理する責任が異なるということである。
産業廃棄物は、その事業や産業活動を行っている排出事業者が処理する責任を負う。
一方、一般廃棄物は、一人ひとりが収めている税金によって処理され、その責任は各自治体が負う、というものである。
今回は「一般廃棄物」を中心に、ごみ問題について考えてみたい。



2. ごみ処理におけるさまざまな問題

ごみ問題を探るために、その前提として、今までどのような方法でごみが処理されてきたのかを知る必要がある。
現在、回収されてきたごみのほとんどは、大きく「焼却」及び「焼却以外の中間処理」、そして「埋立」という方法で処理されている。
我が国は、諸外国の中でも焼却処分率の高い国で、スイスの次に高い順となっている。

ごみは、焼却処分すればすべてなくなるかというとそうではなく、焼却しても焼却灰や残渣等が残り、最終的な処分が必要になる。
ごみの処分は、「収集→運搬→焼却を中心とした中間処分→運搬→最終処分」というプロセスになる。
ごみ問題といわれるからには、このごみ処理のプロセスのどこかに問題があるはずである。
多岐にわたる問題が考えられるが、一番の大きな問題は、最終処分の問題であろう。

(1)処分場をめぐる問題
1989年に起こった、千葉市のごみが青森県まで移送・廃棄されていたという話は有名である。
これは、千葉市に最終処分場がないという状況から起こった越境処分をめぐる問題である。
しかし、これは千葉市に限ったことではない。
大都市圏のかなりの自治体で同じようなことが行われているのである。
自分の行政区域の中に最終処分施設を持つことができない市町村がかなりある。
ごみの処理責任が各自治体にある現状では、現実問題としてかなり矛盾をはらんでいることがうかがえる。
また、土地的、物理的限界であるともいえる。
日本全国という観点で考えると、土地がないわけではないだろう。
しかし、前述例のように、なぜ、関東のごみを東北まで持っていくのか。
このように、処分地候補にあがるのは、だいたい過疎の地域が多く、大都会ではないのである。
大都市から山間地域へごみが流れることはあっても、その逆はないのである。
これでは、当然地方からの反発が強まることになる。
社会的限界が露呈されているのである。

また、住民の反対などで処分場が建設しにくくなっている。
そこで、最後に考えられるのは、できるだけ住民からの反対の少ない場所につくるということである。
例えば海。
海は漁業権さえ買い取れば、魚は文句を言わない。
実際に大阪湾では「フェニックス計画」という事業が行われている。
これに対して自然破壊だという反対も聞かれるが、私は一概に反対はできないと思う。
たしかに自然破壊であることは認めるが、様々な場所で頻繁に行われている不法投棄などを考えると、決められた場所できちんと管理・処理されるという点では、一つの方法であろう。
しかし、この方法は根本的な解決策ではない。
なぜなら、ごみはどんどん増えているからである。
どこかに新たに処分場を作ったとしても、数年でいっぱいになってしまう。
そして、また、新たな処分場をつくる・・・・・この繰り返しである。
これでは根本的解決にはならないのは、一目瞭然であろう。

重要事項として認識しておきたいことは、「ごみは私たちの目の前からは確実になくなっているが、最終的な処分は適正に行われてはいない」ということである。
ごみ問題を考えるとき、私たちの出したごみが最後にどこでどう処分されているのかを、実際に見て確かめることが必要である。

(2)発生する有害物質 ごみ処理における焼却処理は「減容化でき衛生的に埋め立てられる」という理由で行われてきた。
確かに焼却という技術は合理的である。
しかし、万能で完全な技術というものはない。
焼却にも「燃やす過程で化学反応が起こる」という難点がある。
それには、焼却されるごみの種類が昔と変わってきていることも大きい。
また、有害物質を発生させる可能性もある。
ダイオキシンに象徴されているように、生活している場面では支障がなくても、焼却によって有害になる物質が発生するということである。
だから、近隣の住民にとって、焼却場が公害の発生源になるように思われても仕方のないことなのである。

