2004年度 市民のための環境公開講座
   
パート2:
自然に親しむ
第2回:
日本の国立公園を歩く
講師:
瀬田 信哉
   
講師紹介
瀬田 信哉氏
財団法人 国立公園協会理事長
1938年大阪市生まれ。(財)国立公園協会理事長・日本環境教育フォーラム理事。61年北海道大学農学部を卒業後、厚生省国立公園部に入り阿寒、南アルプス、中部山岳(立山・上高地)にレンジャーとして駐在。国土庁創設期には計画・調整局で全国計画策定に関与し、以後長崎県自然保護課長、環境庁広報室長、自然保護局の課長などを歴任して環境庁大臣官房審議官を最後に92年退官。(財)自然公園美化管理財団専務理事を経て01年から現職。その間02年〜05年まで新設の立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科特任教授。93年から公益信託富士フィルム・グリーンファンドの広報誌「グリーンレター」の編集長。
 
 
1.国立公園とは
 

 国立公園について、大学の講義や審議会、関係者の間でするのとは違ったかたちでお話したいと思います。
大正14年(1925年)に、岩手山の焼走り(ヤケバシリ)について「国立公園候補地に関する意見」という意見書を出した人がいました。
『どうですか、この溶岩流は。殺風景なものですが、噴き出してから何年経つか知りませんが、こう火が出ると空気の渦がぐるぐる煮立って、まるで大きな鍋ですな。頂の雪もあをあを煮えそうです。まあ、パンをおあがりなさい。一体ここをどういうわけで国立公園候補地に皆が運動せんですか。いや、可能性、それは充分ありますよ。勿論、山全体です。』
これを書いたのは宮沢賢治です。それより前の明治34年には三宅雪嶺という人の文章が残っています。要旨は、アメリカには、イエローストーンという大きな公園がある。イエローストーンは1872年に国立公園になるんですが、それを、日本で公園ということばを使わないで「国園(こくえん)」と言っていまして、そして、日本にもこういうところをつくることができるんじゃないか。富士山全体がそうなったっていいし、あるいは、日光山、こう言ったときには男体山だけではなくて、恐らく中禅寺湖から奥日光含めた全体を指すと思いますが、日光山全体はそうなってもいい。「国園」にせんですかというものです。
 実際に国立公園という言葉が言われるようになるのは明治45年以降で、昭和6年に国立公園法が制定されました。昭和9年に、雲仙、瀬戸内海、霧島が、その後、阿寒、大雪山、日光、中部山岳、阿蘇の5箇所が国立公園に指定され、戦前には、十和田、富士箱根、大山、吉野熊野を含む合計12の国立公園が誕生しました。

 自然公園法の第1条に「すぐれた自然の風景地を保護するとともに利用の増進を図り、もって国民の保健、休養、教化に資する」と書かれている。また、国立公園の定義には、「国立公園は我が国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地で環境大臣が区域を定めて指定する」とあります。この「指定をする」公園と「設置する」公園の違いが、皆さん方には少しわかりにくいところかなと思います。
公園をつくるということは、普通はその土地の所有や利用権というものを設定して、そこに公園目的のものをつくるといった営造物的な公園のことです。アメリカのナショナルパークはそういった形式のものなので、レクリエーションのために利用するという目的以外に、敷地内に私有地や、あるいは他の土地利用の目的で使われる場所がないということが建前なっています。
 しかし、日本の場合、指定をする区域は「法律の適用にあたっては所有権、鉱業権その他の財産権を尊重するとともに、国土の開発その他の公益との調整に留意する」となっているのです。つまり、民有地である場合や営林的な要素を含む土地も国立公園に指定されることもあるが、財産権、鉱業権、水力発電のダムをつくるような公益事業などが風景を守るために規制を受ける場合には調整する必要があったり、不許可処分に対しての損失補填請求も受忍の義務を超える場合には補償を受けられると法律にあるのです。実際には折り合いのつく範囲内で許容してもらっていますね。端的な例でいえば、公園の中で平屋建てか2階建てまでならば木々に隠れてしまうので、それほど風景を害することはないと判断され、建設の許可が下りることもあります。もし2階建てではなく5階建てにしたいと異議申し立てがあった場合、それに対して損失を補償するかどうか。実はそういうことが、伊豆の国立公園で裁判になったことがありますが、その風景を守るためには、1階か2階建ての建物までが限度であり、5階建ては一つの財産権の主張のしすぎだということになりました。
このように、みなさんからすれば日本の国立公園は特殊に思えますが、実は、ヨーロッパの国立公園の殆どはこういうスタイルです。
 また、自然公園法には、先程お話したように、すぐれた自然の風景地を保護するとともに、利用することによるレクリエーション効果や教育的効果というような保健休養教化に役立てることが目的にあります。しかし自然環境保全法には、優れた自然環境を有する地域を指定し、保全するとあり、この様に利用するという言葉はありません。

