2005年度 市民のための環境公開講座
   
パート2:
21世紀の新しい自然とのつきあい方  
第4回:
混乱する野生動物と人間の関係
講師:
羽澄 俊裕氏
   
講師紹介
羽澄 俊裕氏
(株)野生動物保護管理事務所代表取締役
1955年生まれ。1980〜1984年に環境庁「森林環境の変化と大型野生動物の生息動態に関する基礎的研究」プロジェクトにツキノワグマ班研究員として従事し、1983年に野生動物保護管理事務所を立ち上げる。神奈川県丹沢大山総合調査や自治体の特定鳥獣保護管理計画策定事業および検討委員、東京農大非常勤講師などを通して、野生動物管理にむけた社会システムの整備に取り組んでいる。
 
1.はじめに
 
 私は現在の仕事を始めて23年ほどになります。当時はNPO法人制度のようなものはなかったので、仕事の内容で評価していただければいいと思い、株式会社という形態で取り組んできました。
 私が学生の頃は、自然保護といえば、行政と対立する形での運動が主でしたが、行政側には野生動物の専門家がいませんでしたから、きちんとすすめていく術を何も持っていませんでした。私は学生時代から、生態系全体を考えつつ野生動物を保全していくワイルドライフ・マネジメントに強く関心を持ってきました。欧米のように、行政機関や民間に野生動物の専門家がたくさんいて、お互い協力しあってコンサベーションを進めていくという姿を日本の中にも構築しない限り何も進まないだろうと思ってきました。そのためには、野生動物や自然環境を保全する公的、社会的な仕組みをきちんと整備する必要があります。
 私がこの分野に関わりはじめた時代は、まさに高度経済成長のまっただなかで、過度な森林伐採やスーパー林道開発の問題、バブル時代のリゾート開発などによって、野生動物に対してかなり強いプレッシャーがかかり、野生動物の保護を真剣に考えなければならないほど緊急性の高まった時代でもあります。
 ところが、21世紀に入った現在、状況は大幅に様変わり、私は現在、農業、林業を守りましょうとか、地域を活性化するためにどうしたらよいかといったお話を各地でさせていただいています。何故そういう状況になったのか、まずは、日本の野生動物と人間との関係の現状についてお話したいと思います。
 
 
2.野生動物の分布と人との関わり
 
 自然環境保全法では5年ごとに自然環境の調査をすることが定められており、環境省のウェブサイトでも紹介されています。その中で、大型野生動物のクマ、シカ、サル、カモシカ、イノシシ、中型のアナグマ、タヌキ、キツネなど、全部で9種の分布が示されています。この調査は、もともと日本の野生動物の分布状況を調べようと1970年代の後半に動物研究者が立ち上がり、環境庁(旧環境省)とリンクして実施されました。全国をメッシュで区切り、動物の生息の有無を聞き取って、その分布をとりまとめたものです。この調査のおかげで、日本ではじめて国内の動物の分布状況を知ることができました。その後の2003年に再び同様の調査が行われ、1978年と比較できるようになり、25年間の大きな分布の変化が、私たちを驚かせています。
 
