2003年度 市民のための環境公開講座
   
パート2:
環境問題最新事情
第2回:
循環型社会はこれで良いか
講師:
植田 和弘氏
   
講師紹介
植田 和弘氏
京都大学大学院経済学科教授。1952年香川県生まれ。75年京都大学工学部卒。81年大阪大学大学院博士課程修了後、京都大学経済研究所助手、同大学経済学部教授を経て、97年より現職。経済財政諮問会議「循環型経済社会」専門調査会委員なども務める。専攻は環境経済学と財政学。
 
はじめに
 
 大量廃棄社会から、循環型社会へのパラダイム転換の必要性については、国民的共通認識になりつつあります。そして、循環型社会形成推進基本法や容器包装リサイクル法・家電リサイクル法など個別リサイクル法も制定されました。しかし、循環型社会づくりは順調に進んでいるのでしょうか。今回は、循環型社会づくりの現状と課題について考えます。
 
 
1.ごみ問題・ごみ政策をめぐるパラダイムシフト
 
(1)大量廃棄社会から循環型社会へ
 現在、「ごみ」の問題や政策を考える時、このことに対する基本的な考え方が大きく変わった。一言で表すと「大量廃棄社会から循環型社会へ」というパラダイムシフトである。
 今までの「大量廃棄社会」では、生産活動が活発になれば廃棄物はたくさん出る。生活が豊かになった結果なのだから仕方のないことであるという考え方であった。
 しかし、現在は、「廃棄物を出さない社会」を目指している。
 
 わが国のごみの処理方法は、焼却方式である。高度経済性成長時期にはどんどん燃やした。しかしごみは、焼いたら無くなるわけではない。焼いても灰は残る。さらにもともと焼けないものもある。焼けないものは、埋め立てる。技術は万能ではないし、万能な技術は無い。ある目的の物には効果があるが、副作用もある。焼却方式での副作用は、ダイオキシン発生の問題であった。また、電池に含まれていた水銀。焼却費用は自治体が負担していたために、ここでは公害対策が行われる。これでは、もぐら叩きのようなものである。
 かつては、ごみとして出された物には何の制限も無かったのである。大量廃棄社会のシステムでは、集めて、焼いて、処分する。メーカーや消費者に減量するという考え方は、全くなかった。根本の問題は、そこにはなかった。そのことが、根本の問題であった。
 
 現在、空き缶は資源である。リサイクルという言葉も、少なくとも20年前には、ごく一部の人しか知らなかった言葉である。が、現在知らない人はいない。
 ごみを、抑制する、再資源する、再生する。このような考え方をビルトインする社会を、「循環型社会」と呼んでいる。明らかにパラダイムは変わったのである。ゼロエミッションが国民的にも共通認識となってきたのだ。
 
(2)循環型社会の法体系
  ではどのような循環型社会をつくるのか。循環型社会とは、具体的にはどのようなことなのか。まず、法体系が整備された。
  • 循環型社会形成推進基本法
  • 容器包装リサイクル法
  • 家電リサイクル法
  • 建設資材・食品残渣のリサイクル
  • グリーン購入法
 この他にも多数ある。
 
(3)循環型社会の担い手
 では、誰が循環型社会を進めていくのか。
  • 拡大生産者責任
  • 市町村や公共政策の役割と責任
  • 公開と参加・説明責任
  • 技術基盤と循環形成産業
 拡大生産者責任によって、事業者の責任は重くなる。
 例えば、自動車について見れば、1960年代と70年代、80年代では、製造する素材が変わってきている。燃費を良くする、軽くする、金属部を減らす、ごみになったときはどうか。
 このことは、生産者に動機を与える一つの明快な論理になる。
 大量廃棄社会では一種類の処理システムだけであったが、循環型社会というのは、市民、企業、自治体が共同して取り組まないと構築できない。
 さらに、循環型社会が進むに伴って、新しい問題が発生してくる。
 
 
2.循環型社会への課題
 
(1)いわゆる出口問題
 今まではごみにしていた。それを資源として生かす。例えば、建設廃材はどうするか?どこにどう利用するかという問題である。品質の問題でもある。海外から資源調達した方が安い。値段の問題。コストがかかる。リサイクルが小さいものならよいが、本格的にやろうとすれと大きな問題となる。
 
(2)マテリアル・バランス
 例えば、生ごみを堆肥にする取り組み。それ自体は良い。ただ、日本は食糧を100%自給しているわけではない。生ごみ全部を堆肥化すると、窒素分が大量に土壌浸透してしまうことになり、環境問題が生じることになる。
 
(3)有害物質の管理
 例えば、アスベスト。リサイクルの過程でどうなっていくのか不明である。このようなことを考えないで作っていた時代の素材の扱い方である。また、建材の寿命は数十年である。不純物としてどのような物が入っているのかの情報が少ない。
 
