講師紹介
小島 敏郎氏
昭和24年生。昭和48年東京大学法学部卒。
環境庁入庁後、企画調
整局調査官、環境影響審査課長、水質管理課長、保健企画課長を経て、現在、長官官房総務課長。
1.人類の歴史と今日の環境問題の特徴
人類の歴史は、さまざまな自然環境の下で、文明の発生、興隆、衰退を繰り返しながら発展してきた。
ひとつの文明が衰退するとき、その文明の辺境から新たな文明が生まれてきた。
このような文明の興亡の歴史により、多様な民族・文化が形成された。
しかし、今日、東西冷戦が終わり「世界市場」が創出され、先進国も途上国も経済移行国(旧社会主義国)も市場に参入しての大競争時代が生まれ、これに通信運輸技術の発達が加わって、経済システムを通じた「単一の文明」が形成されつつある。
文明の辺境をもたない「単一の文明」、今後、この文明の中からどのような新しいシステムが生まれてくるのか。
多様な生態系は柔軟で、かつ強いが、単一の生態系は危機に対して脆弱である。
文明についても同様のことがいえるのではないかという危惧や認識を持つことが必要ではないか。
2.有限で劣化する地球 人間の活動は、「無限で劣化しない地球」を前提としてきた。
3.急務とされる環境負荷の削減・環境リスクの認識 人間活動は質的に多様化し、量的に増大している。
我々を取りまく世界は、環境の自浄能力を超えた環境汚染、破壊が増大の一途をたどっており、我々の生活空間を含む環境中には、人や生態系に影響を及ぼす化学物質が滞留している。
現在、世界で10万種類、日本で5万種類の化学物質が使われているといわれている。
そのために、有用な制度として、OECDガイダンスマニュアルによるPRTR(PRTR:pollutant release and transfer register)(環境汚染物質排出・移動登録制度)がある。
4.循環と共生を基調とした経済社会システム 大量生産・大量消費・大量廃棄のシステムはなぜ改善されないのか。
リサイクルや廃棄物の循環のあり方として、いろいろなアプローチがある。
循環と共生を基調とした経済社会システムを構築していくためには、21世紀に向けた新たな発展パターンについての考え方を創っていかなければならない。
5.価値観、制度、技術 社会変革には、価値観の転換、技術の革新、制度の改革が必要である。
同じことが制度にもいえる。
6.環境と経済の考え方の変化 従来の考え方は、「環境保全は経済成長や企業収益にマイナス」というものであった。
例えば、「地球温暖化」について考えてみる。
7.政策決定システム では、そのような政策転換はいかに可能か。
この仕組みの中で、圧力団体としては企業の力が強力であるが、労働組合も大きな力を持っている。
「政治は市民の方を向くか」ということを考えれば、市民と業界とではどちらが政治「家」に影響力を持つか、いいかえれば票を運んでくれるかという競争になる。
最後に行政改革と環境省の創設にふれる。
中央省庁再編の基本はできたが、今後の課題としては、次の点が挙げられる。
循環と共生を基調とした経済社会システムを構築していく上で、国家の果たす役割は非常に大きい。
しかし、その規模が急速に増大し、「有限で劣化する地球」が現実のものとなってきた。
「有限で劣化する地球環境」という概念は、1972年ストックホルムで開催された国連人間環境会議で「宇宙船地球号」というスローガンによって唱えられた。
しかし、当時の人々はこれを抽象的には理解しても、現実問題としては認識するにいたらなかった。
この問題を強く認識するのは、1992年地球サミット(環境と開発に関する国連会議)においてである。
このとき初めて、「地球環境の容量には限界があること」を認識し、地球温暖化防止条約、生物多様性条約のとりまとめなど、地球規模での環境問題への対策を具体化するため討議が行われた。
人間の暮らしや経済活動は、環境資源を収奪し、人間の世界でそれを加工、流通、消費し、不要になった物を、気体、液体、固体の形で、また、エネルギーを熱などの形で、環境中に大量に排出している。
このような人間活動によって、人々の生活は豊かになっているが、その豊かな生活は、多種多様な化学物質に囲まれて成り立っている。
有害物質については、これまで環境に対する人間の科学的知識の不足から、規制値がなければ汚してもいい、規制値までは汚してもいい、という経済活動優先の考え方で対処されてきた。
