2004年度 市民のための環境公開講座
   
パート1:
身近な環境問題  
第3回:
都市にもっと緑を
講師:
武内 和彦氏
   
講師紹介
武内 和彦氏
東京大学大学院農学生命科学研究科教授
1951年和歌山県生まれ。東京大学理学部地理学科卒業、同大学院農学系研究科(緑地学)修士課程修了。東京都立大学理学部助手、東京大学農学部助教授、同大学アジア生物資源環境研究センター教授を経て1997年より現職となる。2004年から2005年まで東京大学アジア生物資源環境研究センター長、2005年8月から東京大学国際連携本部長,サスティナビリティ学連携研究機構副機構長も務める。
世界各地域で約30年にわたり砂漠化防止、持続的農村環境の整備、巨大都市の環境改善などに取り組んでいる。著書は「環境変動と地球砂漠化」(朝倉書店、共著)、「生物資源の持続的利用」(岩波書店、共編著)、「環境時代の構想」(東京大学出版会)、「生態系へのまなざし」(同、共著)ほか。
 
1.はじめに
 
 1960年代頃から、人間と自然との関わりを取り戻そうという動きが始まり、「里山」という言葉が使われるようになった。それとともに、もう一方の重要な問題として「都市の緑化」が注目されている。あらゆる工夫を施さなければ、都市の緑は減る一方である。どんな工夫をすれば都市の緑は増えるのか、国内外のあらゆる事例を見ながら考えていく。
 
