2004年度 市民のための環境公開講座
   

パート1:

身近な環境問題  
第1回:
廃油から地域づくりを考える
講師:
染谷 ゆみ氏
   
講師紹介
染谷 ゆみ氏
1968年10月23日(申年、天秤座) 東京都墨田区八広生まれ。
高校卒業後、アジア旅行に出る。帰国後、(株)HISに勤務、香港駐在員としてチケット手配業務を中心とした仕事をする。91年、父が経営する有限会社染谷商店入社。経営者の父の元で修行した後、社の事業を発展させる形で、28歳の時に独立。1997年に廃食油リサイクルを請け負う株式会社ユーズを起こす。「ゴミを資源に」を合言葉に、環境問題と地域貢献を掲げたビジネスを展開。持ち前のバイタリティーで、地元と行政を動かし、2000年4月、同区で初の家庭用廃食油の回収をスタートさせた。中小企業を容赦なく洗う変革の波の中、環境を考えるファミリービジネスで生き残りを賭ける。
 
1.廃油がVDFになるまで
 
 私は東京の墨田区をベースにてんぷら油のリサイクルをやっています。染谷商店は祖父が昭和24年に始めた会社で、3代目の私はその染谷商店から分社したユーズという会社を経営して、7年目に入りました。創業当時は戦後の資源がないときで、てんぷらを揚げたあとの油かすを集めて油を絞り、石けんなどの原料にしていたそうです。当時は廃食油や油かすがお米と同じくらいの値段でしたが、どんどん時代が豊かになってきて、昭和50年代に石油製品に洗剤にとって代わられ、円高とか油脂の関税が下がるとパーム油などの油がマレーシアなどの海外から安く入るようになりました。すると、今まで石けんや家畜のえさの原料になっていた廃食油がいらなくなってしまい、油が暴落して廃業に追い込まれる人も結構いました。その時、父親が、自分たちで何か新しいものをつくっていかなくてはという危機感を覚えたのです。
 新規開発に向けて色々試行錯誤しているときに、新聞にアメリカのミズーリー州でダイズの新品の油を燃料化しているという記事が載っていました。ダイズの過剰生産で値段が暴落しないように、色々な用途に使っていこうという、農業政策的な意味で油の燃料化が行われていたようですが、新品の油なので大変コストが高い。その記事を見て、「これはおもしろい、アメリカは新品の油だが、私たちは廃食油でやろう」という事になりました。もちろん開発元からノウハウを教えてもらうことができないので、自分たちの研究室で研究をして成功させました。
 ちょうどその頃、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)でパーム油からのエネルギー研究をしている委員がありました。その座長でいらした北海道大学の村山先生がディーゼル車専門だったので、出来上がったものの調査をお願いしたら快く引き受けてくださり、いろいろと分析していただけました。調べてくださった結果、全く問題なく走るから大丈夫ではないかということでした。92年の暮れから研究を始めて、たった半年でこの燃料化が成功して、大学の先生のお墨付きまでもらえた。そこで私たちは何をしたかというと、このままこの燃料を車に入れてしまったのです。うちの父親が、「この燃料を入れてエンジンかけてみよう」と言いだし、エンジンがかかったと喜んだまま走ってどこか行っちゃったのです。心配して待っていたら、2〜3時間後、高速道路も何の問題もなく走ることができたと、興奮した状態で帰ってきました。それを、近所にいた新聞社の人に「てんぷら油で車が走るのだよ」と言ったらそれが新聞記事になり、それを読んだ新聞記者がまた取材に来たり、テレビに出たりと、口コミとマスコミ両方でなんとなく広がってしまった。世界で初めて廃食油を使って車を走らせたという成功が先にきて、後からいろんなものを立証してきたという感じです。
 
 
2.VDFについて
 
 このVDF(Vegetable Diesel Fuel)は、軽油と比べると引火点は軽油に比べて高い。かかりが悪いと思われそうですが、かかり具合に関係しているセタン価については問題ないので、引火点が高いのはかえって安全性という点では評価できるのではと思います。
VDFの弱点の一つは、流動点が−2℃なこと。軽油でも地域によって加工されているらしく、東京の軽油だと北海道で固まってしまうことがあるそうです。東京でしたらあまりマイナスになることはないので問題ないのですが、寒い地域では軽油と混ぜて使うことで今のところはクリアしてもらっている。また、VDFの方が発熱量はちょっと低いですが、1リットルあたりの重さが軽油に比べて重いので、発熱量が低くても燃費に問題はありません。
 逆に、てんぷら油には硫黄分がもともと入ってないから硫黄が燃えて発生する硫黄酸化物というものは発生しないというメリットがあります。黒煙も明らかに1/3以下に減っています。また、一酸化炭素、ハイドロカーボンや窒素酸化物、CO2も軽油とほとんど変わらない。入れてしまえば走っている分には燃費も馬力も全く気になりません。あえていうと、排気ガスが軽油と違っててんぷら臭ですが、普通は分からないですね。
 
