2004年度 市民のための環境公開講座
   
パート3:
環境問題最新事情  
第4回:
アジアの環境問題
講師:
寺西 俊一氏
   
講師紹介
寺西 俊一氏
一橋大学大学院経済学研究科教授(経済学部教授兼任)。1951年石川県生まれ。75年京都大学経済学部卒。80年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。同年一橋大学経済学部専任講師。85年同助教授。1992年同教授。98年より現職。
専門は環境経済学・環境政策論および都市経済・地域経済論。環境経済・政策学会常務理事をはじめとする学会理事ほか、日本環境会議(JEC)事務局長、『環境と公害』誌(岩波書店)編集委員会幹事なども務める。
 
 
1.ヨーロッパの事情
 
 最近、日本では、「環境と経済の両立」ということがよく言われておりますが、私は、両立しない局面が結構あり、そこをどういう論理で超えていくかが問われていると考えています。ヨーロッパでは、1980年代後半頃から、「Environmental Policy Integration(EPI)」(環境保全のための政策統合)がキーワードとなっています。環境保全のために、例えば交通問題をどうするか、エネルギー問題をどうするか、都市政策をどうするか、廃棄物政策をどうするか、といった形での政策統合の理念が、ヨーロッパではここ十数年、基本的な課題として掲げられています。
 
 
2.絡み合う環境問題
 
 今日では、様々な問題が環境問題との関連で議論されるべき時代に入っております。これは、環境保全の視点から社会や経済のあり方全体をどう見直していくかということがますます重要になってきていることを意味しています。今や環境問題は足元から地球規模に至るまで、多様な広がりをもつ複合的な問題群となっているわけです。
 まず、領域的な次元での多様化ですが、その一つは、@「汚染防止」(pollution control)をめぐる問題領域です。日本で「公害問題」と呼ばれてきたのは、大気、水、土壌のpollutionによって引き起される「汚染被害」(pollution damage)の問題です。日本では、この問題領域は、「公害対策」として議論されてきましたが、新たなタイプを含めて、ますます深刻な問題となっています。2つ目は、A「自然保護」(nature conservation)をめぐる問題領域です。この「自然保護」の問題領域も非常に多様化しています。例えば外来種が日本に入り、在来種との交雑が起こり、在来種の駆逐・絶滅が急速に進んでいます。こうした生態系のバランス保全や種の多様性の保全をめぐる問題を含めて、今日、「自然保護」は非常に重要なテーマになっています。3つ目は、B「アメニティ保全」(amenity improvement)をめぐる問題領域です。例えば町並みや景観の保全をめぐる問題が日本でも重要なテーマになってきていますが、ヨーロッパでは非常に早くから取り組んできたテーマです。
 次に、質的な次元での多様化ですが、例えば、「汚染」(pollution)の問題領域を取り上げてみると、例えば、これまでの主な大気汚染物質(SOxやNOxなど)では、従来、「PPM control」でよかったわけです。つまり、百万分の1のオーダーで汚染物質のコントロールをすればよかったわけです。ところが、近年のダイオキシン問題等では、「PPT control」、つまり、1兆分の1というオーダーで汚染物質をコントロールしなければならなくなっています。これは質的に新たな次元での問題です。また、最近では、「汚染リスク」をどうするかという問題が重要になってきています。今までは、例えば水俣病のように、深刻なダメージを引き起こしてしまってから、その被害をどう補償するかということで、50年にわたって裁判などで争われています。しかしこれからは、取り返しのつかない深刻なダメージを引き起こす前のリスクの段階で被害を摘み取る「preventiveな政策」(予防原則に基づく政策)が非常に重要になってきています。
 さらに、空間的な次元での多様化も進んでいます。これは、まさに足元から地球規模にまで問題が広がってきているということです。そして最後は、時間的な次元での多様化です。これも、世代間にまたがる問題として、今日、ますます重要な意味を持ち始めています。つまり、我々の世代がどのような選択をするかで、将来世代が大きな影響を受けるのです。
 以上のように、現代の環境問題は非常に多様な次元での広がり見せているというのが今日の状況です。しかし、「Think globally,actlocally」という言葉がありますが、実は、これらの多様化した環境問題も、それらの根っこは全て足元にあります。例えば温暖化問題の主要な原因物質である二酸化炭素の人為的な排出源は、自動車の排気ガスや化石燃料系のエネルギーの燃焼施設です。それらは全て地上の足元にあります。ですから、まず足元から地球規模にまで視野に広げた対策や政策のビジョンをもたなければならない時代になってきているのです。私は、今日のグローバルな時代にこそ、足元である地域に立脚した取り組みを進めていかなければならないと思います。これからは、「地域の視点」が非常に重要です。
 