 
 
2.国立公園の認識
 
 私は立教大学の観光学部で、環境の制度などの話を5年ほど続けてきましたが、学生に行ったことのある国立公園の名前を書いてもらうと、正確な国立公園の名前を書けるのは50人いたら1割の5人ぐらいでした。日本の国立公園の多くは、大山と隠岐島を合わせた大山隠岐国立公園や、屋久島と九州本土の霧島を合わせた霧島屋久国立公園など、地名を合わせた便宜上の名前のため、学生も国立公園の名前が正確に書けなくなってしまっているのです。ところが海外の公園で行ったところを書いてもらうと、イエローストーンやグランドキャニオンと書く学生が多い。イエローストーンのように、ナショナルパークの名前は自然の姿を表していることが多いので覚えやすいのでしょう。
日本の国立公園は、箱根などへ行ったことがある人は多い。では何故日本の国立公園は行ったことへの意識が薄いのか。一つは、入口がはっきりしなかったりゲートがなかったりと、行った場所が国立公園かどうかわからないということです。また、アメリカでは、国立公園に行くとレンジャーと必ず会い、解説や案内、インフォメーションが受けられますが、日本の国立公園では、現場でレンジャーと出会えないのです。日本の国立公園のレンジャーである自然保護事務所の職員「自然保護官」は、私が昭和36年に国立公園管理のレンジャーになったときは、定員が全体で52名だったのが、今では、北海道だけでも現場と合わせると60人を超えています。それなのに、どうしてレンジャーに出会わないのでしょうか。
 私が自然保護管をしていた当時の北海道には大雪山、阿寒、支笏洞爺しか国立公園がありませんでした。現在は、国立公園が当時の倍の数に増え、国立・国定公園以外にも、自然環境保全地域や鳥獣保護区、ラムサール条約の登録湿地があります。これら全てに自然保護局(現自然環境局)が関わっているわけですから、非常に仕事の範囲も数も増えたということです。一つの国立公園の管理だけでは環境庁(環境省)の仕事が成り立つわけではなくなりました。
また、自然保護官、自然保護事務所と名前が変更されたため、国立公園という名前看板が消えてしまいました。これは、私としては非常に残念です。例えば、「東北地区 自然保護事務所 盛岡自然保護官事務所」は、東北地区自然保護事務所は仙台にあり、そこにいる「自然保護官」が十和田八幡国立公園を守っているのです。名前に国立公園がつかなくなると、自分はその公園を管理し、守っているという意識がなくなってしまうのではないかと思います。
 平成15年度の国立公園の利用者統計によると、約3億7000万人が国立公園に行っているとありますが、本当に1人が1年間に3回国立公園に訪れているのでしょうか。来訪者が一番多いのは富士箱根伊豆国立公園で、1億1千万人、そのうちの5千数百万人は静岡県の伊豆半島でカウントされています。伊豆半島では、数箇所ある国立公園の風景地を車で通り抜けただけでも利用者ということになってしまっているのです。そのように、国立公園にゲートが無いことと、一つ一つの公園の中でカウントされていないのが利用統計の問題だと思います。実際の利用人数と、ある時期にどれだけの人で混雑しているかということをあわせて検討しながら、国立公園の持つキャパシティを考えていく必要があると思います。