 
2.都市緑化の起源 〜イギリスの都市と緑〜
 
 都市に緑が必要だということは現在では当たり前のように考えられるが、実はその必要性が理解されるようになったのは産業革命以降だ。都市というのは元来西洋的な概念だ。ヨーロッパの古い中世の都市を訪れると、意外に町の中に緑がない。中世には、都市と自然は対立関係にあると考えられ、都市の最大の目的は市民を安全に暮らさせることなので、余計なものを排除してコンパクトに存在するのが理想とされ、人々が集る広場、祈りを捧げる教会、住むための住居などは必要だが、それ以外のものは都市の外側にあればいいと考えられた。都市の外側には広大な農村が広がっており、緑をわざわざ都市の中に持ち込むことなど誰も考えなかったのだ。
 都市が緑を必要とするようになったのは、明らかに産業革命とそれに伴う都市の肥大化、近代都市の誕生が大きく影響していると考えられる。産業革命によって、最初に深刻な環境問題に直面した都市はロンドンだ。工業を興すためには労働者が必要で、そのための人材が郊外からどんどん集り、ロンドンは世界で最初の百万都市になった。その結果、急激な人口の増大と市街地の拡大がおきた。また、産業革命による技術的革新が巨大都市化に拍車をかける結果となった。その一つは鉄道の発明により、遠くからの人々が都市に入れるようになったことだ。また、都市で人が生活するための最も必要となるのは水だ。それまでのように地形の高低差を使って水を引くだけでは、自ずから養える人口に限界があったが、テムズ川から蒸気機関を使って水を汲み上げ、町の中に水を運ぶことができるようになった結果、百万人もの人が住めるようになった。以上のような技術革新により、町が肥大し様々な環境問題が生じた。当時はまだ人口増大に乗じた社会基盤整備が十分に行われていなかった。特に労働者は安い賃金で働いており、たいへんな環境問題が引き起こされた。当時は石炭で火を熾し、居住区で大量の煙を輩出していたため、いわゆる亜硫酸ガスの被害で人々の健康が害された。また水質は劣悪になり、コレラなどの病気が発生し、人々が衛生環境の悪化に苦しんだ。このような状況の中、都市環境をなんとか改善しようという考えが生じるようになった。
 ロンドンなどの都市では、公害問題緩和のために緑が必要となった。心を安らげる単なる装飾物程度のものとしてではなく、劣悪な環境を改善するための装置として緑を都市に導入した。また、都市の中の緑は身近なレクリエーションの場を提供するようになった。町が小さかった頃は、一歩郊外に出れば広い農村があり、様々な農産物や自然に触れることができたが、都市が肥大化すると、生活の中での憩いの場がなくなってしまった。そのような場は労働者の生活環境を守るために重要なものだと認識されるようになり、そのためにも緑の必要性も認められた。
 しかし、ロンドンの環境は今更緑を育てるという方法では間に合わないくらい危機的状況にあったため、皇族・貴族は英断を揮い、自分達の土地である狩場や庭園を解放した。これが公園の始まりだと言われている。王室起源の都市公園として有名なものにロンドンのハイドパークがある。さらに、都市全体を緑で囲む「Green Belt」という構想が生まれた。イギリスのロンドンを始めとした都市には今でもGreen Beltが残っている。農地、林地、空地によって構成され、都市を緑の輪で囲み、都市の無限の成長を抑制し、同時に人々が比較的近いところでレクリエーション活動を営めるようにした。Green Beltは世界のいくつかの都市で実現している。日本でも戦前・戦中にGreen Beltをつくろうという構想が持ちあったが、敗戦とその後の政策により実現しなかった。一方、隣国の韓国は、軍事的緊張が高まり、防空空地としての都市緑化が促進され、Green Beltが実現され、現在まで維持されており、都市緑化が各国の情勢にも大きく影響を受けていることがわかる。
 1898年、イギリス人のエベネザ・ハワード(Ebenezer Howard)が、都市と緑が一体となった理想的な都市づくりとして「田園都市(Garden City)」を提唱した。ハワードはロンドン郊外のレッチワースとウェルウィンという町でこの田園都市を実現している。また、ハワードの「田園都市」のダイアグラムを見ると、スラムや煙害のない理想的な都市の中にあるべきものとして、市民農園(Allotments)、新しい森(New Forest)、大規模農場(Large Farms)、農業大学(Agricultural College)などの他に、浮浪児の家(Homes for Waifs)、精神病院(Insane Asylum)、回復期の患者の家(Convalescent Homes)などの施設まで列挙されており、ハワードがロンドンのような巨大都市における病理的で疲弊した環境を改善するためにこのプランを提案したのだということがよくわかる。彼が自らつくり上げたレッチワースの町は、都市自体が一種の有機体として機能し、持続性を保てる都市という考えから、住宅と農園によって自活的な生活ができるよう設計されている。100年経った現在でも、レッチワースは豊かな緑に囲まれ、農地もそのまま活用されている。このような状態が持続できたのは、土地をすべて私有地にせず公社が一括管理して敷地の細分化、農地の開発を禁止してきたためでもある。都市の緑化において私有地の拡散は大きな問題である。
 
 
3.都市の緑の役割
 
 都市の緑には様々な役割がある。人間性回復の場、レクリエーションの場、都市の大気を浄化することの他にも、諸環境問題の解決策としても機能する。例えば地球温暖化というグローバルな問題とは別に、近年東京を始めとする巨大都市は異常な暑さ(都市気候)に見舞われている。熱がドーム状にこもり、外に逃げずに島になっているため「ヒートアイランド(熱の島)」と言われる。これをなんとか緑で分断し緩和したいと、多くの都市で取り組みが行われている。最近、東京都が地球温暖化防止行動化計画を決定したが、その中でも東京都の場合は二酸化炭素の削減だけでなく、東京自身のヒートアイランド防止も大事であり、そのためにも都市の緑化が重要だと指摘している。また、近年都市の中で生物多様性が維持できる環境をつくろうという動きがある。生物多様性国家戦略を立て、身近なところに生き物が生息できるような環境をつくるために、緑を活用しようという考えを盛り込んでいる。さらに、災害時の防災避難場所としての緑の役割も期待さている。特に日本でその重要性が実感されたのは、阪神・淡路大震災の時だ。震災時に、建物は多く崩壊したが、樹木の根っこは地震の揺れをソフトに受け止め、ほとんどが無事だった。建物は壊れても緑は残り、焼け止まりとして効果を発揮した。また建物が倒れても、街路樹のおかげで避難路が確保された例も報告されている。また、炊き出しなど、公園が避難生活の場にもなった。このように公園の防災機能がとても大事だということが証明された。
 