 
3.アジアのネットワーク構築を目指して
 
 私は十年程前から、アジアの環境問題が地球規模の環境問題を考える上で決定的に重要だと直感していました。そこで、この間にNGO版の『アジア環境白書』シリーズの編集・刊行(東洋経済新報社)の取り組みを進めてきました。1997年11月に、ようやく創刊(『アジア環境白書1997/98』)に漕ぎ着きましたが、そのときの基本メッセージを「地球環境保全はアジアから!」としました。それから2000年11月には、その第2弾(『アジア環境白書2000/01』)を編集・刊行しました。このときには、21世紀におけるアジアでは何が基本的な課題だろうかということを協力者と一緒に議論して、「21世紀をアジア環境協力の時代に!」という基本メッセージを盛り込みました。さらに、第3弾(『アジア環境白書2003/04』)を昨年(2003年)の10月に編集・発行しました。そこには「アジアから地域環境協治の構築を目指そう!」という基本メッセージにしました。これは、アジアの環境保全のための相互協力ネットワークづくりを目指そうということです。そこでは、「governance」を「統治」としないで、相互協力によって環境を保全するという意味を込めて、あえて「協治」という言葉にしました。そして、現在、第4弾の編集に取り組んでいるところです。
 さて、以上のような取り組みを通して、この間に痛感していることは、これまでに深刻な公害問題を経験した日本は、今後、単に自国だけのことを考えた「一国主義」的な環境政策ではなく、アジア的な広がりを視野に入れた環境保全のための枠組みづくりにどのように取り組んでいくかかがますます重要になってきているということです。この課題を表現するキーワードとして、私は、この間、「アジア環境協力」(Asian environmental corporation)の構築を提唱しています。具体的には、日本と中国、日本と朝鮮半島、日本と東アジアエリア、さらには、アジア全体での環境協力の枠組みをどう築くかということです。周知のように、経済分野では、「アジア太平洋経済協力機構」(APEC)が早くから作られていますが、私は、環境分野でも、今後。「アジア太平洋環境協力機構」のようなものを日本が提唱し、つくりあげていくべきではないかと考えています。現在、環境問題は経済と同じく重要な国際問題となっています。
 この間、私自身は研究者ですので、まずは専門家のネットワークを作ろうと考えてきました。そこで、1991年12月に「Asia-pacific NGO environmental conference」(APNEC)を立ち上げました。現在までに、ささやかながら、6回の会議を積み重ねてきています。それ以外にも、日中、日韓との二国間の協力関係も重視し、交流ワークショップを積み重ねてきました。今後、我々は、アジアの環境保全のために、多角的で重層的な協力ネットワークを構築していく必要があります。単に中央政府レベルのみでなく、地方自治体レベル、市民レベル、NGOレベル、企業レベルなど、多様なアジア環境協力ネットワークを、どれだけ多層的に、かつ厚みをもった形で作り上げていくことができるかが重要になっていると思います。ヨーロッパではすでに、こうした多重的なネットワークが張り巡らされ、大きな強みになっています。
 