 
3.シカ
 
 日本の代表的な野生動物であるシカは元々平地に住む動物でした。積雪が50pを超える場所では、シカは移動が困難となる上、冬の間の主な食料である笹も雪に埋もれて食べられなくなるので、冬の間は雪の少ない平地の暖かいところへと移動して、大きなシカの群れが発生します。昔の人たちは、それを追い上げて、落とし穴をつくったりしてシカを獲っていたと考えられます。東京都多摩市あたりにもシカを獲るために掘った穴が遺跡で残っているくらいですから、シカはどこにでも普通にいたと思います。しかし、北海道から屋久島まで分布しているシカも、たとえば東北地方では、分布の空白地帯が広く見られます。東北地方には男鹿半島や角館など、シカの字のついた地名がたくさんありますし、古墳の中からシカの骨や角も出てくるので、シカが分布していたことは間違いありません。つまり、ある時代に何らかの理由でシカの分布が後退したということです。分布が後退した経緯についての細かい記録はありませんが、戦国時代には鎧甲冑の材料として、江戸時代にはたとえば雪駄の材料としてもシカの皮が使われていたことが知られています。シカの角や骨などもいろいろな細工物に使われており、江戸時代にはタイやベトナムからシカの皮が大量に輸入されるほど消費量が大きかったことも確認されています。こうした需要の高さから考えれば、おそらく日本の多くの地域でシカが盛んに捕獲されて、分布の消滅した地域が生まれたと考えることができます。
 人間が平地を農地に変え、さらに開墾されて都市がうまれたことで、多くの野生動物の生息地は山の中へと閉じ込められていったものと、容易に想像できます。1978年の最初の分布調査から読み取れる姿は、野生動物が人間によってもっとも分布を狭められた時代だったと考えられます。ところが、25年後の現在、シカの分布は大幅に拡大しました。分布が拡大した理由の一つに、暖冬で降雪量が減り、餌が雪に埋もれる機会が少なくなった。そのことで、冬を生き延びるシカが増えたことがあげられます。また、過疎によって農家も猟師も高齢化して、中山間地域における人々の活力が衰えたことも理由の一つにあげられます。しかし、動物の分布が拡大したということは、シカと人間との間の軋轢が増えているということでもあります。
 一方、林業の不適地に残されてきた自然環境が、シカの過度な被食にあって破壊されつつあることも、21世紀の新たな問題として浮上しました。たとえば神奈川県の丹沢山地の例はその象徴的な事例といえます。シカが下層植生を食べてしまうと、植物だけでなく、その植物に依存している昆虫やその他の生物相も消えていきます。さらに、植物がなくなって地面が剥き出しになることで、急峻な丹沢では雨によって土壌が流出し、立ち木の根っこが浮き上がり、倒壊の危機にさらされています。さらに冬になって狩猟が始まると、シカは山の上にある保護区に逃げ込みます。その結果、しだいに一年を通して保護区のシカの密度が高くなって、下層植生が食べ尽くされるという状況につながっています。こうした状況に対して、神奈川県では、さまざまな生物群集を対象に300人以上の研究者によって丹沢大山総合調査が実施され、保全のための政策づくりをすすめています。こうした状況は、丹沢に限らず、奥多摩、尾瀬、日光戦場ヶ原、大台ケ原などで、生態系に顕著な影響がでています。
 
 
4.イノシシ
 
 次はイノシシですが、非常に多産系の動物で、イノシシを家畜化したものがブタです。このブタとイノシシをかけあわせたイノブタはブタより美味しくなるという、本当かどうかよくわからない話に基づいて、猟師が養殖したり、勝手に自分の裏山に放したりしていますが、その結果、遺伝子汚染の問題が起きています。
 現在の東北地方にイノシシは分布しておりませんが、古文書には、八戸あたりでイノシシの農業被害が起き、何千人もの人が食料難で亡くなったというイノシシ飢饉の記録があります。彼らも日本中に広く分布していたはずですが、シカと同じように獲り尽くされたものと考えられます。
 しかし、彼らは繁殖力が旺盛で、一回に5〜6頭も子供を生みます。現在、西日本では、山の上から海岸まで、ほとんどの場所をイノシシに席巻され、市街地にも普通にイノシシが出没してニュースの話題になるほどです。今までイノシシがいなかったはずの、雪の多い長野県北部、北陸の富山県、石川県、群馬県、栃木県などにもイノシシが現れるようになりました。
 イノシシは鼻づらのところに牙があって非常に獰猛な動物です。そういう動物が町の中を当たり前のように行き来しているという現状は、いずれ事故につながります。ついこの前も、買い物帰りの女性の買い物袋にかみつき、指まで噛み切ってしまったという事故がありました。
 
 
5.ツキノワグマ
  私は30年近く、クマに発信機をつけて追跡する調査を各地で行ってきました。クマは猛獣ではありますが、非常に臆病な動物です。西日本の各地で分布が孤立して絶滅が懸念されています。クマは非常に繁殖率が低いので、小さい個体群になるとすぐ絶滅に瀕してしまいます。猛獣であること、古来から漢方医薬品としてクマノイ(胆嚢)が重宝されてきたこと、クマハギ被害(造林木の樹皮剥ぎ被害)対策のためといった理由で、盛んに捕獲がおこなわれてきました。また、クマは雑食性でなんでも食べますが、日本のツキノワグマは基本的に植物の果実を食べて生きていますから、自然植生がなければ生きられません。とくに林業が盛んに行われてきた九州、四国、紀伊半島といった地方では、ツキノワグマが絶滅に瀕しています。
 昨年の夏から秋にかけて、北陸から関西方面にかけて、クマの異常出没が大きな問題になりましたが、実は、過疎が進んだ地域では、森林の手入れも行われずに放置され、そのまま自然植生が再生して雑木林が増えています。里の周囲の森林がそうした変化を見せることで、多くの野生動物が里の周辺に普通に暮らすようになっています。里に暮らす人々も高齢者が多く、野生動物が怖がらなくなっていることも影響しているかもしれません。白昼堂々と農地や集落を歩くクマ、サル、イノシシといった野生動物まで現れています。こうして、人との軋轢はどんどん増えています。
 都会にいる我々はクマが絶滅しそう、かわいそうと思いこんで、「守れ」とか「殺さないで」と簡単に言いますが、実際に猛獣のクマと隣り合わせで暮らしている人たちからみると、「何が保護だ」と憤るのは当然のことです。なによりも、そのことに対して、きちんと取り組む体制がないということが非常に大きな問題です。
 