 
3.VDFから広がる地域循環
 
 東京ではVDFによって油を回収して燃料化をするという、まさしく資源循環型のモデルができています。しかし給油所が東京都の墨田区にしかないので、実際に車で来ていただかないと給油できない。VDFを使いたいという方も大勢いらっしゃいましたし、このプラントを譲ってくれないかという話もあったので、エステルボーイというVDFのプラントを開発して全国に売っています。廃油は北から南までいろんな地域で家庭や業務から発生します。廃油1リットルをもしゴミにしてしまえば1キロのゴミが増えるだけで環境汚染につながる。でも、捨てずに地域で燃料化できれば、1リットルの廃油から0.9リットルくらいの燃料がとれて、それが自分の地域の車を走らせるエネルギーになる。そういった意味ではすごく面白いものなので、全国にこのプラントを広めて、地域ごとに資源循環型の地域づくりをやってもらいたいと思っています。おかげさまで競合相手も出てきましたが、それはそれでいい。いろんな人が入ってくることによって切磋琢磨されて、より良いものになっていく。みなさんのニーズがそこにたくさん出てくるのかなと思います。
 その他にも、本と森を交換しているたもかく株式会社と提携して、1998年くらいから「ユーズの森の本屋」という、油と森の交換というのを始めて6年たちました。これを始めたきっかけは、家庭用の油で困っている方が結構多かったこと。今、日本全国で廃食油が出るのは1年間でおよそ45万トン。そのうちの約半分の油が家庭から捨てられているそうです。業務用で出る廃油は業者から回収しているのですが、家庭用はなかなか回収ルートに乗らずに捨てられてしまうことが多い。石けん運動をしているような地域でも、作った石けんは使いたくないなどとうまく進まない。私たちが燃料化して、車の燃料になると各地で言うと、結構ご家庭の方から回収の要望が多かったんです。そこで油と森の交換ということをやったところ、すごくヒットした。また、テレビや新聞などでも紹介してくれて、これはいいサービスだということで、色々なところからお問い合わせが来たり、油を送ってきてくれたりします。また、廃油を10回送ると1坪1670円分の森と交換できるユーズマネーという地域マネーを作って、発行しています。これが感触として回ってると感じるのは2〜3年くらい前ですかね。ユーズマネーを森と交換したり、それでVDFももちろん給油できる。この地域マネーを通してこういった経済が循環するということを私は実感できました。みなさんがお金の使い方とかゴミの出し方をちょっと変えるだけで、実は何か新しい市場ができてくるのではないか、そんな予感さえも感じました。
 
 
4.VDFの活用例
 
 東京都の自由が丘で走っているサンクスネイチャーバスは、商店街の人たちが町づくりというコンセプトでつくった、VDFを燃料として走るバスです。自由が丘周辺は車が多く、商店街もかなり広がっているので、車で来て買い物をすると渋滞の問題などが出てくる。そこで商店のうちの何人かが発起人になって、バスを走らせようと企画しました。環境にいいものでありたいということで、電気自動車など色々検討していたところ、たまたまアースデーなどで配布していたVDFの宣伝パンフレットを事務局の人が見て、走らせようという話になりました。6年たった今では、近所の学校の子どもたちが見学に来たりして、地域の子どもたちにとっても、環境教育という点で大変おもしろいところにあるのかなという感じですね。また、あのバスは、カルピスの協賛や地域の人からの出資で走っていて、実は無料で乗れるのです。自分たちの地域でこういったバスを走らせるということを地域の人たちがすごく誇りに思っていて、事務局の人が驚くほどきちんとみんな会費を払っている。最近このバスの運営を行っている「走らせる会」がNPO団体になったのをきっかけに、別のルートを走る2台目が生まれる予定だそうです。この自由が丘の町でも油の回収をやっているので、油を回収し、燃料に加工して、バスを走らせているという仕組みができあがっています。こうした取り組みがちょっとずつでも広がっていくように働きかけていきたいですね。
 地元の墨田区でも油の回収が始まり、その回収した油で、地域のゴミのパッカー車などの燃料に利用するという動きが出ています。おかげさまで、墨田区の隣の台東区や、千葉県の佐倉市、埼玉県の所沢でも油の回収が始まっています。また、スーパーでもプラントを導入して自分たちで廃油を燃料化し、配送車に使うという取り組みもあります。応用範囲があるので、いろんな切り口がある。ご家庭だったら、今まで捨てていた廃油を捨てないなど、できるところで参加してもらうということでいいと思います。
 
