講師紹介
東京大学大学院総合文化研究科教授
石 弘之氏
昭和15年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業。
昭和40年朝日新聞社入社。科学部、外報部、編集委員を経て平成6年退職。
環境ジャーナリストとして「地球環境報告」など環境問題に関する著書多数。平成8年から現職。
1.「何が起きているか」の難しさ
地球温暖化から環境ホルモンまで、様々な環境問題が起きている。
しかし、その因果関係をはっきりさせることは極めて難しい。
相手が「自然」の場合、人知の到底及ばない複雑なシステムが存在する。
その中から原因と結果を探り出しても、「確実」という答えがでる場合は極めて限られている。
「何か起きていることは事実だが、科学的には分からない」という反応が専門家から返ってくる。
「分からない」ということが科学的良心として、語られることも少なくない。
だから地球環境問題が「いつか、どこか」の話として語られる分には、安心していられる。
つまり、未来の"恐怖物語"の域をでなかったのである。
これは、環境科学が他の物理学や分子生物学などから大きく遅れをとり、地球上の炭素循環1つをとっても確かなことが分からず、自然の生態系にいたっては、分かっていることの方がはるかに少ない、ということが背景にある。
しかし、環境問題の歴史をさかのぼってみると、「分からない」「そんなはずはない」といっているうちに、被害が広がり被害者や住民が立ち上がり、それに押される形で地方自治体が動かざるをえなくなり、最後に国がしぶしぶ対策をとる…という経過をたどったものが多い。
今、私たちにとって必要なのは、科学論争に加わることではなく、人間が地球に対してこれだけのことを行なえば「何が起きてもおかしくない」ところまできている事を認識する謙虚さであろう。
自分や実際に被害にあった人たちの感覚を信じて、「おかしいものはおかしい」という勇気である。
環境問題はインスピレーションを信じようというのが、私の非科学的な結論である。
もちろん、科学者の検証が間に合えばそれに越したことはない。
2.質的に変化してきた環境問題 人間の活動は、いまや地球のシステムに大きな影響を与えるまでに拡大してきた。 20世紀も余すところ2年半に迫った。 20世紀後半のこのような人口と消費の爆発は、その裏返しとして地球環境の急速な悪化を引き起こした。
現在、59億人に近づきつつある世界人口は2025年には83億人、2050年代に入って間もなく100億人を超えるものと予測されている。
爆発と形容される世界の人口増加は、上昇のスピードが鈍ったとはいえ、毎年9000万人、九州を除いた日本に相当するくらいの人口が地球に積み上がっている。
しかもその98%が貧しい発展途上国に集中しているという異常事態が続いている。
20世紀というのは、人類500万年の歴史の中でも、きわめて異常な世紀になった。
20世紀の100年間には、世界人口は4倍に増え、経済規模は70倍にも拡大した。
こうした人口と消費が爆発した原因の大部分は、人間の欲望の歯止めがはずれたことに求めることができるだろう。
「長生きをしたい」、「お腹一杯おいしいものを食べたい」、「セックスを楽しみたい」といった一部の富裕層や王侯貴族しか叶えられなかった欲求を、今や日本や欧米では多くの人々が満足することができる。
「冬は暖かく、夏は涼しく過ごしたい」、「好きなものを読み、自由にモノを言いたい」、「好きな宗教を信じたい」などという、ありとあらゆる欲望が満喫できる。
言葉をかえれば、「何でもあり」の大衆社会になったのが20世紀である。
これだけ物質的にも精神的にも欲望の自由が享受できる時代は、かつてなかった。
私たちは、これらの欲求に応えるだけの膨大な産業規模をつくり上げてきた。
しかし、欲望の自由な満喫は、地球が無限であるということを前提としている。
好きなものをお腹一杯食べたいという欲求の背後には、農業生産物が無限に供給されるという前提があり、エアコンの快適な生活は、石油や電気等のエネルギーが無限に供給される条件でしか成り立たない。
しかも、これらの生活から出てくる廃棄物は、いつの間にか消えてしまわないと実現できない。
過剰な人間活動により、いたるところで、水、大気、土……など地球の環境容量は限界に達している。
今や「地球の限界」という言葉を聞いても驚く人はいないだろうが、誰もが当然と受け止めるようになったのは、過去わずか30年のことに過ぎない。
とりもなおさず、「地球で何が起きているか」ということは、「何が地球の環境容量を超えてしまったか」ということでもある。
長いこと環境問題に携わっていて感じるが、酸性雨や海洋汚染など、原因の分かるものは人間の叡知をもってすれば解決できる。
例は少ないが、人間の努力で解決できたものもある。
だが、経済の発展や生活水準の向上を求める毎日の営みが積もり積もって環境を破壊したり汚染する問題は、対策のたたない問題であり、このまま放置しておくと人類の命取りになるのではないか、という虞れをもたらす。
あまり人気はないが、ハーディンの「共有地の悲劇」が世界中で起きているとしか思えない。
その代表的な例を選んでみたい。
3.アジアの「共有地の悲劇」
昨年からマレーシア、タイ、インドネシアの奥地の環境調査を再開した。
同じ場所を25年前、15年前、今回と、定点調査をしてびっくりするのは、環境変化の凄まじさだ。
都会はもちろんのこと、田舎にまで都会に勝るとも劣らない変化が、この20年の間に起きている。