 
6.カモシカ
 
 カモシカはシカより質のよい毛皮、肉、角などが、非常に価値が高かったために乱獲され、昭和30年頃は幻の動物と言われるほどに少なくなりました。その結果、特別天然記念物に指定され、厳重に保護されてきた野生動物です。
 たとえば四国や九州にまで分布するカモシカが、中国地方に分布していないのは、人間が獲り尽くしたとしか考えられませんが、もう一つの大きな理由は森林伐採にあったと考えられます。環境省の1980年代の植生図では、中国地方の植生は土壌が薄くて痩せた土地に生える赤松林が多く存在します。これは、宮崎駿の「もののけ姫」にも出てくるたたら製鉄が行われてきた場所であることが原因と考えられます。鉄の精錬には大量の薪が必要でした。森林を伐採して薪を燃やして精錬をしていった歴史の舞台です。また、民俗学者の千葉徳爾さんの『禿山の歴史』という本によると、瀬戸内、特に赤穂のあたりでは、塩を作るために薪を燃料としていたことが書かれています。カモシカは木本の葉を食べるので、こうした伐採によってカモシカの餌がなくなったことも、分布の空白地帯を生み出したと考えて間違いないと思います。
 ところが、25年前と比べると、現在ではカモシカの分布が70%以上拡大しており、東北地方から中国地方にかけては、倍近く増えています。その増えたカモシカが農地にやって来て、地元の方が丹精こめてつくった農作物を食べてしまう。そのことでカモシカを駆除してくれという話になります。このように、もっとも手厚く保護されている特別天然記念物カモシカでも、野生動物としてきちんとした管理をしていかなければならない時代になってきました。
 
 
7.サル
 
 ニホンザルは世界でも一番北にいるサルの仲間です。が、東北地方の分布は非常に希薄です。それは、シカと同じように、冬に雪の少ないところへと降りてきたところを人間によって一網打尽にされていたためと考えられています。昔は、「サルの頭の黒焼き」が漢方として重宝されるとか、馬小屋の守り神としてサルの頭をぶらさげる「厩(うまや)猿(ざる)」という風習があったことで、サルの頭は非常に需要が高かったことがわかります。
 1978年の頃に全国的に分布がまばらである理由は、拡大造林時代に日本の多くの地域で急速に伐採が進んだことが大きな原因だと考えられます。サルも自然植生に依存して生きているため、人工林に変わってしまうと食べ物がなくなってしまうのです。サルは人に似ていることで猟師は本来捕獲したがらないこともあって、狩猟獣にはなっていません。にもかかわらず、サルの分布は、21世紀に入った今日もあまり健全な状況にありません。25年間のうちにサルがいなくなった地域があちこちにあります。これは、サルによる農業被害によって、どんどん駆除をしてきた場所がたくさんあるということを意味します。ところが、駆除を進めると群れが分派して、別の場所に分布が拡散し、被害も拡散していきます。こうして、サルと人間の関係は非常によくないまま、その分布はモザイク状に広がっているというのが現状です。
 
 
8.天然林と人工林
 
 1960年代に人工林はどんどん増えて20世紀の末にようやく増加が止まったものの、天然林はその間にどんどん伐採されました。数値上は広葉樹も多いと思えるかもしれませんが、ほとんどは高山に残っているもので、山の中間や低い山は完全に奥まで人工林に変わっています。これが林野庁の進めてきた拡大造林です。
 そして現在、日本の林業は完全に破綻しています。それは、急峻な日本の山から木を伐り出して降ろすのに莫大な人件費がかかり、国産材が非常に高くなってしまうのに対し、外国の天然林は育てるコストもかかっておらず、輸入のコストをかけても日本の国産材より、さらに安く消費者にもたらされるからです。現在の日本の森は、国有林や県有林の一部で手入れが行われてはいますが、民有林では、完全に放置されています。地元の市町村が手を入れたくても、相続によって土地の所有者すらわからない森林が増えており、勝手に手入れもできない状況になっています。放置された人工林は、枝打ちがされない状態が長く続いたことにより、森の中に光が差さず、下層植生はなくなり、獣もいない空間になっています。やがては、台風や冬の積雪でどんどん倒壊していきます。
 