(4)技術の選択問題
 大量廃棄社会の時代は、焼却しか無かったから技術を選択する問題ではなかった。
 現在は、生ごみ処理機やRDFなどの売り込みが盛んである。必要な技術があって可能性がある。でも、細かく分けていく方式と燃料に変える方式とでは全く異なる。技術を選ばなくてはならない。大量廃棄の時代の方が楽だった。自治体が生ごみ処理機購入に補助金を出す。本当にそれで良いのか。新しい課題である。
 
 
3.循環型社会とシステム設計問題
 
 例えば、容器包装リサイクル法。個別リサイクル法ができ、それに基づいて進められている。最初は1997年から始まった容器包装リサイクル法である。基本法よりも先に個別法ができ、最も実績がある。では、実際はどうなのか。
 1981年に京都は空き缶防止条例を制定した。ペットボトル自主規制解除は、1996年。回収製品化されペットボトルはリサイクルされている。分別する自治体は増え、したがって、ペットボトルの生産量は増えている。飲料の量が増えたのか。そうではなくて、他の容器に入っていたものがペットボトルに変わっただけである。ペットボトルの一人勝ちである。
 ペットボトルは便利。軽い。蓋が閉められる。機能としても優れている。しかし、ペットボトルの生産量と回収量の差は何か。ごみである。ペットボトルは、リサイクル率も高いが、1996年よりごみは増えていることである。
 私は、循環型社会は、これで良いのかと疑問に思う。何のためにやってきたのか。このシステムにも問題点はあったということなのである。
 ドイツでは、事業者が責任を持って回収する。つまり、事業者責任の強制リサイクルである。わが国は、自治体の分別処理であり、集める分を税金で賄っている。
 ドイツは自己責任、日本は税金投入。日本には、元から減らそうという動機が弱いのではないか。これはシステム全体の設計の問題である。
 
 
4.循環型社会と費用負担問題
 
 循環型社会に反対だと言う人はいない。しかし、進めようとすると費用がかかる。リサイクルする方がごみに出すよりも安ければ、うまくいく。しかし、そうではないのが現状。だから法律をつくっている。
 費用負担は、ごみ問題だけではない。自然保護にも費用がかかる。誰が出すのか。
 租税なのか利用者負担なのか。あらゆる環境問題につきまとう問題である。
 合意形成をするためにとても重要な問題であり、いろいろな議論が必要である。
 ごみを有料化すれば減る。日本は自治体がごみ処理の責任をもっている。費用は租税である。しかし、ごみをたくさん出す人とそうでない人がいる。有料化するのはいかがなものかという議論がでてくる。賛否両論があって難しい。二重払いになることに批判もある。
 また、減るというが、減るのは最初の1年だけで、リバウンドになるのではないか。
 減るというプロセスが見えない。ものを買わなくなったのかどうか、調査している例は少ない。市民にとっては、どうやって減らすかの議論なくしては行動動機にならない。しかも環境に良い手段でなければいけないのだ。本当に良い意味で減る手段が一番良い手段なのである。
 
 
5.日独ごみ比較
 
 3年前に寝屋川市とフライブルグ市とで比較した。容器包装ごみを中心に見たごみ排出量の比較である。両市の違いを見る視点は以下だ。
  • プレパッケージと流通
  • リサイクルのシステム
  • 環境教育
 そのことによってごみがどのくらい違うのか。比較方法は、ごみの容積を量る方法である。
 両市の大きな違いは、フライブルグでは、容器包装ごみ、トレーがゼロ。買い物袋も出てこない。なぜか。デポジットの方式や量り売りなどプレパッケージが違うのだ。
 レジ袋の渡し方も違う、詰め替え式の商品も違う。両市の相違は以下の観点にまとめることができる。
  • 商品販売などにおける包装簡素化度合いの相違
  • 商品への二重三重包装の相違
  • 飲料容器へのデポジット制
  • 循環型社会づくりと社会経済構造の改革
  このように、日独比較を行ってみると、販売様式の違いやデポジットの仕組みという、ごみそのものではなくもっと大きな全体像が見えてくる。
 
  循環型社会づくりの課題は以下である。社会経済とかかわりが深い。
  • システム設計
  • 費用負担
  • 出口問題
 環境を維持するためには手間をかけなくてはならない。空間と時間の問題でもある。
 個人消費するものと個人所有しなくても良いものがあるのではないか、私たちは考え直す必要がある。当面のさまざまな問題があるが、社会の仕組みそのものに適用したシステムにつくり変えなくてはならないということであろう。
 真の意味での循環型社会の構築は、今後もずっと取り組まなくてはならない重要な問題である。