25年前にタイ北部に住むカレン族を訪ねたときは、村に行くのにいちばん近い道路から歩いて6〜7時間かかった。
当時は昔ながらの狩猟、焼畑の生活を送っていた。
今回行ってみたら、村の真ん中に道路が通り、家は昔どおりの高床式の質素なものだが、屋根にはパラボラアンテナが立ち、小屋の中には日本製の大型テレビや電気冷蔵庫、ステレオが並び、「タイの先住民」というイメージからは想像もできないような暮らしぶりだった。
しかし、もっと変わっていたのは周辺の自然だった。
かつての深いジャングルは、見渡すかぎり山の頂上まで一面にトウモロコシ畑に変わった。
彼らはジャングルを切り開き、トウモロコシを作ることによって現金収入を得て 、最新の電化製品を買っているのだ。
同じことがマレーシアでも見られた。
世界で最も多様性に富むといわれた素晴らしい熱帯林の真ん中に、イバン族という先住民が住んでいる。
その村に久しぶりに入ったら、村の周辺は地平線まで見渡すかぎりすべてアブラヤシ(オイルパーム)の林になっていた。
世界のヤシ油の半分はマレーシア産で、その大部分が日本向けだ。
日本では、河川を汚すという理由で合成洗剤に批判が高まり、肌と地球に優しい植物油洗剤へとメーカーが競って切り替えた結果
、東南アジアの広大なジャングルは、たちまちアブラヤシの林に変わってしまった。
昨年夏以来、東南アジア各地で発生している煙害事件はこの森林を焼いてプランテーションを作ったことが原因の一つである。
昨年は史上最悪の山火事の年になった。
人工衛星は、地球のいたる所で煙をとらえた映像を送ってきた。
山火事の西の横綱格は、ブラジルのアマゾンだ。
昨年の乾期の盛りの41日間に記録された山火事は2万4549件。
1日平均約600件が発生したことになる。
山火事の前線は一時は1万6000キロにも拡大、1月に入ってもまだ各地で燃え盛っていた。
森林焼失面積は、一昨年は前年の5割も増えた。
東の横綱はインドネシアであろう。
昨年は4カ月に及ぶ山火事で100万ヘクタールの森林が焼失したと推定されている。
この煙で4万人もが呼吸器病などで入院し、視界不良で飛行機や船舶の衝突も相次いだ。
インドネシアの山火事は、昨年の暮れにやっと到来した雨期で一時的には消えたが、今年に入って再び火勢が強まり、今後数年は続くとみられる。
熱帯林の地下には、場所によって厚い泥炭層が横たわっており、これに火がつくと消えたように見えても長時間、地下でくすぶっているからだ。
このほか、昨年はパプアニューギニアで半世紀ぶりに最悪の干ばつに見舞われ、数千平方キロの森林と草原が焼けて数百万人が食糧不足に陥った。
コロンビアでは昨年、37カ所の国立公園の中で約7000件の山火事があり、1万6000ヘクタールが消失した。
南ヨーロッパなどでも大規模な山火事の被害が広がった。
また、アフリカ大陸でも山火事が多発した。
ケニア山のふもとにあるイメンティの森でも、違法入植者によって広範囲に森林が焼かれた。
後になって、森林監視員が賄賂をもらって入植者を入れていたことが判明した。
このほかタンザニア、セネガル、コンゴでも最悪の山火事が発生した。
原因は、やはり異常乾燥を招いたエルニーニョにある。
だが、直接的な出火原因は人の手によるものだ。
とくに東南アジアの熱帯林地域は、近年の開発の大波に翻弄されて、焼き放題、切り放題という一種の無政府状態にある。
従来は、零細農民や土地のない農民の焼畑が山火事の主要な原因だったが、最近は大農園や木材会社などによる大規模開発が最大の加害者である。
5.地球環境保全が今後50年間の課題…明暗に分かれる21世紀の未来像
環境問題を加味して考えると、21世紀の繁栄はどういう方向に進んで行くのだろうか。
通信、コンピュータなど情報の発達によってグローバル化が進み、平和がもたらされるという見方が一方にある。
アダム・スミス以来、成長経済の信奉者は、商業主義が文明化をもたらしたと説いてきた。
通商には継続性が必要であり、そのことは国際秩序の安定を促すという論拠だ。
その例として引合いに出されるのが韓国だ。
80年代のはじめにはアメリカの平均所得の27%しかなかった韓国が、1985年から95年の10年間にわたって年間成長率8%を達成し、現在ではアメリカの40%ぐらいの所得水準になってきた。
韓国が経済を拡大する過程で、他の国が雇用や産業を失ったかといえば、むしろ韓国向け輸出が増えたといえる。
たとえ低賃金であっても、労働者は熟練度を増すだろうし、経済が膨らんでくれば賃金水準も上がる、賃金上昇の結果
、労働集約型の産業は魅力を失って産業構造が変わって行く、韓国は21世紀の経済成長のモデルケース、というわけだ。
ただ、このところ韓国経済は元気がないので、モデルといわれると困るかもしれない。
その一方で悲観論は、経済成長には、それに応じたエネルギー、資源、食糧が必要になる、そのツケはすべて環境にまわってくる、と反論する。
これだけ狭くなった地球で高度成長を支えるだけの資源があるのか、すでに貧困によって経済が破綻し、環境破壊の圧力で国が崩壊した例もあるではないかというわけだ。
これだけ地球を酷い状態にしたのは過去50年間のことであり、これからの50年間は新しい人類と地球との共存を真剣に考え直す時代にしなければならない。
ヨーロッパ各国ではすでに、21世紀への生存戦略を立てており、とりわけドイツとオランダが最も進んでいる。
日本としては行政改革も必要だが、来世紀をにらんだ環境と経済の新しい仕組みを考えていかなければならない時期にきている。
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