以前、乾電池から出る水銀が問題になったため改善が図られ、現在は乾電池には水銀は使用されていない。
このように解決できた問題もあるが、しかし、焼却という基本方針を変えていない以上、ごみの中に様々な新しい物質が入ってくれば、有害物質の発生という根本問題は解決されないのである。
これは「環境限界」ともいえよう。



3.ごみ施策の現状

ほとんどの自治体が焼却工場建設の際に掲げる言い分がある。
例えば次のようなものである。
「市民の生活が豊かになってごみが増えており、その増え方は年率3%位の傾向である。
これでは現在の焼却工場の容量では限界であり、今後のごみ処理にも対応できない。
そのために、もっと焼却工場が必要なのである。」というものだ。
各自治体の施策として他の公共事業にも共通していえることに、「需要が増えるから設備をつくる」という発想が昔からある。
しかし、ここでよく考えてみたい。
なぜ焼却工場をつくるのかという前提には、我々のごみが増えているという量の問題がある。

しかし、この10年位の間の大きな変化でもあるのだが、ごみを意識的に減らそうという人が増えてきたことも事実である。
すなわち、リサイクルなどの運動である。
よって、例えば現在より2%位の人が減量に取り組めば、状況は大きく変わるかもしれない。
それも市民だけが努力するのではなく、行政も施策として減らす方向を打ち出せばよいし、企業もそうである。
三者が協力してやれば、ごみの量はもっと減らせるはずである。
自治体はごみが増えるのがあたり前のように言っているが、じつは、減らす努力を していないからそう言ってしまうのだろう。
増えるという前提に立ったとしても、仮にその率が3%ではなく0.3%程度であれば、新たな焼却工場は建設しなくても現在のキャパで対応できるかもしれないではないか。



4. ごみはなぜ増えているのか。

(1)豊かさの「つけ」
ごみはなぜ増えているのか。
その答えは難しいが、一つには、我々の生活が豊かになったことが考えられる。
ごみとして出されている物の材料は、プラスチックなどの使い捨て容器や、家電製品などの粗大ごみが多い。
我が国のごみ問題には豊かな社会の「つけ」が表れているのである。
では「豊か」というのはどういうことだろうか。
豊かさを何で測るかは非常に難しい問題であるが、経済学的にもっとも狭く捉えてみると、一つの指標としては「所得」が挙げられる。
可処分所得が増えるということは自分のできることが増えるわけだから、生活は豊かになる。
一般的には、可処分所得が増えると消費が増える。
消費が増えるとごみが増える、という傾向がある。
では、実際にごみを減らすためには、消費を減らすのか。
ある程度の過剰消費の分は可能である。
しかし、そのために「所得を減らす」というのは、極論であろう。

(2)大量廃棄社会の構造

◆事業系一般廃棄物
東京都民一人あたりのごみ発生量をみると、多摩地域よりも23区部のごみ発生量の方が多い。
この差が事業系一般廃棄物に相当すると考えられる。
事業系一般廃棄物とは、オフィスから出る紙ごみ、レストランやホテルなどのごみである。
事業系の紙ごみは家庭から出されるごみと似ているので、一緒に処理されている。
なぜ、事業系ごみがそんなに増えているのか。
理由の一つは情報化、オフィスオートメーション化によるもので、情報化が進むことにより紙の消費は増えてきているということである。
もう一つの理由は、ファーストフードなどの外食、あるいは調理食品の消費が増えてきたということである。
特にファーストフードは、一食品に対するごみ発生量が多い食品である。
年々工夫はされてはいるが、まだ使い捨ての容器が多い。

