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・ | 童話「風の又三郎」は、九月初めの二百十日の日に、高田三郎という少年が山の小さな小学校に転校して来て、十日ほどいてまた風のように去っていってしまう話である。風の吹くようす、雲が流れるさま、木や草の描写、賢治の自然に対する鋭い観察力と愛情を感じさせる作品だ。 |
・ | 童話「鹿踊り(ししおどり)のはじまり」の鹿踊りは、岩手県に伝わる伝統芸能で、この由来を書いた話である。嘉十(かじゅう)という男が西の山へ湯治に出かけ、その途中、草原で6頭のシカに出会う。嘉十がススキの陰からのぞいていると、シカたちが問答をしているのが聞こえる。そのうちシカたちは、夕日に向かって歌い踊り始める。自然の描写がとてもすぐれた作品だ。 人間が大きな自然の中に、一人ぽつんといると、自然の一部になったような気持ちになるものだが、そうした人間の気持ちや様子がとてもうまく書かれている。話のラストの部分、シカが去ったあと嘉十は西の山に歩き出すのだが、嘉十にはさっき見たシカたちの歌や踊りの印象が深く残っているのか、とても満足そうに歩いていく嘉十の姿が読者に伝わってくる。賢治は、野生の命に触れた喜びを書きたかったのだろう。 |
・ | 童話「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」は、まわりの人から「少し足りない」と思われ馬鹿にされている虔十(けんじゅう)が、家のうらの野原に杉の小さな苗を700本植え、杉林を命がけで育て、守り通す物語である。虔十の死後、杉林は人びとのやすらぎの場となり、虔十の意志を大切に思う遺族によって守られていく。この作品は、人生で大切な物は何だろうかと教えてくれる作品だ。自然を愛し、植物を愛し、森が好きだった賢治らしい作品である。 |
・ | 童話「注文の多い料理店」は、ふたりの都会の紳士が猟に来て山奥で道に迷ってしまう。林の中で「西洋料理店・山猫軒」という風変わりなレストランを見つけて入りこむと、奇妙で恐ろしい目に合う。危機一髪のところで猟師と犬に救われる、という話だ。 賢治は、自然を美しく豊かに愛情を込めて描く作家だった。しかし、自然はいつも人間に優しいばかりではない。人間の勝手な振る舞いや傲慢さを許さず、牙をむき出しにして襲いかかってくることもある。そうした自然の恐ろしさ、怖さを賢治はよく知っていた。山や森は大きくて得体の知れないもので、また、得体の知れないものを住まわせているのが自然でもある。山の中にあった「山猫軒」は、自然の恐ろしさを象徴するものではないか。自然は、優しく迎え入れてはくれるのだが、扉を開けてどんどん入っていくと、引き返せなくなってしまう。この作品には、自然の前で思い上がっている人間に対する自然の怒りの気持ちが込められていると思う。 |
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・ | 童話「セロ弾きのゴーシュ」は、町の楽団にいる下手なセロ弾き、ゴーシュが主人公の物語だ。いちばん下手くそなので、いつも楽長に叱られている。だから演奏会が近づくと、毎晩、水車小屋でセロを練習している。すると、三毛猫やカッコウ、タヌキなどがやってきて、セロを弾いてくれと頼む。動物たちにセロを弾いてやっているうちに、ゴーシュのセロは上手になっていき、演奏会では見事な腕を発揮する。ゴーシュのところにやってくる動物たちは病気を持っていて、セロを弾いてもらって病気が癒される。ゴーシュも動物達に弾いてやることによって腕が上がり元気になっていく。動物と人間が癒し癒されるという素晴らしい関係が描かれている。 |
・ | 童話「雪渡り」は、雪が凍って大理石のようになった日に、人間の子ども、四郎とかん子は野原でキツネの子「紺三郎」と出会って仲よしになる。紺三郎はふたりをキツネの幻灯会に招待してくれる。招待された四郎とかん子は、キツネの作ってくれたきび団子を食べるとキツネ達は大喜びするという話だ。賢治は、いつも罠をしかける人間と、人をだますキツネが心を通わせ交感する童話を描いた。人間とキツネを兄弟や仲間という関係で描いている。賢治は動物の側に立って、作品を書いたのである。銃や罠で狙われている動物達の嘆きや苦しみ悲しみを、賢治は自分のことのように感じて書いたと思われる。 |
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・ | 鳥が登場する童話 ヨタカ「よだかの星」、カラス「烏の北斗七星」、フクロウ「二十六夜」「林の底」「かしわばやしの夜」、ガン「雁の童子」、マナヅル「マナヅルとダァリヤ」、ハチドリ「黄いろのトマト」「十力の金剛石」、カッコウ「セロ弾きのゴーシュ」、カワセミ「よだかの星」「やまなし」、モズ「鳥をとるやなぎ」…………。 |
・ | 「またひとり はやしに来て 鳩のなきまねし 悲しきちさき 百合の根を掘る」 (大正3年、賢治18歳のときの短歌。)一人で林に来て、鳩の鳴きまねをしながら、百合の根を掘っているという歌である。 |
・ | 「かくこうの まねしてひとり 行きたれば ひとは恐れて みちを避けたり」 (大正5年20歳、盛岡高等農学校2年のときの短歌である。)カッコウの鳴きまねをしながら歩いていたら、向こうから歩いてきた人がびっくりして怖がって道を譲ってくれたという歌である。賢治は、歩きながらもカッコウの鳴きまねをしていたらしい。そういう歌である。 |
・ | 「口笛に 応ふるをやめ 鳥はいま 葉をひるがへす 木立に入りぬ」 (大正6年21歳のときの短歌。)賢治が口笛を吹くと鳥が応えてくれて、賢治と鳥は会話をしていた。けれどその鳥はもう口笛に応えることをやめて、林の中に入ってしまったという歌。 賢治という人は自然と一体となっていたとか、植物や動物と会話をしたとか言われているが、このような短歌を読むと、そのことが本当だとわかる。 |
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賢治の童話をもう一度読み返してみようと思う。そして、人間にとって自然はどのような存在なのか、私たち人間は自然とどのようにつきあっていけば良いのか、深く考えてみたいと思うのである。
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