 
4.アジアの環境問題にみる特徴
 
 以下、日本ではあまり報道されていない事例を紹介したいと思います。
 例えば越境型汚染は、ヨーロッパでいち早く直面した問題です。ライン川には9カ国が直接・間接に関係していますが、とくにドイツが化学工業を早くから発達させてきたことによって、化学物質が大量に垂れ流されてきました。しかし、1970年代以降、国際環境協力の機構を創り出すことによって徹底的なライン川の浄化に取り組み、現在ではサケが遡上するくらいきれいになりました。国際的な利害が複合的に絡みあい、国や行政区画を超えて問題に広がるのが越境型汚染ですが、ヨーロッパでは国際的な協力関係を構築する中で、問題を解決してきたという歴史があります。いま、アジアでは酸性雨がますます深刻になりつつありますが、そこでは、国際環境協力の機構づくりが不可欠になってきています。
 アジアでは、この間に「圧縮型の工業化」と「爆発的都市化の進行」、そして、都市部を中心に「大量消費型の生活様式の激的な普及」が進んできていますが、その過程で、たとえば重化学工業時代の公害問題とハイテク産業時代の公害問題が同時に発生しています。さらに農村の疲弊を背景に爆発的な都市化起こっていますから、「産業公害」と同時に「都市公害」も深刻になり、それらが同時的かつ複合的に発生しています。あるいは、戦前の日本における足尾鉱毒事件のような鉱害の問題も同時に発生しています。しかも、それらは国内的な要因だけではなく国際的な要因と絡み合って起きています。
 日本の経験を念頭においてアジアの環境問題を調べていくと、すでに日本では経験済みの問題をいくつも見つけることができます。この種の問題は、日本の経験を生かせば、回避できたのかもしれません。その一方で、公害輸出のように日本側の環境責任が問われている問題もあります。さらに、アジアでは、日本の小さい島国の中で起こった経験を超える、とてつもない環境問題がたくさん進行しています。そのうちの一つは、水資源の枯渇と汚染をめぐる問題です。日本は比較的に豊かな水資源に恵まれてきたので、水資源に関する日本の経験はアジアでは直接的には役立ちません。
 
 
5.『アジア環境白書』の内容
 
 以下、『アジア環境白書』のシリーズで、今までに取り上げてきたことを簡易にご説明いたします。第1巻(1997/98年版)の第1章では韓国の「コンビナート公害」の問題を取り上げました。これは「圧縮型工業化」に伴う「産業公害」がどうなっているかという内容です。第2章ではモータリゼーションの普及の速さの問題を取り上げました。アジアでは、ヨーロッパ・アメリカ・日本の経験を超えるスピードで進行しています。第3章では公害による健康被害を、第4章では水田農業の生物多様性の破壊と保全をめぐる状況を取り上げました。
 第2巻(2000/01年版)の第1章ではエネルギー政策の問題を取り上げました。なぜなら、これからのアジアがどのようなエネルギー政策を選択をするかで「地球温暖化」問題が決定に左右されるからです。第2章では鉱害の問題を取り上げました。日本では1970年代にほぼ鉱山開発は終焉し、代わりにアジア各地で開発を進めてきました。その結果、深刻な鉱害や環境破壊が現地で発生しています。第3章では「さまよう廃棄物」の問題を取り上げました。日本では様々な廃棄物政策を行ってきましたが、そこでの発想は「一国主義」であり、日本の外に排出されている廃棄物の問題を全く考慮していません。例えば、来年(2005年)1月から、「自動車リサイクル法」が施行されます。日本では自動車が年間約500万台が廃車になっています。そのうち400万台は解体処理され、一部がリサイクルに回ります。残りの100万台は中古車輸出の形で海外に出ています。今回の「自動車リサイクル法」では、中古車輸出の名目で、さらにアジアへのシフトが進んでいく可能性があります。つまり、日本の自動車廃棄の問題がアジアにシフトしていくということです。第4章では、沿岸域の破壊と汚染の問題を取り上げました。昨今では沿岸の漁獲高も減少しています。第5章ではアジアの地方自治の問題を取り上げています。
 最新版(2003/04年版)の第1章では、「軍事と環境」という章をもうけました。実は、現在に至るまで、軍事活動は環境政策において「聖域」となっています。続く第2章では「環境と貿易」の問題を取り上げました。貿易を通じて現地の資源収奪や環境破壊が深刻な形で進んでいるからです。この点では、単に「貿易の自由化」だけを進めればよいという訳ではないのです。第3章では農業を、第4章では森林と水田の保全の問題を取り上げました。
 
