2006年度 市民のための環境公開講座
   
パート4:
環境問題の根源を学ぶ  
第4回:
環境と哲学
講師:
加藤 尚武氏
   
講師紹介
加藤 尚武氏
鳥取環境大学 名誉学長
1937年生まれ。東京大学文学部哲学科を卒業、同大学院人文科学研究科修士課程修了。哲学・倫理学専攻。1982年千葉大学教授を経て、1994年4月から2001年3月まで京都大学文学部教授。2001年、鳥取環境大学の設立と同時に学長に就任し、2005年3月に退任。現在鳥取環境大学名誉学長。わが国における環境倫理学、応用倫理学の第一人者。第7回哲学奨励山崎賞、第6回和辻哲郎文化賞受賞。2000年、紫綬褒章受章
 
 
1.世代間公正
 
 資源の有限性と廃棄物の累積を考えると、いつまでも無限に私たちの工業社会が進歩することはありえないと言い出したのは、第一回目のローマクラブ報告でした。人間が消費する資源の量と廃棄される廃棄物の量が、地球規模で許容範囲なのかどうかという問題を初めて考え始めたのはその頃からでした。人間は右上がりの上昇カーブで発展してきているという考え方が、そうではないという見方に変わった転換点だったと思います。しかしながら、資源の枯渇が本当に目の前に差し迫り、石油の価格が上がり、炭酸ガスという廃棄物が大気圏の中に溜まり温暖化が進んでいます。資源の枯渇と廃棄物の累積というものは地球が有限ということの表れですが、今までの状態を進歩だという考え方を取っていた人類は、未来の世代の生存を脅かしているということに全然気づきませんでした。我々は未来の世代に常にサービスをするために自動車を作り、テレビを作り、コンピューターを作ることで、我々よりも未来の世代の方が豊かで楽な生活ができるに決まっていると思っていました。しかし現在の世代が資源を使えば使うほど、未来の世代が使う資源が減ってしまいます。そういう現実が今、私たちの目の前に表れ、「サスティナビリティ」という言葉の意味を巡る論争という形で表れております。
 
 
2.サスティナビリティとは
 
 サスティナビリティとは「持続可能性」という意味です。つまり、今の私たちのような生活がずっと続いていくのかどうかということです。もう少し具体的に言えば、たくさんのエネルギーを消費するような工業社会が本当に永続可能性を持っているのかどうかという議論で捉えられています。
 厳しい持続可能性の条件を考える人々は、資源が枯渇するとサスティナビリティでは無くなるので、資源の枯渇を深刻に受け止めなければ駄目だと言います(ハード・サスティナビリティの立場)。その一方で、人間というものは、何とかやりくりをして資源の枯渇だって乗り切れる、つまり自転車操業で乗り切れる見込みが成り立つのではないか、という立場(ソフト・サスティナビリティ)の人たちもいます。
 サスティナビリティには色々な見方があるのは確かなのですが、人間の社会の経済の営みから捉えるようになったのはブルントラント委員会の報告書が出てきてからです。その内容は、
@持続可能な開発とは、未来の世代が自分自身の欲求を満たすための能力を減少させないように、現在の世代の欲求を満たす開発である。これは現在工夫しようとしているところです。なぜなら、物の取り分では未来世代の分が減少することは目に見えているわけですから、それが減らないようにしようとすると、現在の世代は何も使うことができないという結論になるからです。
A持続的な開発は地球上の生命を支えている自然のシステム、大気・水・土・生物を危険にさらすものであってはならない。これは誰もが納得する条件です。
B持続的な開発のためには大気・水・その他自然への好ましくない影響を最小限に抑制し、生態系の全体的な保全を図ることが必要です。しかし、生態系への悪影響を最小限にするための基準はどこからくるのでしょうか。人類が現在の工業社会を維持し、途上国の人々も先進国並みに自動車や電気をたくさん使う開発をしても、自然の破壊は最小限にせよという意味なのか。それとも自然の側から見て、自然が元通り自分の力を取り戻せるような範囲内で最小限というのか。また人間の欲望の観点から見て、もっとみんなが豊かな暮らしができる範囲内で最小限というのか。どういう観点から最小限なのかということについては、どのようにでも取れるように書いてあります。
 持続的開発とは、天然資源の開発、投資の方向、技術開発の方向、制度の改革が全て一つにまとまり、現在及び将来の人間の欲求と願望を満たす能力を高めるように変化していく過程を言うそうです。これにも欲求という言葉が使われていています。厳しいようですが、いろんな解釈ができるように最初から作られていたと思うわけです。
 この報告書が出て以後、経済成長をしても持続可能性を破壊するようでは困る、という考え方が導入されました。
 
 
3.生態学的経済(ハーマン・デーリー提唱)
 