 
4.海外の都市緑化の取り組み
 
 大気浄化、ヒートアイランド緩和、生物多様性維持、という緑の効能を活用し、最も先進的に取り組んでいる例として、ドイツのシュツットガルドがある。シュツットガルドはドイツの中で「暑い都市」と揶揄されており、メッカ川流域の盆地で、周りは小高い丘に囲まれ、町は盆地の底に沈んでいるという地形である。シュツットガルドの都市計画局が調べたデータによると、様々な工業が成立し、川沿いに多くの工場があるため、町のある一番低いところから熱が発生し、外に出て行けずにドームのような形の熱の島ができてしまう。町の周りには緑があっても、中に緑がないと熱の固まりを吹き飛ばせないことがわかった。そこでシュツットガルドは、都市気候を改善するための緑の計画を作った。都市の中を冷たい風が入るところを全て緑化し、「緑のU」と言われる風の通り道を作った。また、風が通った時に、冷気を溜めるために木を植えて緑のダムを作った。その他にも、新しい建物を作るときには緑化を義務付ける、風の通り道には建物を建てさせないなど、様々な取り決めをした。また、電車の線路にも牧草を蒔き、緑の帯としている。このため、夜間の電車が通らない時間にはここを動物が通るようになった。また、街路樹の脇には、数が少なくなった野草を遺伝子かく乱にならないよう近傍から移植し、生育場所としている。この町に本社があるメルセデス本社でも、屋上緑化に積極的に取り組んでいる。乾いて痩せた土地でも生育できる植物を植え、手間をかけずに一年中維持できるようにしている。これにより、建物の表面温度は10度弱軽減されるという試算が出ている。結果的に都市気候だけでなく建物の中の冷暖房も節約できるというメリットがある。また、植物が必要としない量の雨が降った場合、地べたにせせらぎをつくり、ビオトープ(人工的生物生息空間)を形成している。
 また、世界中で最も緑化に熱心なのはシンガポールとマレーシアのクアラルンプールだ。熱帯都市ではとにかく高温から人々を守ることが最優先課題で、涼しい環境をつくる努力をしている。中緯度温帯都市が美化のために緑化をするのとは切迫感が違う。近年はビルがどんどん高層化しているので、ちょっとした緑を植えただけでは対応できないため、シンガポールでは「都市にジャングルを持ち込もう」という発想で、国の森林局が乗り出して緑化に取り組んでいる。課題となるのは維持管理で、木が折れるだけで車が壊れるなどの事故につながるため、多くの努力を費やさねばならない。チャンギ空港から街中へ向かうハイウェイには、レインツリー、アンサーナという落下傘状に広がる独特な木を街路樹に植えている。植樹の幅を定め、両脇の木が接して太陽が道路に差さなくなるまで成長させているため、街中までほとんど太陽の光がない状態だ。また、日本では駐車場と言えば、できるだけ駐車台数を増やそうとするが、シンガポールでは車が暑くならないように地面に一面に芝生を張り、水が地面に入り込んでいけるようにする。また、高速道路の橋桁に蔓植物を這わせ、「緑の靴下」をつくり、日が差さないところまで緑化している。シンガポールは信念を持ち、経済的なことまで考えて徹底的な都市緑化を行い、世界のビジネスセンターとして中緯度温帯のニューヨーク、ロンドン、東京に匹敵する都市になりえた。国土が狭くとも、様々に工夫して、努力すれば緑化は可能だ。私たちも熱帯アジアの都市に緑化について学ぶ必要があるのではないだろうか。
 