すなわち、危険であることが証明されなければ、安全として取り扱うという考え方がとられてきた。
しかし、現在必要とされているのは、「環境リスクの認識と環境負荷の削減」である。
人間は科学的知識が不足しているということに対してもっと謙虚になるべきあり、安全であることが証明されなければ、危険の可能性があるものとして取り扱うという考え方をとるべきである。
そして、規制値があってもなくても、環境汚染が懸念されるのであれば、できるだけ自主的努力によって汚染を削減する、という行動規範によるべきである。
このような考え方は、産業公害時代にはなかったが、92年の地球サミットを境に、行政・企業・国民の三者の共通の認識となってきた。
公害対策基本法から環境基本法への転換は、その表われでもある。
化学物質は便利な素材であり、生活を豊かにするものとして生産され、使用されている。
しかし、これらの化学物質が持っている有害性について、科学的にその有害性について明確にして、この量なら大丈夫といえる化学物質の数は極めて少ない。
多くの化学物質は、有害であるとも安全であるともいいきれないまま使用されているのである。
その理由は、まず第一に、化学物質の種類が多すぎて、すべての物質について多額の費用をかけて、有害性または安全性のチェックをすることができないことである。
第二に、科学が進むと新たな有害性が分かってくることである。
例えば、化学物質の環境ホルモン作用は、つい、最近になって分かってきたものであり、有害性チェック時に知られていない有害性についてはチェックしようがなく、およそあらゆる有害性のチェックを行えるとは限らない。
第三に、環境中での化学物質の動きが分からないことである。
例えば、人が住んでいない北極でもPCBが検出されており、どこで化学物質が暴露されるか分からないのである。
したがって、リスクある化学物質の使用はできるだけ減らし、環境リスクをできるだけ減らしていくという努力が必要である。
これは、環境中に排出される化学物質をどのように減らし、制御していくかという仕組みで、もともとは92年地球サミットでの産業人会議によりアイデアが出されたものである。
アジェンダ21に採択されたものをOECDが検討、勧告を出し、各国で検討している。
日本では、湘南、川崎、東三河地区でパイロット事業を行い、今年秋に日本で、OECDのPRTRの会議が行われる。これを踏まえ、政府部内では、制度化についての具体的な検討を進める。
PRTRは、化学物質がどのくらい環境中に排出されているのかのインベントリー(inventory/在庫目録)を作成しようというもので、行政庁は、報告種類、報告内容、状況について対象発生源(企業)から報告を受け、情報処理と公表を行い、これにより化学物質対策を進めていこうとするもので
ある。
大量生産・大量消費・大量廃棄のシステムは、「有限で劣化する地球」という観点からは、持続不可能なパターンである。
そこで、このシステム改革のために、まず、比較的国民的合意が形成しやすい「大量廃棄」の変革を出発点にしてはどうかと考える。
例えば自治体としてどう考えるか。
循環型の地域システムの可能性について、岐阜県多治見市で実験を行っている。
多治見市の人口は約10万人。日本全国に3300ある市町村の中では、人口10万人以上という自治体規模は280くらいしかない。
10万人という規模は大きな市ではないが、市町村の中では規模的には上の1割にあたる。
ここで循環型のしくみを実際に自治に取りいれていくことができれば、残り9割の自治体でも実行できるのではないかと考えている。
これまでの我々の考え方は、世界は進歩する、今日よりも明日はよくなる、今日よりも明日の方が物が豊富になるという直線的な進歩主義であった。
20世紀後半のモデルは、アメリカ的社会、物の豊富な社会であり、それが「大量生産・大量消費・大量廃棄社会」をもたらした。
その行き着く先はどこか。
それは「持続不可能な社会」である。
21世紀に向け、「大量生産・大量消費・大量廃棄社会」に代わる新たな発展パターンが必要となっている。
しかし、この三者は、明日からすぐに切り替われるものではない。
例えば技術、現代の産業技術は集中型巨大技術であり、大量のお金が投資され、技術が集積されてできあがったひとつのシステムである。