この問題は自治体の政策のあり方も大きく関係している。
不要になった紙をリサイクルするか、ごみとして排出するか。
どちらを選ぶかの基準は「経済性=安価」であるということだろう。
じつは、リサイクルにも費用はかかる。
ごみとして処分する方が安いとなれば、どうだろう。
現在、自治体が各事業者から事業系ごみを受け取る時の費用は、無料というところもある。
全国的にみると、実際にかかっているごみ処理費用の全額分を各排出事業者から受け取っている自治体は皆無である。
本当にかかっている費用を取っていないということである。
もしごみ処理費用が高ければ、リサイクルに回せるはずのものが、これではごみになるのも当然である。
だから、ごみが増え焼却施設が不足し、新たに建設しようとなる。
この現在のシステムは一種の社会的な浪費であるといえる。
また、事業系の一般廃棄物は、事業活動で出てくるごみであるから、本来は産業廃棄物であるはずである。
同じ事業系でも有害廃棄物を出すところであれば、全額自己負担で処理施設を導入しなければならないのに、紙ごみということで、費用負担を全額払わずに処理されているのは、大変不公平な話ではないか。

◆容器・包装材
増え続けるごみの中で容器包装ごみが占める割合は大きい。
1980年京都市で初めてごみの「かさ」を測って収集したところ、家庭から出るごみの6割が容器包装ごみで占められていた。
その後、多くの自治体が同じ調査をしてみると、日本全国でほとんど同じようなごみを出していることが判明した。
つまり、全国各地で同じような生活スタイルをしているということであり、出てくるごみから類推すると、今や日本には農村的生活様式はほとんどなくなったことが分かる。

容器包装ごみの材料は、ガラス、スチール、プラスチックなどさまざまである。
ごみ処理の立場からだけからみて、ふさわしい容器と望ましくない容器を区別してみると、最も望ましくない容器は、使い捨てのプラスチックであり、望ましい容器とは、ごみ処理されない容器、ビールびんなど再利用容器である。
では、コストはどうか。
生産→流通→消費の流れでみると、使い捨てプラスチック容器の方が安価でコストは低いだろう。
しかし、その後のごみ処理まで考えると、再利用びんに軍配が上がる。

つまり、一見安価に見える物も、使い終わった後の処理費用まで考えて購入すべきなのである。
グリーンコンシューマーとして従来の、1.価格、2.利便性に加えて、3.環境を考慮し て購入することが望ましい。

諸外国では容器包装材を増やさないためにそれぞれ取り組みを行っている。
デンマークでは、ビールと清涼飲料水に限っては、使い捨て容器は使用できないことになっている。
フィンランドは、使い捨て容器に対して税金をかけている。



5.循環型社会の実現に向けて

例えば、新しい建物をつくる開発行為は、その町の経済や文化を発展させるという名目で行われていることが多い。
しかし、反面、ごみのでる施設をつくることになる。
ごみ処理施設の容量が余っているのであれば分かるが、余っているどころか不足しているにもかかわらず、開発計画は進行する。
縦割り行政にいえるように、開発を推進する計画部局と清掃局での方針が分断されていることも大きいが、実は、ごみ問題の根本問題は、町づくりや都市計画を行う時に、ごみ処理をどうするか、 リサイクルをどうするかということについて、全く考えてこなかったことが大きいのである。
ごみがこんなに増えてしまった原因は、ごみ処理やリサイクルを考えないで「ものづくり」、「まちづくり」が行われ、それに基づく「暮らし」を、私たち一人ひとりが行ってきたからにほかならない。
現代は、かつて1970年代頃まで盛んにいわれていた「ごみが増えることは生活水準が向上したこと、紙の消費が増えることは文化のバロメーター」などといえる時代ではないのである。

最良のごみ処理の方法は、誰か一人が考えることではない。
市民、行政、企業という三者の協力とパートナーシップなくしては不可能である。
循環型社会の実現にむけてどのように転換していくのが望ましいのか。
そのときに、三者はどう役割を分担するのか、これらのことについて早急に取り組んでいかなくてはならない。
 
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