2004年度 市民のための環境公開講座
   
パート2:
自然に親しむ  
第4回:
世界遺産屋久島の自然・観光・地域
講師:
日下田 紀三氏
   
講師紹介
日下田 紀三氏
写真家・屋久町立屋久杉自然館館長 1940年 栃木県生まれ。早稲田大学卒。NHKでドキュメンタリーの撮影を担当し、1981年にNHK退職、家族とともに屋久島に移住。以来フリーで写真撮影、執筆、講演などの活動を行う。1991年 屋久杉自然館館長就任(非常勤・現職)。現在の主な仕事は「屋久島自然観察ガイド」山と渓谷社、写真集「屋久島」八重岳書房、TBSテレビ世界遺産「屋久島T・U」監修など。
 
1.はじめに
 
 私は以前、NHKでカメラマンをしていましたが、辞めた後、写真家になりました。
 屋久島というと、まず縄文杉という巨木をイメージされる方が多いと思います。勿論、屋久島ではずいぶんインパクトのある存在ですが、決してそれだけが屋久島ではありません。私は、屋久島は、いろんなものが集まった塊のようなものだと思っています。今回はそれをご紹介したいと思います。
 
 
2.屋久島の気候と地形
 
 屋久島においでになった皆さんがまず気にするのは、実は「お天気」です。東京で36℃以上ある日でも、屋久島では31℃でした。東京の方がものすごい暑さですね。屋久島には山があるせいでしょうか、昼間は海の方から、夜8時ごろになると山おろしの風が吹いてきます。私の家などは、開けておくと夜11時ごろには寒くなってしまいます。自然の仕組みによる空気の動きというのが、そういうところに出るのですね。
 屋久島の中央部に聳えている山は九州で一番高い宮之浦岳です。岩の山が海岸まで迫っています。屋久島は、大きな御影石や花崗岩の塊が隆起してできた岩山で、ところどころ岩が露出しています。そして、裾野の平地があると思えないようなところに人が住んでいます。屋久島には、西部林道と言われている、世界遺産登録地を通過している唯一の道路があります。
 屋久島の海岸では珊瑚礁が発達していて、潮溜まりのある海岸がよく見られます。こういう潮溜まりには熱帯魚の稚魚がたくさんいます。屋久島の海はまるで海水魚を集めた水槽のようで、もう応えられないほど泳ぐのが面白いです。屋久島の西側にはきれいな砂浜もあります。
 屋久島は雨の島と思われていますが、晴れると本当に光が強いです。屋久島の人はみんな黒いので気がつかないのですが、東京へ来ると私だけひときわ黒く目立っていて、いかに日に焼けているかということに気がつきます。あの屋久島の豊かな緑は水と共に光がつくりだしているということも、こういう日差しの中で納得させられるところです。
 