 
9.過疎の問題
 
 今の日本では、耕地面積や耕地の利用率が減っています。要するに、農業をやることをあきらめて、農地が棄てられているのです。そういった場所のほとんどは山の急峻な土地で、若い労働力が確保できずに放棄されるといった状況です。放棄された耕作地は草が生い茂り、イノシシ、サル、クマなどの野生動物が来やすくなります。ところが、そのすぐ下ではまだ農業をやっていますから、農地のすぐ背景の茂みに獣たちが潜んでいる状況が生まれているわけです。
 昭和の高度経済成長期には、工業化一辺倒でやってきて、農業や林業は金にならない「4K産業」と言われるほどになってしまいました。食料も木材もほとんどを外国から輸入することで農林業は放棄され、若い世代に農業や林業の技術を継承する素地が失われました。
 過疎によってもう一つ大きな影響がもたらされました。狩猟登録免許を取っている狩猟者(ハンター)は、70年代には50万人いたのが、2000年には20万人、今では12万人ぐらいにまで激減したことです。なかでも20代の継承者は激減しています。狩猟者が減ることは野生動物の保護には一見いいことのように思えるのですが、野生動物の被害や、自然植生を破壊するシカの密度の抑制には、科学的計画に基づく捕獲は必要かつ重要な保全の技術です。したがって、彼らの衰退は、野生動物と人間社会のトラブルを避けるためのカードを失うことに等しいとも言えるのです。
 ハンターが減った理由は、私達が狩猟を次の世代に引き継こうとしてこなかったことによります。若い人はみんな都会へと出て行き、祖父や親父の狩猟の現場で学ぶ機会が失われてしまったためです。それに今の時代は、ひとり暮らしの若者が銃を保管することを容認する社会ではありませんし、愛護的な思想や歴史的に仏教に基づく殺生戒などの影響で、殺生に対する忌避感というのも漠然とあります。そういうことから、20代の人が狩猟を趣味にするきっかけも持てません。このことは、今後の野生動物の保全や管理にとって大きな課題になっています。
 
 
10.野生化した外来生物の問題
 
 私達が直面するもう一つの問題として、外来生物があります。アライグマ、マングース、小笠原で野生化したヤギなどによって、生態系や生物多様性が失われたり、農業被害、住宅に入り込むような生活環境害、保健衛生上の害などが広がっています。
 たとえばアライグマはとても指先が器用なので、簡単な檻であれば勝手に開けて出てしまい、急峻な壁も登ります。鎌倉界隈では古い住宅の天井裏に入って天井や壁を糞尿で汚してしまいます。アメリカではアライグマ回虫という人獣共通の感染症も問題になっています。そういった動物の対処について早急に手を打たなければならないのですが、そのための体制も整っておらず、合意形成をはかるための仕組みもないのが今の日本の現状です。
 
 
11.これからの野生動物との関わり方
 
 野生鳥獣の管理は保全のための行為であり、野生動物、生息環境、人間の三つの関係をいかにバランスよく保つか、また、いかにバランスを見出すかということを目指します。私は自分の会社の名前に保護管理という言葉をつけたことを少々後悔しております。というのは保護管理という言葉は、いかにも概念の未整理な状況を反映した日本語だと思うからです。保護管理という言葉はワイルドライフ・マネジメントの日本語訳として法律にも使われるようになりました。管理という言葉は、多くの日本人の感覚では、害獣の捕獲や、増えすぎた野生動物の個体数を調整をするための捕獲を意味するようです。しかし本来マネジメントは捕獲を考えるだけではなく、厳重な保護、生息環境、被害対策についても考えるものです。それら全体のバランスをどう調整するかを考えるのが野生動物の保全(ワイルドライフ・コンサベーション)であり、管理(ワイルドライフ・マネジメント)です。そうした誤解を避けるために保護管理という中途半端な言葉が使われています。現在、被害者団体と話をする機会には、この保護という言葉があるだけで抵抗感があるようで話が全く進みません。マネジメントとは組織の運営管理と同じことなので、そのままマネジメントという言葉を用いたほうが、つまらぬ誤解を生まなくて良いかもしれません。
 