 有限性の地球の中で人類はどうしたら生きていけるのか。その問にデーリーは3つの条件を挙げています。
 (1)土壌・水・森林など、再生可能な資源の持続可能な利用速度は、再生速度を超えるものであってはならない。例えば、漁獲制限を実施すると、長期的には漁民が生きていくのに有利なのです。最近では漁獲制限用の魚数の計算式もつくられ、皆が納得する形で漁獲制限をするようになりました。
 (2)化石燃料、鉱石、地層に閉じ込められて循環しない化石水など、再生不可能な資源の利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで代用できる限度を超えてはならない。例えば私たちは石油を使っていますが、使うと無くなります。石油を使ったらその分だけ木を植え、無くなった分は後に木を使えば大丈夫になるようにして、再生可能な資源で穴埋めできる限度しか石油を使わないというものです。これは人類が全く守ることができない条件です。
 (3)汚染物質の持続可能な排出速度は、環境がそうした物質を循環し、吸収し、無害化できる限度を超えるものであってはならない。実際問題としては大気圏の炭酸ガスはどんどん溜まっています。ですから、自然に無害化できる限度内しか使ってはいけないということを厳密に守ろうとすると、非常に厳しいものになります。しかしこれは間違っていないわけです。
 
 
4.変化する石油埋蔵量
 
 持続可能性とは、結局のところ枯渇型資源の依存から脱却し、廃棄物が累積しないようにし、永続的な循環性を保存しなければならないということです。いつかは石油の産出量が減ることについて、多くの人の意見が一致しています。そこで今まで使っていなかったオイルサンド、ヘビーオイル、オイルシェール、メタン・ハイドレードなどの開発が始まっています。しかし、資源を再生可能な資源と枯渇型資源の2つに分けて考えると、石油が枯渇したからといって、今度は別の枯渇型資源を開発することは、本質的には何も変わりません。枯渇型資源が枯渇し始めたら再生型に転換するのとは違います。人類は当面、石油・ガスの代替エネルギーを開発し続けるかもしれませんが、そこには温暖化対策が無視されるという事実があります。石油や石炭を燃やすと炭酸ガスが大気圏にたまって、温暖化が起こります。石油が無くなった後にメタン・ハイドレードを使うことは、地下にあった炭素をさらに空中に移動させるわけですから、温暖化対策が全くなされていないことになります。
 代替エネルギーの開発は高額なので消極的になるのではないか。同世代間の資源獲得競争は解消されておらず、それが軍事的な対立に結びつくのではないか。未来世代との決定的な対立があるのではないか。色々と不安は尽きません。
 石油の生産量は、2030年までは少なくとも生産量の上昇が続くだろうという予測が当たっているだろうと思います。では、石油の埋蔵量はなぜ変化するか。3つのレベルに分けてみました。
 (1)存在の確率レベルでの違い。例えば人工衛星を使って石油が存在するだろうという地形は調べつくされています。しかし、埋蔵している確率が5%の場所もあれば、85%の場所もあります。つまり、どの確率まで埋蔵量とするかによって埋蔵量は全く違ったものになります。
 (2)技術レベルの違い。これにより現在の油田の埋蔵量を上方に修正することになります。今までの技術では採掘できなかった場所が新技術で採掘できるようになったということです。
 (3)経済レベルの違い。採掘に多額の費用がかかる場所は今までは手をつけられませんでしたが、石油の高騰によって採掘された石油の販売見込額が採掘費用を上回れば、採算がとれて採掘できる場所になるということです。石油埋蔵量も、1バレル20ドル以下で採掘できる場所というように、価格との相関関係で決まります。
 その一方で政治的な絡みもあります。87年当たりにベネズエラやサウジアラビアなどで、自分の国の石油埋蔵量を急に増やしたことがありました。この直接の動機は政治的な情報修正であったことは確かなようです。この87年の政治的な絡みによる埋蔵量の増加が、あたかも自然な増加であるように教科書に書かれているのが常です。
 このように、石油の埋蔵量が変化したのなら、どういう理由で変化したのかをしらみつぶしに調べてみないと判らないわけです。
 
