橋本道夫氏
講師紹介
橋本 道夫氏
社)海外環境協力センター顧問。大正13年大阪府生まれ。
大阪大学医学部卒業。ハーバード大学公衆衛生学部大学院卒業。
昭和32年厚生省入省。昭和45年経済協力開発機構、昭和47年環境庁、昭和50〜53年環境庁大気保全局長などを歴任し、公害対策基本法や大気汚染防止法の案作成などにあたった。平成2年グローバル500賞受賞。


1. 環境汚染とは

日本の公害はEnvironmental Pollutionと英訳されているが、環境汚染は公害対策基本法で定義している公害の範囲よりも広い範囲の汚染を意味している。それには、公害と鉱害と放射性物質による汚染、都市産業廃棄物、残留農薬や有害化学物質による汚染なども含まれている。
国連経済社会理事会は1965年6月L/4073の文書で、「環境の構成(Composition)あるいは条件(Condition)が、人間の活動の結果として、直接的、間接的に変えられて、その自然の状態の場合に適していたであろうとされる機能と目的に、少し或いは全て適さなくなった時に、その環境は汚染された。」と定義しており、非常に広い範囲をさす。


参考/(旧)公害対策基本法 第二条における公害の定義

「この法律において「公害」とは、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、水質の汚濁(水質以外の水の状態は水底の底質が悪化することを含む。第九条第一項を除き、以下に同じ。)、土壌の汚染、騒音、振動、地盤の低下(鉱物の採掘のための土地の掘さくによるものを除く。以下同じ)および悪臭によって、人の健康または生活環境に係わる被害が生ずることをいう。」

行政は、時代の変遷、経済・社会・科学技術等の発展段階の中で、社会的政治的に問題となる事象に対して、国は法律で、地方公共団体は条令を制定してその対策に取り組むことになる。法律や条令を定める前にも予算を計上して、調査や事実上の対策に着手することはもちろん可能であるが、法律や条令で規制権限事務を制度化しなければ、強制権を持つ対策はできない。公害防止協定は企業、住民、地方自治体の間で、民事的性格の紳士協定をもとに限定的な拘束力を持つ対策で、規制法や条令のような強制力はない。法律、条令に次ぐ第三の手段として、日本で編み出された方式である。
法律や条令を制定するためには、国会や地方議会に議案を正式に提出して、所定の手続きに従って審議され、その結果成立した場合に初めて有効となる。法案や条令案が政府や地方自治体の組織の中でまとまっても、それが国会や地方議会に議案として提出され、審議の結果、可決されなければ有効にはならない。
公害の法制化の歴史は、このように難しさを雄弁に物語っている。公害問題を行政としてとりあげ、さらに法律や条令に基づく規制行政として確立するために長い歳月が費やされた。

明治13年に、大阪の「鋼打、鍛冶、湯屋」三業取り締まり警察条例の改正で公害という用語が登場したが、その後発展はなく、国の河川法には公害という用語が公利に対して用いられたが、河川法に公害対策の実績はみられない。その後難産の末やっと制定された工場法でも公害対策は行われなかった。初めて法制化されたのは、1950年の東京都の事業所公害防止条例で、国としては1958年の水質保全法であった。しかし、鉱山の鉱害は昔から排煙や排水による農林水産被害を何度も繰り返していたので、明治23年の鉱業法が鉱業権の認可制度として成立した。化学物質についても毒物劇物の規制は明治以降早くから行われたが、環境汚染に着目した規制は、戦後の農薬取締法が始まりである。廃棄物問題も明治時代、伝染病と衛生の対策の中で、汚物として対応されてきた。原子力問題は、唯一原子力利用開始を決定したときから厳しく規制され、予防することが原則となっている。このような国内問題とは異なり、成層圏オゾン層を保護するための対策や、産業革命以来の地球温暖化ガスの増加に伴う気候変動対策は、地球次元の問題で、国連レベルの国際会議や、条約締結という国際的な広がりからのトップダウンの型で、1980年代半ば以降に始まっている行政の立場から国連経済社会理事会の定義を考えると、次の3つの基本的要素がある。


環境の構造または条件がどのように変えられたかという事実と科学的証明。
自然の状態の場合に持っている機能と目的は何で、それがどのように適さなくなったかという判断と科学的根拠。
人間の活動の結果とは何であるかということを特定する。

なお、それらに加えて、3つの基本的要素の相互の関連性(Association)や因果関係(Cause Effect Relation)がどの程度確かなものとして科学的に証明できるかという課題がある。