 
3.屋久島を彩る自然の風景
 
 屋久島にはいろいろな花があります。海岸ではテッポウユリが5月の連休あたりに見ごろを迎え、連休明けの1ヶ月以上続く激しい梅雨の後にはハマユウが一斉に咲きます。実はこのテッポウユリが世界中の花屋さんで売られているそうです。
 屋久島は、周りが海なので夕日もきれいです。屋久島の北側に突き出している矢筈岬から見られる東シナ海の夕景はなかなかのものです。
 今年の冬はとても雪が多かったので、雪に覆われた屋久杉の森から、山頂が真っ白になった標高1886mの永田岳花崗岩の岩の峰が突き出しているといった光景を見ることができました。屋久島では下のほうの温度が高いので、常緑の照葉樹林の向こうに雪の山が聳えるという光景になります。
 屋久島は、海水面から山頂まで1900m近い標高差があります。100mごとに0.6℃ぐらい気温が下がるので、それによって植生も移り変わっていくのが見られます。下の方は、人間の影響もありますが、亜熱帯の樹木も多い照葉樹林、中腹までは東京より南によく見られる本来の照葉樹林の様相、標高1300m付近では平均気温が東北中部ぐらいとなり、1800mを超える黒味岳の頂上付近では、屋久杉がだいぶ萎縮したものや高山的に白骨化したものが点在して、潅木林といったような様相となります。キバナノコマノツメは、北極圏に近いような亜寒帯やヨーロッパアルプス日本アルプスで見られる植物ですが、屋久島の山頂でも見ることが出来ます。氷河期に南下したこれらの植物は、温暖な時期を迎えたときに気温の低い山の上で生き残ることがあり、氷河期の生き残り植物と言われております。屋久島の山はこういう植物に適するほど気温が低くないのですが、風が強く雨も多い、栄養も貧しいという過酷な環境で、南の植物が山頂を充分に覆いつくせなかった隙間で生き残っているのでしょう。こういう様相というのは、なかなか他所では見られないのではないかと思っています。
 低山の森は照葉樹林ですが、かなりの密度で樹木が茂っていて、上から見ると緑のモザイク模様に見えるほど樹木の種類が大変多いです。ヤブツバキ、サザンカ、センリョウ、マンリョウなど、庭木に使われている植物が多く、みなさんには大変馴染みの深い樹木が多い森だということがわかります。川も、山間の渓流がそのまま海に続いてしまうような様相ですから、関東平野のような中流域が屋久島にはありません。そのためか、フナやドジョウ、メダカが屋久島にはいないそうです。さらに、屋久島は地形が険しくて雨が多いので、あちこちに滝があります。大川(おおこ)滝は、森を揺るがすような勢いで落ちる滝ですが、この滝があるところは標高が数mしかなく、落ちた水はすぐ砂浜に流れ出てしまっています。
 日本中でシカやサルを見ることはできますが、屋久島の森では、餌付けをしていない、まったく野生の状態の生き方をしている動物の様子を間近に見ることができます。そういう意味では、大変貴重な場所だと思います。野生生物の生き方を垣間見るぐらいのところが、人間との接点の持ち方としてはいいのではないかと、よく思います。屋久島にはヤクシカとヤクシマザルという固有種がいます。ニホンジカ、ニホンザルの亜種で、ちょっと体が小さいという特徴があります。体は小さくてかわいらしいとはいえ、雄ジカにはそれなりの緊張感と存在感があります。写真を撮る私としては、結構、雄ジカに惹かれるところがあります。
 
 
4.屋久杉
 
 標高800mぐらいのところには、いわゆる屋久杉の森が広がっています。屋久杉の森といっても、スギ以外のいろいろな樹木が育っていて雑然としています。スギばかり育っている森は木材を得るために人間が栽培した人工林で、自然の杉の森林は本来こういう状態なのです。日本のスギは、南の方では照葉樹林の中に混じって育っているし、北の方ではブナ林に混じってスギが育っています。これが、やはり自然の森林、自然の杉の育ち方、本来のあり方だということのようです。
 縄文杉といいますと、縄文杉だけが記念碑か御神木のように画面いっぱいに写っている写真が多いですが、実際はスギの密度がそれほど高いわけではなく、広葉樹など実にさまざまな樹木が育っているなかの一本の樹木なのです。
 観光客がよく行くヤクスギランドという自然休養林の中には、いろいろな太さの屋久杉があります。実際に行ってみると、たいへん高齢なもの、中堅世代、生まれたばかりのものと実に様々です。様々な世代があって初めて森が持続する、命が続いていくということがわかっていただけると思います。老巨木ばかりでは後に続くものがなくて困ってしまいますからね。大きな木が倒れると明るい場所ができて、光を好む次の世代が誕生するという仕組みが働き、いろいろな世代が同時に存在して持続しているという様相を、目の当たりにすることができるわけです。
 
 
5.水に恵まれた屋久島の森
 
 屋久島は雨の島、水の島と言います。屋久島の森に行くと、どこでも水の音が聞えるくらい渓谷がたくさんあります。雨が多いですから、霧もかようというような様相です。白谷雲水峡は、「もののけ姫」のイメージもあって女性にも非常に人気のある場所ですが、ここだけが素晴らしいということではなく、標高600mぐらいの屋久島の山の中はどこだってこんなものです。
 屋久島の山は岩ばかりで表土がほとんどないため、屋久島の樹木はほとんど岩の上に育っているようなものです。水を蓄える力の無い岩の山にあれだけの森林が成立するのには、表土を覆うコケも重要な役割を果たしていると思います。よく降る雨で発達したコケが水を蓄えてくれているのです。屋久島には樹木の上の方までコケに覆われているものもあり、「もののけ姫」の森のイメージを屋久島で得たというのは、なるほどと私も納得するところです。
 土は水を蓄える力もあるし、空気もある程度流通させる力もあるし、しかも根を張って植物が体を安定させるのにも役立つといった物理的な特性を持っているので、土の上に木が育つのが望ましいのですが、そういう条件が整わなくても、水と光、空気があればどんなところでも木は育ってしまうということですね。さまざまな樹木が他の木の上でも育ってしまってもいます。乱暴な表現ですが、屋久島は岩つきの盆栽に欠かさずに水をやっているようなもので、もし雨の少ない土地柄だったら、ただの裸の岩山になってしまっていたのだろうと、よく思います。
 屋久島の森にはいろいろな樹木がありますが、よく目立つのはヒメシャラ、これはナツツバキの仲間です。屋久島のヒメシャラはとても大きく、直径50cmを超えるものがざらにあります。とても暗い森の中では、あでやかな艶のある赤い幹のヒメシャラがとても美しいです。
 