 
5.VDFの普及による問題
 
 VDFにはいろいろ壁がありました。
 まず、車の車検証にはその車が使用する燃料が書かれているので、VDFをディーゼル車に使ったら違反になるのではという話が持ち上がりました。VDFができた当初は、テレビのコメンテーターの人も、消防署や陸運局もよく分かっていなかったので「てんぷら油で車が走るのか」や「どうぞ勝手に走ってください」という反応でした。ただ、バスなどの公のものが走ることになったときには、責任の所在など色々明確にしなくてはいけなかったので、陸運局に通って相談すると運輸省の方でVDFをチェックしてくれて、車検証の備考欄に廃食油燃料併用可と書けるようになったのです。それで、本格的に使う場合は陸運局に行って手続きするとVDFを使えるようになりました。これも、みなさんの動きやニーズがあったからこそ、動いていったのかなと思います。
 また、軽油税という問題もありました。ガソリン税は国税ですが、軽油税の場合は都道府県なので、東京都だったら東京都税になります。VDFは税金がかかってない値段で1リットル80円ですが、もし軽油税がかかるとなると東京都の場合でさらに32円10銭かかる。後で税金の未納問題になると大変なので、早めに東京都税に聞きに行くと、軽油税に関わる法律では、軽油税は石油にかかる税金なので、税金を払わなくて良いことになりました。80円であれば、今の税金かかった軽油の値段と同じくらいになります。ただ、軽油にVDFを混ぜると、法律では増量剤を入れた扱いになるので、混ぜた分が軽油税の対象になる。VDFと軽油がどんな割合で混ざっても問題ないのですが、軽油との混合燃料のデータもないと困ることがあるので、軽油を80%、VDFを20%混合したV20という燃料をつくりました。アメリカでは20%、ヨーロッパでは5%混ぜてスタンドで販売している例もあります。
 その他にも、VDF自体がまだ法律的にしっかり認められておらず、規格もないので、類似商品が出たりしても、その品質に関しては私どもはなんとも言えないという問題もあります。そこで、ヨーロッパに実際ある規格を参考値にして、日本でも規格をつくろうという動きがあります。植物油はゴミや燃料になっても今のところ農水省の管轄なので、農水省で音頭をとって、2年前くらいから動き始めています。
 