2. 環境汚染対策行政

上述の3つの基本的要素は、行政の立場から発生源、環境調査、影響対策の基本分野に分かれる。

(1) 発生源
発生源としては発生施設から大気中への放出(Emission)、排水Effluent、廃棄物Wastes、そして汚染の原因を含む製品が市場に出て、それが消費されることによって環境に影響を及ぼす場合がある。
また鉱山のように採掘すること、建設作業のように作業自体が騒音、振動を起こすこと、地下水の汲み上げによって地盤を沈下させること、自動車、トラック、鉄道、航行、航空機という運輸・交通活動に伴って移動しつつ排出、排水、騒音、振動を周辺に引き起こすという活動もある。また人間、動物には排泄という生理的な行為もある。
対策には排出規制として、排出施設の指定、基準設定と遵守義務、そして立ち入り検査、指導、勧告、命令、罰則適用がある。
排出基準の一つの型として燃料規制等がある。固定発生源については土地利用、立地、配置構造の規制や作業時間等の規制もある。基準としては最も進歩した技術(Best Advanced)、入手し得る最上の技術(Best Available)、実施し得る最良の技術(Best Practicable)という尺度がある。
人口集団に対しては下水道、糞尿処理、清掃のための施設を設置する公的環境基盤整備事業がある。いすれも行政や企業の防止投資とその運営費用が必要となる。運輸交通公害では沿道や空港の周辺整備や港湾の施設整備が必要となる。私は、日本の環境基盤整備状況は、先進各国のなかでは、過去に公的投資の優先順位が低かったため、最も遅れている国の一つであると痛感している。
製品に対しては、質的規制、使用方法についての規制が行われる。洗剤、農薬はこの例である。環境アセスメントは計画の段階で、事前に予測・評価して必要な計画補正を行うための公的な社会手続きである。行政側の作業として重要なのは、データの公表であると私は考えている。

(2)

環境調査
環境調査として、汚染物質、現象の分析・測定・常時監視が行われる。その場合、大気、水、土壌、動物、植物という、どの環境媒体を対象とするかを決めなければならない。サンプリングをする地点と時間を意味のあるものとして選定しなければならない。経常的な定点における連続測定と、短期的な詳細調査がある。地形、気象、水文、季節などの配慮も必要となる。また、環境調査は、発生源との関係と影響との関係を関連づけられるようにしなければならない。発生源の正常と異常、環境条件の正常と異常の条件のもとでの分析測定が必要である。

(3)

影響対策
最も初歩的、基本的なものは公衆の苦情処理とデータ整理、農林水産被害や産業間公害の紛争処理である。
影響調査には、人間の場合には、インタビュー調査、疫学調査、臨床および動物等の実験などが必要となる。それには専門の調査実験計画をたて、対象グループ(地域)を選定しなければならない。苦情と並んで、新聞、テレビ、ラジオ等も必要な手がかりを得る重要な機会となる。裁判による損害賠償の問題も発生する。行政による和解の仲介の制度もある。

(4)

発生源・環境調査・影響対策の一貫対応
この対応には、所要の汚染現象についての濃度と時間と頻度を影響の程度と対比させて組み合わせた判断条件の整備(Criteria Document)とそれに基づく環境基準(Environmental Quality Standards)が不可逆である。内外の最新の学術文献やWHO等の専門委員会報告を定期的に調べて整理しておく必要がある。
発生源や原因となる製品については、発生源施設の工程、原料、エネルギー、用水と排出、排水、廃棄する有害な汚染物質および現象について、産業内の多様な科学技術や経営関係の事実情報をはじめ、国際的動向についても絶えず最新の情報を入手しておく必要がある。
権限、機能、事務をどのように配分するかは行政にとって、組織体制を整備し、関連部門の連絡調整を図りつつ運営することが基本的課題である。鉱害は出発点から通産省の所管として国の直轄であり、地方レベルの事務技術は地方通産局に担当させている。化学物質の指定は、国のレベルで通産・農林・厚生・環境の省庁の所管もしくは共管となっている。原子力関係は、全て科学技術庁で一元的に所管しているが、放射性物質やその工程については、その産業の主管省庁が通常行政を担当している。
公害行政は、地方のイニシアチブで始まったが、発生源・環境調査・影響対策の分野が広がり、高度化し、産業内部および高度の物理・化学・生物・水文等の科学技術や試験・検査能力がなければ行政運営が不十分となるとともに、府県・市別の扱いの差があっては産業や運輸交通に支障を生ずるので、国の省庁で規制法を制定して、あらためて国、都道府県、指定市、市町村の事務配分を定めた。対象施設の指定については、国が行うが、地方の特性のある必要性のあるものについては、独自の施設(種類、規模拡大)ができるように条令との関係を法で規定している。
1970年の公害特別国会以降は、国が全国一律の最低規制基準を定め、地方は事情に応じて対象を拡大したり、規制基準をより厳しくできる原則を法律で定めている。環境庁の設立によって、公害行政はほぼ一元化されたが、自動車の排出基準を製造の時点で強制する規制は、運輸省の道路運送車輌法で行うための条項が大気汚染防止法に設けられている。地盤沈下の地域指定は環境庁が行うが、工業用水やビル用水汲み上げについては、通産省と建設省の行政となる。
公害関係の規制法では、大幅に地方の公共団体または首長に権限委任したり、固有事務化している。電力、ガスの公益事業と鉱業に対する規制は通産省の権限となっている。廃棄物対策は市町村を基礎とした地方自治体の事務として規定し、府県境を越えることや、施設、物質、処理方式等については、国の事務としている。
地球環境関係では、条約批准に伴う対応法を国で制定し、トップダウンの形で地方の事務としての成長が今後の課題となっている。


