2006年度 市民のための環境公開講座
   
パート4:
環境問題の根源を学ぶ  
第1回:
水俣から学ぶ
講師:
原田 正純氏
   
講師紹介
原田 正純氏
熊本学園大学 社会福祉学部社会福祉学科 教授
1934年鹿児島県生まれ。1959年熊本大医学部卒。熊本大学大学院医学研究科修了。医学博士。熊本大学医学部神経精神科講師、熊本大学体質医学研究所および遺伝医学研究所助教授を経て、1999年4月より熊本学園大学社会福祉学部教授。「水俣学」を開講。 水俣病、カネミ油症、ジャカルタ湾の重金属汚染、中国・カナダの水俣病など幅広く調査・研究にあたる。
 
 
1.水俣病の問題提起
 
 水俣病は2004年に行政責任が初めて最高裁で認められました。実に48年かかり、裁判をした人たちは22年間を費やしています。なぜ国の責任が明らかになるまで22年かかったのか。たくさんの医学者がいるのに、なぜ、水俣病の病像を裁判所に決めてもらわなければいけなかったのか。訴えた患者は22年間に1/3が死んでしまいました。
 水俣湾でヘドロがたまっている場所は、500億円ほどをかけて埋立てをしましたが、現在も沈下が続いており、継ぎ足しを繰り返しています。
 
 
2.公害の原点
 
 水俣病は公害の原点だとよく言われます。なぜなら、環境汚染によって工場から排出された排水中のメチル水銀が環境を汚染して、食物連鎖を通じて起こった中毒は、初めて人類が経験したからです。これまで医学の世界では中毒というものをたくさん経験しています。例えばローマ時代の記録に水銀中毒がありますが、これは毒物の直接の中毒です。もう一つの理由は、胎盤を通して起こった中毒(胎児性)ということです。もともと胎盤は胎児を守ってくれると考えられていたわけですが、その常識を破って起こったのです。
 環境汚染、食物連鎖によって起こったという意味で、水俣病は公害の原点なのです。
 
 
3.漁民の生活と負の遺産
 
 水俣病は子供が次々に発病したことによって発見されました。それが1956年の5月1日です。熊本大学の細川・野田の二人の医師が保健所に届け出ました。環境汚染が起きて被害が起きたときに誰が最初の被害者になるかといえば、それはその環境の中に住む生理的に弱い人たち、つまり赤ちゃんであったり、子供であったり、老人であったり、もともと病気の人であったりするわけです。
 正式発見第一号の方の家を見ると、潮が満ちたときは窓から釣りができるくらいでした。そうした、自然とともに生きている人たちを直撃したのです。言葉は乱暴ですが、自然の中で自然とともに生きている人たちは、どちらかというと、自らの権利や自らの意見を表出するのが苦手です。つまり、社会的には非常に弱い立場の人が多い。私は世界各地へ行きましたが、最初は公害が起きているからこの人たちは差別を受けていると思いました。しかし、そうではなく差別のあるところに負の部分(公害)がしわ寄せとしてくることが判りました。
 この家では5歳と3歳の子供が発病したので、医師が気がつきました。最初は伝染病だと疑われました。子供達の母親が「猫の病気がうつったのではないでしょうか。猫が何匹も狂って死にましたが、この子供たちに猫の病気がうつったのではないでしょうか」から問題は始まりました。5歳の子は死亡しましたが、3歳の子は今でも生きています。50年立っているから、現在は53歳です。今でも言葉は全くなくて、にやにや笑って、涎を垂らしながら、海を見ています。両親も亡くなりましたから大変ですが、今も自宅にいます。
 環境問題を考えていくとき、何のために私たちは学問や研究をするのだろうかということを私は水俣病から突き付けられました。それが水俣学の出発点です。水俣病という名称に水俣市民が言われなき差別を受けたことは事実であり、過去には結婚が駄目になったり、就職に差別を受けたこともありました。「学問や研究をするときどちらの視野に立つか、人権ということを考えるとき、虐げられている側に立たないといけないのではないか」これが私の考えです。
 チッソの工場で、生産のプロセスで触媒として使った水銀が有機化し、工場から出て行きました。もし、工場の中から海を見るのではなく、排水を流している海は20万人ほどの人が依拠しているという視点から排水口を見たならば、水俣病事件は変わったものになったでしょう。汚水を捨てた向こう側に20万人の暮らしがあって、その人たちは自然環境に強く依拠している人たち。少しでもその人たちの立場で考えたら、結果は違ったものになっただろうと思います。
 ここは、魚がたくさん獲れた豊かな海でした。漁村には、田んぼがなくて、すぐ裏が山で、畑を耕して、目の前の海から豊かな魚を獲る暮らしでした。冷蔵庫が無かったので、その日のうちにほどほどに獲って村中で分けて食べるという暮らしです。この辺りは網元と網子です。網子は半農半漁が主です。獲れた魚を分けるので、メニューはみんな一緒です。そういう暮らしが水俣病の背景にありました。
 