 昭和4年に国立公園協会ができたとき、「国立公園」という雑誌を創刊しました。その表紙は発荷峠からの十和田湖のスケッチですが、その後、私が発行人になって表紙に絵画を使おうとしたとき、林武(はやし たけし)さんが描いた十和田湖の絵が一番国立公園らしいということになりました。
 国立公園協会が持っている絵画が79点あります。1997年に、損保ジャパン(当時安田火災海上)の東郷青児美術館で昭和の自然の風景というテーマで展覧会をいたしました。その多くは、国立公園になる前の1932年に有名な画家に描いてもらった絵や、国立公園になってから増やしていった絵です。
釧路湿原が国立公園になって15年ですが、その時に、松樹路人(まつきろじん)という人に描いてもらった絵があります。

 
 
3.日本の自然と国立公園
 
 日本の自然の特色についてお話したいと思います。日本の自然について、志賀重昴(しがしげたか)という人が言っている4つの視点があります。一つは暖流と寒流の海流が明確に、しかも多様に、この日本列島を覆っているということです。日本の周りには黒潮、黒潮の分流の対馬海流、親潮、東樺太海流が流れています。黒潮が屋久島のところでぶつかって、本流と対馬海流に分かれていきます。すると、太平洋側にはサンゴの世界、日本海側には海藻の世界が広がります。このように、気候、海流の多変、多量であることが日本の自然の特徴を作り出しています。
二つ目は、水蒸気が大量に発生するということです。この水蒸気が雨や靄、霧になったりして、日本の風景の特色がつくられています。
三つ目は火山岩が多々なること。先ほどの岩手山、富士山、雲仙と、日本の山はどちらかというと火山が中心になっています。
四つ目は、水が刻んだ場所が非常に多いということです。ヨーロッパには、氷河がゆっくりと滑り落ちてできたU字谷が多く見られますが、日本は激流が岩を削るためV字谷になっています。その最たるものが、黒部の廊下といわれるあたりだろうと思います。

 日本三景と呼ばれる場所は松島、天橋立、宮島ですが、名所旧跡というのはどういう所でしょうか。
辞書によると、かつて歌人がうたを詠んだり、紀行文を書いたところが名所、良い場所でも歌がよまれていないところは旧蹟とあります。松島は、松尾芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだ歌があり、天橋立も故事来歴はたくさんあります。宮島を分析した江戸時代の人によると、宮島は、鳥居と海に突き出た一つの回廊があるから風景として素晴らしいのだそうです。確かに、宮島からそれらを除いたら、たくさんの島がある瀬戸内海の中で、宮島そのものを特色づけるものは無いかもしれません。

 
 
4.国立公園の領域、権利
 
 国立公園では自然保護や景観の保全のために規制があるのですが、指定された土地にある他の土地利用や財産の権利、例えば国有林なら国有林との調整が必要になってきます。
 十和田湖では、道路から50メートル以内にある木は伐採されないのですが、50メートルを過ぎて、一般の道路から見えないところになると皆伐されているのです。このようにして景観上必要な場所は伐採されないので、風致、風景において配慮されてはいるのですが、国立公園のもう一つの役割である生物の多様性の保護からすると、皆伐の影響で生態系が狂ってしまう可能性がある。したがって、伐採方法について公園側と林野当局との間で今までの見えるか見えないかという判断とは異なった視点で話し合うということが必要になってきました。さらに、これからは、伐採の許可が下りていた場所も自然に戻していくという努力が、次のステップだと思います。
 日光では、東京オリンピックで日光の国道120号が混むため、道路を拡幅するという話が持ち上がったとき、日光の神橋(しんきょう)付近の杉の伐採を巡って裁判が起きたことがあります。A案は現道拡巾のルート、B案はその隣のお旅所を通るルート、C案はバイパスを通すルート、D案は星の宮案という四つの案が出されていました。A案の東照宮の杉が土地収用されて伐採されるという公の方針に対して、東照宮側が、事業をする栃木県、補助金をつける建設省、土地収用委員会を相手に提訴したのです。昭和48年に東京高等裁判所で、原告である東照宮側の勝訴ということで決着しました。そのときの判決文にはこうあります。国立公園の特別保護地区の風致景観は、国民にとって貴重な文化財遺産である。長い間の自然的、文化的経緯を経てはじめてつくりだされたものであって、ひとたび人為的な作為が加えられれば、人間の創造力のみによっては二度と元に復旧をすることは不可能である。この文化的な価値、ないし環境の保全という、本来、最も重視すべき事柄を不当安易に軽視した。さらに、オリンピックの開催に伴う交通量の増加という、本来考慮に入れるべきでないものを重要視した。本来道路というものは、人間がその必要に応じて自らの創造力によって建設するものであるから、原則として費用と時間をかけることによっていつでもどこでも、これを建設することは可能である。したがって、それは、代替性を有していると言う事ができる。しかし文化財や自然は代替性を持っていない。お金と時間をかければ造れる道路を、オリンピックを名目に早く、安く工事をすませたいという理由で東照宮の太郎杉という杉群を伐ることを迫った、これは、やはり法律の主旨に反するということでした。