 屋久島の海は、東シナ海を北上してきた暖かい黒潮が屋久島の南側から太平洋に抜けていくので、非常に海水温が高くなります。夏は30℃まで上昇した海水から発生したものすごい量の水蒸気が、南東の季節風によって屋久島の山肌を昇っていき、屋久島の上で巨大な積乱雲となります。その、積乱雲に蓄えられた水が一気に屋久島に落ちてくる。その雨水が、岩だらけの屋久島の森を育み、谷を通って滝をつくり、平地に住む私たちにも恵みを与えてくれるわけです。実は余り知られていませんが、屋久島では10万人規模の町を賄えるぐらいの水力発電を行っています。屋久島には14000人しか住んでいませんから、余りある電気を活用した、電源立地の工業の島となっています。また、日照りの夏でも、森が蓄えた水がずっと川へ流れ出ているので、それを取り込んで農業用水としても利用されています。そして、水が海に流れていくと、また水蒸気となって大気に取り込まれるという、一つの循環が見えてくる。これは別に屋久島でなくても、世界中どこでも見られる、水を軸にした循環だと思いますが、屋久島ではそういうものを実感することができるのです。このように話すと理屈っぽいですが、屋久島にいると目の前が海で後ろが山で、みるみる雲が発達してザアっと雨がくるわけですから、今の話が本当に見えてくるんです。これは、非常に貴重な面だと思います。私は、屋久杉の巨木がある島というより、自然の成り立ちが見える島という方が、価値が大きいのかなと思います。
 
 そういうことで、さまざまな要素が寄り集まって屋久島の自然をつくっているということがおわかりいただけたかと思います。屋久島の縄文杉も、そういう多数の要素が寄り集まった中の一つの命ということをご理解いただければたいへん有難いし、屋久島が、そういうことを納得してもらうためのフィールドになればいいと思います。
 