 
5.日本の都市緑化の取り組み
 
 アクロス福岡(福岡国際会館)では様々な技術を駆使して建物全体を緑化している。例えば、人工軽量土壌という普通の土の20分の1位の重さの土を使い、ビルの加重負担を軽減し、この上に木を乗せ、散水設備を設けている。これは有名な先端的な緑化の例だ。
 また、六本木ヒルズの屋上には田んぼが作られている。ハワードの提唱した田園都市は、要するに、都市に田舎要素を持ち込むということだ。世界で最初の近代都市公園であるニューヨークのセントラルパークを設計したオルムセッド(Frederick Law Olmsted)は、彼の出身であるヨーロッパの田園に憧れ、ニューヨークという街にヨーロッパの田園を持ち込むという発想の下、「緑の芝原」案を考え出した。セントラルパークの中には様々な農村的要素があり、シープメドウ(Sheep Meadow、羊を放し飼いにする場所)という名前の広場はその代表である。一方、日本で田園風景といえば田んぼである。六本木ヒルズではその発想に基づき、田んぼを都市に取り込むという大胆な取り組みを実行した。ここでは実際に田植え、稲刈り、収穫も行い、市民農園のように機能をしている。このように東京の都心の真っ只中に日本の典型的な里山の景観が再現されているのは非常に興味深い。
 森ヶ崎水再生センターではリトルターン・プロジェクトを行っている。コアジサシという鳥はオーストラリアと日本を往復しているが、日本ではコアジサシの生息環境となる湿地がどんどん埋め立てられ、ついに絶滅危惧種になってしまった。ところが、森ヶ崎水再生センターの屋上に汚泥を撒いたところ、コアジサシが営巣をし、産卵するようになった。コアジサシの生息には、草原ではなく裸地がいいということなので、ボランティアが草刈りをしたり、草の生えにくい砂に変えたり、様々な手法を現在も模索中である。今年あたりは千羽くらい卵が孵る予定だ。
 約30年前のヨーロッパで、なくなった自然を嘆くのではなく、再生させようという運動がおき始めたのをきっかけに、近年では日本でも、ただ自然を保全するのではなく、人工化が進む都市においても生態系を再生し、生物多様性を確保しようという動きがある。ドイツやスイスで行われている自然に近い川づくり、「近自然河川工法」が日本でも取り入れられるようになってきた。スイスでは、大量に雨が降ったときに地表を流れているきれいな水も全て下水に流し入れてしまうため、下水処理場の機能が足りなくなり、地表に水のない環境になってしまうという問題がおきた。そこで下水と地表水を分け、地表水は下水に流し込まず、せせらぎのように流すという取り組みが始めた。その水の道として、元々川があった場所にその流れを復活させるという発想から、近自然河川工法を開発した。また、チューリッヒの郊外では、地面から下にもぐっていた川を再生し、その結果、緑が再生し、生物も生息するようになった。
 日本でも大阪の淀川で、意図的ではないが河川の生態環境を再生した例がある。淀川は暴れ川なので、水の制御のためにT字型の水制工の工事をした。ここを放置した結果、次第に砂がたまり、本流とは別に入り江状の空間ができた。これを「淀川のワンド」と呼んでいる。ここは、非常に豊かな魚や水鳥の生息場所になった。多摩川でも、多摩川の河川工事事務所が真似をして人工的にワンドを作った。さらに、スイスの手法を見習って、多自然型川づくりも行われている。
 