 神奈川県では増えすぎたシカに対する日本で最初の取り組みを行おうとしています。まず植生保護柵をパッチ状につくって緊急避難的に植生を回復させる作業を行い、それと同時に捕獲や追い払いなどで保護区の中のシカの密度を低くおさえます。今まで林業をやっていた中間帯では、木材となる木が食害にあわないように作ってきた柵を、植物がある程度育った段階でシカのために開け放し、ある程度食い尽くしたらまたフェンスを閉めてシカが入らないようにして、保護区を追い出されたシカの個体群が生きていける食物を確保して、そこでシカを維持していこうという壮大なプランを持っています。また、山麓で銃を撃つことでシカが保護区に上っていくので、狩猟の場のあり方を変える工夫もしようとしています。こうした取り組みを全国各地で具体的に展開していかないと、野生動物はどんどん増えて溢れて街の中に出てきます。
 
 日本は生物多様性条約に加盟しています。ですから、生物多様性国家戦略を作成して生物多様性保全を推進することが義務になっています。ところが、この生物多様性保全の理念は、国民の心にまったく浸透していません。そのため地域社会(市町村)の判断としては、地域住民の財産の保護や安全を優先して、野生動物は害獣としか扱われません。さらに害獣は駆除するということがあたりまえのことになっています。被害の多い地域の市町村長ならどなたも、「生物多様性保全は隣の町でやってくれ」とおっしゃいます。そうではない社会、被害対策に駆除に変わる対処の工夫をする社会を生み出すことが大切なことですが、そのためには、やはり小さな子供の義務教育の段階から、生物多様性保全の理念を、難しい理屈はぬきにして、あたりまえの道徳、社会倫理として教育していくことが大事であると思います。
 
 野生の動物が人前に出てくるのは、そこに食べ物があるからです。農地で収穫されずに残った農作物に集まるイノシシやクマ、都会で毎日大量に排出される生ゴミに依存して生きるカラス、ドブネズミ、クマネズミ、ネコ、その他の野生動物は、はたして野生の動物なのでしょうか。完全に人為的な食べ物に依存した時点で、私たちは野生動物の野生として生きる尊厳を奪っているように思います。
 多摩川にアザラシが泳いできたからといって、すぐに餌をやりたがる。その一方で、被害が出ればすぐに殺せという反応に変わるのが、日本の社会のよくないところです。そうした一貫性の無い価値観で動いているようでは、生物多様性の保全なんてとんでもない話なのです。そのあたりも含めた環境教育も必要です。
 
 自然環境や野生動物は自然資本とも言われます。国民や人類の共有財産の保全や管理は公共事業であるという認識に基づいてやっていかないといけません。別の見方をすれば、野生動物との軋轢を解決するための管理は、地域住民の社会基盤整備とも言えるものです。現状では、そうした業務をこなす人材が、各地域にまったく存在しないことが問題です。
 これまでのダムや道路のようなハードにかわる公共事業として事業費を確保し、地元の雇用の創出を生み出せば、地域の再生につながります。林業、森林管理、捕獲、被害対策、調査、そういう業務をこなす人が必要となります。現在、大学には自然や野生動物の仕事に就きたい学生があふれています。また、地元に帰りたいけれども職がなくて困っている若い人もたくさんいます。地域の社会経済の再興を視野に入れ、そうした議論の中に地域の森林環境や野生動物の管理を担う人材を貼り付けることは、今後の地域社会の一つの方向性であると考えます。そのことによって、若い人と高齢者の方々との接点も生まれてきます。
 
 こうしたことを推進するためには専門性のある人材を育成し、必要なポストに配置していかなければなりません。まずは行政のなかに専門職をおいてほしいという話をしても、小さい政府論の中で、行政に人を増やすなどとんでもないと言われる時代になりました。しかし、自然環境の管理は公的なものですから、官の中に計画策定を行ってリードする専門の人を増やすことは必要です。それを支えるかたちで民間がある。私はそういう思いでやってきましたが、現在、野生動物の問題は、国から地方へ、官から民へという声ばかりです。しかし、民間にやらせておけばお金がかからないというのは大きな間違いです。自然環境の相手をするには多くの人を投入することになりますから、公共投資をしなければできないことです。
 去年はクマの問題で大騒ぎになりましたが、行政に専門家が配置され、きちんと取り組む状況が生まれ、野生動物に対処する民間企業やNPOがたくさん生まれてくればいいと思います。
 地域の過疎問題をほったらかしにして、このまま人間と野生動物との軋轢を放置しておくならば、今後、さらに問題が大きくなっていくことが心配です。自然環境の保全は日本の社会構造改革と無縁の問題ではないということを認識いただいて、私の話を終わりたいと思います。