 
6.越境型汚染の拡大
 
 越境型汚染は、この間に、日本を含むアジア全域でも広がってきました。
 1980年代はヨーロッパで高濃度の酸性雨が降っており、そのph値は 4.5〜4.6でした。一方、日本ではどうでしょうか。1983年の調査によれば、日本海側・太平洋側ともにph 4.5前後でしたが、今のところ、ヨーロッパほど深刻な被害は出ていません。それは、日本ではアルカリ性の土壌が多く、酸性物質を中和してくれたからです。その後、最新のデータでも酸性雨のphは4.5〜4.6を示しています。こうした酸性雨が長年継続しているため、ついに日本の山々でも木々が枯れ始め、アシッドライン(酸性雨で金属が溶けた跡)も各地で見られようになってきています。
 ちなみに、日本海側と太平洋側では酸性雨の主要な成分が違います。日本海側は硫酸イオン系ですが、太平洋側は硝酸イオン系で、これは自動車の排気ガスが主たる原因です。では、日本海側での硫酸イオン系の汚染物質の発生源はどこかと言えば、明らかに中国大陸です。中国での酸性雨の測定値をみると、例えば四川省の重慶などではph4.0以下という強酸性を示しています。今、アジアでは硫黄酸化物の広域汚染が進行しており、その一部が偏西風の影響で日本に到達しているのです。世界的には硫黄酸化物の排出総量は、アメリカやヨーロッパで減少に転じていますが、その一方で、アジア地域では激増しています。今後、アジアが世界最大の排出エリアになっていくと予想されています。
 ここで問題となるのは、ライン川ではヨーロッパの関係各国が協力してきたように、日本が中国との協力関係をどう作っていけるのか、ということです。日本は、ODAで北京に「日中環境協力センター」を作っていますが、そこで酸性雨問題の共同研究ができるかと言えば、おそらくできないでしょう。今後、中国を含む「アジア国際環境協力」の新たな機構の創設が必要になってくると思います。
 
 
7.軍事と環境問題
 
 さらに、21世紀のアジア地域は、「軍事と環境」を重要な問題として解決していかなければならないと思います。かつて行われたベトナム戦争は、これまでの人類史の中で最悪の事態を引き起こしました。南ベトナムでは、未だに深刻な後遺症に苦しんでいる人がたくさんいます。その原因は、ジャングルを根絶やしにするために、500万ガロン(約19,000 m3)という大量の枯葉剤がまかれたことです。その猛毒を浴びた母親からは二重胎児などが産まれました。戦争による環境破壊は、我々が最も深刻に考えなければならない問題です。
 もう一つ、触れておきたいのは、フィリピンでの事例です。1990年代初めに、米軍の空軍基地と海軍基地が返還されました。ピナツボ火山が噴火したとき、麓の住民の約8万人が返還されたクラーク空港の返還跡地につくられた避難センターに移住しました。そこで井戸を掘り、7〜8年の間、そこで生活をしていました被災者もいます。ここでの井戸水を飲んだ母親から生まれた子どものなかに、脳性まひのような症状の示す被害者がたくさん出ています。あるいは、スービック海軍基地の跡地では、下流の河川で洗濯をしていた人に皮膚病など出ています。それらの原因として、米軍が撤退したときに放置していった弾薬庫跡地や基地内での各種有害廃棄物処分地などからの化学物質によって井戸水や河川水の汚染が進行していたことが関係していると見られています。
 現在、環境問題を議論するときに、軍事の問題は十分に取り上げられていません。しかし私は、軍事の名において地球環境に壊滅的な打撃を与えるような行為をもはや許して良い時代ではないと思います。この21世紀は、環境保全の観点から軍事のあり方についても根本から問い直すべき時代にしていく必要があります。
 
 
8.最後に
 
 現代は、われわれ一人一人があらゆる問題にcommitmentすることが必要な時代だと思います。とくに日本のわれわれにとって、アジアの問題は他人事で済ませる時代はとっくに終わっているのです。これからも、私どもの取り組みに色々な知恵と力をお貸しいただければ、と思います。