 
6.世界遺産としての屋久島
 
 地域の側から見た世界遺産としての屋久島について、その手がかりをお話したいと思います。
 屋久島には広大な国有林があることから林業の島と言われてきましたが、国有林の経営者は日本国ですから、森林労働がある島という意味でした。つまり、国有林事業が減少すると仕事が減ってしまうのです。自然保護の声の高まりや、安価な輸入材によって国有林事業がどんどん縮小し、屋久島はその存在を問われる時代がありました。果たして国有林というのは私たちの地域を支えきるのだろうかという疑問を、誰もが持ったと同時に、日本の状況を反映して屋久杉を大事にしなきゃという声もあるわけです。そういうわけで、自然保護か生活か、両極端の議論がおこなわれるような状況が、昭和50年代の半ばぐらいに起こりかけました。
 国有林事業は減少し、屋久杉を守ろうという言葉だけでは屋久島の将来展望ができない。それで、昭和50年代の後半ぐらいから地域の人たちが模索し始めました。屋久島の人たちが誇りにしてきた屋久杉や森林を、充分に評価しながら活かすことこそが屋久島の価値なのではと誰でも思い至るようになり、そういうなかで手探り状態で動き始めました。そういう状況の中、鹿児島県が、屋久島で自然環境を大事にしようという動きがあることにいち早く気づき、屋久島を自然環境学習のフィールドにするプロジェクトを提案してきました。その流れで、世界遺産登録を提案され、登録されたという経緯です。
 私がいま館長を務めている屋久杉自然館は、実は世界遺産になる前からあり、世界遺産に登録されたときの世界保護連合のレポートで、地域がこれだけの費用を使って自然の価値や自然保護の大切さを訴える支援事業を行っていると、博物館を例に挙げて評価されています。この博物館は、昭和50年代の後半に地域の人々が模索し始めたころに、自然の価値とそこにいた人のことをちゃんと評価しておこうという経緯でつくられたものです。そのような地域の動きが、現在の世界遺産屋久島という状況をつくりだしてきたと思っていただければよろしいかと思います。そういう意味では、屋久島では、自然の評価と人の暮らしというものを重ねて考えているわけです。長期的に考えると、自然や環境を大切にするような日常の暮らしを築いていかないと破綻すると、皆が感じたのです。当時は理論構築までいきませんでしたが、屋久島の自然を守るためには自然環境と整合性の高い生産や消費をつくることが基本だという認識を示したのです。それを屋久島では、憲章という形にしたり、二つの町が共通の環境基本条令に盛り込んでいたりしています。
 屋久島が世界遺産に登録されて、取材で「世界遺産を守るために皆さんは何をしていますか」という質問を受けますが、世界遺産登録地はほとんどが国有地です。管理者である日本国がしっかり管理して、私達はゴミを持ち帰りましょうとキャンペーンをやるぐらいです。自分たちの暮らしや生産の環境を大事にすることが、結果的に世界の宝と言われるような自然を守ることになるのです。それを地域はしっかり認識している。ただし、そこには財政状況などの問題もありますから、やれるところから取り組みましょうということで、ゴミを分別回収したり、食用油を燃料として役場のディーゼルトラックを走らせたり、屋久島の家庭から出る生ゴミの90%以上を堆肥化したりしています。やはり、自分たちの暮らしそのものが、屋久島という一つの世界の中でつながっているように見えるというのは島の特性ですね。例えば、家から汚れた水を流してしまうと下の田んぼに入っていってしまう、そのまま下の海に行けば○○さんが毎朝網を引いている所を汚してしまうというふうにつながっている。この感覚は日本中の田舎にもありますが、屋久島の暮らしを絡めた環境に対する認識の高まりや改善が、屋久島に住んでいる人たちにとって、どう屋久島を守っているかという問いへの答えになるのだろうと思います。
 
 
7.観光と屋久島
 
 屋久島が世界遺産になって、屋久島の観光客の増加はこの10年間で倍ぐらいになりました。世界遺産登録前に屋久島に高速船が走るようになって、アクセスが改善されたのが大きなインパクトでしたが、それしか交通手段がないので、年間では10%弱ぐらいの増加です。この増加分を、地域の民宿が旅館になったり、旅館がホテルといっていい規模になったり、新たに民宿が誕生したりと地元が吸収した部分が大きいですね。私は、屋久島は国有林事業が中心だったがために、国有林事業が消えたとき、資本も経営のノウハウもない島の人が自分達で経営するようになったらどうなってしまうんだろうと、非常に心配でした。しかし、今のところ大混乱には陥っていないようです。なんとか頑張って、地域のノウハウで需要を支えているというのが現在の状況だろうと思います。
 観光客の増大で懸念される点は、どうしても縄文杉を見に行きたいと言う人の比率が増えていることですね。どんなに善意のある人だって足跡や排泄物による自然環境への部分的な負荷が発生してしまいます。また、有名になるにつれて、そこだけ見るという人が増えてきています。ひたすら縄文杉だけを見に行った人たちには、生まれたばかりの屋久杉の子供などが見えたのだろうか、そうでなければとても残念です。ウミガメの産卵を見に夜だけ海に行く人も多いのですが、その人たちはウミガメがどういう海の、どういう浜に上陸するかは知らないのです。
 ただし、そういう観光の仕方はどうかと疑問を持つ方もここ最近多くなっているようです。夜にウミガメの産卵を見るより、昼間の明るいときに行って海を眺め、白い砂浜や空の広がりを見る。そして、暗くなったらウミガメがここに産卵して、生まれた子供はカリフォルニア沖まで旅をして大きくなるという話を聞いて、想像力を膨らませた方が、どうも本当だろうと思う人も最近増えているようです。やはり、そういうことが大事だろうと思います。
 私は、屋久島が今問われるとすれば、自然環境を守る上でも、地域の経済を健全に発展させるという意味でも、観光客の方に自然の成り立ちや自然を正しく認識してもらうためにも、誘導の仕組みづくりが非常に大事だと思っています。
 
 少々最後、勝手なことも申し上げましたが、私が屋久島で実感していることを、とりとめのないままにお話させていただきました。どうもありがとうございました。