 私が上高地に勤務していたころ、ウェストン祭といって6月の第一土曜日にウエストンレリーフ前の広場でみんなで歌を歌ったりしていたら、車が通るのでどいてくれと言われました。そのとき、マイカーというのはいつでも誰でも自由に上高地に乗り入れていいのかという疑問が湧いてきたのです。そこで、私は、県道や少なくとも環境庁の所管地には車が入れないように、道に大きな石を置いたのです。そのことがきっかけとなって環境庁と警察庁が交渉し、マイカー規制を行うことになりました。このおかげで、今はバスのみ、しかも長野県の田中知事の提案で、ハイシーズンの一ヶ月間は、東京からのバスは上高地に入る手前で全部地元のシャトルバスに乗り換えてもらっています。今でも場合によっては許可車といって、特別な車が入ってくる車ことがありますが、やはり気楽に歩いている人にある意味でプレッシャーをかけることですから、好ましくないと私は思っています。レンジャーもいまや現地にいないということになると、こういう車の通行実態などは余り自然保護とは関係ないと思ってしまうのでしょうね。

 
 
5.国立公園には何が必要か
 
 国立公園の予算を適材適所に振り分けるというのがなかなか難しいと感じたことがあります。
私が審議官だったとき、国立公園、国定公園のトイレが汚かったり、修理の必要な箇所が幾つもあったので、平成3年に、公園の設備予算の全国の総額が三十数億でずっと横ばいないし減少していた時に生活関連予算で上積みする努力をしました。まず二千数百ものトイレの台帳をつくり、そのうち緊急に直すべきものがこのぐらいあると大蔵省にも話をし、国会議員をまわった結果、上高地にチップ制のトイレが導入されました。すると、上高地が開いている4月の終わりから11月の半ばまでで、チップだけで3500万円も集まったのです。一人平均40円のチップで、上高地にあるチップ制でない他の7つのトイレもこのお金で全部きれいに清掃ができるようになりました。

 一方で、公共事業費の取れた予算で石段をコンクリートと石詰めにしたり、30キロほどの登山道を延長するときにヘリコプターで材料を運んで木道にしたりした国立公園もあります。<緑のダイヤモンド>という特別予算の時には、これが全部来たのです。予算があって造るときはいいですが、壊れて運び出すときもヘリコプターが必要になります。その予算をどこで取るか、こんな問題が二十数年後に起きるはずです。
 尾瀬には湿地が踏み荒らされないように木道が作られています。しかし、木道にする必要などないような地面も木道になっているのです。尾瀬ヶ原に行くまでの間、土を踏まないで全部木の上を歩くというのは、いかがなものかと、僕は思います。
 私が一番好きな道は、四万十川の支流の滑床渓谷という所にある宇和島街道です。宇和島から土佐に出る道で江戸時代からあります。ここの道がすごく立派だと思うのは、使われている石を全部、手で積んでいるからです。楠川歩道という、屋久島にある登山道で使われている石も、両方周囲20メートルの範囲から集めてきたものです。外から物を持ち込まない、そういう工法を採っているわけです。

 利用がある場所には、山小屋や登山道や道標があります。それらを設置するのが、国立公園の役目です。こういうものを整備しつつ、自然を壊さない範囲のことを考えながらレイアウトしていくことが国立公園のプランです。その支店で皆さんが国立公園を訪れた時に、風景は勿論ですが、その管理の姿や背景も見ていただければ、と思います。