 
4.原因の発見
 
 水俣病が、チッソが流した有機水銀の中毒だという証拠についてです。
 水俣病患者の臨床症状と、亡くなった方の病理所見が、既に報告されていた有機水銀中毒と完全に一致しました。ヘドロからも水銀が検出されました。魚からも、患者の髪の毛や血液からも、亡くなった患者の臓器や、猫の臓器からも水銀が検出されました。水俣湾産の魚介類を猫に与えると、猫が水俣病を発症しました。その魚を分析すると有機水銀が抽出されました。
 最初チッソ側は、無機水銀しか使っていないので、有機水銀は排出していないと主張しましたが、工場の中で有機化されていたことが水質調査で明らかになりました。これも世界で最初の事例です。おそらく当時のチッソの関係者は、海に流せば薄まるのではないかと考えたと思います。確かに自然界は懐が広いですから、少しくらいの毒であれば薄まり、毒でなくなります。しかし自然界の中には逆に、生物の中で濃縮する働きもありました。水俣病が発見された当時は食物連鎖という言葉はありませんでした。水俣病は、自然を汚せば自分に返ってくることを教えてくれました。
 
 
5.水俣病の原因追求
 
 私が水俣病から離れられなくなったのは、胎児性の問題です。たまたま、水俣を歩いていたら障害を持っている二人の子どもが縁側で遊んでいました。お母さんに「水俣病ですか」と聞いたら、「上の子は水俣病だけど、下の子は違う」と言われました。「どうして」と聞き返したら、「先生たちがそう言っているでしょう」と言うのです。当時は、「魚を食べたら水俣病になるけれども、魚を食べなければ水俣病にならない」が常識でした。つまり、上の子は魚を食べているから水俣病、下の子は魚を食べていないから水俣病ではないと医者が言っているというわけです。当時は「胎盤は毒物を通さない」が定説でした。お母さんに「あそこの村に行ってごらん。この子と同じ年に生まれた子供がみんな同じ症状を持っているけど、先生方はどう思っているのですか。」と怒られました。そこでその村に行ってみました。小さな村でしたが、10人の小児性水俣病患者がいて、7人の脳性症麻痺と言われた患者がいました。教科書の方が間違っているのではないかと思い始め、本格的な調査を始めました。「胎盤は毒物を通す」ことにはみんなが気が付いていましたが、証明のしようがありませんでした。みんな一生懸命、動物実験をしていました。
 現場で「みんな同じ症状でしょう」と、とあるお母さんに言われ、同じ症状だから同じ原因だと突き止められないかと、私は謎解きのヒントを得ました。一人一人の患者を詳細に診て、症状を分析してそれを積み上げていくと、この子達は全く同じ症状でした。だから同じ原因だろうというところまでは漕ぎ着けました。発生率が高く、発生時期の場所も水俣病と一致しました。母親が妊娠中に魚介類をたくさん食べていて、お母さんを診ると軽い症状が出ていましたが、症状が自然に出てくるので患者本人は気が付かないのです。軽いのは水俣病としないべきなのか。医学的には明らかに軽い有機水銀中毒が出ているがこれを認めるのか。これが裁判の争点になりました。
 昭和37年8月に死んだマリちゃんを解剖して、胎盤を通って発生した有機水銀中毒だと証明されました。昭和37年11月、全員が胎児性水俣病だと公的に認められ、補償が認められました。長い子で8年間、短い子で5年間は何の援助も補償もありませんでした。
 現在、私が確認している胎児性水俣病は64人です。これは私が足で稼いだ数字です。患者を呼び出していたらお母さんに怒られました。「先生が一生懸命になって解決しようとする気持ちはよく判る。でも、子供達は誰一人、自分達の足で病院に行ける子はいません。親が一人付いていかなければいけません。貧しいので、一日の日当が困る」と言われました。それを聞いて、当時の私は大学院生で時間がありましたから、一軒一軒、歩いて訪ねていくことにしました。でも、それが良かったんですね。診察の場では出てこない本音を聞くことができたのですね。家を訪問すると、大便と小便にまみれて寝かされているわけです。お母さん方の目線で見たときに、私立病院や大学病院の先生がどう映るのかということがよく判りました。一方、診察中に、チッソによって水俣から移動させられた患者やその家族の情報も入ってきました。関東では千葉県にチッソの会社があったので、千葉県に移動させられた人が多かったようです。そこでは患者やその家族がひっそり生活をしていました。
 解決の大きなヒントは、私の子供が生まれたとき、大学病院からへその尾をもらってきたことです。水俣で水俣病と認められてない子どもたちのへその尾を集め、水銀を測ってみると環境汚染とへその尾の中のメチル水銀が一致しました。毒物が胎盤を通ることに対して、学会では冷ややかな反応でした。しかし、東大で行われたネズミの実験が証明をしてくれました。ネズミに無機水銀を注射すると肝臓・心臓・骨髄には水銀が入っていましたが、赤ちゃんには全く入っていませんでした。つまり胎盤は赤ちゃんを守ってくれることもまた事実です。ところが有機水銀を注射すると、赤ちゃんの中にも水銀が入っていました。これで、水俣病の原因もわかった、世界で最初の胎児性も証明でき、全ては解決したと思いました。昭和38年頃のことです。
 