 
6.VDFの背景にあるもの
 
 祖父が染谷商店を始めた当時は物がない時代で、言ってみれば廃油クズ集めみたいなものでした。それが、10年くらい前のバブル景気の頃は町工場とかが大変嫌われて、製造の町である墨田区では後継者も労働者も不足し、外国人が入ってくるという時代でした。私は4人兄弟の2番目ですが、うちの父も子供たちは誰も継がないから自分の代でおしまいだと思っていた。私自身も父の仕事をすぐ継ぐという気持ちはなくて、18歳のときに旅に出ました。当時は大学に行けばそのままいいところに就職できたのですが、それより世界を見てきたくて、中国やネパール、インドなどに行きました。
 ネパールに行くときにチベットから陸路で山を越えたのですが、国境の町にいるときにカランカランって音がして、周りの人がばーって逃げるので、一緒について逃げていったら、通ってきた道にドシャーン、ドシャーンと、すごい大岩が落ちて道がなくなってしまったのです。10分遅れていたらその下敷きだったでしょう。この土砂崩れは標高5000メートルの場所に道路をつくって観光客が入って来たり、燃料として過剰に木が伐採されるようになって地盤が弱まっていたのが原因で、雨季でちょっと雨が多いと土砂崩れになるということでした。そんな、すごく微妙な生態系のバランスで山が生きていた。
 その経験から、東京ではあまり感じなかった環境問題を、アジアの旅の中で気がついたのです。ネパールは貧しくて停電もよく起こるけど、心が豊かな人たちばかりです。そこから日本を振り返ってみると、そのころの日本は、環境というよりは物をどんどん使って景気よく経済を回そうというバブルの絶頂期で、日本の生活ってこれでいいのかなと思うようになりました。アジアの熱帯雨林が破壊されていたり、日本がいっぱいものを使いすぎるのに、アジアの人たちは逆に貧しい生活をしていたりというのを、アジアの旅行を通して感じました。
 旅が終わったあと、あの土砂崩れで死んでいたかもしれない自分は環境関係の仕事をして役に立ちたいと思いました。ただ、なかなかビジネス化されているところがない。また、環境関連の事業はどこか偽善的にやっているって感じがあって、採算は合わないし、こんなんで続くのかなと思うと、生き絶え絶えになってやめたりする。そうではなくて、環境問題の解決を捉えながらしっかり事業化できなければ、やっている人も辛いし、続かなきゃ意味がないのではないかと。他の仕事をしながらそんなことを考えていたとき、たまたま実家の染谷商店の工場の仕事を手伝ったら、「私の考えていたものはここだ。青い鳥はここにいる」と感じました。よく出来た話みたいですが、私はここでやっていくのだと感じたのです。周りは後継者不足で悩まされている時期でしたから、若いお姉ちゃんが油屋に入るということに近所の人がみんな驚きました。それでも、私は父親に「これからのビジネスだ。これから環境は大事だし、これはトレンドなビジネスだ」と言ったら、父親は苦笑いして「あそう、じゃあもう好きにやりな」という感じで、好きにやらせてもらった。それで廃油の回収部門を立ち上げました。23歳の女性が廃油の回収をしているというのは当時大変珍しい存在だったみたいで、なんでと聞かれるたびに、よく「油を集めるというのは資源を掘り起こしているといった夢があるのですよ」なんて言っているうちに、これは東京油田というものを開発するために私は今やっているのだと、トラック乗りながら思うようになりました。東京油田、東京油田と言っていたら、そのうちVDFが出来ちゃったのです。これには言葉の力の大きさを感じました。
 
 
7.社会を変えるということ
 
 会社経営では何が大事ですかとよく聞かれるのですが、一番はやはりビジョンなり理念ですね。自分が何をしたいのか、どういう社会をつくりたいのかが決まっていれば、半分はできたのも同然で、あとはやるだけなんです。夢をどう実現していくかが大変重要なポイントなのだと思います。VDFも、もしかしたら東京油田は資源だというこだわりから生まれたのかなと思います。
 21世紀は環境の世紀と言いますが、30年くらい経ったらどうなっているか。てんぷら油で車が走るのは当たり前になっていて「30年前は石油で車が走っていた」と若い人に言ったら驚かれる時代が来るかもしれません。今は石油が中心ですが、昔は石炭で車や蒸気機関車が走っていたのですから。水素エネルギーや燃料電池など盛んに研究開発されているので、30〜40年後にはエネルギー事情は全く変わっているかもしれない。でもそういったものやろうとするときに、一人ひとりがどのように考え、支持していくのか。私たちがどんな世界にするのか、夢見ることから始まるのかなと思います。てんぷら油のリサイクルを通しながら、一つのパラダイムがぽっと変わっていくような、転換の瞬間がすごく大事ではないかと思う。
 有名なコロンブスのたまごの話には、初めから卵は立たないと思う人と、立てようと思う人(コロンブス)が登場します。やろうとも思わない人とやってみようとする人。環境問題をはじめ社会や環境を良くしようとするときも、全体的な事より、一人ひとりの気持ちが変わることによって環境が変わっていくのではないかと、このVDFを育てながら思いました。つまり、まず自分たち自身が望まなければ決して環境は良くならないのではと思うのです。私は技術ではなく、みなさん一人ひとりが何か行動に移していくと、実は社会が変わっていく。世の中は、変えようと思ってガミガミやっていても、そういうことではやっぱり人や社会は変わらないのですね。今まで捨ててしまっていたてんぷら油が車の燃料になるのはおもしろいから参加しようとか、自分たちが何かしようと思えるような切り口から入ってもらえればいいと思います。大変ですが、それを大変と思わないでやれるようなことから始めることで、少しずつ世の中変わっていくのではないかなと思います。