 
5.技術進歩と資源問題
 
 石油の抽出や利用技術の進歩の方が枯渇よりも急速に進んでいますが、どれだけ続くかということについては、経済学では説明がなされていないようです。ですから、長期的には資源が枯渇したり、廃棄物が累積したりするという傾向の中で、一時的に見ると資源についてはひと息つけるかなというデータが作られています。しかしそれをずっと続けていくことは恐らく無理で、相対的な意味での資源の枯渇の回避はできなくなる可能性があります。エネルギーの消費効率が高くなっても、一向にエネルギーの総消費量は減っていませんし、残存している石油の埋蔵量が減れば減るほど、技術開発によってエネルギーの開発効率が高くなるという相関関係はありません。技術開発によってエネルギーの消費効率が良くなったという過去のデータは、たまたま、こうしたデータが得られたというだけであって、その状態を持続することができるかどうかということについては何も語られていないのです。
 技術の予測はとても難しいものです。日本で原子力産業が始まったときは、1985年までに核融合技術のコントロールができるようになって、それまで産出されてきた廃棄物は、核融合反応の莫大なエネルギーを使うことによって極めて安価に解消できるので、初めから廃棄物の処理コストを加算する必要はないとされてきました。そういう考え方で開発が進められたのですが、それは外れてしまいました。実際にはそこまで技術が進まなかったのです。私はこれを原子力開発者に面接をして聞いたから嘘ではありません。
 技術予測は場合によっては当たりますが、それに基づいて地球の環境問題や資源問題という深刻な影響を持つものに対して、解決する技術が開発されるだろうと予想して決めるのは非常に危ないと思います。
 
 
6.未来の予測
 
 そこで地球の未来についてどんな可能性があるか、ということについていくつかのシナリオを考えてみました。
 (1)化石エネルギーの依存から脱却して温暖化が防止される。現在、日本では京都議定書を守るために1990年の二酸化炭素排出量より6%削減した排出量にしようとしていますが、実際にはエネルギーの使用量は増え続け、それに伴って二酸化炭素の排出量も増えています。したがって排出権取引によって6%の削減を達成して、京都議定書は守りましたとしようとしていますが、実質的には達成していないわけです。排出権取引によってつじつまを合わせても、地球にとってメリットは無いのです。
 (2)温暖化によって気候が変動し、石油が枯渇する前に工業文明が大打撃を受ける。先進国は相互援助無しで生き延びるでしょうが、先進国の援助が止まった開発途上国が取り残されます。
 (3)気候変動に対処するための財源がなくなる。今までの先進国の経済活動は石油という効率的な資源を使って、それを維持してきました。しかしながら、非常に高額のエネルギー資源に依存しないと経済活動が成り立たないとすれば、困っている国を助けるだけの余力が世界全体の経済からなくなってしまいます。
 (4)石油以外の化石燃料によって工業文明は生き延びて、温暖化自体は防げないが、有効な対処をする。これは今から地球が経験することに近いのかも知れないですね。石油燃料に変わる化石燃料を使うと温暖化は防げないですから、ツルバスやキリバスといった珊瑚礁の国々は水没してしまいます。それを黙って放っておくほど世界の人々は薄情ではないでしょうから、そういった形での環境難民をどこかで引き受けるという対処の可能性があると思うわけです。こういう場合、あらゆる化石燃料を使い果たしてから自然エネルギーに転換するということになります。実際に世界の人類がやろうとしていることは、だいたいこれに近いと思います。
 将来のエネルギー事情を考えたとき、核融合反応によってエネルギーを得る可能性は本当にあるのかという問題が起こるわけですが、核融合反応をコントロールする技術は一向に成功のメドが立っていません。最近読んだ本には、30年後に実用化に必要な技術的データが揃うだろうと書かれていました。仮に30年後に石油のピークが来るとすると、その時点からようやく実用化ができるかどうかが判ってくるわけで、核融合反応が人類の窮地を救ってくれるだろうというのは、神風みたいな話なのです。失敗した場合の対策はどうするのか、それを考えなければならないのです。
 そうすると、化石燃料を全て使い果たした後でも、人類が生き残っていくためには再生可能なエネルギーを使わなければならないのです。その一方で、自然エネルギーそのものに絶対的な限界があるのではないかという心配もあります。例えばバイオマス発電のエネルギー密度は2kw/h以下ですが、石炭火力は9560kw/h、原子力発電は12400kw/hです。
 本当に人類が生き延びるためには、いつかは必ず枯渇型燃料から再生型燃料に転換しなければなりません。はっきりとした政治的な展望の問題として、再生可能エネルギーの開発を主力目標に掲げる必要があります。
 
 
7.最期に
 
 産業革命を立派なこととして書いてある教科書がまだあると思いますが、枯渇型エネルギー資源に手を付け始めたという意味では、産業革命こそ人類の一番大きな難問を生み出した歴史的な転換点だったといえると思います。そこからいつかは脱却しなければいけません。色々な枯渇型資源を使いまわしていけば、あと300年は持つという人はたくさんいるし、人によっては5000年くらい持つという人もいます。その場合には温暖化の方は滅茶苦茶になります。ですから、温暖化まで勘定にいれると5000年もつから、5000年間石油の身代わりの燃料を燃やせばいいと簡単に言える問題ではありません。
 工業化社会全体を将来、どういう方向で維持していくのかという究極の持続可能性について、しっかりとした展望に沿って我々の社会が運営されていく。そうした方針が必要です。それを達成することによって温暖化対策を立てるというような路線が世界全体に必用ではないかと思います。