 
6.生態系再生のネットワーク
 
 アメリカのシカゴでは、生態系再生事業として、「都市の野生化(Chicago Wilderness)」の運動を行っている。都市化が広がり、シカゴ特有の自然として親しまれてきたプレーリー(草原)から人が遠ざかってしまうことを憂慮し、本来の自然をシカゴの街中にもう一度持ってこようというのがこのキャッチフレーズの趣旨だ。人間と自然の持続的な関係を構築するために、@役所だけでなく、市民やあらゆる団体を集める、A生態学的な知識を下に地球的な視点と地域的な視点の両方で生物多様性を維持し、生息環境を保存する、B生物多様性を維持するための生物を一つのまとまりとして管理することを方針としている。また、この計画の根底に、人々の身近に緑が存在することは、地域住民のQuality of Lifeの向上にもつながるのだという一環した考え方がある。現在8万ヘクタールもの土地がChicago Wildernessの保護区域とされ、国有地、州立公園、メトロポリタン、都立保護区、都市公園、私有自然地などをつないだ生態系ネットワークを形成している。「公園友の会」(Friends of Park)のボランティアがリーダーとなってこの事業を支えている。
 日本でも、「首都圏の都市環境インフラのグランドデザイン」というテーマで、私が委員長となって計画を策定した。この計画では、丘陵地帯、川沿いなど、都内の守るべき自然環境をピックアップし、その地域を緑の核として残し、それらを繋ぐ緑の回廊(corridor)を確保して、全体として首都圏の生態系の再生に貢献していこうと考えている。この取り組みに、国土交通省、環境省、農林水産省、林野庁、そして東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県など、省庁や自治体を跨って協力している。その一環で、水域生態系保全のための「水のネットワーク」を提案している。都心でも多摩川や江戸川、千葉県では干潟などの豊かな水域生態系が残っており、それらを守ることで、ここに生息するセッカ、カワセミ、コサギ、ハクセキレイ、カルガモなどに代表される野鳥がよりよい環境で生息できるようにする取り組みだ。また、東京の都心にも意外に緑のネットワークの系列があるので、残された緑を手がかりに、緑を繋ぐ生態系ネットワーク形成も図っていきたい。
 
 
7.新しい公園づくり
 
 既存の都市で新しく緑を生み出すというのは並大抵のことではない。そこで、杉並区では「杉並区桃井三丁目プロジェクト」を実施している。杉並区に工場を所有していた日産自動車が土地を売却した際、区がそのうちの4割程度の土地を買い取った。予算がなかったため旧建設省の「防災公園街区整備事業」へ名乗りを挙げ、防災公園と市街地の一体的整備をすることとなった。国から補助金が出る上に、自治体は5年間返済据え置きで、20年かけて返済すればいいという制度である。阪神・淡路大震災で公園の防災機能の高さが証明され、杉並区は日産工場の周囲は全て宅地だったので、防災公園を必要としていた。また区で買い取れなかった分の用地も、民間で緑の多い宅地として整備してもらうことになった。防災公園と宅地を合わせ、都市公団(都市再生機構)がトータルな整備を行い、最終的に区のものとなる。現在、その防災公園予定地の一部を「桃井原っぱ広場」として公開している。
 また、最近都市公園、都市緑化に関する法律が改正し、都市緑地保全法が都市緑地法と改まり、保全地域の指定要件、緑化率の規制、地区計画による緑地保全など様々な計画手法が用いられるようになった。この改正で最も特徴的なのは、都市緑化が公園整備と連動するようになったことだ。立体都市公園制度が導入され、借地公園の整備促進も盛り込まれた。それを具体的に実施した例がある。例えば、マンションの建物の上辺や地下駐車場の上の土地を緑化しようとする場合、これまでは所有者が独自に行うことしかできなかったが、法改正でこの土地を区や市が借地し、公園として整備・維持できるようになった。この試みを実現したのはきたみふれあい広場だ。小田急デパートの車庫の広大な屋上を公的な公園にしている。
 
 
8.まとめ
 
 上述してきたように、様々な工夫を凝らし、都市の中で場所がない、公園をつくれないという場合でも、多様な形で緑をつくり出し、増やす余地がまだまだある。また、新たに作られた制度もそれらの取り組みを可能にできる方向に変わってきている。市民の声が高くなれば更に追い風となるだろう。緑は、点・面的に増やしていくだけではなく、都市という巨大な機能的ネットワークに負けないくらいの自然のネットワークを編んでいくことが大切だ。しかし、緑というのは社会的弱者なので、市民の手で守っていかなければならない。市民ができるだけ公共性の観点が持てるような啓蒙運動が必要だ。里山も、人の手が入ることで、美しい景観と生態系の秩序を築いているのと同様に、都市緑化においても市民の声と活動が重要だ。公園都市政策でも様々な新しい都市計画が始まっており、なかなか日本もまだ捨てたものではないと感じている。皆様にも是非本日紹介してきた事例を実際に見に行っていただきたい。