事例/山口県宇部市での環境対策

山口県宇部市は、昭和36年に大気汚染に対応する条令を策定した。宇部市では、当時から現在の環境基本法と同じ形態をとった。市議会、学者、企業、住民代表、農水産業の代表などさまざまな分野の代表が参加して議論した結果、非常に明確な条令を作成した。内容は、企業は公害防止装置を付設しなくてはならない。ばい煙の排出基準は、1m3 あたり1.2gとした(この値は十数年後の国の煤煙規制法の基準となった)。このほか緑化に取り組むなど、宇部市では企業も含めて公害対策のために計画的に投資した。これによってそれまでの大気汚染原因物質であった降下煤塵は急速に減少した。四日市や水俣、東京、大阪等の都市で公害が大きな問題となっていた頃、宇部市では非常に速やかに、住民と企業、行政が一体となって公害対策に取り組んでいたのである。


3. まとめ

環境汚染対策においては次の3つの難しい問題が不可避である。
科学的な確実性と不確実性
上記1ゆえの判断と認識の多様性
問題に関係のある人々やグループの利害、政策、イデオロギー、思想、信条等の相違。

行政には様々な程度の科学的不確実性のもとで、判断と政策が求められている。この最悪の事例は、水俣病への対応の事例であろう。科学は、研究者にとっては本質的に目的であり、行政にとっては手段であり、お互いの立場には違いがある。安全か危険かの単純な二元論に惑わされてはならない。
どの程度の安全を、または危険を、どの程度のリスクと費用と便益で、公正な、倫理的な判断を下すのかが問われている。

私は、過去の日本が経験した様々なことをきちんと振り返り、日本がいつ何をどう経験してきたかということを耐えず念頭におくことは大変重要なことだと考えている。これからの地球環境問題の解決のために何らかの参考になるはずだからだ。
日本は1950年以降急激な勢いで経済発展を遂げた。それだけの早いスピードで経済成長を経験した。実質GNPの上昇と共に一次エネルギー消費はこれに比例し、人口も急速に増加した。その結果として負の遺産の一つが公害である。
水俣病など4大公害事件の解決に見られるように、公害問題における損害賠償費用は莫大だ。それに気がついてから企業は予防措置にシフトした。ある意味では日本は公害解決のために莫大な投資をして多くのことを学んだということだ。しかしこれから経済発展を望んでいる発展途上国は日本と同じ経験をしてはいけない。
現在の地球規模の環境問題について考えるとき、今現在の私たちの感覚で他の国々をみてはいけない。世界にはさまざまな状況のもとで、発展途上国や先進国や人口問題を抱えている国々がある。
私は、過去、現在、将来がどのような状況であるのかを絶えず認識、想像しておく、立体的な座標軸でもある「位置づけ感覚」を常に意識しておくことが重要だと思っている。



4. 参考文献

環境庁編 「環境白書」 大蔵省印刷局
(社)環境科学情報センター訳
環境庁化学物質対策研究会監修
「環境汚染物質排出・移動登録(PRTR)」 化学工業日報社
(1996年6月)
茅陽一監修 「'96/'97環境年表」 オーム社
(平成7年10月)
橋本道夫編集 「水俣病の悲劇を繰り返さないために-水俣病の経験から学ぶもの」 中央法規出版
(2000年9月)
国際比較環境法センター編 「世界の環境法」 (社)商事法務研究会
(1996年2月)
橋本道夫著 「環境政策」 ぎょうせい
(平成10年10月)
 
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