 
6.水俣病問題の構造
 
 北欧のフェロー島では鯨を常食していますから、水俣の半分くらいなのですが、母親達の水銀の濃度が高いのです。確かに鯨の水銀の濃度は高いのですが、水俣病のように胎児性の子は生まれていません。ところが、詳細に調べると注意力、言語理解、記憶力には明らかな差が生じています。これ以後、全世界的に妊婦の魚の食べる量に対する制限が行われてきました。私は研究や調査は常に現場に拠点をおいて、現場の中で色々なことを考えていくというスタンスを取りたいと思っています。
 1960年代、患者は貧乏のどん底でした。漁師はもともとお金持ちではありませんでしたが、そこにきて魚が売れなくなりました。水俣市民もこうした現場は見ていません。私たちが訪ねて行っても、雨戸を閉めて検診拒否され、追い返されました。その理由は、世間で水俣病を忘れようとしているときに調査されると、また魚が売れなくなるからです。この人たちは何も悪いことをしていません。一番堪えたのは「どうせ治らないから来るな」と言われたときです。若かったからショックでしたね。医者が治らない病気を目の前にしたときに何ができるか、何をするべきかという問いかけだと思います。
 水俣病問題が今日まで問題が解決しないのはなぜか。その一つの理由は、これほど政治的・社会的な事件を医学だけに任せてしまったことです。患者に「どうせ治らないから来るな」と言われたら、どうしたらいいのか。そこには医学だけではなく、法律・行政・社会福祉の立場の人が協力して問題を解決していかなければいけなかったのです。ところが症状が二つあるから水俣病と言うか言わないか、いくつ症状があったら補償金を払うか払わないかという、医学的なものに事件を閉じ込めてしまいました。そのことが問題の解決を遅くしてしまったわけです。今でも認定審査会は医者だけで構成されています。彼らは医学の専門家かも知れませんが、救済の専門家でも福祉の専門家でもありません。私は環境問題を研究するためには、ひとつの分野だけではなく、色々な分野の人たちが協力して初めて成果が挙げられると信じています。
 私が昔調査した事例を申し上げます。カナダの先住民が住んでいたあるところでは、1970年代にパルプ工場から水銀が流れ、問題になりました。この湖の魚を食べて、獣を獲って毛皮を売って暮らしています。彼らは髪の毛が長いので、3cm位に切ってそれぞれ水銀を測ると、夏に伸びたところは水銀が高く、冬に伸びた部分は水銀が低いのです。彼らは夏に魚を食べているわけですから、これで汚染の原因が魚だと判るわけです。私たちは水俣病が発症していると判断していますが、カナダ政府は認めていません。彼らはもともと生き物には先祖の魂が入っており、生き物を殺して食べるということは命を繋ぐことと考えています。それが毛皮のために生き物を殺したり、スポーツハンティングをするということは、本来の彼らの歴史にはありません。それが壊れていくときに公害問題が発生します。つまり、その地域の持つ伝統的な生活様式や文化が外の圧力によって急に変えられていくときこそが、公害の出発点ではないかと思うわけです。水俣の漁民達は長いこと同じような暮らしをしてきて、そこに近代科学工場が来て生活が一変したときにスタートがあったのではないかと私は見ています。
 ここで問題となるのは、何を水俣病とするのか。胎児性のお母さんに観られたような軽いものを水俣病とすれば、すでにカナダで発病しています。一方、重症なものを水俣病とするならばカナダでは発病していません。我々は水俣病の重症患者が多発していたので気が付いたのです。その十年前に診ていたならどうなっていただろう。私たちはローカルな問題として、何が水俣病かということをずっと議論してきました。水俣でその問題を解決しきれなかった私たちが、どうして世界の問題を解決することができるでしょうか。私たちがローカルな問題として一生懸命にやってきたことが、気がついてみると非常にグローバルな問題だったと気が付いたのです。
 
 
7.水俣学の命題
 
 新潟県では胎児性が一人だけ出ました。なぜなら、新潟大学で妊娠した母親達に子供を産まないように指導したからです。私が知る限りでは、三人の母親が人工中絶をしました。一人は断種手術をしました。これが熊本の水俣病が新潟で生かされたことだと聞いたとき、愕然としました。確かに企業が利益のために環境を汚して子宮の中の子供を傷つけることは許されないと思います。しかし、障害を持って生まれてくることが悪なのでしょうか。なぜ障害を持っていると不幸なのでしょうか。そのこと抜きの対応でいいのでしょうか。環境を汚すと障害を持った子が生まれます。これは確かに正しいです。しかし、いつのまにか障害を持って生まれてくる人たちを否定することになるのなら、それは何か違うのではないかと私は思っています。
 障害を持っている人も持っていない人も、魚も猫も生き物達がともに暮らしていける環境をどうやって作るのか。そういうことを考えていくのが水俣学です。私たちの命題は、命を大切にする、命を中心にする学問を形成していく、そういうことだと思っています。