したがって、ある技術が発明され、それが有用なものであっても、実際に使われるまでには、古い技術に対して投下された資本が回収され、システムとして機能するための技術群があわせて開発されるまでは、切り替わることが困難である。
これを「技術の慣性」という。集中型巨大技術の転換には、投資してもらえるかどうかなど、リスクが伴い、経営者の決断も必要になる。
「制度の慣性」は、いわば「変化を嫌うという人の心」である。
急にカーブを切れば、社会的な混乱や摩擦が起きるということを認識しつつ、しかし、できるだけ早く変えていく努力が必要だといえる。
しかし、@地球的規模の環境問題の顕在化、ごみ問題など環境問題の質が変化してきたこと、A産業公害対策を経験するなどにより企業も学習したことによって状況に変化が生まれている。
環境と経済の考え方は、「環境保全は経済システムの主要な柱として組み込む」ということになってきつつある。
地球温暖化対策の手法ひとつは、化石燃料の使用を減らすことである。
その対策は、供給サイドの対策、例えば、太陽エネルギーの開発、普及などが挙げられる。
また、需要サイドの対策としては、一定の供給量を有効に利用して、受け手にとって満足を得るようにすることが挙げられる。
このような供給サイド、需要サイドの対策をつみ重ねて、温暖化対策を論じていく。
しかし、それでも温暖化の進行を止めることができないとなると、究極の選択として、「石油の割り当て・配給制など経済統制の途」か、「環境税・排出権取り引きなど市場原理の活用の途」かを選択しなければならない。
経済統制には、多額の行政費用がかかるので、結局は非効率である。
とすれば、経済そのものに環境保全を組み込んだものにしていかなければならない。
そのような経済対策の例としては次のようなものが挙げられる。
まず基礎知識として、現在の政策決定システムはどのようになっているのかみてみよう。
憲法上、立法は国会、司法は裁判所、行政は内閣と謳われている。
そして、主権者としての国民と最高機関である国会とは選挙でつながっている。
実際には、どのように意思決定されているのか。
立法のプロセスをみてみよう。
現在のシステムでは、新しい制度、法律に関しては、審議会に諮問し答申する。
ここでは、有識者の意見を聞く他、関係団体の利害が調整される。
次に法律の素案を各省庁が作り、政府部内で調整される。
政府の調整が整えば、政権与党の了承を得る。
政府内の調整が難航する場合には、与党が調整することもある。
政権与党内での審議・調整をクリアしなければ、「閣議での合意・決定」や、「各省庁で行政政策の実行」ができない仕組みになっている。
市民は、現在のシステムにおいて、@審議会(公開)での参加、A政権与党に働きかける、B役所に交渉する等の行動によって関わることができる。
また、見方を変えれば、現在のシステム上では、「政・官・業」システムが優位、あるいは強力に機能しやすいということができる。
労働組合は55年体制時代からの印象が残っており、企業と対立すると思われているが、企業内組合としての性格もあり、業界の利益を代表する点では、企業と同じ政治行動をとることもある。
これに比べて消費者団体、市民団体などは微力ではあるが「業」の一種としての勢力をもつ余地はある。
現行の「政・官・業」システムでは、@投票行動(直接請求等)A資金力、として表れる。
では、このシステム以外の独自のシステムの構築は考えられないのか。
このような行政改革ができれば、政策決定プロセスは透明化され、「政・官・業」システムそのものをやめさせることができ、「市民参加の政策決定」システムの基盤ができる。
そのような意味でも「行政改革」は絶好の機会であるといえる。
しかし、「市民参加の政策決定」システムを機能させていくためには、@市民の積極的な発言行動とA主権者としての検索行動が不可欠である。
すなわち、情報公開してもそれに対する反応がなければ、企業や行政の行動は改たまらないし、投票数が低いままであれば、政治家は、後援会や労働組合などの身辺で濃密な関係にる支援者の方を向いた政治行動をとるからである。
環境省の理論上の特徴として、次の点が挙げられる。
環境省と他役所の境界が明確でないこと。
市民の政治への参加を含め、今後の行政改革に期待したい。
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